星屑の糸をかき集め
石田空
メイドは無邪気に髪を切る
とある国には、それはそれは美しいお姫様がいた。
煌びやかな黄昏色の髪に、オーロラを嵌め込んだような瞳。彼女の肌は陶磁のように滑らかで、誰もかれもが美しいと褒めそやし、誰もが彼女を愛していた。
彼女の乳母の娘である、彼女付きのメイドのリアもそのひとりだった。
「姫様、今日もたくさん贈り物が届いておりますよ」
リアは毎日お姫様の髪をとき、彼女に送られてくる贈り物を運び、彼女が家庭教師と勉強したり礼儀作法を学んでいる間に彼女の部屋を掃除したりと、毎日細々と忙しく働いている。
その日も寝ぼすけのお姫様に声をかけながらどっさりと贈り物をテーブルに置き、天蓋付きのベッドで眠る彼女を起こしながら、いそいそと金糸の髪にブラシを滑らせはじめた。絹糸のように艶やかな上にしなやかで強い髪で、リアのちりちりとした髪とは大違いだった。
「今日も姫様の髪は美しいですね」
「そう? 私からしてみれば、リアの髪のほうがよっぽど美しく思えるわ」
「そうですか?」
リアはお姫様の言葉にきょとんとした。
彼女の髪には色がない。小さい頃から色がないのだから、それがみっともなくて、彼女は髪を編み上げると全部ヘッドドレスの下に無理矢理押し込めてしまっていた。ヘッドドレスがデフォルトのメイド業は、彼女にとっては天職であった。
しかしお姫様は続ける。
「ええ。だってあなたのヘッドドレスの下の髪だけれど、まるで星屑じゃない。流せばきっと天の川みたいに美しいわ」
「そ、そうでしょうか……?」
それにリアは狼狽える。今まで親にまで怪訝な顔で「年寄りみたいな髪の色になったのはなんでだろうね」と言われていたのだから、そのコンプレックスを簡単にお姫様の言葉で払拭できるものではなかったが。
お姫様はにっこりと笑った。
「ええ。きっとあなたの髪を編み上げてつくったドレスは、それはそれは素晴らしい星の服になるでしょうね。見たいわ」
それはリアにとっては天啓だった。
あと半年も経てば、お姫様は誕生日になる。あと半年もあれば、彼女に自分の髪でつくった服を贈れるだろうか。
リアはちらりと贈り物の山を見た。
これは全てお姫様の求婚相手たちからのものだ。有名な貴族、偉大な騎士、隣国の王子などなど、それはそれはそうそうたる面々が彼女に贈り物を贈って愛を囁いているのだ。
そんな彼らの贈り物に勝てるとは思えないが、彼女が欲しいと言ったものを贈りたいと、そう彼女は思ったのだ。
****
ところで、王城の中庭の一角には魔法使いが住んでいる。
元は宮廷魔法使いだったらしいのだが、既に宮廷魔法使いの称号は弟子に渡して隠居している。本当は故郷に帰りたかったらしいのだが、国王はこの男を大層気に入って、客人として中庭に小屋を建てて住ませているのだそうだ。
リアはお姫様の洗濯物が飛んでいった際にたまたま見つけて以来、たびたび茶飲み友達としてお話しをしていた。
「こんにちは、デイルさん。相談に乗ってもらってよろしい?」
「なんだいリア。君の相談はいつだって厄介じゃないか」
デイルはどう見ても隠居するような見た目には見えず、せいぜいリアとは五つほどしか離れてないようにしか見えないのだが。この王城で働くいかつい騎士団長や宰相までうやうやしく話しかけるものだから、見た目よりも年を重ねているのかもしれない。
リアは思いつきを口にした。
「あのね、育毛剤が欲しいんです。毎日毎日、髪を伸ばしたいんです」
「なんだって? 君はまだ髪が抜ける年頃でもないだろ」
「私、自分の髪を毎日切って、その髪で布を織らないといけないんです」
「……なんだって? おかしなことを言うもんだね君も」
デイルは彼女を小屋に招き入れると、ポットに乱暴に薬草と蜂蜜をたっぷりと入れて、ミルクを注いで煮はじめた。濃い匂いが漂う中、デイルはリアのほうにマグカップに薬草茶を注いで出した。
リアは慣れたようにその濃い匂いのそれを飲みはじめた。匂いが暴力的なのに、なぜか味だけは異様にいいのがデイルの薬草茶であった。
「姫様が私の髪を褒めてくださったんです。だから、彼女の誕生日に合わせて私の髪で機を織ってドレスを仕立てたいんです。素敵でしょう?」
「そんなもったいない……君の髪は綺麗だろう? それを姫のドレスにだなんて」
「あら、私の髪なんて大したことありません。姫様くらいしか褒めてくださらなかったもの」
「そりゃ若い男共が見る目がないのさ。色が付いて派手な物を美しいって擦り込まれているからねえ。嘆かわしい」
「なら、姫様は素敵な方なんですね。ますますもって彼女にドレスを贈りたいです」
リアが目をきらきらと輝かせるのに、デイルはなんとも言えないように鼻の上に皺を寄せた。
「……私は君が傷付くのをあまり見たくはないのだけどねえ。姫も世が世だからただのお姫様で留まっているが、時代が違ったら傾城の魔女として処刑されていてもおかしくはなかったのだからね」
「まあ、姫様のこと悪く言うのはお止めください! それで、育毛剤は用意できるんですか? できないんですか?」
「できるともさ。ただ、君が泣かないことを祈っているよ」
そう言いながら、デイルはリアに特製を育毛剤を分け与えた。
こうして、リアは毎晩毎晩、自分の髪にハサミを入れては育毛剤を塗りたくって髪の長さを戻しつつ、自分の髪を集めはじめたのだ。
最初に織れた布地はハンカチくらいの大きさで、これは誕生日までに間に合うんだろうかと、リアは気の遠くなる思いがしたが。
一日から二日。二日から三日。
ハンカチくらいの大きさだった星屑色の布地は、少しずつ面積を増やしていった。
毎日毎日、メイドの仕事は慌ただしく、お姫様の身の回りの世話や掃除。自室に帰ってからは髪を切っては織り機に通しての布地作成。髪が足りないと困るから、寝る前には毎晩育毛剤を塗り込むのを忘れない。
お姫様の誕生日まであとひと月を切ったところで、やっとリアの髪でつくった布地は、ドレスをつくれるくらいにまで大きくなったのだった。
「……綺麗な布」
それをリアは抱き締めた。
今まで、彼女はお姫様以外にはデイルくらいにしか髪の色を褒められたことがない。色が抜けたみっともない髪だと思っていたが。切って布に織ってしまったら、それは絹糸で織った布と遜色ないくらいに艶々と光り、美しい布に変わっていたのだ。
リアは布を切ると、それを縫いはじめた。星屑色の素晴らしい布は、こうして星屑色の素敵なドレスに生まれ変わることとなったのだが。
その布は彼女の贈りたい相手に届くことはなかったのである。
****
リアは一生懸命縫ったドレスを完成させると、それを一生懸命包み紙でくるんで姫様に贈ろうと走って行った。
「姫様!」
しかし、その日の王城は様子がおかしかった。
普段は寝ぼすけなお姫様はベッドにはおらず、既にどこかに出かけていたのだ。
一介のメイドは公務のことなんてわからず、ただ途方に暮れていた。
「姫様、とうとう結婚が決まったんですって」
「なんでも隣国の王子に嫁ぐんですってね」
「あの美しい王子の元に嫁ぐなんて、さすがは姫様ねえ」
先輩メイドたちの噂に、リアは茫然とする。
「え……私、そんな話聞いてないです」
思わず先輩メイドに声をかけると、それはそれは気の毒そうな顔で見られた。
「そりゃあ姫様だって公務ですもの。言う相手も言うタイミングも選ぶんじゃないかしら」
「ですけど……姫様の誕生日は」
「それは多分隣国で祝われるんじゃないかしら。もうちょっとしたら式だし」
それにリアは頭の中がぐしゃぐしゃになってしまった。
リアは根本的に勘違いをしていたのだ。
お姫様とリアは友達同士ではない。お姫様からしてみればリアは面倒を見てくれる人ではあるが、それ以上でもなければそれ以下でもない。公務の相談や愚痴を言う相手ではなかったのである。
なによりも、リアが誕生日の贈り物を用意していたなんて話、自分の式や隣国で嫁ぐ行事が迫っているのだから、そんなこと知らないしそれどころではない。
だが。リアは育毛剤を塗りたくりながら、毎晩毎晩褒めてくれた髪を切っては集めて、一生懸命布を織り、その布でドレスを仕立てていたのである。
もうそのドレスを贈りたい人は、いなくなってしまうというのに。
リアはとぼとぼと中庭に歩いて行くと、庭師がいないのをいいことに、中庭の花畑の中に入り込んで膝を抱えて泣きはじめた。贈り主のいなくなったドレスだけが手元にある。
そこでひょいと彼女を覗き込む相手が出た。
「だから言ったじゃないか。姫は君が思うような相手じゃないって」
「……デイルさんには関係ありません。私がしたかっただけなんです。私が、姫様に喜んでほしかっただけで、自己満足だったんです」
「怒りはね、怒れる時にきちんと怒らないと体を蝕む呪いになるよ。悔しいなら悔しいと言いなさい。悲しいなら悲しいと言いなさい。溜め込むのが一番毒になるのだから」
デイルに言われ、リアはみるみる涙を溜め込み、とうとう決壊した。音を立てずに泣いていたというのに、今は号泣して大声を上げている。
「……綺麗って言われて嬉しかったんです。喜んでほしかった、それだけでいいって思ってたんです。まさか誕生日より先に私を置いていなくなるなんて、思わなかったんです」
「そうだね。せめていなくなる日は伝えるべきだった」
「私……姫様のこと、本当に大好きだったんです」
「そんなことわかっているさ。まあ、せっかく自分でつくったドレスなのだから、君が着ればいいじゃないか」
「……え?」
「君が布から織ってつくったドレスなのだし、どうせ贈り主はもういないんだ。君がもらってしまってもいいだろう? なによりも君の髪は美しい。きっと似合うよ」
「……私が着ても、髪の色と同じ色のドレスでみっともなくなるだけですよ」
「そんなことはないよ。私は魔法使いだからね」
意味がわからないまま、リアは小屋を借りてドレスに着替えた。
星屑色の髪に、星屑色のドレス。お姫様に合うよう、一生懸命ふんわりと広がるドレスを縫ったのだ。
「……やっぱり、似合わない。姫様の金色の髪に合わせてつくったんだもの」
「そんなことないさ。ほら」
そう言いながらデイルは彼女の胸元に花をあしらった。真っ赤なバラの花であり、星屑色のドレスが一気に華やいだ。
「ほら、よく似合う。どうだい、私と一緒に踊るかい?」
デイルはそっと手を伸ばすので、リアはその手を取った。
年齢不詳の彼の手は、とてもじゃないが年老いたものとは思えなかったが、様々な魔法を産み出す魔法の手であった。
彼の優しい手に導かれ、リアは初めてダンスを踊った。
「……姫様、お幸せに」
ようやっと大好きなお姫様に祝福の声を上げられたリアは、デイルの優しさに今はただ、甘えていたかった。
<了>
星屑の糸をかき集め 石田空 @soraisida
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