【短編】魔法少女は辞められない〜お狐様と憐れな男の噺〜

水定ゆう

第1話 焦る男

 男性は深い山の中に居た。

 慌ただしく下山しようとしており、坂道を危なく走っている。


「はぁはぁはぁはぁ……」


 分け目も振らずに走って行く。

 細かな木の枝が服の袖を引き裂こうとしていた。

 それでも決して止まることはなく、男性は汗だくで走る。


「うわっと!」


 男性はついつい転びそうになってしまった。

 坂道を走って下ろうとしているのだ。

 何処かで足を躓いてもおかしくないが、足首を捻りそうになっても、立ち止まらない。


「クソ、どうなってるんだよ!」


 男性は何故か周りを気にしていた。

 キョロキョロと周囲を見回す。

 しかし誰も居ない。誰も聞こえない。

 獣の一つにも追われることはなく、男性はたった一人だった。


「やっぱ誰もいないよな。いないんだよな?」


 しかし男性はジットリとした汗を掻いている。

 額からだけではない。山には不適切な薄いカーディガンにも汗が付着する。

 完全に舐め腐った格好で、界隈の人じゃなくても怒られるだろう。


「クソ、本当になんなんだよ!」


 男性が何に驚き、何に恐怖しているのか。

 そんなもの本人にしか分からないのは当然。

 しかし誰にも分かってもらえないし、口にもできない。そんな恐怖がすぐ真後ろに迫っていた。


 ピチャピチャ!


「ひやっ!?」


 男性はまた変な音を聞いた。

 ずっと聞こえているこの不気味な水滴の音。

 全身が凍り付きそうになると、ゆっくりと音が近付く。


「ふざけんなよ。なんで俺が……俺がなにしたんだよ!」


 男性は山に来ただけ。山に一人で・・・来ただけだ。

 それなのにこんな目に遭うなんて聞いていない。

 この辺りの山に来るのは初めてで土地勘なんてなかったが、気色が悪くて気分が害する。


「さっさと下山するか」


 そう思って山を降りようとする。

 しかしかれこれ一時間。一向に麓に辿り着けない。

 午前中に山に入ったが、午後になっても降りられないので、頭が壊れそうになる。


「クソッ、クソが。早くこの山から下りねぇと」


 男性は苛立っていた。

 得体の知れない何かに付けられている。

 そんな偶像も錯覚も今では現実なのではないかと自分を疑い締め付けていた。


 ピチャピチャ!


「またかよ。もういい加減にしてくれよ」


 男性が歩き出すたびに、音は何度で聞こえる。

 男性のことを付けているみたいだ。

 その度に足早になってしまうが、水滴の滴る音も、後を付けてくる。同じ速度なのでキリがない。


「俺がなにしたんだよ。俺が、俺は、俺はな!」


 男性は目を瞑って走り出す。恐怖心で耳も塞ぐ。

 一体何が起きたのか、何があったのか、そんなの知らない。

 危ないことをする男だった。しかし男性は目の前に誰もいないことを知っている。だから危なくない、そう思ったのだが、何かに当たる感触がした。


 ドスン!


 男性は弾かれてしまった。

 地面に尻餅を付く。

 痛がった様子で乱暴な言葉が出る。


「危ないだろ! 俺の道を邪魔するな……?」


 男性が目を開けた。すると立っていたのは美しい女性。

 しかしただの女性ではない。何故か羽織を着ている。

 頭からは狐の耳をお尻からは狐の尻尾を生やし、如何にも化かされたと、男性は言葉を飲んだ。

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