第7話 いらない偶然

 高級店街に来たのは生まれて初めてだ。

 ルーチェはどんな店があるのか、まったく知らない。隣を歩くクラウスに尋ねてみると、言葉を濁された。


「……ああ、その。申し訳ない、私はあまりこの街に詳しくないんだ」


 普段は決まった服しか買わないし、着ないらしい。執事のデックに頼りきりで、自分で選んで買おうと思ったこともないそうだ。

 クラウスが身に付けている服は、ルチアの目から見ても高級品だしお洒落だと思うのだけれども。執事のデックのセンスは素晴らしいのだなと感心するとともに、意外に感じた。

「クラウスはいつも格好良いから、服に人一倍気を遣っているものだと……」

「えっ」

 驚いた声に思わず立ち止まる。不思議に思ってクラウスを見上げれば、口元に手を当てて、立ち尽くしていた。

「クラウス?」

 名前を呼ぶと、クラウスが耳まで真っ赤になっていた。一体どうしたのだろう。

「る、ルーチェが、私を、格好良いと……」

「えっ」

 今度はルーチェが驚いた声を出す番だった。

 確かに先ほど自分は、クラウスを格好良いと言った。でもそれは、一般的な見解で、誰だってクラウスをみればそう思うだろうから、ルーチェは言葉にしただけで。


(わ、私も恥ずかしくなってきたわ……)


 お互いに顔を見合わせては赤くなって目を逸らすという、謎の行動を繰り返すことになってしまった。

 少しして落ち着いたらしいクラウスが咳払いをして、ルーチェに声をかけた。

「ルーチェ、お茶でも飲まないかい?」

「ええ、ぜひ!」

 ルーチェはクラウスの提案をすぐさま受け入れた。近くにあったカフェへと入る。カフェの中は心地よい静寂が流れていて、とても居心地の良い空間だった。

 クラウスは慣れた様子で注文をこなす。もちろん、ルーチェに何が食べたいか聞いてくれてからだ。

 こんなにも気遣ってもらえるのは生まれて初めてで、ルーチェは運ばれてきた飲み物とデザートを見て、心から嬉しく思った。

 フルーツのたくさんのったアイスは、一度は食べてみたいものだった。


(甘くて濃厚で、とても美味しいわ)


 いつも好きなものは頼めず、姉や妹が食べ切れなかったものを押し付けられていたから、こうして最初から一人で食べるだなんて、それだけで嬉しくなってしまう。

 ルーチェは堪らず顔を緩めて笑みを浮かべた。夢中で食べていると、向かい合った席に座るクラウスが、ニコニコとした顔でルーチェを見ていることに気付いた。

「あっ、ご、ごめんなさい」

「どうして謝るんだ、ルーチェ。あなたが美味しそうに食べる姿は、本当に可愛くて好きだよ」

 うっとりとした表情で、こんなにも直情的に言葉を重ねられると、ルーチェの顔には最も簡単に熱が集まって真っ赤になってしまう。


(クラウスにとっては、きっとなんでもない事なのよ。いちいち恥ずかしがってたら、勘違いしてしまうわ)


 勘違いして恥をかくのは、ルーチェなのだから。


 姉へ縁談を申し込まれていたのに、ルーチェに来たものだと勘違いしたあの時のことを思い出して、きゅっと体が縮こまった。

 父からルーチェへ縁談の申し込みがあったと言われた時、感じたのは喜びだった。少しの戸惑いもあったのに、それに見向きもせず、ルーチェは胸を高鳴らせた。


(自分が望まれたと思ったの。でもよく考えれば、を選んでくれる人なんて、いないのにね)


 本当に馬鹿だと、ルーチェは自身を責め続ける。恥ずかしくて苦しくて、ルーチェは二度とあんな目に合いたくなかった。


「どうしたんだい、ルーチェ?」


 美味しくなかったのかと問われ、ルーチェは慌てて首を横に振った。手が止まってしまっていたのを、訝しく思ったに違いない。

 ルーチェは努めて明るく振る舞おうとしたが、その表情は凍り付いてしまった。





「ルーチェ?」




(なんで、どうして彼がここに……!?)


 名前を呼ぶクラウスの声に応えることもできず、ルーチェは気付かないでほしいとひたすらに祈った。けれどもその祈りは虚しくも届かず、相手がルーチェに気付いてしまった。


「ルーチェ・オルローブか?」


 嫌悪混じりの声色に、ルーチェは堪らず俯いてしまう。そんなに嫌なのならば、ルーチェのことを見かけても無視をすればよいのに。相手はルーチェとクラウスがいるテーブルへと、近付いてきた。

「お前みたいなのが、こんな場所にいるだなんて。場違いだと思わないのか?」

「突然何を。……失礼、どなたかな」

 難癖を付けてきた相手に、クラウスが眉間に皺を寄せて言った。


「ああ、私はヘンリック・リーケル。……貴方は、こちらの女性の連れかな? なら忠告しよう。すぐに付き合うのはやめた方が良い。この女は礼儀知らずでね。私はとんでもない恥をかかされたのだ」


 ルーチェを指差してヘンリックは言った。失礼極まりない態度に、クラウスはますます険しい顔になる。だがルーチェはクラウスの様子に気付くこともできず、俯いて早く立ち去ってと願い続けていた。


 ヘンリック・リーケルとの間にあったことを、クラウスに知られたくなかった。


 彼こそが、ルーチェに縁談を持ち込んだと勘違いされた、哀れな人だった。顔合わせの席で、ルーチェを見て違うと激昂し、父に詰め寄った。父は慌てて、ルーチェは姉であるカサンドラのものをなんでも欲しがるから嘘をついたのだと、言い訳がましく謝罪した。


(姉さんが羨ましいとは、確かに思ったわ。いつだって、何かをお願いすれば、絶対に叶えてもらえるのですもの。そのことを父に言ったことも、確かにあった)


 でもこんな、縁談の場面で嘘をついたりなどしない。けれども父はルーチェを叱り、なおも起こり続けるリーケル卿に謝罪を続けたのだ。


 その顔合わせをした場所が、高級なカフェだったのが、最大の悲劇だろう。


 居合わせた者たちが面白おかしく風潮し、リーケル卿とルーチェの顛末は脚色されて広まってしまった。ルーチェは社交界に顔を出していないが、姉が茶会や夜会から帰ってくると、こんなふうに言われたと事細かに教えてくる。


 そこでのルーチェは、姉のものをなんでも欲しがる我儘な娘で、躾もできていないオルローブ家の面汚しとまで言われていた。

 聞きたくないと姉に言っても、貴方がしでかしたことなのだから、責任を持って非難は受けるべきと返されてしまっていた。


 そしてリーケル卿は悲劇の人を演出しようと、至る所でルーチェのことを悪きざまに責め立てている。


 ルーチェのせいで縁を結べなかったと、ずっとだ。時々、手紙まで送られてきて、ルーチェは嫌で嫌で仕方がなかった。


(お前が悪いのだから、謝罪にこいって言われて。何度か連れ出されもしたわ)


 リーケル卿はルーチェの悪いところをひたすら言い募る。ルーチェは何も言えず俯くと、つまらない女だと呆れたように言って、呼び出したカフェへ置き去りにして帰ってしまうのだ。

 ルーチェはリーケル卿の誘いを受けたくなかったし、父にも何度もそれを言ったのに、お前が悪いのだから誠意を持って付き合えと言って取り合ってくれない。


(……最近は、体調が悪いと言って断り続けていたけど)

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