第5話 最愛の人

 由紀はしばらく考え込むように黙り込んでいた。足元の小石をつま先で転がしながら、ようやく口を開く。


「……最初は、違ったよ」


 由紀は丁寧に、言葉をひとつひとつ選び取るように続ける。


「最初は、制度が決めた相手なんだって割り切ってた。昴くんがどんな人なのかも、正直あんまり気にしてなかったし、気にしてもしょうがないし」


 由紀の言葉に胸が少し痛む。

 だが、彼女の声には続きがあった。


「でもね、少しずつ変わってきたんだよ。高校生になって一緒におしゃべりするようになって……」


 由紀は僕の顔をまっすぐ見つめた。


「今は、昴くんでよかったって、昴くんじゃなきゃ嫌だって、そう思う」

「由紀……」


 その言葉が胸に染みた。

 あたたかく、でもどこか切ない感情が胸の中に広がる。


 彼女は少し恥ずかしそうに笑った。


「三崎くんのことを聞いて思ったんだ。私は制度に逆らう勇気はない。でも、たとえ制度ありきでも、昴くんと一緒にいたいって、思えるようになったから……それでいいかなって」


 僕は泣きそうになった。

 僕が曖昧模糊あいまいもこに抱えていた、由紀に対する思い。

 それが、彼女の一言がきっかけで、くっきりと形作られたからだ。


「僕も、そうだよ」


 涙をこらえつつ、そう言葉を返す。


「最初はただ、制度だからって思ってた。でも、由紀と過ごす時間が増えていくたびに……変わってきたんだ」


 由紀は淡く微笑んで、再び歩き出した。

 僕もその隣を歩きながら、心の中で小さな覚悟を決めた。


 自分の意思で、橘由紀を愛し続ける覚悟を。


 *


 月日は流れ、十二月。

 クリスマスイヴの夜。


 街はイルミネーションで彩られ、寒空の下に浮かび上がるクリスマスツリーが人々の目を引いていた。

 商店街の中央に飾られた巨大なツリーの周囲には、多くの人が集まり、楽しそうに写真を撮っている。


 僕と由紀はその少し外れた場所で、静かにツリーを眺めていた。


「綺麗だね……」


 由紀がぽつりと言う。その声は少し控えめで、寒さのせいか頬がほんのり赤い。

 僕は手袋をした両手をポケットに突っ込みながら、横目で彼女を見る。


 クリスマスイヴにデートに誘ったのは僕からだった。

 僕は今夜、由紀にとても大切なことを伝えると心に決めていた。


「由紀」

「なに?」

「ちょっと、話したいことがあるんだ」

「……うん」


彼女の返事を確認してから、僕は足元を一度見つめ、ゆっくりと顔を上げた。

 胸の奥がどきどきと高鳴っている。


「僕はずっと考えてたんだ」

「……うん」

「最初は、配偶予定者なんて言われても、なんだかピンとこなかった。でも、高校に入って由紀と一緒に過ごす時間が増えていって……気づいたんだ」


 彼女は黙って僕の話を聞いている。その視線が少し不安そうに揺れているのが分かった。

 僕はその先の言葉を告げる前に、目を閉じた。

 暗闇の中で想い出すのは、亮太が僕に残した言葉。



――でもさ、昴。橘にはちゃんと言葉にして伝えてやれよ。お前の気持ちを。


――わかっているよ、亮太。


 僕は、そっと目を見開く。

 由紀の瞳を見つめた。


「僕は由紀のことが好きだ」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった緊張がすっと解けた。


「制度とか、配偶予定者とか、そういうのじゃなくて……僕自身の気持ちで、由紀のことが好きなんだ」


 由紀の目が大きく見開かれる。そして、その瞳が少しだけ潤んでいるのが分かった。


「昴くん……」


 彼女は小さく僕の名前を呼び、顔を俯かせる。

 しばらくの沈黙のあと、震える声で続けた。


「私も……昴くんのこと、好きだよ」


 その一言が、僕の胸に深く響いた。


「ありがとう、由紀」


 彼女が顔を上げると、頬は赤く染まり、瞳には涙が滲んでいた。

 それでも、彼女の口元には、確かに笑みが浮かんでいる。


「それでね……由紀に、これを受け取ってほしい」


 僕はポケットから、小さな紙袋を取り出して彼女に渡した。彼女は驚いた表情を浮かべ、そっと受け取る。


「なに、これ?」

「開けてみて」


 僕が促すと、彼女は慎重に袋を開けた。

 中から出てきたのは、四葉のクローバーのモチーフがあしらわれた小さなネックレスだ。


「これ……」

「クリスマスプレゼント、色々考えたんだけど、結局ありがちなものにした」


 彼女は驚いたようにネックレスを見つめ、その目に感動の色を浮かべていた。


「ありがとう……昴くん、本当に嬉しい……」


 彼女の声は震えていた。僕は少し気恥ずかしくなりながらも、続けて言った。


「これからも、由紀と一緒にいたい。そして、一緒にいろんなことをやっていきたいんだ」


 由紀は涙を拭い、微笑んだ。


「うん、私も、もっと昴くんのことを知りたい。色々教えて?」


 その言葉を聞いて、僕と由紀が同じ気持ちであることにホッとして、顔をほころばせる。


 ツリーの輝きが、僕たちの影を地面に映している。街の喧騒の中、僕たち二人だけが同じ時間を共有していた。

 手を伸ばせば届く距離にいる彼女の存在が、これ以上なく愛おしく思えた。


 だから。


 僕は少し躊躇しながら、そっと由紀の手を取った。

 由紀は驚いたように僕を見上げるが、その瞳の奥には安心感が漂っている。


「由紀……」


 彼女の名前を呼ぶと、冷たい冬の空気に包まれていたはずの身体が不思議と温かく感じられた。


「僕は……」


 言葉を続ける代わりに、僕は意を決して、彼女の細い身体をそっと抱きしめた。


「す、昴くん……」


 由紀は顔を真っ赤にし、僕の腕の中で硬直している。

 僕はその耳元で囁いた。


「愛してるよ、由紀」

 

 その言葉に彼女はさらに顔を赤くし、小さく頷く。


「……私も……だよ……」


 ゆっくりと、由紀の身体から力が抜けていって、彼女は僕に身を任せた。

 周囲から街の雑踏の音が失われて、ただ、由紀の温もりだけが感じられる。


 どこまでも穏やかで、静謐に包まれた、愛しい時間。

 息苦しい制度の中でも、僕たちの選択は、確かに此処にあった。



(了)






あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました!

本作はカクヨムコン10短編賞エントリー作です。

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この世界では恋なんてできない 三月菫@リストラダンジョン書籍化 @yura2write

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