第2話 賭場

 男は扉を開き、賭場の中に足を踏み入れた。


 そこは安っぽい賭場だが、しかし賑わっている。客層は控えめにいって最悪だが、むしろ落ち着くというもの。


 最初に目を引いたのは中央のテーブル。酒を飲んで顔を真っ赤にした賭博師たちがカードを使って戦っているようだ。


 その中でも一番目立つのがゴリラ――のような人間か、あるいは人間のようなゴリラだ。髪と体毛の区別がつかないほど毛むくじゃらであり、座っても椅子からはみ出していて、手の中のカードは付箋ほど小さく見える。


 そいつの前にはチップが山と積み重なっていて、大勝ちしているらしい。酒瓶をどしんとテーブルに叩きつけた。


「カチカチカチぃ~ お前ら弱すぎ~ 誰もこのヤルマ様には勝てないみたいだな」


 大男――ヤルマは黄ばんだ歯の奥が見えるほどに大笑いした。


「さあ! すっからかんになったならそこをどけ! 次の獲物に席を譲りな!」


 ヤルマがなじるのは正面に座っている細身の人物。

 顔をスカーフで隠していて性別が分からないが、装いからしてたぶん男だ。ローブをまとったその人は唯一露出させている翡翠エメラルドの瞳を悔しそうに細めている。


 ヤルマはテーブルを数度、巨大な手の平で荒々しく叩いた。


「金がないならさっさと消えろ! それとも負けたら奴隷自由権を賭けるか!?」


 耳障りで不快な声。ローブの人物はキッと鋭い睨みだけを残してテーブルを離れていく。


 ヤルマは機嫌よく酒をあおって瓶を空にし、周囲を見渡して叫んだ。


「一つ席が空いたぞ! 誰かかかってこい!」


 進み出る者はいない。みな今日のヤルマのツキ具合に恐れをなしているようだ。誰もがうつむいてヤルマと視線をあわせまいとする中――




 男――黒髪黒目の日本人――がその席に座った。


「デカ男くん、俺でもいいよな?」


 ヤルマは品の無い薄ら笑いをはりつけて腕を大きく広げる。


「ようこそ! 見ない顔だが歓迎するぜ! 名前はなんていう?」


 男は名乗ろうとして――名前が思い出せなかった。代わりに脳裏へ浮かんできたのは登録番号ナンバー96クロ。それは先の地下賭博大会中についたあだ名だ。


 生まれて以来付き合ってきた本名が思い出せないとは少し寂しく、なにより不気味だが、まあどうでもいっか。ここは異世界である。

 男――クロはそう結論づけて新しい名をすぐ受け入れた。


「俺はクロ。ここに来るの初めてだ」


 ヤルマは大げさに手を叩く。


「ようこそクロ。新参者はまずここの最強――つまり俺とやり合うのが暗黙・・のルールでね。献上するための金はたっぷり持ってるんだろうな?」


「いや、悪いんだが、一文無しでね」


 ヤルマは口をぽかんと開けた。


「は? 何しに来たんだ?」


 そりゃ当然ギャンブルである。と言いたいところではあったが、クロは相手の真意を理解できないバカではない。

 わざわざ初対面のゴリラを刺激するつもりもなく、真面目な顔を作った。


「金はないが自由権を賭ける負けたら奴隷。作法は良く知らんが、それでいいか?」


 賭場をどよめきが包み込む。

 ヤルマも驚きを隠せない様子でさらに大口を開いたが、すぐに唇を三日月形に歪めてすごんでみせ、


「いい度胸だ。人生の袋小路でにっちもさっちもいかなくなったお前みたいなヤツを奴隷商に売り渡すのが俺の生きがいさ……」


 ハハハ、とクロは声に出して笑った。

 人生の袋小路でにっちもさっちもいかなくなった、とはクロにぴったりフィットする表現であろう。現在は行き詰まり中なことなど忘れてギャンブルに夢中だが。


 どうせ行き詰った人生、ならば奴隷になるなんて怖くはない。

 クロは奴隷の身分から成り上がるweb小説も履修済みであるし、そう悪くないものだという可能性もある。宝くじにだって本気で賭けるのがギャンブラーだ。


 そんなふうに不敵な笑みを浮かべるクロに向かって、


「気に障るやつだな」


 ヤルマは十枚のチップを滑らせる。


「そのくらいがお前の市場価値だろう。値上げ交渉は受け付けねえぞ」


「いいね。充分だ」


 クロは指の間でチップをもてあそぶ。十枚っていうのがどのくらいの価値か分からないが、それは大した問題ではない。


「とりあえずは一杯だな」


 クロは手近なボーイを手招きした。

 少々かっこいい(と自分で思っている)声を作り、


「目が覚めるような辛口をロックで。銘柄はなんでもいい」


 勝負のときには辛口と決まっている。アルコールは飲めば飲むだけ頭が冴えるということは歴史が証明しているのだから。

 クロは十枚のうち一枚をボーイに渡した。


「これで足りるか? さすがに俺の身代金の十分の一あれば酒くらいは買えると思いたいけど。――よかったよかった。なら頼む」


 さてとクロが正面に向き直れば、ヤルマは少し行き過ぎた敵意――殺意ともいえそうな視線をぶつけてきていた。


「ずいぶん余裕しゃくしゃくじゃねえか。それとも飲みすぎで頭いかれちまってるのか?」


「俺は強いからな。お前には負けないさ」


 このセリフははったりだが、簡単に負けるつもりはない。

 クロはここ数年の間ずっと賭け事の世界に身を置いてきたのだ。あらゆるゲームに手を出し極めてきた。


「その自信をへし折ってやるのが楽しみだな。俺はここでやってる大会でも優勝常連だ。見くびんじゃねえぞ」


「俺も……一万人規模の大会で優勝経験ありだ。幸運の女神が味方してくれただけだが」


「一万人? バカいうんじゃねえ」


 ヤルマは嘲るような笑いを浮かべる。


「街中のギャンブラーを集めたってせいぜい百ぽっちだ。やっぱり頭がいかれちまってるようだな。数もまともに数えられないとみえる」


「信じてくれなくていいけど…… はやく始めようぜ」


 クロが促せば、ディーラーがカードを持つ。

 ジャッ、ジャッ、ジャッと小気味いい音が響き、シャッフルが終わった。


 カードが配られていく。


 剣を交える決闘と同種の緊張感が空間を満たした。一人の新参者が金を手に入れるか奴隷となるか、その命運を賭場のものみなが見守っているのだ。


 ボーイがクロのもとに酒を運んでくる。


 クロは受け取ったそれをぐいと一口飲み、口内を湿らせた。舌に痛みさえ感じるほどのキレた味わい。異世界産アルコールが脳に染み渡って細胞を活性化させていく。


「やっぱこれだな……」


 クロが噛み締める間、カードが参加者全員の手に行き渡った。

 ヤルマは手札を見て笑みを深める。


「さっそくツイてる。尻の毛までむしり取ってやるからな」


「それ以上毛を増やしてどうすんだよゴリラ男」


 二人が視線をぶつけ、電流が弾ける。


 ディーラーが開始を宣言しようとして――


 クロがそれを遮る。


「ちょっと待った」


 ヤルマが不機嫌そうに呻いて「なんだ」と問えば、クロは申し訳なさそうに頭を掻いた。


「誰かルール教えてくんない?」



▼△▼



 一時間後。


 それはポーカーと同じようなゲームだった。手札と全員共通のカードコミュニティカードで役を作るだけ。


 結局のところ、ほとんどのカードゲームの基盤が確率論だ。期待値が高いときはその分だけ賭け、期待値が低いときはさっさと降りる。一番重要なのはこれ。


 クロは仕事をやめて以来その技術を磨いてきた。趣味でやっている素人相手――つまりヤルマ――ならこれだけで勝てる。


 現代ポーカーではすべての手札の勝率が計算されていて、勝ちたいならまずそれを覚えなくてはいけない。それで初めて戦いの舞台に上がれるのだ。


 そしてその確率論の基礎の上に心理戦があるわけだが、心理戦の本質とは、相手の心を読むことではない。心理を誘導することだ。

 勝ちたければ、自分の勝利のシナリオに相手を引きずり込め。


 クロは手札を確認した。


 スリーカード。勝率は七割くらいだろうか。

 悪くない役だが、これで勝てるとは言い切れない。


 しかし、ヤルマの手役だってそう良くはないようだ。

 イラついているときのクセ、唇を噛むしぐさを繰り返している。まだブラフの可能性もあるがそれは些事。


 クロはヤルマに一瞥を飛ばして、ふんと鼻で笑った。


レイズ上乗せだ」


 チップを十枚出す。


 ヤルマは苦々しげに舌打ちをした。かなり鬱憤がたまっているらしい。


コール同じだけ


――乗ってきたぞ。

 クロは心の中でほくそ笑んだ。

 自分だけが勝率の高い勝負をして、相手には分の悪い勝負を押し付ける。これが神髄。

 そして感情に囚われて判断を誤るのが負け犬の得意技だ。


 最後のコミュニティカードが場に出た。

 特に有利なカードではなかったが、問題ない。クロは自信満々に酒を飲み干して、大胆に賭ける。


「もういっちょレイズ」


 ヤルマが考え込むような様子で俯き、手札とにらめっこを続けた。そして――


「降りる」


 ぼそりと吐き出し、手札を伏せた。


 場がどよめく。

 またクロの勝ちだ。ディーラーが勝者の名を告げると、クロは大きく伸びをした。


心を読む・・・・なんていらないんだよな、こういう勝負には」

 

 クロの手元には溢れ出しそうなほどのチップがうず高く積んである。

 にやにや笑いが止まらなかった。培ったノウハウは異世界でも充分すぎるほど通用する。魔眼なんて使わずとも大勝である。


 対して、ヤルマの手元にはきっかり十枚のチップしか残っていない。

 一時間前にはあれほどあったはずの金はほとんどがクロのもとへ移動していた。


「こんなはずは……」


「そうだよな」


 クロは魔眼を使わずとも盤上を制した。

 しかし使


 ヤルマは全身の黒い毛を逆立て、もともと人か獣かの境界線上の容貌であったのに、今ではすっかり怪人だ。唸りのような呻きを発して、


「まだだァ。次、俺は絶対に勝つ」


 クロは敵の勝利宣言をこともなげに受け流し――


 鋭く刺した。


「イカサマをして、か?」


 その刃物のように指摘に、一瞬だけ、ヤルマの全身の毛がへなりと萎れた。

 すぐにもとの逆立ち具合に回復したが、その一瞬がなにより罪を自白しているだろう。


「何の話だッ! ふざけんじゃねえ負けてんのは俺の方だぞ! お前こそ――お前こそイカサマをしてるだろ!」


 立ち上がってテーブルを叩くヤルマ。

 巨大な影がテーブルを覆ってクロまで届く。その手には酒瓶が握られており、惨劇を予期して観衆たちは目を覆うのだが――


 クロはまっすぐ、ヤルマの腕を指差した。


「その毛の中・・・に小人がいる。そいつがカードをくすねてるな。手先だけ見てても気付けないイカサマってわけだ。……おい、小人! ケツがはみ出てるから出てこい!」


 ケツなんて出てはいないのだが。


 しかしハッタリは効いたようで、ヤルマの肘のあたりの特に毛深い箇所から、指人形くらいの大きさの小人がひょっこり顔を出した。


「オレっちのケツが出てる? バカ言え!」


 小人はふとっちょだった。自身の身長と同じサイズのカードを数枚抱えながらぴょんとテーブルに飛び降り、クロに激しくガンを飛ばし、


「なんだテメェ! オレっちがヤルマの兄貴の腕の中にいてカードを持ってたら悪いって言うのか!? あぁん?」


 堂々と開き直った。

 どうだろう。この世界のルール的にこの行為が確定有罪へと結びつくのかクロは知らないが、クロはただ笑う。


「いいや? 俺は何も言わないさ。勝ってるしな」


 ヤルマの仕草や表情、カードの動きからどうにもイカサマの匂いがしたので探ってみればビンゴというわけである。

 毛深い腕の中から小人の甲高い心の叫びが聞こえてきたときは、クロも思わず吹き出してしまった。


 その後は簡単。

 小人の心は常に読み、カードの入れ替えを行ったあとは強い役がでてくるので慎重に戦って、入れ替えてないとき普通にやればクロが勝ちを重ねる。


「俺は、な」


 小人は背中に括り付けていた爪楊枝を振りかざしたが、そこでようやく三百六十度から降り注ぐ視線の『熱』に気が付いた。すなわち、怒りと恨みと憎しみのこもった熱視線である。


 ギャンブラーたちはイカサマを許さない。自分はイカサマなんてしたことないという表情の観客は小人に呪い殺すような視線を浴びせた。

 小人は顔を引きつらせ、ハエのようなすばしっこさで駆けていく。


「兄貴! お先に失礼っ!」


「…………」


 ヤルマはすっかり口を閉じてしまい、自慢の剛毛も萎えさせて水浴び後のごときさまである。

 クロはとどめとばかりに言い放った。


「さあ、あんたはどうすんだ? 金が足りないなら自由権を賭ければいい」


「――クソッ!」


 ヤルマは立ち上がり吠えたが、その後は足音さえ立てずに賭場を出ていく。


 冷たい眼差しとブーイングが大男を送り出し、中には骨をポキポキ鳴らしながら鋭い目つきで彼を追う者もいた。イカサマの負け分を取り返すつもりらしい。

 だが、テーブル上以外のどこで何が起ころうと、クロの関知するところではない。関わるつもりはなかった。


 クロはふうと息を吐き出し、肩をまわす。


「邪魔者は消えたし、じゃあ続けようぜ」


 しかし――テーブルを囲んでいた男たちは次々席を立っていく。勝てないと悟ったようである。


「みなさん! 参加者大募集ですよ!」


 観衆に呼び掛けるが応えるものはいない。


 相手がいないのであればしょうがない。

 クロはやれやれと首を振って立ち上がった。


「じゃあルーレットでもやるか。――みんな、あいつにイカサマで巻き上げられたチップは持って行ってくれ。俺はポケットに入る分だけもらっていくよ」


 クロの言葉に、聴衆は拍手と歓声で応えた。

 被害者たちがクロの肩を叩きながらテーブルに群がり、チップを持っていく。


 クロはチップを詰め込めるだけ詰め込んでポケットを膨らませ、ポーカーのテーブルを離れて賭場内を歩き出そうとして――


「あの」


 服の裾をそっとつままれた。


 見てみれば、それはクロの前にヤルマになじられていた人物、スカーフで顔を隠したローブの男だ。


「助けてくれてありがとうございます」


 彼は鈴を転がしたみたいな声で話す。


「いや、助けたわけじゃないんだが……」


「そのつもりでなくても、助かりました。だからありがとうと言わせてください」


 透き通った緑色の瞳がまっすぐ射抜いてくる。

 クロは困って目線を逸らした。見つめられるとどうにも居心地が悪くなるのは嘘つきの性だろうか。


「じゃあ、どういたしまして?」


 ローブの男はこくりと小さく頷く。


「はい。それで……あなた、とてもお強いんですね」


「運がいいだけだよ」


 ローブの男は決心したように目をぎゅっと閉じて開き、顔を覆い隠すスカーフをはぎ取った。


 男だと思っていた人物は――女だった。


 すっと通った目鼻立ち、輝くような金色の髪、長い睫毛。

 ぱっちりとしたアーモンド形の目の中で翡翠エメラルドの瞳が揺れている。

 肌は雪のように白く、くすんだ黒灰のローブとのコントラストが鮮やか。

 こんなくたびれた賭場には似つかわしくない、滅多にいないほどの可愛らしさだ。


 クロはどうやら面倒ごとが降りかかってきそうだぞと顔をしかめた。

 美女と厄介はセットだと相場が決まっている。


 彼女は言った。


「あの、頼み事があるんです」


 クロは返す。


「ドラゴンレースってのを見たあとでいい?」


 もちろん逃げるつもりだ。だってこんなの絶対詐欺。

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貰ったチート【読心の魔眼】で最強のギャンブラーになろうと思う 訳者ヒロト(おちんちんビンビン丸) @kainharst

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