第3話 五部屋ある

 クラウスとお茶を飲んだ後は、部屋に案内された。ルーチェが実家で使っていた部屋より随分と広い。

 ピンク色の壁紙に、白く豪華な縁で模られた鏡台。リボンや花があしらわれた、少女が夢見るようなお部屋だ。あまりにも可愛らしすぎる内装に驚いていると、メイド長のノーラが声をかけてきた。

「奥様、こちらのお部屋は……」

「あら、間違いだったかしら? 私には少し、可愛らしすぎると思ったのよ」

(クラウスの姪御さんとか、妹さんとか、親類の方々が滞在する部屋かしらね)


「いえ、奥様のお部屋ですが。お気に召さないようでしたら、隣にも奥様のお部屋がございます」


(隣にもあるって、どういうこと?)


 再び案内された部屋は、隣の部屋と同じくらいの広さで、白地に黄金で華美な模様が彩られている、豪華絢爛ともいえる部屋だった。

 先ほどの部屋もそうだったが、ルーチェの実家よりも、お金のかかった家具類が置いてある。


「奥様、こちらもございますよ」

 ノーラがそう言って、さらに別の部屋を案内する。

 ベロア調の生地であつらえた家具のある部屋、翡翠色の壁紙で彩られた部屋、それから南国様式だという外国風の部屋。

「気に入ったお部屋を、好きな時に好きなようにお使いになってほしいと、旦那様より言われております。ご希望がございましたら、即時部屋の模様替えを致しますので、お気軽にお申し付けください」

「……あの」

「はい、奥様」

「私以外にクラウスが、親しいご友人を招くためのお部屋では……」


「まさか! ……いえ、失礼致しました。旦那様は奥様のためだけに、お部屋をご用意致しました。私共が必死にお止めして、なんとかこれだけで収まったのでございます」


(止めたの? 止めたのに五部屋も用意したの?)


 ルーチェは混乱した。結婚すると妻のために五部屋を用意するのは普通なのかと、己の常識と照らし合わせて、やはりおかしいという思考に至る。


「そしてこちらは、奥様の衣装部屋でございます。夕食の時のドレスは、この中からお選びください。新しいドレスは、明日以降、一緒に買い物へ行きたいと旦那様が申しておりました」


 ルーチェの実家の部屋の広さほどのクローゼットの中に、大量のドレスがあった。なぜこんなにと困惑するルーチェに、ノーラは旦那様が昨日買い揃えましたと抑揚のない声色で言った。

「こちらにあるドレスは、すべて旦那様が奥様に着て欲しいと、思って買い揃えたものです。ご趣味でないものは、突き返した方が旦那様も反省する……、いえ、言葉が過ぎました。申し訳ございません」

「は、はあ」

「女性には好みというものがございますよと、口を酸っぱくしてご忠告致しましたが、聞き入れませんで。本当に私どもの力不足です。奥様、どうぞお許しください」

(それって謝るところなの!?)


 ルーチェにはもうわけがわからなかった。


 ひとまず一番落ち着けそうな部屋に決め、そこで休むことにする。夕食前に入浴などいかがですかとノーラに勧められ、ルーチェは頷いた。

 実家にも浴槽はあったけれど、入浴できるのはいつも一番最後。姉や妹が長湯するからお湯が冷めているし、沸かしたお湯が足りなくなる事だってあった。お湯が足りないのなら追加で沸かせば良いだろうが、父は燃料費の無駄遣いだといって許してくれなかった。

 だから温かいお湯で体を拭くことの方が多くて、ゆっくりと湯船に浸かったことがほとんどない。

 ノーラが用意した浴槽には、良い匂いのする香油が入れられていて、生まれて初めての体験だった。何人ものメイドがルーチェを丁寧に扱い、髪も綺麗に洗ってくれた。手足をマッサージしてくれ、あまりの気持ちよさにうたた寝しそうだった。

 こんな厚遇を受けられるなんてと思いながら、ルーチェはクラウスのことを考える。やっぱり彼の顔を思い出すことができないし、ルーチェの人生で彼のような男性と出会ったことはないように思えた。


 ルーチェが今まで話したことがある男性。

 父と兄。それから屋敷の使用人。他には、姉に縁談を申し込んだのに、ルーチェを紹介されて激怒したリーケル卿。あとは姉の奉仕活動に付き合って、教会へ行った時に出会った貧民の人たちくらいだ。

 リーケル卿の顔は覚えているから、クラウスと別人であることははっきりとわかる。クラウスの輝くような金髪は、一度見たら忘れないと思うし、本当にいつどこで出会ったのだろうかと首を捻るばかりだ。


(やっぱり別人よ。……彼は勘違いをしているのだわ)


 どこかで誰かがルーチェの名前を勝手に使って、クラウスを誤解させたのだろう。そうでなければ、こんなに好意を持たれるなんて、あり得ない。


 だってルーチェは、血の繋がった家族からすら、愛されていなかったのだから。


(私は愛されたくて、ルーチェありがとうって、その一言が欲しかったのに)


 さんざん蔑ろにされて終わってしまった。

 お願い事をされたら献身的に尽くせば、愛してくれると思っていた。それが、ルーチェの愛するという気持ちの示し方だった。でもそれは家族にはどうでもよいことでしかなくて。ルーチェに愛を返してはくれなかった。

 教会で献身的に働いていたご婦人は、愛に見返りを求めてはいけません、なんて話していたけれど。ルーチェは自身が捧げた愛の見返りが欲しかった。


(……だから家族への不満が、溜まっていったのだわ)


 そして自暴自棄になって、家族と一緒にいたくなくて、今ここにいる。もしクラウスに勘違いだったと言われて、ここから追い出されでもしたら、ルーチェはどうすればよいのだろう。実家に帰るという選択肢は最初からあり得ない。

 なら今のうちに少しでもクラウスの機嫌をとって、追い出された時に少しばかりのお金か、働く口を紹介してもらおうとルーチェは考えた。


「奥様、夕食の時のお召し物はいかが致しましょう。お好きな色などはございますか?」


 よろしければ何着か持って参りますと、ノーラが話しかけてくる。ドレスを選ぶ時、好きな色など聞かれたことなかったと、ルーチェは眼を瞬かせた。

「好きな色、……橙色かしら」

「ではその色のドレスを何着か持って参ります」


 お湯から上がった後も、ルーチェは丁寧に扱われた。荒れた指先に丁寧にクリームを塗られ、髪も整えられ、化粧もした。鏡に映る自分が、信じられないくらいに変わっていた。

「よくお似合いですわ、奥様」

「首元が寂しいので、何か装飾品をつけてはいかがですか?」

 メイドたちが勧めるアクセサリーを身につけたが、宝石の大きさに目眩がしそうだった。まさかこれも、自分のために用意したとは言わないわよねと、ルーチェは助けを求めるようにノーラを見た。その視線を受け、ノーラは静かに頷く。

「奥様に似合うだろうと、一昨日にご購入なされました」

 一昨日だなんて、父が結婚を承諾する手紙を出した日ではなかろうか。


(手紙を受け取ってすぐに買いに行ったの? このアクセサリーを?)


「他にも何種類もございます。奥様、趣味でないものははっきりと、旦那様に遠慮なくおっしゃってくださいね」

「は、はあ」

「でなければ店ごと買ってくるかと思われますので」

「店ごと!?」


(……じょ、冗談よね?)


 ノーラは真面目な顔のまま立っている。冗談を言うような雰囲気でもなく、ルーチェは深く考えるのはやめておこうと思った。



***




「ルーチェ、着飾ったあなたは本当に綺麗で可愛らしくて、……ああ夢にまで見た天使のようだ」


(……ほ、褒めすぎでは!?)


 夕食の席で再び顔を合わせたクラウスは、両手を合わせて感激した様子で声を上げた。こんなにも褒められたことがないため、むず痒いような恥ずかしいような気持ちでルーチェはいっぱいになった。特別美人というわけでもないのに、クラウスは延々と称賛の言葉を並べている。

 これが心もこもっていないようなものなら辟易するのだが、頬を染めてうっとりとしているクラウスが、演技をしているようには見えなかった。もし本当に演技だったとするならば、彼は人を騙す天才だろう。

 そんな事を考えていると、テーブルに夕食が運ばれてくる。どれもルーチェの好きなものばかりが並んでいた。


(入浴の時ノーラに聞かれたから、答えたけど……。まさかそれが全部出てくるなんて)


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