第6話


 「なぜに、将棋は面白いか?」それは、考えてみたことなかったが、考えてみても一興かもしれない。


 さまざまに、いろんなゲームはあって、囲碁が好きな人もいる。

 花札や麻雀が好きな人もいる。トランプも、ポーカーやら七ならべも結構面白い。

 もちろん、テレビゲームも隆盛していて、RPG、STG、SLG、格闘ゲ~、多種多彩。

 マネーゲームいろいろ、パチンコ、ビットコイン、…ゲーム性の高いアイテムは無数にある。


 で、ボクはTVゲームのこともいろいろ書いたですが、RPGとかは疲れるので今はできなくなった。原始的な最初のドラクエ3にでも、昔は熱中できたが、最新のRPGでも、ハマれるかというと今は自信がない。


 画面から多くのビジュアル情報が送られると、トシのせいか、神経が疲れる。純粋のルールだけで勝負しているからこそ、シンプルで余計な情報が捨象されているからこそ、今でも将棋のゲームは面白さが健在なのだ。


 将棋は、チェスと違って、とった駒を再使用できる。「持ち駒」になる。それだけでも、かなりに複雑になっているのだそうだ。つまり面白さが増幅している。


 囲碁は、黒白のみで、言ってみればただの陣取り合戦で、深入りしたことがないからかもしれないですが、上達する才能がなければ飽きてしまいそうだ。トランプでも麻雀でも、1対1の、対決、戦争の戦略めいた「勝負」の面白さはない。


 将棋は駒が8種類あり、さらに「成り駒」もある。で、それぞれの駒の動きがごくごく個性的…つまり、他のゲームを最も凌駕しているのは、そのルール、システム、変化の多様性、つまるところ「複雑さ」ではないか?


 複雑と言えば複雑なのだが、複雑すぎて覚えられない、というほどではない。程よく、人類の標準的な頭脳の持ち主なら、わりと容易に覚えうる、複雑さ…で、無駄に込み入っているわけではなくて合理的で過不足なく、複雑さが必要十分に面白さの裏付けになっている、そういう実によくできたゲームだと思います。


 まあ、類似の戦争戦略対戦型シミュレーションボードゲームは、大将棋、中将棋、とか無数にあったみたいですが、結局現今のフォーマットの将棋が生き残って隆盛しているのは、だからよほどによくできていて、汲めども尽きせぬような?醍醐味やら興趣やらが醸される、”黄金ルール”なのだと思う。


 for example 、”黄金比”、には裏付けとなる理由があるが、その「美感」を、理屈で説明しろというと難しい。将棋の場合も、黄金ルールの黄金たる所以を、普遍妥当に数学の照明のごとくに説明しろと言われるとまず不可能で、もっと面白いルールが潜在している可能性はある。金将が成ったら、王様と同じ動きになる、そういう風にルールを変更しても、そんなに面白さは変わらないだろう。


 「面白い」というその感じが似ているのはたとえば baseball 野球とかだろうか?日本の社会に古くから定着していて、最大公約数の層が、普通に愛着する、そういうポピュラーでスタンダードなな雰囲気。


 「面白くなきゃテレビじゃない」というテレビ局のキャッチが昔あったが、将棋やら野球のゲームも、面白くなきゃ始まらない自由競争の世界で、それゆえの自然淘汰が端的に働いて、こうなっているのかな?と思います。


 まあ、歴史というものは、やはり、自然淘汰という原理が働くところに存在意義があり、優勝劣敗、適者生存、いたずらな弱肉強食だとダメやろが?合理的な最適化がどんどん進んでいった場合には、どんどん良くなる法華の太鼓?よろしくいずれ「ほんとうの時代」「こころの時代」「理想世界」、…最終的宗教的なユートピアが、


 おちつくところにおちつくものなのだ、普通にいけば?


 資本主義が、”神の見えざる手”、の賜物かどうかも、今はどうもわからなくなっている。話が逸れすぎましたが…?


 

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吹けば飛んでも?飛ばせば負けよ! 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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