第3話 おじさんと私
市役所からの二人組みは、それからちょくちょくくるようになった。
まずはおじさんの部屋のチャイムを押し、ノックをして、しばらくして私の家のチャイムを鳴らす。そしておじさんの不在を知ると、帰っていくのだった。
ある日トラックの音がして小窓から覗くと、おじさんの姿があった。
私は市役所の人が訪ねてきていることを伝えようか迷った。
おじさんはいつも通り、一度自分の部屋に帰り、しばらくしてうちのチャイムを鳴らす。そして魚とお菓子をくれるのだ。
「今日はね、イカの釣れたとよ。いっぱい食べなっせ。あとこれね、チビスケたちにおやつね」
そう言って、前歯の一本ない口でニカッと笑う。
「ありがとうございます」
「お花もありがとうね。庭ば見たら綺麗に咲いとって、こしょばゆかばい」
「次はパンジー植えときますね」
「いつもありがとうね」
私はなんとなく、市役所の人のことはいえないまま扉を閉めた。
その頃にはおじさんから魚をもらったら、その日の我が家の夕飯のおかずを少しお裾分けするようになっていた。
タッパーにおかずを入れて渡すと、次の日の朝、玄関のドアノブに空になったタッパーが袋に入れられてかけられている。
その日もおじさんにおかずのお裾分けをし、私は夫が帰ってくるのを待った。
その日は私と夫の結婚記念日で、子供たちはおばあちゃんの家に泊まりがけで遊びに行っていた。
一年に一度の夫婦二人で過ごせる日を、私は楽しみにしていた。
夫が帰ってきて、二人でささやかなお祝いをし、借りてきたレンタルビデオを見ているうちに、ふとしたことで夫婦喧嘩になった。
売り言葉に買い言葉で喧嘩はヒートアップし、夫からの「結婚しなければよかった」の言葉で私は号泣した。泣きながら夫に抗議しようと近寄ると、逆に跳ね飛ばされた。バランスを崩した私は派手に転んで、子供の遊具のジャングルジムの中に突っ込み、手首を捻ってわんわん泣いた。
夫はそれを見てコンビニに行ってくると出ていってしまい、しばらく経っても帰ってこず、私はまた泣くのだった。
1時間も経った頃、玄関を小さくノックする音が聞こえた。時計を見ると午後10時過ぎ。夫が帰ってきたのかと駆け寄り開けると、タッパーを持ったおじさんが立っていた。
「遅い時間にごめんね。これ返しに来たとよ」
ニカッと笑うその顔を見て、私はなぜだかまた涙が止まらなくなった。
「騒がしくしてすみません……」
そう言ってパジャマの袖で涙を拭ってると、おじさんは小さい声で話し始めた。
「おっちゃんはね、昔嫁さんのおったとよ。おっちゃんがちょっと悪さしてね。出ていってしまったとたい。おっちゃんは後悔しとるとよ」
私はおじさんの目を見つめ、話を聞いた。
「喧嘩することもあろうけどね、笑顔でいるのが一番たい。そがん泣かんでもよか。あんたが笑っとったら、旦那さんも笑うたい。自分が笑っとったら、相手も笑うたい。仲良くしたかったら、笑うのがよか。それでも困った時は、おっちゃんに何でもいうてきなっせ」
おじさんはそれだけいうと、じゃぁと片手を上げて帰っていった。
私は玄関で涙を拭い、空になったタッパーをしばらく握りしめ、夫にごめんね、帰ってきてとメールを打った。
おじさんのいうように、顔を見て謝ったら、笑顔でいよう、そう心に決めて夫の帰りを待った。
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