第8話 レア・エンカウント

 たとえ自分で選んだ決断とて、時間が経てばどうしてあんな選択をしてしまったのだと後悔することは少なくない。

 わたし酒井朱莉もまた、一週間前に選択した己の決断を、激しく後悔している真っ只中だった。


(後先考えずに頷いちゃったけど、普通に考えて怪しすぎるような……)


 下駄箱に靴を入れた後、上履きに履き替えながら、ひっそりとため息を吐く。


 映画を観に行った帰りに芸能人に詰められるという奇妙な事件から一週間、わたしはあれから激しい自責の念に苛まれ続けていた。

 天下のアイドルから恋愛を教えてやるとかいう魅力的なお誘いをされてふわふわと浮かび上がっていたわたしは、あのとき連絡先を教えろと迫られて簡単に教えてしまった。


 もちろんあの日以降、彼から連絡が来ることはなく、今日も今日とてスマホは静まり返っている。


(もしかして新手の詐欺だった? わたしの連絡先どっかに売られてる説ない?)


 考えれば考えるほど冷静になってきて、自らの軽はずみな行動に嫌気が差す。

 そもそも芸能人が一般人に恋愛指南をするなんて聞いたこともない。どこかにテレビカメラがあって、ドッキリでしたと言われた方がまだ納得できる。

 しかし一週間経ってもネタバラシをされることもなければ、あの人からの音沙汰があるわけでもない。


 一体あれは何だったのかと、ここのところわたしはずっと頭を悩ませていた。


「ねえ〜〜昨日公開されたビジュみた? さいっこうだったんだけど!」

「王冠に白スーツの柏木理央、さすがに大正解すぎるだろ」

「スタイリングした人に金一封あげたい」


 教室へ向かう途中、すれ違う他人の会話なんていつもは気にならないはずなのに、その名前を耳にした瞬間に、無意識に意識を傾けてしまう。

 それもそのはずだ。楽しそうに笑う女の子達の話題の中心にいる彼こそが、今のわたしの悩みの種なのだから。


 ──柏木理央かしわぎりお、17歳。

 中学2年のときに国民的美少年コンテストで優勝、たちまち『De-lightディライト』という5人組アイドルグループのひとりとしてデビューし、現在は俳優業にも精を出している。

 全日本若手イケメンランキングでは2年連続で1位を獲得し、今若手世代から最も注目を集めるアイドル。

 

 この一週間で彼の素性から出演経歴まで余すことなく調べ上げたが、やっぱり彼があの日の彼と同一人物だとは到底信じられない。


 お金に困っているとは思えないし、こんなただの一般人を揶揄うような暇があるようにも見えない。それなのに、どうして──。


 考えれば考えるほど堂々巡りになってしまう。教室に着いて一旦自分の席に荷物を置いたわたしは、提出物を教卓に置くために再び立ち上がった。


 ノートを提出し自分の席へ向かって来た道を戻る途中、ある違和感に気付いて立ち止まったわたしは、不躾にも思わずその場所を二度見してしまった。


 教室の隅。いつもは空席のはずのそこに、人が座っていたのだ。


 もっさりとした黒い髪は海苔のように重そうに見える。見たこともないほどに分厚い眼鏡を掛けていて、顔の半分を覆う白いマスクのせいでほとんど顔が見えない。

 一言で感想を言えば『暗い』。


 出席番号8番、万年欠席の木崎くん。

 

(初めて姿見た……。なんか怖いな)


 ぎょっとして足を止めてしまったわたしは、失礼だったかと慌てて早足で席へと戻る。椅子を引きながら、後ろからその後ろ姿をじろじろと眺めた。


「あ、珍しくアイツ来てんじゃん」

「3ヶ月ぶりじゃね? 相変わらず地味〜」

「アイツいると空気がまずくなるよな。話してるとこ見たことないし」

「授業中当てられてもボソボソ喋って何言ってるかわかんねえしな」


 どうやら周りからの評価も最悪らしい。絶対に出席日数は足りていないはずなのに、どうしてこのタイミングで登校してきたのだろう。


(でもまあ、ぼっちなのはわたしも一緒か)


 数少ない同士。

 友達いない同盟でも組んじゃう?だなんて、頭の中で話しかけてみるけど、きっと確実に話が合わないことはわかりきっているので、心の中だけに留めておいた。

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