2 神よ、さても知らじな燃ゆる思いを

 原付をしばらく走らせてみてわかったことは、俺が立っていた場所はこの世界の住民からすれば全くと言って良いほど通らない場所だったということだった。

 轍、とでも言うのだろうか。少し小さめの軽自動車程度の轍が、地面に残っている。

 そこだけ草花が残っていない辺り、頻繁に人の往来があるのだろう。

 俺はその轍に沿うようにして原付を進めていった。

 不思議とこんな世界に来てしまった不安感などはなかったが、それは道中で他人と出会わなかったからかもしれない。

 

「と、やべ」


 噂をすればなんとやら。向こうから馬車が走ってくる様子が見て取れた。

 俺は瞬時に原付から降りると、キーを外して腕輪にする。

 ゆっくりと轍の端を歩く俺に、御者は不思議そうな目をしながら馬車を止めた。たくわえたあごひげを撫でつけながら御者は不思議そうに俺の方を眺めている。

 そりゃそうか。荷物も持っていなければ、見たこともないであろう服装なのだからしょうがないだろう。


「あんた、旅人さんかい? こんなところで珍しいねぇ。みたこともない服だが、出身は?」

「あ、ああ……」


 初村人に遭遇、なんてテレビの企画とはわけが違う。俺は少し返答につまりながら


「東の方だ。そっちは?」


とひねり出すようにに返した。


「私もそんなものだよ。何か買うかい? 売れ残りで良ければ荷台を開けるが……」

「商魂たくましいな。ちょうど腹が減っていたんだ……って言いたいところなんだが、あいにく金がないんだよ。物々交換ならできるんだがな」


 俺は咄嗟に手に持っていたティーカップを御者に見せる。原付の荷台から何か使えるかと取り出していたものだ。


「ははは! 荷物が少ない割にはそんな変なものを持ってるとは、旅人さんも殊勝な方だね。それにしても……またよくできたもので。物々交換は難しいが、妻への土産にちょうどいいやもしれん。買い取りなら構わんよ」


 御者の男は馬をその場に止めると、馬車から降りて俺の持っていたティーカップを眺める。


「どれくらいで買ってもらえるかはわからんが、こっちの国ではだいたい十日ほど生活ができるくらいの骨董品のはずだ。どうだ? こっちの物価がどうかはわからんが……」

「大体どこも同じだよ。今は景気も良くないからな。そうだな……五千ゴールドってところでどうだ?」


 五万……か。こっちの世界の物価がどれくらいかわからんが、まあなんとか……なるのだろうか。


「じゃあ一旦五千で、何か食べ物がないか見せてもらっても構わないか?」

「ああ、いいさいいさ」


 御者の男は馬車の荷を開けると、中から即席で食べられそうな食材をいくつか取り出してきた。干し肉や硬そうなパンなどが出てくるが、夕食直前に死んでしまった俺の胃袋はそんなもんでも欲し始めている。

 俺は干し肉とパン、そしてその値段を差し引いたゴールドの入った麻袋を受け取った。

 これが偽物の硬貨であった、なんてことは杞憂かもしれないが少し不安だ。まあでも、それはそれで使いようがある。

 もう少し値を上げようかとも考えたが、食料の値段からしてどうやらこれくらいが適正価格のようだ。


「じゃ、旅人さん。これが約束のゴールドと、あと食料。そろそろ腐りそうなもんもおまけでつけといてやろうか?」

「いいのか。助かる」


 御者は俺にいくつかの果物を追加で渡すと、じゃ、言ってまた馬車を走らせる。

 馬車の背中は想像していたよりも遥かに早く、小さくなっていった。


「異世界って言ったが、存外良いやつも居るもんだな」


 腐りそう、とはいっていたものの、鮮度も良さげな果物を口に頬張ると、りんごのような甘さといちごのような酸味が同時に口の中に広がった。

 不思議な感覚だが、悪くはない味だ。

 俺はそれを平らげると腕輪にしていた原付をもとに戻し、また轍に沿って原付を走らせていった。


・・・


 しばらく走ると、大きな壁が見えてきた。


「なんだあれ……」


 ブロックで固めた壁の近くでは、さっきのような馬車たちが並んでいる。それ以外にも、服装はファンタジックだが、俺と同じように一人で旅をしているような人々も壁の前に並んでいた。

 段々と人通りが増えて来るであろう位置よりも更に前で俺は原付を腕輪に戻すと、徒歩でゆっくりとその集団の方に進んでいった。

 壁に近寄れば近寄るほど、人通りは多くなる。先程の御者が特別だというわけではなく、どうやらこの世界では共通言語として俺の言葉が通じるようだ。


「あー、そこの人、ちょっと良いか?」


 俺は近くを歩いていた女の子に声を掛ける。大きなバックパックの中にはパンパンにものが詰め込まれており、腰には長い鞘をはわせている。

 アジアン、というよりもコーカソイドに近い顔立ちで、髪色が少し赤っぽい。虹彩だけがやたらと翡翠色できれいな瞳をしている女の子だ。

 横には先程の馬車を引いていた馬よりも一回り小さな馬が手綱に引かれて歩いており、背には荷物を背負っていた。


「なんですか?」


 俺はその子の歩みに合わせて歩くスピードを緩めた。


「すまんね突然。少し遠くから旅をしてきた者なんだが、ここは……?」

「ん、そうか。そんな軽装備でよくぞここまで来たな。ここはヴァルス王国だよ」

「ヴァルス王国?」


 俺のオウム返しに、女の子はくすくすと軽やかに笑う。


「王国の名前も知らないのかい? 本当に遠くから来たお方なんだ。後で宿教えてくれよ。異国の話でも聞かせてほしい……っと、そりゃ迷惑だな。アンタは冒険者、あるいは商人ーーという出で立ちでも無さそうだ。この王国はアンタに合うかどうかもわからんねそうなってくると」

「合うかどうか……?」


 段々と周囲には馬車が増え始めた。地面も舗装され始め、草花が生えていないのではなく、敢えて生やさないように整備された道が何本も集合し始めている。


「この王国はダンジョンとそこに挑む冒険者で成り立っているんだよ。だから、あたしみたいな冒険者か、あるいはそこに物を売る商人がメインで居を構えてやってる。だからまあ、それ以外の仕事を流浪人が始めようってことがあまりないのさ」

「なるほど。それはそれで少し面白そうだ」


 未知の文化だ。見慣れない芸術や文化があるかもしれない。

 俺の審美眼が腐ってなければそれも判別できるとは思うが、それ以上に自分の知らない文化の美を知れることが嬉しかった。

 あと、商売敵が居ないということは、仕事になるかもしれない。こんなものは机上の空論でしかないが。


「面白そうって、アンタ変な奴だね。名前は?」

「俺はユーリ。平賀勇利。そっちは?」

「あたしはエルシャ。エルシャ・エルリンド。さて、そろそろ入国ゲートだ。お互いこの国での幸運を祈ってるよ。あたしは冒険者登録を済ませないと」

「入国登録か何かがあるのか?」

「いや、あたしみたいな冒険者というか、ダンジョンに入ろうとする輩は全員、登録が最初に必要ってだけさね。多分あんたなら変なものも持っていないし、すぐに入国できるんじゃないかな。ま、どっかであったらアンタの話ももう少し聞かせて頂戴」


 エルシャは手綱を手繰り寄せると、馬をゆっくりと道の向こう側に誘導し始めた。すでに馬車や人が多く往来しており、俺に手を振りながら去っていったエルシャの姿もすぐに何処かに消えてしまった。

 エルシャの言っていた通り、横で煩雑な手続きをしながら入国審査を行っている商人や冒険者とは別口で、俺は身体検査のみで入国を許可されることとなった。


「王国の中での魔法の使用はダンジョンの関係で許可されているが、人に向けて詠唱したりすることは禁止されている。それ以外は他の国とほとんどルールも変わらんから、あまり変なことを起こさないでくれよ旅人さん。それじゃ」


 入国審査官がゲートを開くと、その向こうは大通りだった。

 ファンタジーの世界に来た、と実感できるほどに、ごった返す人の波と、そして魔法。

 大道芸人が人形を念力で動かす横で、屋台では火力を上げるために男が指から火を追加している。

 すれ違う人々が俺の姿をちらりと見てくるのは、多分ここの誰よりも服装が変だからなのだろう。さっきの御者に服も見繕ってもらっておけばよかったと、少しだけ後悔した。


「はぁ〜。おもしろ。っと、こんなことしてる場合じゃないんだった」


 何のために人通りが多そうな道を選んでこんな王国まで来たかの目的を忘れていた。

 俺はこの世界で生きていくのだ。日銭を稼ぐ手段を、見つけなければ。

 俺は持っていた麻袋の中に入った金をぎゅっと握りしめた。

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