聖騎士団長モレナ=シッコの長い一日

黒猫夜

第1話 聖騎士団長モレナ

「聖騎士団長モレナ=シッコ様のお着~き~!!」


 従者がこの古砦に集うべき最後の人物の名前を張り上げた。時神星は天頂近くで碧に輝き、空神星も水平線近くで蒼く輝いている。星辰の巡りが定めるその時が近い。地響きを立てて降りてくる跳ね橋をみやる聖騎士団長モレナ=シッコの表情は固かった。


(異世界勇者召喚の儀……今日、召喚される勇者によって世界の趨勢が大きく変わる。さすがのモレナ様も緊張なさっているご様子だ……)


 従者の少年は手足の震えを押さえながら思った。王位継承権第十五位の姫でありながら、王国最強の騎士団を率い、魔王の進行にあらがう人類の希望。戦場にあって、日に焼けていてもなお、高貴さと美しさと愛らしさを失わないその貌は王国民の憧れだ。だがその表情は険しい。まるで戦場のようだ。数多の魔物を屠ってきたその身体から放たれる気迫に少年は気圧されていた。


「……行く。案内はここまででいい」


 少年は傍らをライオンがすり抜けていったのかと思った。だがそれは夜の闇に負けじと輝く地上で咲く太陽であった。すなわちそれは姫騎士その人であった。跳ね橋が下がりきるよりも先に、モレナは跳ね橋に飛び移っていた。全身甲冑をまとっての軽やかな身のこなしに、従者は思わず見とれる。


ガシャン


 モレナが下がりきる前の跳ね橋を滑り降りて着地する音が石畳に響いた。魔法銀のフルプレートをまとった女傑は着地の姿勢のまま、しばし停止する。下りきった跳ね橋を渡り、従者の少年が急いで追いついてくる。聖騎士団長は少年を振り返った。濡れ烏色の豊かな黒髪が月光にきらめく。


「……い、いえ……最後まで供せよと命ぜられておりますので……って……モレナ様……待っていてくださったんですか?」

「ふん……先に行くと卿が叱られてしまうのだろう。もっと早くに追いついてくるかと思ったのだがな……」

「は、はい! もっと精進いたします!!」

「……急ぐのだろう。行こう」


 モレナは歩を進める。従者の少年はそれを足早に追った。虚星が水平線から顔を出し、空神星も天頂を目指していた。儀式の時間が近い。



(あっぶなー!!! 完全に終わったかと思った!!!)


 モレナは歩きながら従者の少年に気付かれないよう太ももを擦り合わせた。下履きのズボンは汗が染みてじっとりとしていたが、ビシャビシャと言うほどではない。大丈夫。まだ大丈夫。たぶん、汗。


(戦場から、召喚の儀があるって呼び出されて、馬乗り変えつつ6時間ノンストップ……普通、休憩とか挟むでしょ~~~!?)


 下腹部のちゃぷちゃぷ感とこみ上げてくる生理的衝動。そう、尿意である。希望の姫騎士は勇者召喚の儀に同席するため、戦場より急ぎ舞い戻っていた。そのため、トイレに寄る時間がなかった。


(ここでこの子置いてって、砦でトイレ借りて急いで集合すれば間に合うと思ったのに……)


 跳ね橋を使って従者を撒く。モレナの身体能力があればこそ成立する強引な突破策。モレナはこれに確かな勝算を見出していた。だが……。


(あの高さからの着地の衝撃がこんなにクるなんて……)


 跳ね橋から飛び降りて石畳に着地した瞬間、石畳と足根骨の間で生じた衝撃は、脛骨、大腿骨、安産型の骨盤を伝わる縦波と、腓腹筋、ぷりぷりの大腿四頭筋と大腿二頭筋、むちむちの大殿筋へと伝わる横波に別れ、モレナの膀胱に対して文字通りの波状攻撃となって襲い掛かった。それはかつてモレナが戦った双子のサイクロプスの縦横無尽の打撃よりも恐ろしかった。モレナは隘路を塞ぐため、全身全霊を懸けねばならなかった。


 結果として、従者には追いつかれてしまい、儀式の時間は迫っている。トイレに行きたいと言い出せる雰囲気ではない。


(だけど、私はまだ負けてない……)


 モレナは覚悟を決めて進む。そう、王国最強を背負う姫騎士に諦めるという選択は存在しない。モレナは召喚の儀を無事乗り越え、トイレに行くことができるのか。これは、世界を背負う少女の誇りと尊厳をかけた物語である。


She Faces a Day That Is Far From Over...

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