03・小さなお客様との交流

 小さな子供というのは、大人が思いがけないような範囲にまで足を運ぶことがあるものだ。


 今日もまたクロエという女の子が、ヴェリディの工房を訪問していた。

 数日前も急に家を飛び出して、あれほど母親を心配させたというのに。クロエは隠しているつもりだが、どうやら今回も、母親に何も言わずにここまで来てしまったらしい。


伝言蝶メッセージバタフライ】を彼女の家まで飛ばしたヴェリディは、母親が迎えに来るまで遊び相手になろうと、仕事の手を止めて椅子を立っていた。


「木苺のジュース、いるかい?」

「うん!」


 クロエは来客用の柔らかなソファに腰掛けながら、工房の中をきょろきょろと見回している。彼女に取っては、魅力的な「隠れ家」のように思えるのだろう。その感覚は、かつて祖母の工房が大好きだったヴェリディにも覚えがあった。


「はい、どうぞ」


 ジュースの入った陶器のコップをクロエに差し出す時、ヴェリディは彼女の視線が自分の「髪」に向いていることに気付いた。長く伸ばして三つ編みにしている、深緑色の艶やかな髪だ。


「お兄ちゃんの髪の毛、きれいだね!」

「ありがとう。手入れしている自慢の髪なんだ」

「どうして、髪の毛を伸ばしているの?」


 クロエの純粋な眼差しと、純粋な疑問。

 多くの魔術師の中には「古くからそういうものだから」という惰性混じりの慣習で髪を伸ばしている者も多い。だがヴェリディ自身はそんな理由で伸ばしている訳でもないし、こういった話をクロエに聞かせても面白みがないだろう。


 だからヴェリディは、自分の中にある「純粋で柔らかな思い出」を、少しだけこぼしてみることにした。


「大好きだったおばあちゃんの、マネをしているんだ」


 ヴェリディの祖母は、もう他界している。

 ヴェリディにとって祖母は「大切な家族」であり「尊敬する師匠」でもあった。家族である時も、師弟である時も、祖母から髪の手入れをしてもらう時間はとても心地良かった。


 使い込まれた木の櫛が髪をすべる感覚。

 愛用していた香油の優しい匂い。

 祖母と同じ香りが自分の髪からもただよう、ただそれだけで、幸せな気持ちになれた。

 生前の祖母の背中に流れていた長い白髪は、ヴェリディにとって憧れを象徴するものだった。


「髪の毛のお手入れをすると、良い香りがするの?」

「うん、そういうお手入れをしているよ」

「私も、お兄ちゃんのマネっこしたい!」


 胸の下で三つ編みの毛先が揺れるヴェリディほどの長さではないが、クロエの赤茶の髪も、毛先が肩に触れる程度の長さはある。

 そして、クロエの母親が迎えに来るまで、もうしばらくは時間もかかるだろう。


(工房の道具にあれこれ興味を持たれるのもちょっと危ないし、ちょうど良いかな?)


 小さなクロエの胸の内に広がった大きな好奇心を満たすためにも。 ヴェリディは、愛用の道具たちが入った箱の蓋を開けに行くのだった。

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薬草魔術師の調合日誌 @ayato_shiki

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