第7話 罪悪感と1mmの希望
男の人に連れられてやってきたのは、映画館の入ったビルの5階から外へ出たところにある、ちょっとした庭のようなスペースだった。芝生の周りには都会の真ん中だというのに木が生い茂っていて、街の喧騒から切り離されたみたいだ。
(何でわざわざこんなところに?)
お礼をしたいと言ったら時間がほしいと言われて、ついてきたのはいいものの、こんなところで何をするのだろう。
急に不安になってきたわたしは、きょろきょろと辺りを見渡す。
「あの、それで、用件というのは……?」
ずっと背を向けたまま黙っている男の人の背中に、遠慮がちに声を掛けてみる。すると彼はゆっくりと振り向いた。
その瞬間、ぱちりと視線が重なる。
ずっとはっきり見えなかった彼の、くっきりとした二重の瞳を見たわたしは思わず、え、と声を漏らしてしまった。
闇に紛れるような服装。目深に被った帽子。わざと人気の少ない場所を選んでいるように見える行動。
その全てが線で繋がったとき、わたしは瞠目した。
「え、もしかして、さっきの映画に出てたひと、ですか?」
ついさっきまでわたしが観ていたあの映画。後半は寝てしまったけれど、序盤からこれでもかというほど姿が映し出されていたから、その顔は芸能人に疎いわたしでもはっきりと脳裏に焼き付いている。
ヒロインの女の子の相手役。この物語のいわば『王子様』枠。
名前は確か──。
「寝てた?」
「へっ?」
肝心の名前を思い出せず脳みそをぐるぐる回転させていると、突然そんな声が飛んできて、素っ頓狂な声をあげてしまった。
「おまえさぁ、俺の映画観て寝てただろ」
その瞬間、彼の纏う雰囲気ががらりと変わったような気がした。気のせいじゃなければ以前会ったときは『お姉さん』と優しく呼ばれていたような気がするのだが。
そんなことより。
(み、見られてた……!?)
一体いつから、そしてどこで? 何にせよ、この様子からして確かに爆睡するわたしの姿を見られていたことには違いないので、言い訳をする余地すらない。
「いい度胸だよなァ、人が血反吐吐きながら撮影した映画観ながら寝るって、どんな気持ち?」
嘲笑混じりにじりじりと詰め寄られて、同じテンポでゆっくりと後ずさる。とん、と虚しくも背中が壁に当たり、わたしは逃げ場を失ったことを悟った。
冷や汗が止まらない。
「そんな怯えんなって。ちょっと話聞かせてくれればそれでいいからさ」
「は、はなし……?」
「そー。教えてよ。俺の映画、どこがつまんなかった?」
フードの下から覗く瞳が妖しげにぎらりと光っている。さっきまで画面の中で、キラキラとしたオーラを纏いながら儚く笑っていた王子様と同一人物とはまるで信じられない。
「つ、つまんなかったとかじゃなくて、根本的に恋愛映画と相性が悪くて……」
「俺のキスシーンで寝るヤツ、生まれて初めて見たんだよね。傷付いちゃった」
「……弁解の余地もございません」
そういえば意識が飛ぶ直前に、スクリーンの中で男女がキスを交わしていたようなしていないような記憶がふんわりと残っている。
ここまでの話を聞く限り、どうやらご立腹の理由は自分の映画を観ながら気持ち良さそうに爆睡していたわたしを偶然目撃してしまったことにあるらしい。
確かに、きっと膨大な時間をかけて大切に撮影した映画なのに、アホそうな女子高生が映画館で爆睡していたら腹が立って仕方がないに違いない。
生の芸能人に会えた驚きよりも、失礼なことをしてしまったことに対する申し訳なさが先行して、わたしはしおしおと肩を落として俯いた。
「ごめんなさい。言い訳になるんですけど、恋とかよくわからなくて。それを知りたくて、あの映画を観に行ったんですけど」
結局何も得られなかったし、こうして恩人の前で失態を晒してしまうし、本当に最悪だ。
「わかんねぇって、どういうこと? 人を好きになったことないの?」
「……ナイデス。趣味で漫画を描いてるんですけど、恋愛が安っぽいって馬鹿にされて、映画を観たら何かわかるかもって思って」
「……へぇ?」
ほぼ初対面の人の前で、わたしは何を話しているんだろう。こんな風に自分のことをペラペラ喋るなんて、絶対ありえないことなのに。
「じゃあ、俺と恋愛してみる?」
突然落とされた言葉に、わたしは一瞬意味が分からずに固まってしまった。
「えっ?」
「俺がおまえに恋愛を教えてあげる。光栄だろ?」
「え、どういう……?」
「恋愛ごっこ、してやるよ。おまえと」
にこりと、その目が不気味に細められる。
「俺が主演の映画観てぐーすか寝られたなんて、正直恥ずかしいし屈辱的すぎて耐えられないんだよね」
「……う、すみません……」
「だからおまえが恋愛を知った上で、それでもあの映画がつまんないって言えるのか、試させてよ」
射抜くような視線は何を考えているのかわからない不気味さを宿していて、ぞくりとするのに視線を逸らすことができない。
罪悪感と不安と、少しの興味。あんなに頭を悩ませていた『恋愛』の意味を、申し分ないような相手に教えてもらえるなんて、こんなチャンスきっと二度と訪れない。
「……っ」
拒絶する理由などすぐには思い付かずに、この状況をどこかふわふわとした気持ちで俯瞰しながら、わたしは言われるがままに首を縦に振ることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます