第2話 おじさんの過去

 謎の生活をしている隣のおじさんは、数カ月に一度トラックで帰ってきて、そのたびに新鮮な魚を私にくれた。

 何度かそれを繰り返すうちに、子供たちはおじさんを「さかなのおじさん」と呼び懐くようになった。

 そうなるとおじさんは、魚だけではなく、アンパンマンのお菓子とともに我が家のチャイムを鳴らしてくれるのだった。


 おじさんは庭の剪定を手伝ってくれることもあった。野鳥が持ってきた種から、大きく育ってしまった木の根を抜いてくれたり、私が雑草だと思っていた植物が、食べられるものだと教えてくれることもあった。


「これはね、おかわかめっていうとよ」


 おじさんは骨ばった手で垣根に生える植物をちぎり、私に渡してくれた。


「味噌汁に入れたらぬめりが出ておいしかたい。おひたしにもしても美味しかよ。食べ物に困ったらね、ここからちぎって食べなっせ」


 私はお返しに、おじさんの庭にお花の苗を植えることにした。


「おじさんがいない時は、私がお水あげときますね」


 そう言うと、おじさんは照れたように笑うのだった。

 また、子供が怪我をした時に助けてくれたこともあった。子供が転んで手の平にトゲが刺さり泣いてる時に、おじさんが魚を持ってやってきて、どれどれと5円玉と毛抜きでヒョイッとトゲを抜いてくれた。


「おっちゃんには子供がおらんけど、子供は可愛かね。大事にせなんよ」


 下がり気味の目尻をもっと下げて、子供の頭を撫でてくれた。


 おじさんは今度いつ帰ってくるのだろう。私はすっかりおじさんに気を許しており、おじさんの帰宅を楽しみに持つようになっていた。



 ある日家事を済ませた私が昼ドラを見ていると、どこかでチャイムの音が聞こえた。うちではない。

 どうやら隣のおじさんの家に誰かが来たようだ。

 続けてノックをする音も聞こえる。名前を呼ぶ声も聞こえてきた。なんだろうと思い、立ち上がって玄関に出ようとしたタイミングで我が家のチャイムが鳴った。


「はい」


 出てみると、スーツ姿の男女二人組みが立っている。そして胸元に名札カードのようなものをぶら下げていた。


「こんにちはー。すみません、〇〇市役所のものなんですが、ちょっとお尋ねしたいことがありまして」


 ただごとならぬ雰囲気に緊張しながらも、どうぞと答える。


「お隣の〇〇さん、最近ご在宅ですか?」


 おじさんのことだ。


「いえ、多分ですけど帰ってきてないと思います……」


「いつもそんな感じですか?」


「はい。だと思います。私の知ってる限りですけど」


 市役所から来たという男女二人組みは顔を見合わせて、お礼を言って去っていった。

 おじさんに何かあったんだろうか。


 しばらくしてまたチャイムが鳴った。出てみると、今度は隣の奥さんが眉間にシワを寄せて立っていた。


「こんにちは。先ほどどなたか来てらしたように見えたけど、どなたかしら」


 見てたんだ、と思った。


「市役所の方たちでした」


「隣の〇〇さんのことでしょ? いつも数カ月に一度しか帰ってこないし、タバコ臭いし。何かあったのかしらね」


 そうだった。隣の奥さんはおじさんのことが嫌いなのだった。


「どうなんですかね〜……」


 そう答えると、奥さんはもっと眉間にシワを寄せて小声で囁いてきた。


「〇〇さん、ダメな男なのよ。昔はね、お嫁さんと一緒に暮らしてたのよ。何があったのかは知らないけれど、お嫁さんが出ていってしまって。それからよ、空き缶はそこらへんに捨てるし、タバコの吸殻も捨てるし、いつもヘラヘラ笑って怪しいのよ。めったに帰ってこないし、仕事だって何をしてるのか分からないわよ」


 おじさん、お嫁さんがいたんだ。


「あなたもね、なんだか仲良くしてるみたいですけど、付き合う相手は考えた方がいいわよ」


 奥さんはコソコソと言うと、満足したのか帰っていった。


 優しい謎のおじさんには、かつてお嫁さんがいて、そして何かがあって出て行ってしまった。

 おじさんの過去を知って、なんだか落ち着かない気持ちになった。

 好きなおじさんが悪く言われてるのを、黙って聞いてしまったからか。

 人の噂話に加担してしまったからか。

 罪悪感のようなものが、胸をモヤモヤとさせるのだった。

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