父の遺影の前で

白川津 中々

◾️

父が鬼籍に入った。

歳は八十。酒や煙草や塩味の強い肴など、毒になりそうなものばかりを好んでいたわりには随分長く生きたなと式で笑われていた。

だが、私としては長く生き過ぎたと考えている。生前あれだけ横暴だったのに、間際になると長年の因果を恐れ、「ありがとう」だの「悪いなぁ」だのと口にするのだ。まるで暴君のように振る舞っていた人間が最後に善人らしい顔を見せるなど悍ましいの一言に尽きる。どれだけ謙虚に、誠実に見せようとこれまでの罪は消えないというのに、命が尽きそうなのだから謝れば許されるに決まっていると思っている節が透けていて、虫唾が走った。


私は忘れていない。父に殴られたことを、酷い言葉を投げられたことを。


「産まれない方が幸せだったろう」

「生きていて楽しくないだろう」

「もう、生きていなくていいだろう」

「お前のせいで近所に笑われる」


今でも響く声。耳にこびりついて離れない、不快なしゃがれ声。

級友のお父さんは皆優しそうなのに、家族で幸せそうなのに、どうして私の父は、家族はこうなのだろうかと、どうしてこんなものが私の親なのかと、何度世を憎んだか知れない。


「これまで、すまんかった」


最後の前日、病室でそう言う父に私は何も返せなかった。

本当はあらん限りの罵詈雑言を撒き散らしたかった。全てを否定したかった。けれど、できなかった。なにも親子の情があったわけじゃない。ただ、怖かった。父が、あの男が……


葬式が終わり、安心している自分と後悔している自分がいる。もしあの時、ずっと閉じてきた口を開けば、私の人生に日が差したかもしれない。父の言葉を否定できず、自身を拒絶してしまっていた私の毎日はいつも暗く、居場所がなかった。この先もきっとそうなのだろう。


父は最後、許されたと思っていただろうか。

私の一生を狂わしたことを「すまんかった」の一言で精算できたつもりだろうか。だとしたら、いや、そうでなくとも、どうか地獄に堕ちていてほしい。私が苦しんだ以上に苦しみ悶え、焼かれてほしい。父に対しては、それ以上の想いはない。家族として人として、一抹の悲哀もなく、心底からの願いである。


どうか、永遠に後悔してくれますように。

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