第4話 夫の様子がおかしい

「ルーチェが好きなものを食べている姿を、どうしても見たくて」

「あ、ありがとうございます」

 勧められて食べ始めるが、クラウスは笑顔でルーチェを見ているだけだった。同じものが目の前に並んでいるのに、手をつける様子はない。

「あの、クラウスは召し上がらないのですか?」

「あなたを見ているだけで、胸がいっぱいなんだ」

 だから気にしないでいいよと言われても、食べているのを見られるのは緊張する。どうしようと思っていると、執事のデックがクラウスに耳打ちした。

 ハッとしたような顔をしたクラウスは、慌てたようにカトラリーを手にすると、やっぱり一緒に食べるよと言った。

「すまない、私が不躾だったね。ルーチェの好きなものを、私も味わうとしよう」

 その後は和やかに食事が進んだ。

 クラウスのことを尋ねると、喜んだ様子でいろいろと話してくれたのだ。クラウスは最近、爵位を継いだそうだ。

 未婚で離婚歴もない。それからいくつも事業を手掛けていて、かなり裕福であるということも。


「外国にダイヤモンド鉱山を所有しているんだ。それからエメラルド鉱山。国内だと、ホテルをいくつか所有している。あとはうちの領地では、魔法石の加工業を行っているよ」


 魔法石とはその名の通り、魔法が込められている不思議な石のこと。


 石炭などのように、生活のために使われる便利な燃料だ。しかしその取り扱いは難しく、加工するとなると相応の技術と職人が必要であることは、ルーチェでも知っていた。


 そういった設備を整えられるだけでも、クラウスはとてつもない財力がある。そして魔法石を加工して売り出しているとなれば、莫大な領地収入と財産があるということになる。


 クラウスの容姿は整っていて、社交界で話題になりそうな見目である。


 妻になりたいと願う娘はいくらでもいそうだ。でもクラウスの噂は聞いたことがなかった。


「ああ、私は……。長いこと外国に留学していて。最近になってこの国に戻ってきたから」


「まあ、そうだったの」

(でもそれだけなら、私なんか選ばないわ。これはきっと、私を選んだ理由が他にあるはずだわ)




***




 夕食が終わり、夜の準備を整えて、夫婦の寝室でクラウスを待っていたルーチェは思った。

 きっとクラウスが何らかの秘密の話をするならば、これから迎える初夜の時に違いないと。だからルーチェは、緊張した面持ちで、どんなことを言われようともショックを受けないようにしようと決意した。

 少なくとも、屋敷に到着してから夕食まで、クラウスはルーチェを気遣ってくれている。使用人たちもルーチェを丁寧に扱い、尊重してくれていた。

 これだけでも、実家にいた時より雲泥の差なのだ。いっときの夢だと思えば、悪くない経験だった。


 夜着を身につけ、ベッドに腰掛けていると、クラウスがやってきた。

 彼はルーチェを見ると、真剣な表情で近付いてくる。



(やっぱり、……何かあるのね)



 ルーチェは無意識に、夜着の裾をギュッと握りしめていた。そして目の前で跪いたクラウスが、ルーチェを金で買ったようなものだと告白し、そして行ったのだ。


「ルーチェ、私があなたに惜しげもなく金を使うことを、どうか許してほしい」


「……はい?」


「あなたが結婚してくれるからと、舞い上がってしまって。婚約指輪と結婚指輪を、十組ほど購入してしまったんだ」


「はい!?」


「わかっている、わかっているんだ。こういうものは、二人で選ばなければならないということは。私が暴走し過ぎた愚かな結果だ。本当にすまない」


(何を言っているのか、全然意味がわからないわ)


 言っている意味を理解したくないともいう。跪いたまま、申し訳なさそうな顔をして見上げてくるクラウスを見て、思わず可愛いという感想を浮かべてしまった。


「あ、あの、私のために用意してくださったのなら、それは嬉しいので……」


「喜んでくれるの? ありがとう、ルーチェ。あなたは本当に心が広くて優しいね」


 手を握って感激しているクラウスに、ルーチェの顔は真っ赤になってしまった。隣に座っても良いかと尋ねられ、ルーチェは頷くことしかできない。


「ああもう本当に、毎日湯水のようにあなたに金を捧げたい」


「……ええと」

「ルーチェ、私は金を稼ぐ才能だけは持ち合わせていたようなんだ」

「は、はあ」

「私が死んだ時の遺産相続人として、サインを書いてもらえるかな」

「クラウス、その、私たち結婚したばかりよね?」


 何がどうして、遺産相続の話になるのだろうか。ルーチェがお金目当てで結婚した妻だったとしても、初夜でそんな話はしないだろうし、サインを求めたりしない。

 というか、クラウスから提案を受けるなんて、わけがわからない。


「そう、結婚。結婚したんだ、ルーチェ」

「ええ、そうね」

「……夕食の時に少し話したけれど、留学していたから、の常識に疎くてね」

(常識って、なんなのかしら)

 クラウスの言葉に困惑しつつも、そばにいる夫の顔を見上げた。

「少しずつゆっくりと、お互いのことを知れたらなと思うんだけど、どうだろう」

「えっと、……はい」

 ルーチェは思っても見ない提案に驚いた。


 バルト伯爵がお金でルーチェを買ったのだ。きっと酷い目に遭わされると、少しばかり覚悟をしていたのだから。


(それとも、これは演技なのかしら)


 油断したルーチェを嘲笑し、奈落へ突き落とすための。でも演技にしたって、クラウスの突飛な言動はないだろう。

 ルーチェは夫となった人を見上げ、クラウス・バルトとは、いったいどのような人物なのだろうかと思った。


「……ルーチェ」

 伸ばされたクラウスの手が、頬にふれた。思わず体がビクリと震えてしまう。


 こんなに至近距離に異性がいたことなど、生まれて初めてだった。それに彼は、ルーチェを馬鹿にするような言動が一切ないのだ。

 思わず胸が高鳴るのも、仕方がない。


 夫婦の夜の営みに何をするかという知識はある。けれども異性に、熱のこもった目で見つめられ、そしてふれられるという経験は、初めてだった。


 心臓がうるさいくらいに鼓動していて、ルーチェは顔に集まってくる熱のせいで、考えがまとまらない。


「急に夫婦と言われても、心の準備ができていないと思う。私も急いで事を進め過ぎた」

 三日で婚姻届を出した事を、クラウスは謝ってきた。

「婚約では嫌だったんだ。そんないつでも解消されるものよりも、あなたともっと強い結びつきが欲しくて」


(結婚しても、離婚する事もあるのだけど……)


 人違いだからと離婚されるのではと思っているルーチェからしてみると、婚約も結婚も変わらない気がしてならない。クラウスの言葉はまるで、結婚したら別れる気などなく、二度と離さないと言っているような。


 まさかねと自分の考えに呆れていたルーチェの手を、クラウスが握った。ルーチェと同じように、クラウスの手も熱い。


「今日は、こうして一緒に寝るのはどうだろう?」


 枕元の明かりに照らされたクラウスの顔は、ルーチェと同じように赤かった。だからだろう、ルーチェもその言葉に頷いて、緊張しながらも二人でベッドへ横になる。

 クラウスは少しだけ躊躇うように手を伸ばしてきたが、ルーチェが嫌がらないでいると、そのまま体を引き寄せられた。


 抱きしめられたルーチェは、クラウスの胸元に顔を寄せる。


 甘いのに、どこか刺激的な感じのする不思議な匂いが、鼻腔を掠める。


(……は、恥ずかしすぎる)


 男性とこんなふうに眠るなんて、慣れる日が来るのだろうかと、ルーチェは思った。あまりにも激しい心臓の音。けれどもそれが、自分のものだけはなく、そばにいるクラウスからも聞こえてくることに気付いた。


(彼も、緊張しているの?)


 ルーチェを抱きしめて、こんなにも緊張を。


 そう考えると、途端にクラウスのことが可愛らしく思えてしまって。


 ルーチェは気付かれないように小さく笑うと、心臓の音に耳をすましながら目を閉じたのだった。

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