PS
五億年後。太陽に飲み込まれるという、抗えない終わりを待たずして、地球は完全に死亡した。
あらゆる生命は失われ、全ての植物は潰えた。不毛の大地。ひび割れた、ガラスの惑星。
同時に、惑星の寵愛を受けた少女も、その呪いから解放された。無限の中で、惑星と同質の存在まで昇華した少女も、生命であった以上死からは免れることはできなかった。
それとも、ようやっと訪れたというべきか。もっとも、その答えは彼女のみぞ知ることだ。
死んだ後、残るものは何もない。未来も過去も、全て消える。それまでも、
でも、頑張った者たちの最期は、報われるべきだと思う。
だから、あと少しだけ。最後の最後に、泡沫の夢を見させてもらおう。
――――――――――――――――――――――――
甘く、暖かく、懐かしい感覚。
その感覚、というよりそんな感覚を覚えたことに驚いた。
ゆっくりと、恐る恐る目を開ける。
強烈な、黄金。あまりの眩しさに、すぐに目を閉じてしまった。数十秒かけて、ようやっと目が慣れてくる。
空は夕暮れなのか、はたまた明け方なのか、オレンジ色に染まっている。周りには、終わりが見えないほど遠くまで広がる、色とりどりの花畑。
暖かく、優しい風が吹く。花びらが舞い踊る。ふと伸ばした手のひらに、一枚が乗った。そっと握ると、それは光の粒となって消えてしまった。
何もかもが、理解の及ばない世界。思えば、服装だっていつのまにか変わっている。白い、シンプルだが可愛らしいワンピース。なぜか、どこかで見たような気がする。
その瞬間、気がついた。
――彼が、いる。
見えはしない。聞こえもしないし、五感のどれもが届かない。それでもわかる。本能が、そう叫んでいる。
気づいた時には、走り出していた。懐かしい、あの感覚。いや、そんなものではない。この思いがそんな、言葉で表現し尽くせる感情で止まるものか。
意識は混濁していて、名前を思い出せない。そもそも、なぜ走っているのかもよくわからない。いきなり動かした体は悲鳴をあげている。
それでも、止まることはできなかった。一秒が待ち遠しいから。こんなにも、愛おしいから。
――――――――――――――――――――――――
明確な意識があったわけではなかった。
夢と現実の狭間のような、そんな曖昧な世界にずっといた。
思考がまとまるはずもなく、時たま何かを思いついては、そのすぐ後には泡のように消えてしまう。そんな時間が、永遠と流れていた。
ただ、そんな中でもずっと考えていることもあった。
俺のあの選択は、果たして正解だったのだろうか。
朧げな世界で、五億年の時を使い、思考を紡いで考え続けた。
それでも、答えが得られることはなかった。
ただ一瞬の感情に身を任せて、彼女を永遠の牢獄に閉じ込めてしまったのではないか。そんな不安が消えることはなかった。
だから、彼女がそこにいると気づいた時、どうすればいいのかわからなかった。
俺は会うべきじゃないのでは。俺は、彼女に恨まれているのでは。
怖い。彼女に拒絶されるのが、怖い。
でも、気づけば走り出していた。肉体があることへの驚きも、意識が明確にあることの疑問も、よぎることすらなく走っていた。
だって、そんなことよりも何より、逢いたかったから。
――――――――――――――――――――――――
「はぁ――、はぁ――っ!」
息が切れる。肺が痛い。喉が凍りついたように冷たい。
痛みがある。一体なぜ。
どうだっていい。今はただ、走り続けろ。
鳥肌が止まらない。苦しいはずなのに、高揚が止まなかった。
一歩ずつ、記憶が蘇ってくる。忘れていたはずの、かけがえのない思い出を追体験する。
どうやら、心の一番奥深くにしまっていたらしい。おかげで、無限に等しい時間が経っても、魂が覚えてくれていた。
感情の荒波で泣き出しそうになる。一秒ごとに、彼を思う気持ちが強くなる。一歩踏み出すごとに、焦がれる思いが大きくなる。
もっとはやく。もっと遠くへ。もっと、近くへ。
五億年を、一息に駆け抜けろ。
――――――――――――――――――――――――
「はっ、はっ!」
関節が痛い。バラバラになりそうな体を、なんとか繋ぎ止めて走り続ける。
前に、前に。全速力で駆け抜ける体と対照的に、心は過去へと戻ってゆく。大切だった、何よりも幸せだった瞬間へと、回帰してゆく。
終わってしまった物語の、その続きへと。
一歩ごとに舞い散る花びらを横目に、その瞬間を追い求める。
そうして、一瞬とも、永遠とも思える時間が過ぎ去って。ようやっと、彼女が視界に映った。
――――――――――――――――――――――――
彼が見えた。その距離、わずか二十メートル。
待ち遠しいはずなのに、何よりも会いたかったはずなのに、互いに減速してゆく。一歩が、重くなってくる。
十五メートル。ゆっくりと、一歩一歩踏み締めて進んでゆく。
感情の激流の中で、思考がまとまらない。何を言えばいいのかがわからない。
――今更か。ふと思った。
今までも、正解なんて最後までわからなかった。後悔しても、正しいものは結局見つけられなかった。
ならば今回も、一番強いこの感情に身を委ねよう。
きっと、それが一番純粋で正直なわたしの気持ちだ。
――――――――――――――――――――――――
十メートル。様々な言葉が、頭の中に浮かんでは消えていった。顔を上げられない。彼女の目を、レイアを見ることができない。
五メートル。
でも、どうしようもなくなって、目を背けれなくなって、顔を上げた。
そこには、橙色に染まった世界で、夢のように美しい花畑の中で、照れくさそうに笑うレイアがいた。
本当に、そっくりそのままあの時に戻ったような笑顔。数多くのものを失った今でも、途方もない時間が経った今でも、一番大切なものだけは、変わらずそのままにあった。
そうして気づく。まったく。いつだって、彼女に助けられてばっかりだ。
いっせーので立ち止まる。手の届く距離に、彼女がいる。
もう、迷いはなかった。だって、あの時と何一つ変わってなんかないって、気づいたから。彼女が、教えてくれたから。
だから――
――――――――――――――――――――――――
わたしを見た途端、はっと何かに気づいたような顔をして、その後すぐに、朗らかにユートは笑った。
やっと見てくれたよ。心の中で毒づく。途方もない時の壁を持ってしても、わたしたちの心に一切の変わりは無かった。
示し合わせたように、立ち止まる。
呼吸が止まる。巡る世界の中で、わたしたちだけが止まっている。今はただ、その一秒が狂おしいほど愛おしい。
それでも、いつまでも余韻に浸っているわけにはいかない。彼が、口を開いた。
「おかえり。旅はどうだった?」
――あぁ。
あの時の続きだ。五億年の空白なんて、関係ない。今度はわたしの番だ。
あの時と同じように、本心で答えよう。
五億年の人生を、数千年の旅を振り返る。
やっぱりお世辞にも、楽しいだけの旅では無かった。決して、喜びだけが満ちたものでは無かった。
けれども、確かに幸せな瞬間もあった。間違いなく、楽しいと感じた時があった。
99%が辛くとも、1%の幸せが、確かに輝いている。僅かでも、かけがえのない瞬間がそこにはあった。
答えが決まる。呼吸を整える。止まってしまった時間を、あの瞬間から始めよう――
「ただいま――最高に、楽しかったよ」
――――――――――――――――――――――――
とびっきりの笑顔で、レイアは答えた。
つられて、ユートも笑ってしまう。二人の声は、夢幻の虚空へと吸い込まれていった。
どうやら、あれは朝日だったらしい。日が昇ってくる。世界が灯されてゆく。
朝が来る。
花びらが舞い散る。散り行くそれらは、二度と戻ることはない。美しい花を咲かすことは、一度しか叶わない。
でも、彼らは再度咲き誇る。絶えることなく、受け継がれてゆく。
まばゆい花々の中に、目につくことはなくとも、新たな芽が確かにあった。
終わりのない地獄の果てに巡り逢った2人。地獄に比べて、あまりに儚く短かった2人の日々。
構うものか。清算は、これからいくらでも取ればいい。
何千年の旅を、その何万倍もの時間をかけて語り合おう。
永遠だって、君となら怖くないから。
君と一緒に、永遠を過ごしたいから。
Dear best tomorrow, @mottsunn
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