【短編】女人禁制とされる場所の話
佐藤莉生
【短編】女人禁制とされる場所の話(1/2)
最近。職場の部長が私によく言うのが、
「結婚はしとくに越したことねぇぞ。」
恐らく、近年になって結婚しない人や、結婚こそするものの、子供を作らない人が多くなっていることを危惧しての発言だと思う。
部長の焦りは分かる。このまま婚姻率や合計特殊出生率が更に低下していけば、日本の社会は維持できなくなる。現役世代よりも高齢者の割合が上がっていくことにより、労働力や経済的な負担はのしかかり続ける一方だ。社会の均衡は徐々に崩れつつあるのかもしれない。
「でも最近は女嫌いになりそうでさ。女の人の嫌な部分を知りすぎちゃったというか、付き合うのすら怖いよ。」
部長との会話を聞いてか、先輩が私に向けて言った。あまり口外したくはないが、私の先輩である名塚さんはアラサーに突入した現在、まだ独身のままだ。理由は先述した「女嫌いになりそう」ということだが、そうなったきっかけは2020年代あたりから見続けているYouTubeのとある動画だという。
その動画は、『日本が女尊男卑社会である』ことを実際のデータに基づいて、漫画で訴えている動画だった。『男女平等は必要ない、ある程度の区分は必要だ』そのチャンネルが掲載している動画の最後では、必ずこのテロップが現れる。
「確かに、そうかもしれませんね。」
私自身も以前、男女平等を良しと考えていた。だが一年前。小学校時代以来、久しぶりに再会した私の従妹からとある話を聞いて、その考えは一新されてしまった。
私の従妹が通う高校では、ありとあらゆる面で男女平等を目指す教育方針を掲げている。その一環として、体育の授業は男女混合で行われるのだという。この方針に、最初は従妹自身特に何とも思っていなかった。
………とは言ってもやはり問題はすぐに発生した。その日、従妹のクラスでは男女混合でバスケットボールを行っていた。トイレへ行っていて席を外していたタイミングで起こった出来事なので分からなかったが、コートへ戻ると女子生徒が床にへたりこんでべそをかいていて、男子生徒が体育教師に叱責されている。
「何か、あったの?」
「パスするつもりで投げたボールが顔に当たっちゃったみたい。」
「不幸な事故だね。で、先生は何をあんなに怒ってるの?」
「女を泣かすなって。男なんだから手加減してやれってさ。でも男女混合でバスケなんかやってたら、こうなっちゃうのは仕方ないんじゃないかな。」
実際その男子生徒は女子生徒に私怨があった訳ではないので、わざとではなく偶発的に起こってしまったことなのだ。大意なんて微塵もないし、女子生徒も泣くほど痛がっていたが、その男子生徒を責めるようなことは一切しなかったという。故意ではないので、冷静に考えれば教師に怒られる筋合いはない。………はずなのだが、「女の子が可哀想」という大義名分の元に叱責を受けた。
騒動の後日談として、その女子生徒の母親は市の教育委員会に問い合わせたという。
なぜ、男女一緒に体育をするのか。危険が伴う可能性はあるのにどうして教師は止めないのか。返ってきた答えとして、
◆文部科学省の学習指導要領で体育の授業は男女共修することが原則として定められている。それから外れたことをすると『市から指導が入る』ので、現場では教師の判断でやめさせることができない。
◆男女でも怪我のないよう、指導するようにはしているが、授業を通して『男子に力加減を覚えてもらって』いる。大人になってから、男女でスポーツを行うための練習として。
◆男女共生社会を築くために体育を通して、『男が強くて女が弱い』固定概念を払拭していく狙いがある。
とのこと。
それを聞いた従妹は「何を言っているのか分からない」と思ったそうだ。私のみならず、これを読んでいる何人かの方もそう思っていることだろう。
『男子に力加減』をさせておいて、『男が強くて女が弱い社会を払拭』とは随分矛盾した話である。まるで女性をヨイショして、強く見せているようなものだ。こんな茶番めいたことで成立する、見せかけだけの『男女平等』は無いほうがいい。
そもそも性別による体力差を理解しておらず、それによって何が起こりうるかを把握せず、怪我をさせたら『とりあえず体力的に力が勝っているらしい男子が悪い』ことにするのだから溜まったものじゃないはず。これでは男子も、女子もスポーツを心から楽しめないのではないか。惨めな気持ちになるのは男性か、女性か、考えなくても分かる。
「男子は女子を怪我させちゃって悪者にされるのが怖くて、女子は男子とのスポーツで怪我してしまうのが怖い。やっぱり、男女間の区別って大事なんだよね。なんでもかんでもジェンダー平等を持ち込んじゃいけないんだってば。結局、出た弊害は全部男の人が悪いってことで片づいちゃう訳だし。」
この話から私は男女平等に関する考えがぐらつき出した。更に、部長の奥さんからこの気味の悪い話を聞いてそれが確信に変わったのである。「男女平等は必要ないんじゃないか?」と思うようになった、すごく不気味な話。
*
部長の奥さん、秋江さんとは昔、カラオケのアルバイトで一緒に働いていた。私にとってはベテラン中のベテランに当たる方だ。
とても気さくなおばちゃんで、嫌味な感じは全くしない。積極的に職場へ貢献し、私も何度か病むを得ず仕事を代わってもらったこともあった。加えてコロナ禍で就職難だった頃、現在の会社へ就職できたのは秋江さんのお陰でもあるのだ。その経緯を話すと長くなるので、この場では割愛する。とにかく、彼女は私の人生にとって観音様のような高貴な存在である。
そんな秋江さんはパワースポット巡りがマイブームだったという。だった、という言葉の通り、大学時代から社会人になって2〜3年は続けていたのだが現在はキッパリやめたという。それもこの奇怪な体験が絡んでいるのだが。
「あれは1997年の頃だったね。当時、山形の出羽三山で女人禁制が解禁されたって知って、それに便乗して女人禁制って言われる場所にこっそり行ってみない?って友達に言われたんだよね。」
その友達の名前を仮にA子さんとする。
A子さんは秋江さんと大学生時代から親交があった。高飛車な性格で、破天荒な生活を送っていたが、いつも自分の一歩前を歩いていた。何よりもパワースポットが好きという、共通の趣味を持っていたので、知り合った当初は友達を見つけられた気がしたと当時を振り返る。
さて、A子さんが潜入を目論んだ女人禁制の場所というのは、甲信越地方のとある山の中に佇む神社だった。観光ガイドブックにもさらっと紹介されており、立派で雰囲気のある社殿と裏の小道の奥にある見事な滝の写真が載っていた。荘厳な雰囲気から、秋江さんも是非行ってみたいと言った。
「でも、女人禁制とされている山中の神社までは行かずに参道の入り口までね。神聖な雰囲気を味わうだけ。さすがにルールを破って神様を怒らせたら大変だからね。」
*
ここで、女人禁制について簡単に紹介する。
由来としては、日本に仏教が伝来する前にあった神道における女性の『月経や出産の際に流れる血』の穢れ、いわゆる血穢の観念から影響を受けたものとされる。
月経や出産によって血穢に触れた女性は、『一時の間だけ、神社参拝や神事に触れることができなくなる』というもの。
また、平安時代初期の法令『弘仁式』では出産の血穢について明文化され、更に同時期に作られた『貞観式』では、月経の血穢について明文化されている。いずれも律令の補助法令で、作る際に参考とした、古代中国の触穢の考え方から影響を受けたものと考えられている。女人禁制は『古代世界に渦巻いていた様々な考え方』から影響されて生まれたものだといえる。
その他の民俗学的な理由としては、山には魑魅魍魎が住み着いていて「危険だから」という理由もある。危ないから、子供を産む女性は近づいてはいけない。そのため、修験者が山を修行の場として選ぶのは、女性がいないことで煩わしさが無くなって、真剣に自らと向き合うことができるからだという。
また、文明が発達していくことで信心深い女性たちが修験者を頼って入山しようとすることが増えた。修行の妨げとなって困った修験者たちは結界石を置いて女性たちが入れない場所と定めて、その外側に女人堂を建てて説法を行うなどした。
その結界石を置いて禁足地の範囲と定めたのが、女人禁制とされている場所の謂れではないかという考えもある。「修業の妨げ」となる女性を近づけさせないように。
*
と、こんな感じに。
神社への登山道に向かおうとしたところ、高齢の神主さんに注意と、先述のように女人禁制について説明された。秋江さんが「とても勉強になりました」と感心する一方、A子さんはやはり不満を隠せない。何がなんでも神社へ辿り着きたいようだった。
「そんなの、このご時世に通用する訳ないですよね?それって女性差別じゃないんですか?ねぇ。それとも、ここまで女性が辿り着くの大変なのが分かった上で言っています?貴方には女性を労るつもりで、参拝させてあげようとか思わないんですか?」
先述したように、A子さんは高飛車で破天荒な一面があった。悪く言えば厚顔無恥、良く言えば物怖じしない度胸のある人。頑なに女人禁制だと訴える神主さんにも喧嘩腰に「女性差別」と繰り返し、自身を入山させるように凄んだ。
「さすがに行政に訴えるって言い出した時はヤバいなって思って止めたよ。結局、私達は帰ることにしたんだけどA子がねぇ………。」
今思えば、あの日のA子さんの格好は少し異様だった。秋江さんはそう振り返る。
迷彩柄のパンツと上着、帽子やバックまでもが同じような柄だったそうだ。山林に隠れたら間違いなく見つけられないような、まるでカモフラージュ訓練をする自衛隊のような出立だったのである。加えて髪もバッサリ切っており、一見だけするとまるで男性のように見えた。
「もういいわ、アタシだけ参拝してくる!秋江は麓のバス停で待っててね。あんたが一人だけ残ってたら、あのジジイに怪しまれるから。」
そう言ってA子さんは再び鳥居をくぐり、神主さんの目を盗んで社務所を通り過ぎ、件の女人禁制の山道へと入っていった。秋江さんは別に彼女を止めはせず、知らんぷりを装って石段を降りて、麓のバス停まで戻った。
ちょっと異常だったけど、何だかんだ言って信心深い性格なんだろうなぁと。単純にそう、思っていた。
「A子は神主さんの目を盗んで、男装までしてさ、あの山の神社へ参拝しようとしていたんだよね。」
いくらパワースポットとはいえ、禁忌を犯してまで何が見たいのだろう。その場所には荘厳な社殿と裏手の滝には、A子さんを感動させるような何かがあるのか。いや、それ以外にも何かがあるのかもしれない。
「4時間ほどした頃かな。バス停で待っていると、A子が木の葉を被って戻ってきたの。服やザックも汚れてて、遭難でもしたのかって思えるくらいに。」
身なりはとても酷かったが、とにかく無事で良かったと胸を撫で下ろす。二人はそのまま、バスに乗って無事帰路に着いた。それから一年近くは何事もなかったそうだ。結局、あの山の女人禁制は時代遅れの風習なんだ。
「そう思っていたんだよ、あの日までは。」
秋江さんの顔から笑みが消える。目は窄んで、瞳孔から光が無くなったような印象。
秋の暮。その日、秋江さんと夫である部長はA子さんを自宅に招いた。パーティーとまではいかないものの、三人で鍋を囲んで楽しく歓談していた。
鍋を完食し、ひと段落してみんなで後片付けをすることとなった。A子さんが丼をシンクへ運んでいた時、ガタッという音がした。秋江さんは振り返って音のした方向を見やると、床にはプラスチックの丼が3つ転がっている。A子さんが何かの拍子に誤って落としただけか。秋江さんはすぐに作業を再開した。
が、再びA子さんを見ると何かがおかしいことに気づく。肘を曲げて両手を前に出したまま、動いていない。丼を運んでいる時の状態のまま、石像のように固まっているようだった。
異変に気づいた秋江さんがA子さんに近づくと、他にも異変を発見した。お面のように表情が動いておらず、目を見開いたまま口からよだれをダラダラ垂らしている。足元を見ると、涎の水滴が床に落ちていた。怖い反面、勇気を振り絞って秋江さんはA子さんに声をかける。
「ちょっと、大丈夫?」
その刹那。秋江さんは驚きのあまり、尻餅をついた。一体何が起こったのか。
秋江さんが、固まったA子さんの右肩に手を乗せた瞬間、A子さんは犬が吠えるような大声をあげた。そのまま、体を震わせながら床に手をついて犬の真似をするかのように、四つん這いでリビングをうろうろし出した。
「昔に何かのテレビ番組で犬に育てられた少女って見たことがあるんだけど、まさしくA子はその状態になったの。芸人さんがやる物真似なんかじゃなく、本当に犬だった。」
目つきが異様で、舌を出してハッハッと荒い呼吸をする。それでいて、二人の存在をまるで気に止めていないようだった。犬真似をするA子さんはリビングを這い回り、やがて失禁をしてもその奇行が止まることはなかった。異常事態と察した部長は救急車を呼んで、A子さんは犬真似をやめないまま、病院へ運び込まれた。
「あの時はすごかったよ。私達の他にもA子の家族なんかも来て、大騒ぎだったよ。しきりに何があったか聞かれたね。でも、あの女人禁制の神社に行ったぐらいしか言えなかったんだよ。結局、そのまま精神病院に入院することとなって現在に至るって訳なのよ。」
「面会はなさってるのですか?」
「しなきゃいけないってのは分かるんだけど、正直もう会いたくないんだよねぇ。怖いっていうのもあるし、それに………」
「それに?」
「今思うと、A子とは関わるべきじゃなかったのかもね。確かに一人ぼっちだった自分に声をかけてくれたのは本当に嬉しかったんだよね。でも、後で知ったんだけど私はA子に友達と思われてなかったみたいで。」
秋江さんはA子さんとはパワースポット巡り以外でも食事会などで一緒になることがあった。
その食事会には二人以外にも参加者が複数人いて、A子さんのような派手な印象の女性ばかりだった。行く店もそこそこ値段が高いオシャレなレストランが多かった。遠慮がちに食事にありつける秋江さんを尻目に、A子さんとその女性達は騒ぐようにお喋りをしていた。会話に入れてもらえなかった、というよりは話題に乗っかろうとしても無視をされたと言う。その様子をA子さんが咎めることも一切無かった。
極め付けはお会計を全額負担されることだった。ギリギリ払える金額ではあったが、この食事会はかなりの頻度で行われていたので秋江さんの懐は常に寒かった。どれだけアルバイトを掛け持ちしても、A子さんの食事会が開かれることで貧窮してしまう。パワースポットに突然行きたいって言い出せば尚更。
大学のレポートだって、ほぼ自分が作成したものを丸写しされる。その度に自分が一から作り直さなくてはいけなかった。行きたくないのに、合コンに無理矢理参加させられたこともあった。余りものにされ、アルコールが回っていたせいもあるのだろうけど自身をボロクソに貶された。
「こいつ、オッパイ小さいし下の毛もボーボーでさぁ。相手しない方が良いって。ほら、隠し撮りもしたけど見る?」
「あの子?ただの勘定係。いないもんだと思って良いよ。あんなのより私と仲良くした方が楽しいわよ?」
好い男とやらとマッチするための踏み台にされた。そのことを指摘されても「覚えてないや、なんか悪いね」で終わってしまう。
「私はただひたすらに我慢していたんだよ。友達っていう名目で、嫌な気持ちを押し殺してね。関係を断ち切る度胸があれば良かったんだけどねぇ……だからA子が精神病院に入ったのをきっかけに交流は絶つことにしたの。もちろん、A子のご家族や友人達とも関わりはなくなったね。」
とはいっても、秋江さんも旦那もあの日の奇怪な出来事が何なのか気になっていたので一ヶ月後に二人で件の神社へ再訪した。神主さんに女人禁制とされている謂れについて尋ねた。
秋江さんはそう言って、あの日の後日談。ひいてはあの神社のことと、女人禁制の地で行われていたことについて語り出した。
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