第5話 寂

その日の授業も終わり、帰宅した家で待っていたのは単身赴任中で不在のはずの父であった


本来ならば喜ばしいはずの出来事だが、真希と弟の柚希は緊張した面持ちで立っていた


母から受け取ったここ1年半ほどの成績を無言で見返す父


「ふぅ....」


見終わった父はソファの背もたれに体を預けて大きく息を吐く


柚希は過剰なほどそのため息に肩を揺らして顔を青ざめさせている


「柚希」


父の一段と低い声に、呼ばれた訳でもない真希まで体を強ばらせた


「なんだこの成績は。右肩下がりじゃないか」


「....ごめんなさい」


颯と仲が良いという点からも察せる通り、どちらかと言うと明るく社交的で、やんちゃ盛りの柚希


今はそんな面影もなく肩は小さく震え、声は蚊の鳴くように小さい


真希は上がりもせず下がりもせず、中の上位を保っていたが、柚希は恐らく部活に遊びにと勉強を疎かにしていたのだろう


普段の生活を見ていれば容易に想像出来る


怒鳴りつけるでもなく、殴るでもなく淡々と柚希を叱りつける言葉を黙って聞き続ける


頭がおかしくなりそうだ。父の仕事は外資系だかの小難しいことをしているらしく、詳しくは聞いたことがないためよく分かっていない


決して両親も父親と同じ職に就けと言いたい訳では無いことはわかっている。ただ、父は学齢が高く、母は最終学歴が高校卒業。


それ故に苦労した母とそれを傍で見ていた父


幼馴染同士の結婚である2人は、真希が幼い頃によく教育方針でぶつかっていた


その姿が記憶にあるが故に、両親の言葉を間違っているだとか、否定的に捉えきれない


ただ真希がひとつ思うのは、普通の親は子供をこのように立たせて圧力をかけることはしないのでないだろうか


普通かどうかも各家庭によるものだということも理解した上で、果たしてこのやり方は正解なのか


まだ成長期真っ只中で自身よりも背が低く、華奢な弟が体をさらに小さくしている


果たしてこの状況は庇うべきなのか


「...まだ中学生だよ。右肩下がりとはいえ、学年では上位なんだから別にいいと思うけど」


涙目になる柚希に思わず言葉が漏れ出る


真希の言葉に父親はため息を吐いた


「学年で上位かどうかじゃないんだよ真希。自分の最善を超えることも無く、維持する訳でもない。学生の本分は勉強だ。それを疎かにしたことを叱っているんだ」


父の言い分はご最もだ。確かに柚希は勉強している素振りも無く遊びに出かけていたのだから、自業自得ではある


しかし、真希自身が親に言われるがまま勉強漬けだった結果、人付き合いは苦手になり、夢も無いままこの歳まで来てしまった


その点で言えば、柚希は友人が多く、夢があると言っていた。内容は教えてくれなかったが


元の性格を加味したとしても、置かれた環境が似ているのに選んだ道が違えばこうも違うわけで


それを否定するのは違うのではないだろうか


「まぁ、うん」


結局それ以上逆らう気力を失って口を噤む


その様子に父も毒気を抜かれたようで、「まぁいい。次の考査で取り戻しなさい」とだけ言って仕事に戻って行った


「姉ちゃん....」


「なんだい」


父が居なくなったことで体の力が抜けた柚希は部屋に戻ろうとする真希の背中に声をかけた


「....ありがと」


小さい声でそう呟くように零したあと、逃げるように真希を追い抜かして自分の部屋に篭ってしまった


思春期で特に最近は素っ気ないというか、小生意気な態度だったが


なるほどブラコンの気持ちが少しわかってしまった


「どういたしましてー」


柚希の部屋の前で少し大きな声で返事をして自分の部屋に入る


「将来の夢、かぁ」


机の上にはB5サイズの小さい紙が1枚


進級して早々に配られた進路調査の紙を手に持って独り言


提出期限に余裕はあるが、書き直した跡すらもなく真っ白だ


「なんのために生きてんだろう」


生きる理由も死ぬ理由もない。ぽっかりと何かが欠如しているように感じるこの瞬間が酷く不快だ


その忌々しい紙を再び机の上に戻してベッドに腰掛ける


先程の父のこともあり、精神的に疲弊して勉強をする気も起きない


「....明日か来なければ良いのに」


窓から見える星一つ見えない真っ暗な闇に飲み込まれたい。そんな厨二病的な思考が心地好くて、体を横にして目を閉じた

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あまいわんこの甘やかし @Aizawa31kano

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