第9話
HRが終わると、部活動に入っている生徒は活発に教室を飛び出していく。わたしみたいな帰宅部は少数派なので、のろのろと帰りの支度をしているといつのまにか教室には誰もいなくなっていたりするものだ。
それは今日だって例外ではなかった。教室の中にはぽつぽつと人が残っているだけで、あとは帰るだけというこの時間が一番心地が良い。
「酒井さん」
机の中をのんびりと整理していると、不意に上から声が掛けられた。顔を上げれば、ほとんど話したことのないクラスメイトの女の子が正面に立っていた。
「ごめんわたし日直なんだけど、急いでバイトに行かないといけなくて……! 日誌は自分で持っていくから、教卓の提出物だけ数学準備室に出しておいてほしいんだけど……」
お願い、と顔の前で両手を合わせる彼女の、ポニーテールがゆらゆらと揺れる。
「いいよ」
「本当!? ありがとう〜〜! 今度絶対お礼するからね!」
彼女はふわりと花が咲くような笑顔を見せると、ごめんね、と言いながら駆け足で教室を出て行った。
この学校に来る前、色んな学校を転々としてきたけれど、いわゆるパシリのような扱いを受けたことも少なくない。
先生に指導されない程度に雑用を押し付けられたり、面倒臭い係を全部任されたりと、理不尽な目にたくさんあってきた。
きっと今回のも、面倒臭い仕事を押し付けるための口実なのだろう。
(どうせ暇だし、断る理由もないんだけど)
友達がいっぱいいて忙しそうな周りと比べて、ぼっちのわたしは暇な時間が多いと見られがちだ。
居心地がいいはずのこの時間帯が、一気に憂鬱に染められたような気がした。
もやもやとしながら教卓の前に立つと、思ったよりもたくさんのノートが積み重なっていた。ひとりで運ぶには2回に分けて行く必要がありそうだ。
「手伝うよ」
とりあえず1回目の分を持ち上げたとき、背後から声が掛けられた。振り向くと、のっぺりとした黒い髪の木崎くんが立っていた。
「わっ……え、い、いいの?」
「うん」
驚いて声を上げてしまったわたしは相当失礼だったと思う。木崎くんは残りの提出物を軽々と持ち上げると、先にドアの前まで進んで立ち止まった。
どうやらわたしが来るのを待っているらしい。若干の気まずさを覚えながら、その後を小走りで追った。
「どこ?」
「数学準備室。場所はわからない」
「わかるよ」
木崎くんはそう言うと、わたしの前を先導するように歩いてくれた。わたしはその少し後をちまちまと歩きながら、そっと彼の様子を窺う。
(思ったよりも背が高くてびっくりした。あと、何かいい匂いがする。この匂い、どこかで嗅いだような……)
数学準備室への道はまるで迷路だった。階段を上り、渡り廊下を渡り、また階段を上った先にある。ひっそりと静まり返ったフロアは、教室棟とは別の校舎にあるため、滅多に人が近寄らない。
木崎くんががらがらと準備室の扉を開けた。どうやら先生はいないらしい。
「この辺に置いておけばいいかな」
「うん」
先生のものと見られるデスクの上にノートを山積みにして置いて、任務完了である。
「ありがとう。助かった」
「うん」
必要最低限しか話さない木崎くんに苦笑しながら、わたしは教室を出ようと出口へと向かった。
はずだった。
「? 何かあった?」
木崎くんに腕を掴まれて、わたしは動きを封じられてしまったのだ。
何か不快だっただろうか、と見上げた視線の先で、黒い前髪に紛れた金がきらりと輝く。
──金。白髪ならまだしも、金色?
訝しげに眉根を寄せていただろうわたしが、じっとその髪を凝視していたからだろうか。木崎くんは突然肩を震わせて笑い始めた。
「さすがに見すぎ。失礼すぎる」
さっきまでのボソボソとした喋り方とは違う、はっきりとしたテノール。はっとして瞠目したわたしは、目の前で起きていることが信じられなかった。
「顔に出やすいよなぁ、おまえ」
「……な、え、っな……!」
「シー。でかい声だしたら誰か来るだろ」
はくはくと口を動かして、叫び出しそうになった声を胃の中へ押し戻す。
木崎くんはわたしの前で、徐ろにマスクと眼鏡を外していく。隠すものがなくなって露わになった素顔を見て、確信する。
艶々として毛穴ひとつない、雪のように白い肌。形のいい眉と、バランスよく配置された切れ長の瞳。すっと通った鼻筋に、口角の上がった薄い唇。
まさに非の打ち所がない顔面を持つ彼は──正真正銘、大人気アイドルの柏木理央。
「久しぶり」
理央はわたしを見下ろして、にこりと綺麗に微笑んだ。
天才アイドル柏木くんと2次元みたいな恋をする 藤咲ななせ @yuzushio12
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