ラー友よ、永遠に。

杏たま

ラー友よ、永遠に。

 私には行きつけのラーメン屋がある。


 床は油でギトギトだ。どんな靴を履いていってもツルツル滑る。L字型のカウンター席が六席、壁際に二人掛けのテーブルが二つあるだけの小さな店だ。


 ここのラーメン屋は美味い。とにかく美味い。店構えは汚いけれど、すこぶる美味い。


 こってりした豚骨スープは白濁なのにどこか澄んでいて、口当たりはまろやか。ひとたび蓮華ですくって口に運べばもう止まらない。


 たくさんの栄養素が煮込まれ、溶け合い、口の中を豚骨一色に染め上げる。滋養とパワーを含んだ熱いスープが胃に流れ込んでいく感覚まで、全てにおいて完璧だ。


 疲れた時ほど、これを飲みたくなる。私にとって、ここのラーメンは完全栄養食だから。


「いらっしゃい」

「ども。今日はチャーシュー増し増し麺硬めにんにくガッツリでよろしくです」

「はいよ」


 コートを脱ぎながらスツールに腰掛け、私は大将に淡々とオーダーした。大将はいつものように寡黙で、淡々と麺を茹で始めた。


 すると、L字型カウンターの斜向かいにいた作業着姿のおっさんが、私を見て目を瞬いた。


「今日はずいぶんめかし込んでるねぇ。デートだったのかい?」

「まぁ、途中まではデートだったとも言えなくもない」

「なんだいそりゃ。なんか訳ありって感じだねぇ!」


 名も知らぬ作業着のおっさんは、色黒の肌にあって白目がやたら目立つ。初対面の相手にいきなりこんなことを言われたら無視一択だが、このおっさんと私は顔馴染みだ。ここでしか会わないラーメン仲間。


「へいお待ち」

「あざっす」


 おっさんの問いに答えようかどうか迷っていたところに、ほわほわと湯気の立つラーメン鉢が置かれた。使い込まれた赤い鉢には、中華風のよくある模様。おどけた顔をした龍が鉢の縁を飛んでいる。


「いただきます」


 カバンに常備しているクリップで、切り揃えたばかりのショートボブを耳の上で留める。しっかり合掌をして、割り箸を勇ましく割った。


 そして、蓮華でいつものようにスープを一口、二口、そのあと分厚いチャーシューにガブリと食いついた。


 大口を開けてガブリ、そして、豚骨スープに浸っていた硬めのストレート麺を勢いよく啜る。変わらない味が体中に染み渡り、固くこわばっていた胃袋にもようやく生気が満ちてきた。


 ずず、ずず、という勇ましい音とともに、の中がラーメンで満たされてくると、ようやくここに帰ってきたという気持ちになった。


「あぁ~……これこれ、これだよ大将。ほんっと美味いよ、天才」

「そりゃどうも」

「やっぱこうじゃないとな~。はぁ、ここでなら私は素でいられるんだよ」


 ぺこ、と会釈する大将を押しのけるように、おっさんがしみじみ頷きながらこう言った。


「何があったかしらねぇけど、姉さん美人なんだから、男なんていくらで湧いてくるよ!」

「男……そうだね。私のこの派手な顔に寄ってくるクソみたいな男なら、腐るほど湧いてくるんだけどね」

「あっははははっ! そうか、クソ男ホイホイなのか姉さん! 確かにまぁ、そうやって化粧してたら夜の蝶って感じだもんなぁ!」


 少しは歯に衣を着せろと言いたくもなるが、まぁおっさんの言う通りなので仕方がない。


 私は再び分厚いチャーシューに食らいついた。分厚いのにしっとり柔らかいチャーシューは薄味で、豚の甘みをしっかり感じる。噛み締めるごとに肉汁が溢れ出し、スープの塩味と絡み合い、そこへ麺を啜れば口の中は宴会だ。


 すると、目の前に瓶ビールとコップがことりと置かれた。見上げると、大将がちらりとカウンターの端に目をやって、「あちらのお客様から」と言う。


 カウンターの隅っこでしばしばラーメンを啜っている学生と思しき眼鏡の青年が、黙って力強いサムズアップをした。


 黒縁眼鏡と黒髪短髪。いつもスウェット姿のこの男も顔馴染みのラーメン仲間だが、彼の声は年に一度くらいしか聞こえてこない。


 だがビールは嬉しい。瓶を持ち、謝意を込めて軽く掲げた。


 ごくりとラーメンを胃に送り、今度はビールを喉へ流し込む。ピリリとした辛口のビールで、口の中がさっぱりする。 


 私の目の前で“清楚”に服を着せたようなパッとしない女の肩を抱き、「俺、お前みたいな強い女じゃなくてさ、守りたくなるような健気な子が好みだったみたいだわ」と宣った男との不愉快な思い出さえも、綺麗さっぱり流していく。


 強い女が傷つかないとでも思っただろうか。本当にクソみたいな男だった。


「いやー気持ちいい飲みっぷりだねぇ! 俺にも奢ってくれよ兄ちゃん!」

「いやです。てかもう飲んでるじゃないすか」

「ケチケチすんなって、な?」

「若者にたかる中年って見苦しいですよ」

「あっははは! ひっでーこと言うなぁ!」


 おっさんと青年のバカみたいなやり取りが聞こえてくる。大将がラジオのチャンネルをいじっている。私は滲む涙を堪えながら、ラーメンを勢いよく啜る。

 





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