6 雨と鬱

 最近、ずっと天気が悪いな。

 一応……、家を出る前に折り畳み傘を持ってきたから問題はないけど、あの灰色の雲を見るとなぜか頭の中が複雑になってしまう。そして梅雨入りだから気晴らしに散歩をするのもできないし、どこかに遊びに行くのもできない。ずっと薄暗い部屋の中で窓の外を眺めるだけだった。


 でも、不幸中の幸いっていうか。

 七瀬がしょっちゅうラインを送ってくれるからさ。友達のいない俺にさりげなく「何してるの?」って聞いてくれるのはすごく嬉しいことだった。そして柏木と勉強の約束もしたし、そうやって少しずつ今の状況に慣れていくんだろう。


 少しずつ———。


「青柳くん」

「は、はい! 柏木さん、どうしましたか?」


 放課後、俺に声をかける柏木に少し緊張していた。

 まだ慣れていないからさ。

 そしてさりげなく横髪を耳にかける柏木。彼女と目が合った時、ふとこの前にあったことを思い出してしまう。頭を撫でられて、手を握られて、いろいろ……あったからさ。よく分からない。俺たちの距離感が———。


「今日も図書館に来るよね?」

「あっ、すみません。今日はバイトがあるんで……」

「珍しいね」

「ああ、今日は店長に用事ができたみたいです。普段は図書館で勉強をした後、すぐバイト先に行きますけど……。店長に用事ができて今日はいつもより早く行くことになりました」

「そうなんだ。それは仕方ないね」

「すみません……」

「どうして謝るの? いいよ、気にしなくても」

「はい……」


 よく分からないけど、じっと俺を見ているその目をすごく意識しているような気がする。もしかして、俺……柏木に気遣われているのかな? 七瀬もそうだし、柏木まで……。俺……、そんなに可哀想に見えるのかな? あの二人に……。


 でも、俺はあの二人に感謝しないといけない。

 おかげで話し相手ができたからさ。


「先輩! 先輩! 先輩! 先輩! 先輩! 先輩!!! パイ!」


 大声を出しながらさりげなくうちのクラスに入ってくる七瀬に、ちらっと周りの人たちを見てしまう。声が大きいのもあるけど、めっちゃ目立つからさ。


 そして俺の前でニコニコしている。何かいいことでもあったのかな?


「ど、どうしましたか? 七瀬さん。テンション高いですね」

「先輩! 今日予定あるの?」

「今日はバイトがあります。すみません……」

「えっ! バイトあるの!? じゃあ、バイトいつ終わるの?」

「十時頃ですね」

「…………」


 すぐ落ち込んでしまう七瀬に……、俺が悪いことでもしたような気がする。

 でも、どうして俺の予定を聞くんだろう。

 七瀬くらいの女の子ならきっとクラスの男たちがほっておけないと思うけど、今はそんなことより拗ねている七瀬をどうにかしないと。てか、子供じゃあるまいし、口を尖らせて拗ねた顔をしているなんて……。


 こういう時はどうすればいいんだろうな。

 そのままじっと七瀬を見つめていた。


「…………」


 仕方ない。こうなったら柏木がやってくれたことを七瀬にやってあげるしかない。

 まずは息を止めて、そっと七瀬の頭に俺の手を乗せる。

 すると、ビクッとした七瀬が俺の方を見ていた。なんか、慌てているような気がするけど、気のせいかな……? 七瀬の目を見た時、なんとなくそう思った。


「薫の……、バカァ……」


 そのままなでなでしてあげると、飼い主に撫でられる子猫みたいな反応をする七瀬だった。

 それに声も震えているし……。

 なでなでの効果はすごかった。


「えっ、すみません……。バカで……」

「でも、これ嫌じゃないから……許してあげる! 私、いい後輩だよね? そうだよね? 薫」

「あ、ありがとうございます……。は、はい……。そうですね」

「一緒にカフェ行きたかったのにぃ。ひん……」

「そろそろテストの時期なんで、いろいろ忙しいです。すみません……、七瀬さん」

「それもそうだね……。勉強嫌だよぉ…………」

「俺もそうです」

「でも、薫は成績いいでしょ? 中学生の頃から頭よかったから……。私そんな薫が好き!」


 その「好き」って言葉にビクッとする俺だった。

 ここでそんなことを言うのかぁ。クラスにまだ人が残っているのに……。


「…………いきなりそんなこと言わないでください……! 七瀬さん……」

「えへっ! じゃあ、今日は素直に帰るから後でラインしてね! 最近、すぐ返事してくれるからすっごく嬉しい! へへっ」

「は、はい……」

「バイバイ! 薫〜」

「は、はい……」


 七瀬はすぐ帰ったけど、そのテンションにはまだ慣れていない俺だった。

 でも、可愛かったからいいか。


 ……


「マジか……」


 そして大雨が降り始めた。

 ちょうど帰ろうとしたのに、なぜ今降り始めるんだろう……。ついてない。

 しかも、だんだん激しくなっている。冗談だよな?


「雨……」


 すると、そばに来ている柏木がぼーっと雨が降る空を眺めていた。

 いつ来たんだろう、全然気づいていなかった。

 まさか、傘持ってくるの忘れたのかな……? そのままじっとしている柏木の横顔を見ていた。


 どうしよう、「傘貸してあげます」って言いたいのに……。

 なぜか……、その言葉が出てこない。


「青柳くんは……、人気者だね」

「は、はい?」


 い、いきなり……? 人気者? 俺が?


「可愛い後輩に可愛がられているから……。クラスで話していたのを聞いちゃった、ごめんね」

「いいえ! き、気にしなくてもいいです! えっと……、七瀬さんはその……中学時代の後輩なので、なぜかあんな風にからかわれています。あははっ」

「…………そうなんだ」

「あっ! そうだ! 傘! 持ってないですか?」

「あっ、うん……。ちゃんと用意したけど、持ってくるのをうっかりしてね」

「じゃあ! 俺の傘を貸してあげますから! これを使ってください!」

「いいの? じゃあ、一緒に……」

「ああ、俺はすぐバイトに行かないといけないんで! 大丈夫です!」


 そう言った後、すぐ柏木に傘を渡して、俺は駅まで走ることにした。

 そんなに遠くないから急げばびしょ濡れにはなれないんだろう。

 そしてこの雨は夜まで続かないってアプリで確認したから、帰る頃には止むんだろう。俺はそれを信じることにした。


「じゃあ、また……! 先に失礼します! 柏木さん!」

「うん……」


 急いで走る薫の後ろ姿を、愛菜はじっと見つめていた。

 そして彼女は小さい声でこう話す。


「なでなで……」


 そう言いながら、ぎゅっと薫の傘を掴む愛菜。


「…………」


 そしてそんな愛菜を誰かがこっそり覗いていた。

 壁の後ろに隠れて、息を殺して、じっと彼女の後ろ姿を見つめていた。


「ふーん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三年かけてやっと付き合った彼女に浮気され、すべてを失った俺は図書館で君と出会う 棺あいこ @hitsugi_san

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画