間違い
小狸
短編
「つらいことをしなければ、頑張っているとは言えない」
「苦しいことを経験しなければ、努力しているとは言えない」
「しんどいことを痛感しなければ、立派な大人とは言えない」
「だったら僕は、死んだ方がマシだ」
そう言っていた友人の自殺未遂を止めてから、今日で丁度一年が経過する。
友人は、SNS上で先の発言をした後、ぱったりと連絡が途絶えた。
私が電話を何度もかけても、繋がらなかった。
不審に思った私は――丁度その頃の私は、友人の家から数駅離れた場所に住んでいたので、電車を乗り継いて彼の家に行った。
インターホンを押しても、友人は出なかった。
もしかしたら――という可能性も、私は捨てきれなかった。
あの几帳面な友人が、一切連絡を絶つということが、おかしいと思ったからである。
私は、警察と救急に連絡をした。
駆け付けた警察がマンションの扉を抉じ開けると、そこには。
首を吊った友人がいた。
「…………っ!」
その時の光景は、未だ私の脳裏に焼き付いて離れない。
私が一瞬固まっている隙に、横を救急隊員の方が部屋の中へと入っていき、てきぱきと作業をしていた。
私は、その場に座り込んでしまった。
結果。
友人は奇跡的に生還を果たしたものの、一定時間脳に血液が回っていなかった影響で、重度の障害が残ることになった。
ほとんど寝たきりの状態になった。
「…………」
友人の病室には、私は定期的に通っている。
果たして私の言う言葉は伝わっているのだろうか――それすらも分からない。
友人が障害を負う前――常日頃、仕事が大変で、つらくて苦しくてしんどいと言っていた。
私は、そんな仕事辞めてしまえとか、そういうことを言うことができなかった。
なぜならそれは、人生を左右しかねないことだからである。
職場を辞して、次の職場が簡単に決まるような世の中ではない。
おいそれと、部外者の私が踏み込んで良い領域ではない。
そう思っていた。
それは、間違っていたのだろうか。
「…………」
買ってきた花束を、そのまま花瓶に取り換えた。
友人には、両親と心から呼べる人間はいなかった。
友人には、家族と心から呼べる集団はいなかった。
虐待と金銭搾取を繰り返す、最低な親だと聞いていた。
大学進学を境に縁を切り、一人で生きると決めたのだそうだ。
だからこそ、ここに見舞いに来るのも、大学時代以降の友人だけである。最初こそ憐憫と興味関心の情を持って何人か面会に来ていたけれど、途中から徐々に人は減っていき、今では私くらいしか来ていないのだそうだ。
友人にいくつか最近の話をした。
仕事の話、知人の結婚の話、サークルの友達の話、色々な話である。
友人は、虚空を見つめたまま、それを聞いている。
聞いている、と表現して良いかどうか。
それが脳に届いているのかは、定かではない。
――時折。
考えてしまうのだ。
分かっている。
ああ、分かっているつもりだ。
そんなことを考える必要はない。
そんなことを考えるのは不謹慎である。
そんなこと考えても何も変わらない。
それでも。
思考の一か所に、混沌が疼いている。
あの時。
もし私が、救急車を呼ばなければ。
もし私が、警察を呼ばなければ。
もし私が、駆け付けていなければ。
もし私が、動こうとしなければ。
もし私が、SNSの呟きに気付いていなければ。
友人は、死ぬことができていたのではないか。
それこそが、友人にとっての、幸せだったのではないか。
私のせいで。
友人はまだ、苦しんで生きている。
「1年だね」
そう言った。
何も、反応は無かった。
ごめんね、と言いかけて。
私はやめた。
(「間違い」――了)
間違い 小狸 @segen_gen
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