第8話

 朝食が始まるとアンジェリーナは早速、野菜のスープを掬って口に運んだ。


 アルバート皇太子の視線が突き刺さるようで痛い。

 気にしないふりをして食事を続ける。

 カチャカチャと食器が擦れあったりする音と人々の食べ物を咀嚼する音、息づかいしかしない中でアンジェリーナは黙々とスープを口に運び続けた。アルバート皇太子も喋る気がないのか、終始、無言であった。

 父王やカトレアがちらちらとこちらを見やる以外は皆、アンジェリーナやアルバート皇太子に目もくれない。

 侍従や侍女たちも無言のままで朝食の時間は過ぎていった。




 アンジェリーナがデザートのリンゴを皿に盛り付けてもらい、食べ始めた時だった。ふと、隣に座るカトリーヌがこちらを心配そうに見てくる。

「…姉様。後でお話があるんだけど。いいかしら?」

 アンジェリーナは食べかけていたリンゴを刺したフォークを皿の上に置いて考える素振りをした。

「…いいわよ。後であなたの部屋に行くわ」

「よかった。姉様、最近は体調が優れないみたいだったから心配で。じゃあ、後で疲労に効くハーブティーを用意しておくわね」

「あら、心配をしてくれてたのね。わかった、課題を早めに終わらせておくわ」

「ええ、そうしておいて。姉様の課題、なかなかの量だったものね」

 頷いてまた、皿に置いていたフォークを手に取る。先に刺してあったリンゴを口に運び、しゃくしゃくといい音を鳴らしながらアンジェリーナは飲み込んだ。

 カトリーヌは優雅に紅茶を飲みながら既に食事の後の一時を寛いでいた。隣のカトレアもデザートのオレンジを小さく切り分けて口に運んでいる。

 父王も果実水をゆっくりと飲みながら何か、考え事をしていた。カイルやアンリ、ウェルシスも果実水や紅茶を各々、飲んでいる。

 アルバート皇太子はというと素知らぬ顔で彼も紅茶を飲んでいた。その様は優雅そのものでつい、見とれてしまう。

 アンジェリーナは複雑になりながらもリンゴを黙々と食べ続けたのであった。




 朝食が終わり、アンジェリーナはカトリーヌと共に自室に戻っていた。課題は既に終わらせていたのでのんびりと疲れが取れるハーブティーを飲みながら、おしゃべりに興じている。

 カトリーヌは昼になるまで時間があるからと王女としての役務を休んで姉につきあっていた。やはり、同じ母から生まれてきた姉妹である。どうしても、弟たちよりも姉に感情が行ってしまう。

「姉様。アルバート様が来られてもう、一月が経つわね。もともとは体調を整えるための静養だったけど。よそでは留学も兼ねての滞在だともっぱらの噂よ」

「…本当?」

「ええ。そうよ。アルバート様はお体が弱いというのはお小さい頃までの話だとセドニアの侍女から聞いたわ。だから、体調がどうのというのは建前らしいの。本当は婚約者である姉様を一目見たかったらわざわざ、ルクセン王国に来たとか」

 あんまりのいい加減な理由にアンジェリーナは頬がひくりとなった。私を一目見るためですって?

 ふざけんなと言いたかった。

 アンジェリーナの表情がひきつったような感じになったのでカトリーヌは話題を変える事にした。

「あの、姉様。課題は終わったのだし。庭に出ない?」

「…庭に?」

 アンジェリーナが眉をしかめたので慌てて取り繕う。

「そう、庭に。今だったらそうね。薔薇でいうと薄桃色辺りが綺麗だと思うの。一緒に見に行きましょうよ」

「…わかったわ。今からでも行こうかしら」

 アンジェリーナがそう言って立ち上がるとカトリーヌも後に続いた。




 それから、一時間あまり、二人は庭の散策を楽しんだ。カトリーヌの言う通り、薄桃色の薔薇や夏の花ヶが見事に咲き誇っている。

 みな、瑞々しく咲いていて見ている側を楽しませてくれる。だが、アンジェリーナはすぐに妹のカトリーヌの手を引いて地面に素早く伏せた。

 ビュンと音がして二人の頭上すれすれをボウガンの矢が飛んでいき、下になったカトリーヌの足のすぐ近くに突き刺さった。アンジェリーナはすぐに探索魔法の代わりに狙ってきた相手の魔力を探した。

 だが、狙ってきた刺客の魔力はほんの僅かで見つけるのに時間がかかる。とりあえず、上にのし掛かる格好になっていたので下になって倒れていたカトリーヌから体をどかした。そして、再び意識を集中させる。

(どこかにはいるはずだわ。慎重に探さないと)

 立ち上がりながら、視線をふと、ある一角にやる。庭の自分から向かって右、西の方角に鋭い殺気を感じた。

 アンジェリーナはそこを睨み付けるとすっと、指をさした。すると、物陰に潜んでいた騎士や凶手が出てくる。アンジェリーナは普通の声で命令をした。

「…そちらに私達を狙った刺客がいるわ。後を追い、始末なさい」

 冷たい声で命じると素早く騎士達は剣に手を置いてすぐ抜けるようにしながら、逃げたらしい凶手の後を追う。皆が行ってしまうと辺りは静かになる。

「…カトリーヌ。大丈夫かしら?」

 声をかけながら振り向くとカトリーヌは青ざめた顔をしながらも頷いた。それを見ながら、怪我がないか確かめる。

 ひとまずは大丈夫そうだと安心するとカトリーヌに手を差し出した。

「立てるかしら?」

「え、ええ。大丈夫よ」

 そう言いながらもカトリーヌはアンジェリーナの手を振り払わずにそっと置いて委ねてきた。ぐいっと引っ張りながら、立ち上がらせてやる。

 カトリーヌはボウガンの矢が地面に刺さっているのを視界に入れたらしい。途端に、ひっと小さく悲鳴をあげた。

「…カトリーヌ。とりあえずは部屋の中に戻って。後、父様に私達を狙う輩がいると伝えてほしいの」

「…わかった。お伝えするわ」

 カトリーヌはしっかりと頷いて部屋へと戻っていった。アンジェリーナはそれを見送ると騎士達に刺客を追わせるために庭をまっすぐに突っ切り、はや歩きで父王のいる主殿に急いだのであった。




 アンジェリーナは父王の執務室まで一人で向かった。いくつもの宮を通り、主殿の三階に執務室があった。

 扉の前にたどり着くと深呼吸をする。

 ノックをすると中から返事があった。アンジェリーナは入りますとだけ告げて中に入り込んだ。

「…父様。早速で申し訳ないのですが。先ほど、私とカトリーヌの二人で庭園を散策しておりましたら。ボウガンの矢を何者かに放たれて。今、騎士たちに行方を追わせています」

 毅然とした口調で報告をすると父王は眉をしかめてアンジェリーナを見つめてきた。低い声で問いかけてくる。

「そうか。まさか、宮殿内で刺客が現れるとは。二人とも怪我はなかったのか?」

「私がとっさにカトリーヌを庇って回避させました。それで事なきを得ましたけど」

「…そうか。二人とも無事で何よりだ。が、お前たちが狙われたということは。国内の貴族たちの仕業か、もしくは異国の者の仕業ということになる。わしが思うにあれも関係があるやもしれぬ」

「…あれですか。もしや、カトレア様の仕業かもしれないと仰せですか?」

 アンジェリーナが暗に王が匂わせた言葉をはっきりと告げると。

 父王は咳払いをした。

「アンジェ。声が大きい。だが、カトレアは王位継承権一位の資格を持つお前や二位のカトリーヌを邪魔だと思っているようだ。いくら、王太子であってもカイルは第三子で長子であるアンジェよりは優先権が低い。それとわしがお前たち二人の母であるシェラの事を忘れず、未練を抱いているのが気に入らないのだろう」

「…母様は亡くなられています。だというのに、嫉妬をするだなんてカトレア様は誤解をしておいでです」

「…アンジェ。後もうひとつの可能性をあげるとしたら。セドニアの皇太子も候補にあがる。表向きはアンジェを欲していると見せかけて裏でお前の命を狙っているかもしれぬ。気をつけろ」

 簡潔に言われたがアンジェはわかっていると首を縦に振った。確かにその可能性もある。だが、妹のカトリーヌも様子がおかしい。もしかすると、あの子はアルバート皇太子や王妃のカトレアと手を組んで何かを企んでいるかもしれないと直感で思った。でなければ、アルバート皇太子が来て初日の夜に自室に忍び込めるはずがないからだ。

 何かがあるとアンジェリーナは頭の中で疑念を持った。




 あれから、三日が経った。アンジェリーナは妹のカトリーヌと別の部屋で休むようになっていた。

 カトリーヌを疑うとなると一緒の寝室で休むのはいただけない。だから、元々、使っていた自室で過ごすことを決めた。

 妹はそれについては何も言わなかった。アンジェリーナも好きにさせてもらうからと言ってカトリーヌの部屋には極力、行かないようにしている。

 その代わり、自分付きの兇手たちにカトリーヌやアルバート皇太子、カトレアの身辺を探らせていた。何かがあれば、対処するようにだけは命じて後は彼らの判断に任せていた。兇手たちは腕もいいが情報収集能力も優れている。きっと、何かを掴んでくるだろう。

 そう、思いながらアンジェリーナはゆったりと机の上に置かれた紅茶を口に運んだ。他には木苺のタルトが綺麗に切られて皿に盛り付けられている。

 紅茶のカップをソーサーに戻すとフォークで一口大にタルトを切り分けた。それを食べてみるとほんのりとした甘さと程よい酸味が口内に広がる。今飲んでいる紅茶はダージリンで意外と木苺のタルトと合う。小さな発見にアンジェリーナは一人で微笑んだ。

 二口目を切り分けて再び、食べようとした。その時に自身に呼び掛ける声がする。

「…アンジェ様。兇手のリョウです。少しよろしいですか?」

「…リョウ。ええ、いいわよ」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 天井から音もなくリョウが現れた。

「…姫様。セドニアの皇太子について

 わかったことがあります。皇太子は密かにセドニアの王位簒奪を狙っているようです」

「…そう。やっぱり、裏ではそういう事を企んでいたのね。何かあるとは思っていたけど」

 アンジェリーナはふうとため息をついた。リョウは無表情の中、主人を窺う。

 そして、目を閉じて深呼吸をした。

「…姫、いかがなさいますか?」

「とりあえず、静観を決め込む事にするわ。リョウは引き続き、調査を頼むわね」

「わかりました」

 リョウは一礼をすると窓を開けて静かに姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る