【短編】女人禁制とされる場所の話(2/2)
「何しに来たんや、あんたら。」
神主さんは夫である部長と秋江さんを睨みながら、開口一番言い放った。
実は数日前にこの神社にA子さんのご家族があの日の出来事に関してクレームを言いに遠路はるばる訪れたという。
「おたくの神社を参拝したら、うちの娘がおかしくなったぞ。どうしてくれるんだ。」
無論、明らかに悪いのは女人禁制の掟を破ったA子さんである。………にも関わらず、事件が常識の範疇を超えた科学的な説明が難しいものなので、結局神社側が非を認めて多額の賠償金を支払うこととなったそうだ。
そんな騒ぎがあったので。あの時同行していた秋江さんの顔を見た途端、怒りが湧き上がってきてしまった。ピリピリした空気が漂う中、神主さんに向かって部長は土下座をした。秋江さんも倣って、あの日の愚行を詫びた。
「なぜ禁忌を犯したわけでもないのに、土下座までしたのですか?」
「本当に気の毒だったの、神主さんが。あの犬真似のことについて聞くためってのもあるけど訪れた目的としては、謝罪が主なの。」
他人がしでかした過ちのために誠意を見せれる人など、この世界にどれ程いるだろうか。それができるのは、その人の人間性が成せる技でしかないのかもしれない。
謝罪を見た神主さんは誠意を感じたのか、二人を社務所に通した。加えて、A子さんと秋江さんに対して女人禁制の理由についてきちんと説明できていなかった点も謝罪したという。
そしてついに、彼の口によりこの山の不可解な現象について語られることとなる。
*
この山は古来より神聖な土地とされていた。
というのは、女人禁制とされている区画は野生動物が生息していない。言うまでもなく昆虫も生息していないのだという。
古墳時代から平安時代に至るまでは、人々は動物が寄り付かない、得体の知れないこの地を畏れ、近づくことはなかった。やがて平安時代になると、この土地の調査が行われた。神社で保管されている民部省の判官の記録によれば、
◆件の区域付近、ひいては山中において雄の獣を見るが、雌の獣を見なかった。昆虫においても例外ではない。
◆件の区画内で適当な場所の草を抜き取ってみたが、翌朝その場所へ訪れると元通り何事もなかったかのように草が生い茂っていた。
といったことが綴られている。
そんな異常さから、この地に陰陽師を招いて神社を建設し、得体の知れない何かを神として祀ることとした。そして『雌の生物が生息していない』ことから( 先述の神道においての『血穢』による女人禁制の考えも踏まえて )女人禁制の掟を発足した。件の区画には高い木の柵を建てて一面にしめ縄をくくりつけた。
時は進んで江戸時代の寛永12年、西暦でいう所の1800年。日本史上の出来事だと、伊能忠敬が日本地図を作り出した頃。平安時代以降、再び江戸幕府の役人がこの地を調査した。農民や神社の神主などから、女人禁制の話を聞いた役人はある実験を行う。
「どうせ古臭い迷信であろうに。」
「ならば、雌の野兎を一匹。女人禁制の地へ放ってみようではないか。」
どこぞで捕まえた雌の野兎を一匹。ジタバタと暴れる野兎の首根っこを手で掴んで、柵の外から中へ手鞠を放り投げるように入れてみる。「さぁ、何が起こる」と反応を待って数分経つと、柵の中から甲高くやかましい野兎の叫びが聞こえてきた。野兎の悲鳴は先程捕まえた時よりも激しい、空気を切り裂くような、赤ん坊の泣き声にも聞こえるような声色で叫んでいた。野兎の叫び声はやがて弱々しくなり、息遣いだけが微かに聞こえて何も聞こえなくなった。
役人が柵を乗り越えて様子を確認してみると、野兎は口から血を吐いたまま、目を見開いて冷たくなっていた。
「やはり、農民達の訴えは誠であったか。実に気味が悪い。」
信じがたい出来事に野兎の死体を持って帰る気にもなれなかった。と、手記には書かれていたそうだ。「あの山の土地は異常である」と調査を行った役人たちは町奉行へと訴えた。ところが町奉行は聞く耳を持たず、彼らに驚くべき提案をしてきた。
「罪人の娘を一人、その地へ連れてゆけ。それにより娘が絶命すれば上様への報告を検討しようではないか。」
役人達は少し躊躇ったが、立場ゆえ下手に反抗もできないので町奉行の提案を飲むことにした。そして、彼らの元に10両もの窃盗と、放火や殺人を繰り返していた若い娘がやって来た。両手を縛られ、口と目を白い布で巻かれている。上半身裸で乳房を露呈し、「んーっんーっ」と唸りながら、右も左も分からず役人に手を引かれて前を進む。
入山から数分。柵の前までやって来ると、数人がかりで女を中へと投げ入れる。野兎の時とは違って体が大きく激しく暴れたので、柵の中へ入れる際に、同行していた役人のうちの一人が娘と一緒に入ってしまった。
「さぁ、何が起こる」と反応を待って数分経つと、中から女の叫びが聞こえた。野兎の時とは違って、人間の場合は獣のように咆哮した。空気の振動がこちら側にも伝わってくる。
「人では死なぬのか。一体何が起こっておるというのだ。」
しばらくして、柵の中から取っ組み合いをする音が聞こえてきた。乱闘はだんだん激しくなり、遂に役人が大声をあげて柵の外の役人達に助けを求めた。
「助けてくれぇ、喰われちまう!」
他の役人達も柵の中へ入って見た光景に、一同は戦慄する。二人の足元には乱暴に千切られた縄と目隠し用に巻かれていた黄ばんだ白い布切れが落ちている。
罪人の娘が役人の首元に噛みつき、野犬が屍の肉を食むように貪っていた。噛みつかれた役人の顔は血飛沫で真っ赤になっている。娘の顔も返り血で真っ赤になり、血走って見開いた眼で瞬きもせずに狂ったように首筋を貪っていた。
眼前の地獄絵図に堪らず、役人の誰かが腰に携えていた打刀で、娘の頭を力一杯に刺した。役人の体が娘の両手から解放されたところで、次いで首を斬った。
首筋を貪られた役人は、出血量が酷く徐々に弱っていき、以前の野兎のように静かに息を引き取った。幸い、この時は調査に同行する役人が多かったので、死んだ役人と娘の死体を奉行所へ運ぶことが容易だった。
「女人があの地へ入ると、物の怪が憑いたように成り果ててしまうのか。承知した、直ちに上様に報告するとしよう。ご苦労であった、貴殿らには大層な褒美をとらそう。」
こうして、あの場所の女人禁制が正式に幕府から認められることとなった。幕府政治が終わった後の明治5年、西暦1872年の大政官布告第98号により、
『神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス』(※神社仏閣において、女性も登山や神社参拝を認め、女人禁制を廃止する)
と定められても、この神社は女人禁制制度を貫き続けた。そして、現在まで至る。
*
次に神主さんはこの神社で行われている神事について語り出した。
A子さんが男装までして女人禁制の区域へ侵入したあの日、山の神社ではあることが行われていた。正確にいえば、インターネットにも画像が載っていた、神社裏での滝壺で行われている神事のことである。
禊。身に罪や穢れを纏ったもの、また神事に従事するものが、川や海の水で身体を洗って清める行為。有名なところでは、静岡県沼津市の『厳冬海中みそぎ祭り』や北海道木古内町にある佐女川神社の『寒中みそぎ祭り』が挙げられる。一般的には褌を着用するか、白装束を羽織って入水するが、中には福岡県沖ノ島の宗像大社や、徳島県海陽町の轟神社で行われる禊のように何も着用せず、全裸の状態で行う事例もチラホラある。これらは決まって、女人禁制のもとに神事が執り行われている。( 時代の流れで褌を着用にするようになった例もある )
この神社の場合は後者。つまり、全裸で禊を行うものだった。意外にも禊の神事で身を清めに来る参加者は多く、特に若いスポーツ選手が戦勝祈願のためによく訪れているという。最年少の参加者で15歳、スポーツの強豪高校の生徒なども参加していた。
「その神事がA子の異変とどういう関係があるのでしょうか?」
女人禁制の謂れを聞いた後、神主さんは間髪入れずに続けて禊の話をしたので秋江さんは呆気に取られていた。率直に浮かんだ疑問を何のけなしに尋ねてみる。
「あんた、同じ女なのに分からんのか。覗きに行ったんだよ。神様じゃあなく、若い男のアレを拝みにな。」
裸、男、という単語が出てきた時点で秋江さんは察しがついていた。半ばその疑いを信じていなかったが、まさか本当だったとは。
思えば、A子さんは「女だからお咎めはないだろう」という理由で様々な問題行動を起こしていたのだという。これに関しては悪行を繰り返すうえで尾鰭がついた、単なる噂話程度だと思っていた。
「A子が男子更衣室やシャワールームを盗撮して、アダルトサイトにアップロードしているらしく、それを高校の頃から続けている。」
別にA子さんだけじゃなく、男女間において裸やプライベートゾーンの認識については大きな差異があるような気がする。
「すごい筋肉ですね」と女性が男性の体について指摘する分については問題ないけど、逆に男性が「素敵な髪型だね」「スタイル良いね」と言おうものならセクハラだと訴えられる。
男子小学生の全裸がテレビに映るのは全然問題ないけど、女子小学生の場合は「女の子が可哀想じゃないか、これは児童ポルノだ」と本人らの意思に関係なく、怒りの声があがる。
男子は男らしく堂々と廊下で着替えなさい。トイレで着替えるなど言語道断。女子は男子に見られちゃったら可哀想だから更衣室で着替えましょうね。など、あくまで例ではあるが。
「男は別に良い、女は可哀想だから駄目。」
A子さんはそう信じて疑わない。都合のいい時だけ女性という立ち位置を盾にする。「女性が可哀想」という強引な言い分で。
「そう言えば、出かけるたびによくハンディカメラ回してたね。もしかしたらそのカメラには禊を盗撮した映像が入っているのかも。」
神主さんの話からとんでもない憶測を立ててしまっている自分がいる。もしもそれが本当だとしたら………。
仮にそのビデオが本当に見つかったとしても。
秋江さんは別に見たいとは思わなかった。無断で他人の裸を撮影したものなど見れない、という理由もあるが、正直怖かったという。その映像を見ることで、女性である自分の身に何かあったら………犬のように這い回って精神病院に入ることになるのではないか。
そしてもう一つ。秋江さんは恐ろしい憶測を立てた。江戸時代に連れられた女の罪人は女人禁制の区域へ入った途端、凶暴化して役人の首を貪った。それは恐らく、目隠しをされた上に身体がボロボロで極限状態にあったため、犬が憑いたようになるだけでなく、内なる凶暴性が増長したのではないか。
A子さんが犬のように豹変したのは、三人で食事をした後。比較的平穏な状況だった。もしも彼女が体調不良だったり、何かしらでストレスが溜まっている状態で豹変していたなら………自分も、そして旦那も彼女に身体を貪られていたかもしれない。骨一つ残らず、全部。
「思い出しても、鳥肌が止まらないね。」
秋江さんは語り合えると一息ついた。
そして、この怪談における締めとしてこうまとめた。
「確かに怖かったけど、学んだことは多かったんだよね。女性という立場、男女平等という言葉を悪用しちゃいけない。男女間で壁を作らなきゃいけない時もある。あの、女人禁制の山を良い例にね。」
こうして私は、男女平等に対する考えは一新されてしまった。
男女平等は必要ないんじゃないか?でも、今改めて思い出すと『ご都合主義の男女平等は必要ないんじゃないか?』である。男女平等は時として、良い相互作用を生み出すこともある。
実際、男性がやるべき力仕事と謳われてきた職業を女性がすることによって、ただでさえ少ない現場作業の人材確保の幅が広がったという例だってある。
なんでも過剰に否定するのは良くはない。何かにつけて『女性が可哀想』と過剰にごねるA子さんを例に出せば分かることである。
従妹の高校で行われている男女合同の体育じゃないけど、『ちゃんと男子と女子の両者のことを想像して』みることが大事ではないのだろうか。否、性別というより、一個人として向き合うことこそが大切な気がする。
*
………とはいっても、甲信越地方に所在するその神社及び山林の区域は例外である。その掟は過去の調査記録に基づいたうえでの判断。女性差別を助長しているものでは断じてない。
本当に危ないから、近寄るな。
化学技術が発達した2024年現在でも、『雌の動物が絶命したり、狂ったりする』明確な原因が解明されてないのだから。
だから、甲信越地方に出かける予定のある女性の方々。どうか、どうか。
【注意勧告】女性の方は絶対に行かないでください。
《完》
【短編】女人禁制とされる場所の話 佐藤莉生 @riosato241015
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