第2話

「ほら、早くそこを綺麗にしなさいよ」

「うん……」



 呆れたようなため息を聞きながら私はボロボロの雑巾を使って廊下を拭いていく。使い古された雑巾だからか汚れも中々取れず、またわざとらしいため息が背後から聞こえてきた。



「ほんと使えないわね。両親を事故で亡くしたアンタをお父さん達が引き取ってくれたから今もこうして暮らせている事を忘れたの?」

「忘れて……ない」

「だったら、もっとキリキリ働きなさい。あと、私達に対しては敬語を使うように言ったわよね? そのくらいも出来ないの?」

「申し訳……ありませんでした……」



 私の言葉を聞いて、従姉妹の沢田久美がまたため息をついた。私の両親が事故で亡くなったのはほんの二ヶ月前。その時の私は教室で授業を受けていて、事務室の職員さんが青ざめた顔で教室に駆け込んできた姿は未だに鮮明に覚えている。


 それからお葬式や火葬も終わり、一人で暮らせない私を引き取ったのが親戚の沢田家で、喪失感でどうしようもなくなっていた私はそれを受け入れた。けれど、それが大きな間違いだった。


 中小企業とはいえ、社長をしている叔父さんは私の保護者としてこの家を管理するという名目で自分の持ち家の一つにし、家具などを自分達の好きに変えていった上に私を小間使いのように扱い始めたのだ。前から叔父さん達はあまりいい人達じゃないとお父さん達から言われていたけれど、それでもお祖父ちゃんやお祖母ちゃんも亡くなっていて他に頼れる親戚がいなかった事で、私はその助けを借りるしかなかった。ただ、それだけならまだ耐えられた。本当に辛いのはそれ以外の事だった。



「あら……愛する彼からの電話だわ。アンタ、アタシはちょっと電話に出てくるけど、絶対にサボるんじゃないわよ」

「サボりません……いってらっしゃいませ」



 フンと鼻を鳴らして久美は携帯電話片手に歩いていく。その相手は決まっている。私の幼なじみの青空晴太君だ。昔は晴れの漢字からはー君と呼んでいた晴太君だけど、久美の彼氏となってからは一度も面と向かって話していない。その理由は至って簡単。自分の彼氏になる事と私の事を無視する事を久美から命令されているから。


 そんな勝手な命令を晴太君が聞く必要は本来ないのだけど、叔父さんの会社と晴太君のお父さんが部長さんをしている会社が取引先同士だった上にお父さんがしてしまったミスを無かったことにするためにその命令を聞くように言われていて、晴太君も従わざるを得なくなっているのだ。


 因みに、久美はどうやら彼氏を何人も持っているらしく、私を痛めつけて楽しむために彼氏にした晴太君はその中でも一番低い地位のようで、久美だけじゃなく他の彼氏達からもパシリのように扱われている、と前に晴太君がこっそり電話で教えてくれた。



「晴太君も言ってたけど、晴太君のお父さんがしたっていうミスはたぶん久美達が仕組んだ事だ。もし本当にそうだとしたら許せないけど、私達に出来る事なんて今のところないし……」



 掃除をしながら悔しさを滲ませていた時、満足げに電話を終えて久美がこちらに戻ってきた。恐らくまた勝手な事を言って晴太君を困らせてきたんだろう。けれど、その顔はまだそこまで綺麗に出来ていない廊下を見て、不満そうな物に変わった。


「まだその程度しか終わってないの? ほんっとうに使えないわね」

「申し訳……ありません……」

「……アンタ、本当にそう思ってる?」



 久美は舌打ちをすると、私の髪を掴んで顔を無理やり上げさせてきた。



「いたっ……!」

「ほんっとうにムカつく。アンタのその顔、私は不幸ですって言ってるみたいでイライラすんのよ!」

「アンタの意見なんて聞いてない! アタシがそう思えばそれが正しいのよ! 口答えしてんじゃないわよ!」



 怒りで顔を歪ませた久美は私の顔を廊下に押し付け、汚れを拭くように廊下に擦り付け始めた。



「アンタは両親を亡くしてたところをアタシ達に引き取られてこの家に住み続けられているんだから不幸なわけがない! むしろ、感謝しながらこれからもアタシ達に尽くせる事を幸せに思ってる! 違う!?」

「その……通り、です……」

「ふん!」



 久美は乱暴に私を離すと、冷たい目で私を見下ろしてきた。



「アンタなんかに構ってたから喉が渇いたわ。今からジュース買ってきなさい。果汁100パーセントの奴で、もちろんアンタの自腹」

「わかりました……今すぐに行ってきます……」

「寄り道なんてするんじゃないわよ。アンタごときがアタシを待たせるなんてあり得ないんだからね」



 久美の苛立った声を聞きながら私はよろよろと立ち上がり、一度部屋に戻って出かける準備を始めた。そして久美に一言声をかけてから外に出た瞬間に安心感からふうとため息が出た。



「……本当に息苦しかった。今はどうにか我慢してるけどもう嫌だよ。でも、この家を出て一人で暮らせるわけじゃないし……はあ、一体どうしたらいいんだろ」



 今後の事を考えて気が重くなった後、私は買い物のために歩き始めた。少し歩いて街の方まで出てくると、カップルや親子連れ、友達同士で歩く幸せそうな人達が多く目に入り、今後も私には訪れる事がない幸せを手にしている人達を羨ましいと思うと同時に、とても憎んでしまっていた。



「……どうして? どうして私がこんな目に遭わないといけないの? 両親も亡くなって、住んでいた家もあの人達に好き勝手されて、幼なじみとも引き離されて頼れる人を無くされた上に命令に従い続けないといけない毎日を送るなんてもう嫌だよ……!」



 悔しさと悲しさで涙が出てくる。すると、突然空から雨が降り出した。



「……雨」



 いつからだろう。私が悲しい時に必ず雨が降るようになったのは。涙が出る時には雨が降り、その悲しさが大きい時は大雨が降る。そんな事が起き始めた事で、私はいつしか雨女として周りから揶揄され、時には嫌われるようになっていた。



「……この雨、まるで私の心の中みたい」



 軽く周囲を見回すと、周りにいた人達は傘を差したり雨宿りをするために建物の中に入り出した。その姿が私の悲しみから目をそらし、そのまま知らん振りをして離れていくように見えて、徐々にそれに対しての寂しさと怒りが募っていった。



「助けてよ……! この心の雨を晴らして、私をここじゃないどこかに連れ去ってよ……!」



 心からの叫びが口から漏れ、氾濫した川のように感情が荒れ狂っていたその時だった。



「ならば助けよう。あの時、お前がそうしてくれたように」

「え?」



 突然聞こえてきた透き通るような声に驚きながら顔を上げる。誰もいなくなっていたはずの目の前には、いつの間にか白髪で青い着物姿の長身の男の子が立っていて、そのモデルさんのように整った顔つきは凛々しく、初めて見る人のはずなのにどこか懐かしいような感じがした。



「あなたは……?」

「竜神の翠輝。幼き頃に口にした約束、いまここに果たそう。滝川静音」



 竜神と名乗る翠輝さんは優しい笑みを浮かべながら落ち着いた調子で言った。

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雨女と揶揄される私は龍神様に溺愛されてます 九戸政景 @2012712

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