第16話
アンジェリーナがスルティア皇国に一時的に帰還する日がやってきた。
たくさんの騎士たちや侍女に皇太子のアンドレイも付き添いで一緒に行く。大学部には入学をしないと学園に報告に行くのと第二皇子のアンソニーと婚約をやり直す事をしないといけないのだ。
後、スルティア皇国皇帝夫妻に今までの世話になったお礼を述べる事も忘れてはならない。帰ってきたら、戴冠式と結婚式が待ち構えている。気は抜けなかった。
アンジェリーナは一人で思い出しながら重いため息をついた。
身支度と荷物の整理を終えてアンドレイと同じ馬車に座る。ジェマも今回は同行する事になった。アンジェリーナはそれに安心していた。
荷物を後続の馬車に積み込むとジェマはそれに乗った。アンドレイの侍従も同乗している。騎士たちは第一騎士団の団長を筆頭とした精鋭ぞろいで父王が特別に同行させてくれた。アンジェリーナは大げさなと思ったが。父王は唯一の王位継承者の娘であれば、当たり前だと譲らなかった。
「父様。いくら何でも目立ちすぎだわ」
一人でぼやいているとアンドレイがおいおいと言いながらたしなめてきた。
「アンジェリーナ。父君に対してそれはないだろ。まあ、気持ちはわからなくもないけど」
「それでもよ。アンドレイ様は良いですね。供をこんなに連れなくても賊と渡り合えるんですから」
「…珍しくやさぐれてるな。どうした?」
「だって。カトリーヌを追放してしまったのは私なんですから。それにカトレア様だって幽閉ですめばそれでよかったのに。毒殺されるなんて思わなかった。アルバート様にしたってそう。私、皆を怪しいと思っただけで追い込むつもりなんてなかったのに!」
アンジェリーナはいつの間にか気が高ぶっていたようで涙をボロボロと流していた。アンドレイはそれを無言で見守っている。が、彼は口を開いた。
「甘いな。そんなことを言っているようじゃ君主にはなれないぞ」
「甘いのはわかっています。それでも、今になってみたら途端に恐くなって。権力がこんなに恐ろしいとは思わなかったから」
「けど。一部の連中にとっては権力は口から手が出るくらいにほしいものだ。お前はそれをわからなければならない。国を背負うのはかなり重いものだからな」
「…くよくよしたって仕方ないですよね。でも、踏ん切りがつかなくて」
「別にくよくよしたっていい。今がそういう時だろ。王になったら滅多な事では泣けなくなるぞ」
アンドレイは優しい声音で言ってくれる。アンジェリーナは今だけはと声をあげながら泣いた。防音魔法を忘れないアンドレイだった。
アンドレイと二人で馬車に乗って半日が経った。アンジェリーナは瞼を真っ赤に腫れ上がらせている。顔はお化粧が剥げ落ちて大変な事になっていたが。
アンドレイは何も言わずに窓から見える景色を眺めていた。腫れぼったい目でアンジェリーナもそれを見ていた。
「…ジェマが見たら俺は殴られそうだな」
ふと、彼がポツリと呟いた。アンジェリーナはそれを聞いて小首を傾げる。
「はあ。私が勝手に泣いたんだと言えば、わかってくれると思いますけど」
「それでもだ。ジェマはお前が一番大事だからな」
いつの間にか、アンドレイの言葉遣いは素に戻っている。昔はアンジェリーナもあんた呼ばわりしていた。が、今ではそんな真似はできない。
あくまでも自分は客人の立場にある。保護をしてくれている国の皇太子となれば、偉そうな口はきけなかった。
「ジェマは確かに私によく仕えてはくれます。けど、一番大事とまではいかないのでは?」
「お前は鈍いな。ジェマはアンジェリーナがこの世で一番大事なんだと昔に俺に言っていたぞ。その上で俺が手を出したら締め上げるとのたまった」
「そんなことをアンドレイ様に言ったんですか。ジェマときたら…」
アンジェリーナは呆れ返ってしまった。何でアンドレイが自分に手を出すこと前提なんだ。それこそあり得ない。
スルティアにはアンドレイの最愛の婚約者、オリビア嬢がいるのに。ため息をつきながらアンジェリーナはまた、窓の景色を眺めた。アンドレイは苦笑いしながらジェマは思い込みが激しいなと言ったのだった。
あれから、夜になりアンジェリーナ一行はルクセン王国西部の街で宿をとった。中級の宿屋であった。アンジェリーナとジェマが同室でアンドレイと侍従も同様だ。
護衛の騎士たちも二人ずつで部屋をあてがわれる。この宿屋には温泉が湧いており、主人が露天風呂を勧めてくれた。ちなみに男風呂と女風呂とに分かれている。
アンジェリーナは部屋で荷物の整理を済ませるとジェマと一緒に露天風呂に向かった。髪を洗い、体も同様にしてからかけ湯をする。
「ふう。なかなかに熱いお湯ね」
「そうですね。けど、宿屋のご主人によると美肌や疲労に効能があると聞きましたよ」
「へえ。だったら入るわ」
アンジェリーナは美肌と聞いて足から浴槽に入った。ピリピリと熱いお湯特有の感触がする。それでも、ゆっくりと浸かれば体がじんわりと暖まるような感じがした。
「本当に良いお湯ね。少しとろみがあるというか」
「え。そうなんですか?」
「ええ。本当にとろみがあるお湯よ。ジェマも入ってみたらわかるわ」
「わあ。では、泡を流してっと」
ざあとジェマは浴槽のお湯を体にかけて泡を洗い流した。一通りすませると続いて入る。アンジェリーナの横まで来るとジェマはふうと息をついた。
「本当ですね。とろみがあって不思議な感じです」
「そうでしょう?」
「はい。これだったら上がる頃にはお肌がツヤツヤですね」
ジェマとアンジェリーナは二人ではしゃぎながら浴槽にゆっくりと浸かり続けたのだった。
お風呂から上がると二人で部屋に戻る。髪を自分でタオルで拭きながらアンジェリーナはベッドに腰かけた。
「良いお湯でした」
ジェマが言うとアンジェリーナも頷いた。
「そうね。お城にもお風呂はあったけど。露天風呂も風情があって良いわ」
「そうですよね。たまにはいいものです」
本当だわと言いながらアンジェリーナは手鏡をカバンから取り出した。乾いてきた髪をブラシで梳くためだ。
ジェマが気づいて近寄ってくる。
「アンジェ様。それくらいはわたしがやります」
「そうね。じゃあ、お願いするわ」
ジェマにブラシを渡していつも通りに梳いてもらう。手際よく髪を整えると再びカバンから薔薇の香油を出して塗り込んだ。アンジェリーナは柑橘系が好きなのだが。何故か、侍女長が「薔薇の香りもいいものですよ」と言って入れていたのだった。
アンジェリーナは文句を言わずにされるがままだ。その後、髪をハーフアップにしてもらってアンジェリーナは手鏡をカバンに戻した。ジェマも簡単に身支度を終えると食事をとりに部屋を出たのだった。
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