やまびこの沈黙

飛鳥たぐい

「やまびこの沈黙」

 私は幼い頃から「やまびこ」という現象が好きだった。


 山に向かって「おーい!」と叫ぶと、少し遅れて自分の声が返ってくる。

 子どもながらにその神秘に触れ、村の大人たちが話す「『やまびこ』は自然からの贈り物であり、山々の霊気が返事をしてくれているのだ」という言葉を信じていた。


 森に吹く風や鳥のさえずりと同じように、やまびこもまた、山が私たちに返してくれる生命の響きだと思っていたのだ。


 だが、私が十五を迎えた冬、村の気象に異変が訪れた。例年にない厳しい寒さと頻繁な降雪により、山道が厚い雪に閉ざされてしまった。村の者が山に登ることは危険だと判断され、私も久しくやまびこを聞けない寂しい日々が続いた。




 ある日、村に見慣れない一団がやってきて、「俺たちがやまびこだ」と言い放った。


 私は心底腹が立った。なんと傲慢ごうまんなことを言うのだろう。彼らは人間に過ぎない。やまびこは人間が作り出せるようなものではなく、山の霊や自然の力が生み出すものだ。

 自然を軽んじ、まるで自分たちが山そのもののように振る舞うなんて、不遜ふそん極まりない行為である。


 しかし、彼らは村の人々に自分たちが「本当のやまびこ」だと主張し続けた。

 さらに「山の声を届けに来た」とも語り出した。山の、ひいては自然の災厄が村に迫っていることを告げるために我々は来たのだと。


 村の中には、ごく少数だが彼らの言葉に不安を覚える者もいた。

「もし彼らが本当にやまびこなら、話を聞くべきではないだろうか」という者まで現れ始めた。

 私はその考えが信じられなかったし、怒りで心が沸き立った。

「やまびこ」を自称する一団が、村人たちの心に入り込み、自然を冒涜するのを見過ごすわけにはいかない。


 村人たちはやがて一致団結し、「やまびこ」を名乗る者たちを糾弾し、村から追い出す決意を固めた。私は、これを正義の行いだと信じて疑わなかった。彼らがいなくなり、山の雪が解ければ、再び山の息吹を間近に感じるようになるはずだからだ。




 ところが、それから不思議なことが起きた。

 暖かくなり、雪が解けて山に登れるようになった私は、山道で意気揚々と周囲の山に向かって「おーい!」と叫んでみた。

 しかし、まるで山が沈黙したように、何の反応もない。私は困惑し、もう一度叫んでみたが、どれだけ声を張り上げても返事はなかった。


 やまびこが完全に消えたのだ。

 山に登った他の村人たちも次第に不安を感じ始めたが、私たちは、やまびこが戻ると信じて待つことにした。


 だが、やまびこが戻ることはない。それどころか、次第に他の自然の音も消えていくようになった。森でさえずっていた小鳥たちの声が聞こえなくなり、夜には風が枝葉を揺らす音もなくなった。

 村は静寂に包まれ、やがて無音の世界が広がっていった。


 最初は、ちょっとした混乱が起きただけだったが、音が消え続けるにつれて村全体に恐れが広がり、皆が疑心暗鬼に陥った。


 人々は、次第に静寂に怯えるようになり、「やまびこを追い出したことが原因ではないか」と疑う者も現れた。

 しかし、大半の村人は「やまびこが人間であるはずがない」という元の考えにしがみつき、頑としてその可能性を認めないままだった。


 自分たちの信じる「ことわり」を捨てられず、「やまびこは自然現象だ。あれが人間の仕業だなんて、馬鹿げている」という思いが、根強く残っているからだ。


 今、村は沈黙に包まれている。かつての風や鳥の声、森のささやきもすべて消え、私たちの生活からも音が失われた。

 そして、私も疑うようになった。やまびこと名乗っていた者たちは、もしかしたら本当に山の声を代弁しに来たのかもしれないと。


 だが、私たちは彼らの言葉を信じることなく排除してしまったのだ。それが私たちの「理」に反していたという理由で。


 こうして、完全な静寂の中にいる今も、大半の者は自分の信じていたことを疑おうとはしない。未だ心のどこかで「やまびこは自然現象だ」という信念を固く抱いている。


 だが、その信念がやまびこの響きを奪い、私たちの村から音を消し去ってしまったのではないだろうか。




 「やまびこ」は私たちの愚かさをあざ笑うかのように、ただ静かに、遠くで沈黙し続けているのかもしれない。

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やまびこの沈黙 飛鳥たぐい @asukatagui

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