末文

「……」

 相変わらず音はなく、人の気配はしない。ただただ無機質な、冷たい石の壁と鉄の牢のみが目の前に広がっている。手につけられた錠は重く、硬く固定されている。imp型の機械を持たない今の俺では、壊せそうにない。


 あそこで意識を失ってから、目を覚ますとここにいた。意識を失う直前の記憶も、だんだんと蘇ってきた。

 彼女は最後に、さようならと言った。今なら受け入れられるからって。ありがとうって。

 彼女にその覚悟ができているならば、俺にできることはもうない。そもそも、囚われて動けない今の俺になにができるのだろうか。

 数ヶ月前の俺ならば、もしかすると、そうやって言い訳して自分を言い聞かせていたかもしれない。

 

 コツ、コツと足音が聞こえてきた。顔を上げる。牢の先、奥の階段から3人降りてきた。1人は今まで見たようなタイプの服装をし、imp型の機械を右腕につけた、少し高身長の女。容姿は暗くてよく見えない。

 残り2人は、いわゆる兵士のような見た目をしている。鎧に身を包み、手には長めの剣を握っている。ともに、性別などはよくわからない。

「あなたね。ついてきなさい」

 目の前にくると、自らの兵に軽く指示をする。すぐさま片方が牢を開け、もう片方が壁の鎖に繋がれていた部分を外す。

 外された瞬間、暴れる隙もないほど瞬時に2人の兵士に押さえつけられる。片方が俺の後ろで繋がれた手錠を抑え、もう片方は常に俺の背中あたりに剣を当てる。他に選択肢もなさそうなので、大人しく従う。

「どこに連れてく気だ?」

「答える義理はないわ。安心して、どうせすぐにわかるし」

 そっけなく答えられる。こちらも諦めて、それ以上は何も聞かなかった。

 言われた通り、ものの数分で目的地についたようだ。女が立ち止まった先にある鉄扉を開ける。

「連れてきました。よろしくお願いします」

「ほいよ」

 扉の先には、白衣の細く、小さい年老いた男性が座っていた。役目は終えたと言わんばかりに、女は部屋の隅に背を預けて立っていた。

「やぁ、噂には聞いていたよ。はじめまして、2人目のセカンドタイプ」

「……セカンドタイプ?」

「知りたければ後で話そう。これから君を色々と検査、実験させてもらうんだけど、その前に色々と聞いていいかな。君のような人間の思考回路はとても重要なんだ」

「……」

 どうせ拒否権などないのだから、黙っていた。それを了承と見たのか、目の前の白衣の男は手に持つ紙に目を下ろし、口を開いた。

「年齢は?」

「……18」

 何だか拍子抜けな質問に、少し調子が狂う。

「好きなものは?」

「……旅とか、綺麗な景色とか」

「嫌いなものは?」

「アラーム……なあ、何の質問されてんだ?これ」

「これは前座。アンケート調査みたいなものさ」

 表情ひとつ変えず、口にする。

「さて、ここからが本題だ。単刀直入に聞こう、君は世界についてどう思ってる?どうしたい?」

 いきなり、随分と漠然とした問いかけだった。まぁ、このような終末世界ではあり得なくもない質問か。

「別に。なにも」

「……ほう⁉︎」

 先ほどまで落としていた目線を、ギロリとこちらに向けてくる。

「なんだよ」

「いや、まさかいきなり異なるとはな」

 よくわからないことを口にする。

「ふむ。例えば、今世界は滅亡に瀕しているわけだ。これについて、何かしたいとは思わないのかい?」

「特段」

「なぜそう思う?」

「なぜ……?俺が楽しければいいから、とか?」

「ほぉ!」

 今度は先ほどよりもさらに楽しそうに、ペンを走らせる。何を描いているのだろうか。

「ならば一体何が……もしかして――いや、ならば――」

 何かをぶつぶつと呟いている。しばしして、何か思いついたのか小言がやんだ。そしめ、ニヤリとしながらこちらを見て、口にした。

「では――君と一緒にいた娘については、どう思ってる?」

 ――時間が止まった、ような気がした。

 誰か大切な人はいるのかと言った質問ならあり得ると思っていた。が、ここまで直接的に言われるとは、想像もしていなかった。

 瞬時に、感情が荒立つ。

「テメェ、あいつに何する気だ?」

「さあね。わしの知ったことではないさ。ただ少なくとも、碌でもないことなのは確かだね」

 道は決まっていた。が、遠回りしている余裕はないと改めて認識した。何をしてでも、一秒でも早くレイアの下に。

 暴れるそぶりを見せず、手元に押し付けられていた剣に強く右手を、一切の躊躇いなしに押し付ける。

 そのそぶりを見逃さず、すぐさま2人が剣を押し付ける。圧力に耐えかねて、瞬時に右手が断ち切られる。

 これで両手が自由になった。背中にも軽く突き刺さるが、もはやその感覚もほとんどない。空いた左手で刀身を掴み、再生しつつある右手でその剣の持ち主の金的を撃つ。

 二分の一の賭けに勝ち、相手が僅かに悶えた瞬間に剣を奪う。背中に刺さった剣はわざとさらに食い込ませ、貫通する寸前で背中を捻って無理矢理奪う。流れるように、片方の首元に奪った剣で突き刺す。

 ずっと狙っていた。本当はあの女が別の部屋におり、できれば目の前の博士がいないタイミングを狙いたかった。が、これだけ離れていれば瞬時に女に取り押さえられることもない。

 とはいえ、ここまでの行動でヤツが戦闘体制を整えるには十分な時間を与えてしまった。ここからは、imp型を持たない状態で持つものとの戦闘。はっきり言って、通常ならば勝ち目はない。

 目にも止まらぬ速さで、俺の腹部に拳を振るう。流石の威力で、腹部を貫かれる。そのまま、地面に叩きつけられた。

 勢いよく、より深く刺さって貫通した剣を鮮やかに避ける。暴れようとした左右の手は、それぞれヤツの左手と右膝で押さえつけられる。

「やれ!」

 奴に押さえつけられた拍子に手から離れた剣を、生きてた方の兵士に奪われた。そのまま、俺の頭部に振り下ろされる――

「っ!」

 瞬時に頭を起こし、切断面をずらす。そのまま首が切断され、頭部のみとなる。先ほど頭を起こした勢いで、狙い通りヤツの首元へと飛んでゆく俺。

「〜!!!」

 そのための器官を失ったことで、音のなくなった叫び声を出しながら、血反吐を吐き散らしてヤツの首元に噛み付く。

 いつかの本で読んだ。どうやら、人は首だけとなっても三秒ほどは意識があるらしい。

 何秒かはわからない。が、意識があるうちは、持てるすべての力を振るって、ヤツの首を噛みちぎろうとする――

 想い虚しく、すぐにその意識は途絶え、次の時には体が戻っていた。どうやら再生する量が少ない方から再生するらしく、今俺は頭部がなくなった身体に再生している途中らしい。

 肉体の操作権を知覚するとともに、痛みや傷というより驚きで後退したヤツに、視覚や聴覚はまだ回復してないため触覚と勘を頼りに抱きつく。

 案の定、わずかに拘束が緩んでいたので簡単に両腕はふり解けた。そのまま、後ろに倒れ込む――

 抱きついたことで抜けそうになって剣が再度、今度は俺とヤツを貫いた。

 肩のあたりに、液体を吐きかけられる感覚。ここでようやく、聴覚が回復した。遅れて、視覚も回復する。

 腹部から俺を貫く刀身を見て掴み、さらに下へ引き裂く。鈍い痛み。

「ゴバァッ!」

 互いに勢いよく血を吐き出す。そこで、目の前の女は事切れた。

 止まらず、若干無理矢理背中の剣を引き抜く。そのまま、放心状態となっている兵士の首を断ち切った。

 十秒にも満たない戦い。目の前には、凄惨な光景が広がっていた。3人の無惨な死体と、無機質に転がる俺の頭。

「――」

 特段、思うことはなかった。

 残るはあと1人。研究者の方に剣を向ける。

「さぁ、どうする?」

 意外にも平然とした様子で、そいつは座っていた。

「お好きにどうぞ」

「……」

「なんだ?殺されるとわかってて挑むほどわしは阿呆ではないよ」

「じゃ、いくつか質問させてもらう」

「どうぞ?」

「あいつはどこにいる?」

「あの娘のことだね?」

「ああ」

 やはり、とでも言いたげにニヤリと笑う。

「知らない、けどまず間違いなくここのリーダーのところだろうね」

 リーダー。おそらくは、俺を倒した相手。

「……じゃあ、そのリーダーはどこにいる?」

 すると、俺に一枚の丸められた紙を投げてきた。

「この施設のマップだ」

 開くと、確かに地図だった。社長室なるものが、最北端にあった。確かに、いるとしたらここだろう。本物かはわからない、が判断材料がない以上今は信じるしかないだろう。

「あと、俺が着てた装備はどこにある?」

「それこそ知ったことではないな。保管庫とかじゃないか?ほら、南西の」

 見ると、確かに南西側の部屋の一つに、保管庫と書かれている。

「わかった。ありがとう」

 とりあえずと、女の右手についているisp型を拝借する。剣などどうせ上手く扱えないので放置。出て行こうとしたところで、思い立って振り返る。

「これからどうするんだ?」

「ん、わしか?」

「それ以外いないだろ」

「逃げる。貴様を逃した以上、このままいても殺されそうだしな」

「……あっそ」

 あまりにも素っ気ない答え。一周回って信用できた。ならば、わざわざ俺の脱走をばらされるなどといったことも無さそうだ。

 止まっている暇はない。走ってその場を後にした。


――――――――――――――――――――――――


「自分より、世界より他人を思う、か……」

 独り言を呟きながら、彼に聞いた質問の答えを眺める。今の少年とは、まるで真逆の結果。予想とはまるで違った。が、その全てがなんとなく繋がった気がした。

「何が本心で、何が真実で、何が正しいのか――」

 世界は救われるのか、はたまた少女が救われるのか。結末は、彼らに委ねられた。いや、この新たな考えが正しいならば、その結末もすでに決まっている。残された可能性は、そのカタチだけ。

 これから訪れるであろう結末を思う。これだけ巨大なものを背負いながら、なんと自分勝手だろうか。主役たちは全員自己中に、全員他人のことしか考えていない。

 なんとも歪で、愚かで、美しい。もっとも、わしのような脇役にとっては飛んだ災難だが。

「さてと、急がねばな」

 とはいえ、どうせ自分にはどうしようもないこと。そんなことより、今は自分の命だ。必要最低限の荷物だけ持ち、彼もそそくさと部屋を出る。

 血に塗れた部屋に、静寂が再び訪れた。


――――――――――――――――――――――――


「こっちか……?おっと――」

 人が見えた瞬間、こちらを向く寸前で身を隠す。倒せないことはないだろうが、色々と面倒くさい。バレずに済むなら、それに越したことはない。

 にしてもなんで広さだ。あの都市には及ばなくとも、現存する人工物の中ならトップクラスのデカさだろう。部屋も多く、道も入り組んでいてわかりづらい。しかも、地図を見たところ三階層に分かれているらしい。

 保管庫までなら階層を跨がずいけるのでまだ良い。問題は、社長室だ。初めチラリと見た時は気づかなかったが、社長室は同じ階層にあるのに、一度階層を跨がないと辿り着けない構造になっている。

 そのほか、道中も複雑だ。何故こうも、動線が悪いのか。データとしてこの地図を入手できていたならば一発で道のりがわかっただろうが、これは紙面なので自分で考えなければいけない。そもそもコートがないので、データとして受け取る手段がないわけだが。

 それに、現在地がわからないのも厄介だ。同じような道ばかり続くので、気を抜くと今どこにいるのかわからなくなりそうである。

 とはいえ、なんの目印もない野外に比べれば幾分かマシだろう。そう言い聞かせて、歩みを進める。

 にしても、何故こうも部屋が多いのか。一体何に使われているのか、気になりはするが入って目の前に敵がいてはたまった物ではない。

 そんな、ほんの一瞬の油断だった。わずかに警戒が緩んだ、その瞬間を神様は嘲笑うが如く狙ってきた。

「ー!」

 背後で、息を吸う音。誰だ――と言葉が続く前に、振り返らず全力疾走。バレずにという計画は破綻した。せめてコイツらの追跡は巻きたい。

 そんな甘い考えが許されるはずもなく、曲がり角から新たにもう1人、いや3人現れる。咄嗟に地面を蹴って飛んでかわす。

 そのまま直進しようとしたが、嫌な予感がしたので急遽脇道に逸れる。案の定、先程まで俺がいた場所を弾丸が通る。

 が、人数に比べて銃声は少ない。思えば、あの時の衛兵2人も剣のみで銃は持っていなかった。どうやら、武器に何を持っているかは人によって違うらしい。

 全員に渡せばいいのにというどうでもいい思考は置いておき、頭の中でマップを開く。地図を開く暇はない。若干朧げだが、記憶を頼りに武器庫へ走る。時折敵と正面衝突し、それを交わすたびに頭の中の記憶が曖昧になってゆく。

 幸いなことに、衛生兵の中でimp型を持つ俺の速度についてこれるヤツはいない。おかげで見つかった回数に反して敵の数は少なく、怪我を負う心配もほとんどない。

 このままいけば、また取り押さえられる前にたどり着く――っと、すんでのところでまたしても敵が現れる。しかも、今回は今までと様子が違う。明らかに、来ることがわかってて飛び出してきたように見えた。

 こうなると、敵全体で情報共有がされてると考えてもおかしくない。ならば、逃げてるだけでは意味はない。拳を強く握り締め、思考速度を上げる。が、まだ上がると思ったところで何かに引っかかったような感覚とともに、加速が停止。込められたエネルギーも、いつもより体感かなり低い。

 若干の違和感を覚えつつも、敵の銃弾3発をノンストップで避け、その腹部を殴りつける。血を吐いて、壁に吹き飛ばされる敵を横目に、両隣にいたヤツらの顔面を蹴り飛ばす。生死は確認せずに、目的地へ再度走り出す。記憶が正しければ、すぐそこにあるはず――

 しかし、いやむしろやはりというべきか、その場所にあるはずの扉はなかった。一応全力で殴りつけてみるか。そう思った瞬間、背後で銃声。先ほどからずっと加速状態だったおかげで、間一髪かわす。

 どうやら、この組織で出回っているものだとimp型の性能に上限があるらしい。思えば、あれをくれたあいつ(行商人)もそんなことを話していたような気もする。

 いや、そんなことを気にしている場合ではない。逃げ切ることは難しいのは先の逃走で理解した。目的地はもちろん、自身の居場所さえ完全に見失ってしまった以上、今できることはコイツらを現状の装備で壊滅させることのみ。

 決意を固めた直後、ドンッという耳に突き刺さる破壊音。俺のすぐ横の壁を突き破って、何かが出てきた。誰かはわからない。が、こんなことをできるのはimp型持ちだけ。

 銃や剣しか持たない敵ばかりで意識から抜け落ちていた。その隙を狩られ、防御体制が間に合わずソイツの殴りをモロに喰らう。

 飛びそうな意識に食らいつきながら、吹き飛ぶ俺への追撃を今度こそ防ぐ。が、やはり完璧とは行かず、受け止めきれなかった衝撃で後方に飛ばされる。

 ぶつかる――っと思ったが、想定よりはるかに軽い衝撃を背中に感じたのち、そのまま背後に飛んでゆく。なんとか受け身を取り、周囲の状況を確認。しかし、暗くてよく見えない。

 すると、手元に何かがぶつかった。硬く、冷たい。無機質な何か。いや、この形は――

「――まじか」

 まさしく、俺が探していたものだった。プロトタイプの、imp型。どうやら一つ隣の道に、どこかのタイミングで迷い込んでしまっていたらしい。それにしても、たまたま飛ばされた先にあるとは。とんだ幸運だ。

 とはいえ、ゆっくりしている暇はない。暗闇の中、手探りで元々つけていたものを外してたった今見つけたものを付け直す。

 腕にはめた瞬間、直感で右に転がる。今までも何度も感じてきた、死が目の前に迫っている感覚。ほとんど同時に、先ほどまで俺がいた場所を弾丸が通り抜けてゆく。――いや、違う。よくは見えないが、音からして適当だ。ヤツらも暗闇で、俺がどこにいるのか明確にはわかっていない。

 転がり込んだ先にあった棚に寄り添うようにして、息を潜める。音を立てないように、右手にはめたままで終わっているimp型をしっかりと装着。……問題ない。きちんと動く。

 何ヶ月も共に過ごしてきたのだ。体の一部が戻ってきたかのような安心感を感じる。だが、肝心のコートが戻ってきていない。こっちはもはや体の一部なんてレベルでない。一刻も早く手に入れなければ。きっと、それもここのどこかにあるはず。

 だが、そんなことをしている場合ではない。探したい欲求をなんとか抑えて、外の敵に集中し直す。

 狙うとすれば、中に入ってきた瞬間。死角から、できるだけ多くやる。あとは気合いだ。無傷はほぼ不可能、何度か死ぬことも視野に入れるべきだ。

 目標を定め、その一点に意識を集中する。息を潜め、その時を待った。

「カンッ」

 想定していたものと違う音がした。銃声でも、足音でもない。小さな、重厚感のある金属音。冷たい、冷徹な刃物を押し当てられたような感覚。幾度となく死地を越え、彼女が持っていた感覚を俺も掴んだらしい。これが――

「っ――」

 正体はわからない。暗闇で、それがどこにあるのかも、何を引き起こすのかもわからない。だが、今ならわかる。これが、死の感覚。死が迫ってきている。すぐそこに、手の届くところにある。

 猶予はない。今度こそ、止まっている時間すらない。あの人数だ。一度隙を見せれば、俺の不死性が先に尽きるだろう。

 ならば、この勝負はどちらが先手を打つかで決まる。相手はすでに手を打った。すなわち、俺が後手。待ってしまった時点で、それは決まっていた。

 なれば、俺に残された唯一の勝ち筋は、既に決まった結末を次の一手で覆すこと。不可能を、創られた奇跡で可能に変えること。

 思考を置き去りに、体が勝手に動き出した。あいにく、最適解を生むだけの経験と直感、そして幸運は持っている。

 壁に向かって、全力で駆け出す。そのまま、壁面を駆け抜ける。目指すは唯一光の刺すところ。すなわち、この場で唯一の出入り口。ただ、ドアからの光を避けるように、そのまま天井にまわってゆく。

 重力がその役目を放棄したかのような動き。問題ない。俺の意思力が、人理を打ち砕いている。今だけは、ここは俺の世界だ。

 ドアの目の前で、空を向く地面を蹴り出す。思い出したかのように、重力が仕事をしだす。体を捻り、体勢を整える。

 狙い澄ましたかのようなタイミングで、背後で爆発が起こった。もちろんタイミングなんぞ知る由はない。

 ただの幸運、しかし俺が動いた時点でそれは必然になっていた。爆風に押されるようにして、瞬きにも満たない時間だが俺は音速を越える。

 目の前に広がる、白い世界。暗闇から急に出たことで、反射という肉体の機能が瞼を閉じようとする。が、痛みの感じないこの体に宿るそれは、俺の意思を覆すほど強くはなかった。

 わずかに涙が溢れる。そんな意識を置き去りに、状況を整理する。そこにいたのは、顔を伏せていたり手をかざしている敵たちだった。案の定、脅威の襲来に備えられているものはほぼいない。

 つまり、あの時投げ入れられたのは手榴弾だったのだ。自ら危険に飛び込むことなく、中に籠った敵に必中必殺の一撃を与えられる。

 確かに、あの場での最適解だろう。しかし、その一手にはラグがある。微かな、物事を成すにはあまりにも心許無い時間。

 しかし、その猶予は戦況を逆転させるには十分な時間だった。

 しかも、相手は爆風や爆発による光でほとんどこちらを視認できていない。一方、爆発を背にした俺は光を感じないし、爆風は戦況的にも、俺自身にとっても追い風となる。おそらく背中に大傷を負っているだろうが、死に至るほどのものではない。多少の傷は、むしろアドバンテージをもたらすだろう。

 数人、こちらを確認できているものたちにターゲットを合わせて、先手を仕掛ける。これで相手は後手に回った。もちろん、対処する隙は与えない。

 これまた、瞬きにも満たない時間で全て処理する。形どられた動きの通り、機械のように俺の体が命を刈り取ってゆく。

「――」

 叫び声すらない、静かな死。

「くっ、そがーーーー!!」

 そんな静寂を打ち破るかの如く、数人の兵士が銃を乱射する。

「――っ!」

 たとえ思考が加速していようとも、この距離では反応しきれない。回避を諦め、代わりに最速で殺すことで被弾を減らす。

 マズルフラッシュの方向に左手を伸ばす。数発が、自分の掌を貫く。鮮血。赤い流星の中を止まることなく進む。銃身を掴み、こちらに引き寄せるようにして、右手で殴る。そのまま遠心力の要領で、別の敵に向かって飛ばす。

「はっ!」

 かがむようにして、背後の銃弾を避ける。そのまま蹴りで足を払い、体勢の崩れた敵を次々と殴り飛ばす。

「てめぇ...!」

 唯一警戒すべき、imp型持ちが迫る。問題ない。常に警戒していた。

 コンマ何秒かの間に、互いに撃ち合う。全てが空中で衝突し合い、その威力を失う。――いや、俺の方がわずかに強い。そのほかの攻撃も警戒しながらなので圧倒はできないが、それでも俺の方が優勢だ。

 とはいえ、imp持ちを相手にしている分いくつかの攻撃を防ぎきれない。さらに数発、銃弾が俺を貫いた気がする。時間をかけてはいられない。

「おっ、らぁ!」

 一瞬無防備になることを覚悟に、全神経を次の一撃に注ぐ。全力の一撃。防ぎきれず、相手が吹き飛ぶ。死にはしないだろうが、しばらくの時間稼ぎになるだろう。その間に、残りの雑魚を殲滅する――


 なんだこいつは。こんな奴がいるなんて、聞いてない。

 ただ、お金を稼ぐためだった。この世界で生きていくために、ここで働くことにした。

 大義を持っているようなやつと違った俺はなかなか昇進することはできず、下っ端のままだった。それでも、外にいるよりは何倍も安定した生活ができた。明日も確かに生きていける。その安心感だけで、満足だった。

 それなのに、なんだ。なんなんだ。目の前で、同じ人間とは思えない強さを発揮するこいつは。通常であれば動けなくなるはずの数の弾丸を受けてもなお、一切怯まない。血まみれになりながら、構うことなく俺たちを蹂躙し続ける。

 一体なぜ、そんなことをするのか。一体なぜ、殺されなければならないのか。

 ただただ、得体の知れないものへの恐怖のみが心を支配する。生きたいという欲求だけが、自身の体を突き動かす。咄嗟に出した、不恰好な突きをひらりとかわされる。こちらを、見た。流水のように、一切の滞りも、躊躇いも見せることなく、バケモノの鎌がこちらを向いた。

 死ぬ、という直感がよぎるよりもさらに速く、血に塗れた鎌は俺の命を刈り取った。その直前、確かに目が合った。いや、合っていない?確かにこちらを見ている。でも、そうじゃない。もっと先を、俺の先の何かを見て――



 心臓を一突きで貫く。これで残すは6人。銃持ちがいなくなった今、この程度ならば脅威にもならないだろう。

「ふざけるな……」

 震えた声。声の先には、imp持ちがいた。これでようやく、集中してコイツを相手できる。

「なんで……こんなことをする…?」

 なぜ?想定外の質問だった。

 いや、想定外ではない。当然の疑問。ほんの少し前まで、1人で孤独に、他者に迷惑をかけることなく生きていた。

 だが今では、後ろを振り返ればそこには数えきれないほどの屍が広がっている。

 すべて、俺が殺した。顔も名前も知らない、初めはあった罪悪感すら捨てて、機械の如く殺し続けた。

 言うならば、化け物だ。もう2度と、人に戻ることはできない。取り返しのつかない道を、踏み外してしまった。自らの意思で、踏み外した。

 なれば、なぜ。悩む要素などなかった。答えはとっくに得ていた。

「俺が思う、レイアのため」

 酷く簡潔な、無情な一言。

「……あんな?あんな、不死身の化け物のため……?」

 化け物。客観的に見ればそうなのかもしれない。でも、それは違う。

「あいつはさ、自分勝手なんだ。他の奴の心配なんて気にしないで、他者のことばっか気にしてる。あいつの方が何倍も、何十倍も傷ついてるのに」

 そう、いつもいつも。人のことばっか気にかけて、守ろうとして、元の何倍も傷ついて。そうして守れたことに安心して笑顔になるような、どこまでも美しく、危険な在り方。俺にはあまりにも、眩しすぎる景色。

「憧れた。絶対に届かない、その景色に焦がれた。だから、守ってばっかのあいつを、せめて俺は救いたいんだ。きっと、こんなことあいつは望まない。そんなのはわかってる」

 決して、望んでなんかいないだろう。もしかしたら軽蔑されるかもしれない。構わない。覚悟はできている。

「でも、たとえ俺の自分勝手だとしても、あいつを助ける。

俺が美しいと思った、どうしようもなく綺麗だと思ってしまった、憧れてしまった彼女の在り方を。たとえ間違っていたとしても肯定したい。それによって苦しめられている彼女を救いたい。

たとえ、それが俺のわがままであっても。たとえ、それによって彼女の美しさが消えたとしても。

もう、彼女は十分走ってきたから。

もう、そんなの関係なく俺は彼女が綺麗だと思うから」

 俺が犯してきたこの罪を、おそらくレイアは背負おうとする。きっとまた、1人で抱え込もうとする。あいつはなにも悪くないのに。

 悪くないから、そんなことはさせない。これは、全て俺の勝手だ。全て俺の偽善が起こした罪だ。全て、俺が背負う。

 これからどれだけ罪の意識に、過去の過ちにうなされたとしても、決して目を背けない。俺が彼女を選び、その他全てを切り捨てたのだから。自身の選んだこの過ちを悔いないために、俺は目を背けずに進み続ける。

「あれが死ねば、世界は救われるんだぞ?それに、こいつらだけじゃない。お前は、あれ以外の全てを犠牲にしようとしてるんだ。それが――」

「わかってるさ。――だからなんだ。俺は世界なんかより、あいつの方がよっぽど大事だ。

それに、誰よりも他者を大事に思って傷ついてるやつが死ぬことで救われる世界なんて、絶対間違ってる。そんな世界、俺は認めない」

 きっぱりと、言い切った。正直に全てを伝えた。

「……そんな理由で、納得できると思うか?」

「……」

 納得なんてできるはずはないだろう。構わない。俺は俺が持つ正しさのために、進み続ける。

「殺してやる……」

 圧倒的な殺意。怖気づいてならない。俺が背負うと決めた業は、こんなものではない。受け入れろ。怯むな。向き合え。俺は、俺の思いを全てのせろ。

「生憎、俺はまだ何の責任も、恩返しも果たせてないんだ。まだ、なにも終わってないんだ。こんなところで止まるわけにはいかないんだよ」

 決意とともに、拳を固めて向き合う。とてつもない緊張感。一ミリでも動けば全てが終わってしまうような、そんな感覚。静寂が訪れる。空気が揺れる。空間が撓む。

 緊張感に耐えきれなくなった地面に亀裂が走る。それが引き金となった。互いに銃弾のように地を蹴り出す――



 

「お待たせ。じゃあ、来てもらおうか」

 扉が開き、彼がやってくる。綺麗でしっかりと整った部屋。唯一、窓に鉄格子がはめてある事以外はごく普通の部屋である。

「……」

 何も言わず、指示に従う。元々武器など持っていなかったし、今はコートすらないため、抵抗するだけの力など持たない。何より、真実から目を背けないと決めた以上、逃げるという選択肢はなかったのだろう。

「酷いなぁ。一言くらい口を聞いてくれたっていいのに」

「……」

「あ、それとも大勢殺した罪悪感からかな?自分がのこのこ生きてちゃダメだと思ってる、とか?」

「――!」

 凍ってしまったのかの如く、体が強張る。呼吸が浅くなる。酸素が足りない。冷たい汗が頬を撫でる。

 その通りだ。でも、全てじゃない。今の言葉を、ただ受け入れたくはない。

「――それ、は。」

「うん?」

 優しく、微笑みながらこちらをみる。悪意のない、意図もない笑顔。心が軋む。崩れそうになったものを、溢れそうになったものを必死にかき集める。

「―っそれは!助けようとして……」

「助けようと……?」

 挫けそうな心を必死で支えながら、反論する。たとえわたしに罪があったとしても、正当性を主張する権利はあるはずだ。たとえ、それが何も残さなくとも。

「そうでしょ!あなたはあの人たちを殺そうとして――」

「………あぁ、そういう」

 ぽんっと音が鳴りそうな身振りをとる。ようやっと理解したと言わんばかりの、そんな様子。

「なるほどね〜。やっと、君があの時あんな行動をとったのか、今までどうして逃げてたのかがわかったよ」

「……?」

「いいさ。俺の目的は後回しだ。とりあえずついてきて。1から説明してあげる」

 そう言って、彼はさっさと歩き出した。

「まっ――」

 踏み出そうとした足が、うまく出ない。見ると、震えた両足は床にくっついてしまったようだった。

 怖い。逃げ出したい。逃げ出せない。苦しい。

「ユート……」

 無意識に、口に出た。口に出て、はじめて思い出した。もうあの時別れを告げたのだ。あの言葉は何だったのか。今まで彼に残してもらったものたちは、何だったのか。覚悟を決めるには、それで充分だ。

「っ――!」

 力を振り絞る。絡みつく根を、絞り出した気持ちを犠牲に振り解いた。

 そうして踏み出した一歩は、あまりに小さく儚かった。


「んー?」

 しばし歩いていると、彼が不思議そうに自身の端末を見た。

 立ち止まって、数秒何か操作する。するとすぐに――

「へぇ!」

 何か、面白いものでも見つけたかの如く声色を上げた。

「――?」

「面白いことを教えてあげる。――彼が、拘束を抜け出した」

「――!!」

 彼。要するに、ユートのこと。どこに向かっているかなど、間違いなく――

「きっと、レイアを助けにだよね。ほんと献身的だなぁ」

 ユートが、来ている。わたしを、助けに。

 足の力がまたしても抜けそうになる。決意が揺らぐ。あの安心感が、ありのままに思い出される。でも――

「わかってると思うけど、言った通りもう殺すからね。あいつ」

 冷徹に言い放たれた。

「――わたしは、逃げたりなんかしないから」

「うん、そうしてくれると助かるよ。ことが早く済めば、彼も諦めてくれると思うから。そうすれば、俺もわざわざあいつをやらなくて済む」

 これ以上、彼に頼っていられない。切れそうになった糸を何とか繋ぎ直して、崩れそうな心を保った。まだ大丈夫。まだ、あと少しなら。

「それじゃ、軽く話していこうか。あの日について、色々と」


――――――――――――――――――――――――


「はぁ、はぁ、はぁ……」

 ようやっと、全てが終わった。敵の体を貫いている右手を引き抜く。壊れたマリオネットのようにソレは倒れた。

 体中ボロボロになりながら、何とか全て片付けることができた。肉体の機能としてでなく、意思力だけで倉庫へと体を動かす。探すは当然、いつものコート。

 1分程度ですぐにそれは見つかった。着ようとして、改めて自身の体を眺める。――やはり、再生が遅い。すでに数分経過しているのに、いくつかの傷は治りきっていなかった。

 まぁ、だからなんだと言う話だ。

 特段それ以上気にも止めず、コートを羽織る。適当にケーブルを見つけて、コートと接続。施設内のサイトに入り込み、マップを探す。何も施設の操作権を奪おうとしているわけではないのだ。案の定、セキュリティと呼べるほどのものもたかだかマップについてるはずもなく、容易に入手できた。

 開いて、視界の隅に置いておく。これでわざわざ紙面上のものを取り出す必要は無くなった。

 ピチャピチャと、足音を立てながら死体の中を通り抜けてゆく。白と赤のコントラスト。目が痛い。

 散乱した臓器は流石に踏みたくないので、避けながら進む。嫌な匂いだ。実際に匂いがすると言うわけではない。もっと、精神的なもの。

 問題ない。錆びついた鋼の心にはお似合いだろう。

 ふと思い、足裏についた血を拭き取っておく。一度落ち着いたものの、これで敵が全部とは思えない。再度このレベルの戦闘になるのは避けたいため、向かっている方向がわかるような証拠は無くしておこう。

 

 地図に従いながらしばし歩き続ける。ようやっと、傷が全て塞がった。レイアを殺すことで、世界を救う。何がどうしたらそんなことになるのか。もちろん警戒は怠らずに、考えながら進んでゆく。

 そもそも、世界を救うとは?どのような危機から救うのか。考え得るものだと、汚染やエネルギー問題が上がるだろう。

 だが、それがレイアの死とどのように繋がるのだろうか。まさか、レイアがそれらの問題の原因?いや、それこそ「まさか」だろう。

 ならば何だと言うのか。またしても、思考が八方塞がりになる。

「っと……」

 そうこうしているうちに、目的の部屋に着いた。音を立てないよう慎重に、耳を扉に押し当てる。

 ――音はしない。

 仕方ないので、慎重に戸を開ける。これまた一切の音なく開いた。ありがたい。

 息を殺して、中を見る。

 そこは、無人の部屋だった。

「――っ」

 騙されたか、とも思う。が、元々あいつだって知らないと言っていた。あの雰囲気からして、恐らく本当に知らなかっただけだろう。

 幸い、中には人の痕跡があった。まあ、ここがトップの部屋なのは間違いないので当然と言えば当然なのだが。

 なにか手掛かりとなるものがないか、片っ端から調べ上げる。天井あたりまである本棚にはぎっしりと本が入っている。題名からして、主な内容はエネルギーに関することらしい。是非とも、1から全て読みたいところだがここは抑える。

 手掛かりになりそうなものはなかったので、今度は机に目を向ける。一番上の者らしく、仕事道具のようなものしか置いてない。

 とりあえず、机上に出ていたノートを開く。中身は、今後の予定と職員の情報。ぱらぱらと眺めるが、これまたそれらしいものはない。諦めて、元あった場所に戻す。

 ならばと、すがるような思いで引き出しを開く。

 一番下は、書類が積まれているだけ。内容も、これから先の計画の思案書などばかりだ。一個一個読んでいてはキリが無い。本当に何もなかったら、読んでみることとする。

 その上、またその上も同じようなものばかり。残るは、一番上だけ。焦る気持ちを抑え、開ける。

 中には数本のペンや消しゴム、写真。そして一冊の、少し焦げた手帳だった。

「……!」

 反射的に手帳をとり、開く。開いたページには、1ヶ月ほど前の日付が書かれていた。

「日記……?」

 不思議と、そこに書かれていた文字から目が離せなかった。ただ、内容がよくわからない。なぜならこの日にちは、俺とレイアがまだ旅をしていたはず。なのに日記の中には、レイアとこの日記の持ち主が共にいた旨の話がある。

「――もしかして」

 年数か?

 はっとひらめく。もし仮に、これが数年前のものならばどうだ。確かアイツも、レイアが元々この施設にいたと話していた。ならばこの疑問にも納得がゆく。

 一番最初のページに戻る。始まりは、4月10日だった。


――――――――――――――――――――――――


「確か、4月10日だったよね。初めて会ったの」

 金網の一本道を歩きながら、唄うように語り出した。

「……それ、本題と関係あるの?」

「あんまない」

「…………」

「まぁまぁ、せっかくだと思ってさ」

 彼が、んーっと背筋を伸ばす。わたしには一切の拘束器具もつけておらず、また警戒しているようにも見えない。逃げ出さないとわかっているのだろう。

「瓦礫の下敷きになって死にかけてた俺に血をくれたんだよね。いやはや、あと数分遅かったら死んでただろうな」


――――――――――――――――――――――――


 "本当は今日は4月10日じゃないんだけど、始まりの日はこれがいいと思った。たまたま生き残ってしまったけど、これから先も生きていける保証はない。"

 "だから、救ってもらった分、生き残ってしまった分、せめて生きた証としてこれを書いていこうと思う。なにか、大きな出来事があったら加筆していく。"

 書き出しには、そう書かれていた。

 次のページを見る。

 "7月25日。

 今日は本当に特別な日だろう。ずっと前から気になっていた、神様の名前を聞いてみたところ、まさかの無いらしい。というか、覚えてないだとか。神様と呼ぶと嫌がられたので、みんなと同じ「先生」呼びをしていたが、まさか本当に名前がないとは。

 せっかくなので名前を考えようと言ったところ、言い出したのだからと僕が言うことになった。

 ダメ元で「レイア」と言ってみたところ、気に入ってくれた。意味も聞かれたが、知ったら多分起こるので言わないことにした。そもそも、元の名前の別称のようなものなので自ら言わなければバレることはないだろう。

 そんなことより、僕の考えた名前を気に入ってくれたことが嬉しかった。彼女に、何かをしてあげれたことが嬉しい。名前という特別なものをあげることができたのが、この上なく嬉しい。きっと、今日が人生で最高の日になっただろう"

「――レイア……」

 口から零れ落ちた。


――――――――――――――――――――――――


「そういえば、今でもレイアって名乗ってくれてるんだ」

 ふと立ち止まり、こちらを向いて言う。

「……」

「いやぁ、名づけ冥利に尽きるねー。何なのかよくわかんないけど」

 あははと、快活に笑う。笑ってみせた。


――――――――――――――――――――――――

 

 "8月3日。

 書くほどのことなのかはわからないけど、一応書いておこう。

 たまにレイアは、どこか遠くを眺める。

 どうしたのと聞くと、いつものように笑いかけるけど、そういう時はその笑顔すら偽りに見える。

 大抵は、死んだ人を多く見た後だ。どこか、ずっと遠くを悲しそうに、羨ましそうに眺めている。最初は、助けれなかった後悔から、彼女の優しさから来ているのだと思っていた。

 わからない、本当に突拍子もない考えだけど、レイアは死ぬ瞬間を求めているじゃないかと思う時が最近はたまにある。

 聞く勇気はない。ただ、そんな表情をする時が無くなってくれるといいな"

 パラパラとめくっていく。しばらくは、新しく人を助けた。その人たちを自分たちと同じ、家族として迎え入れたという旨の内容が続いている。あの時、奴が言っていたことと一致する。


――――――――――――――――――――――――


「最終的に、13人の家族となった俺たち」

 カツ、カツ。声の他には、わたしと彼の足音のみが響く。不気味なほどに、それ以外の音がない。世界に2人しかいなくなったようだ。

「もともとレイアが成長しないのは、成長期あたりのはずのレイアが成長しないことからわかってたんだけど、俺たちも老いないのは10年くらい経ってようやっとわかった」


――――――――――――――――――――――――


 "歳を取らない。これが何を意味するのかはわからなかった。とりあえずはその結果がわかるまで、レイアの血を与えることは余程のことでない限りやめることとした"

 "人を不老不死にする力。それが一体どんな代償を持つのか。彼女は謝っていたけど、僕たちとしては謝られる道理なんてない。

 本来だったら死ぬはずだったのに、あそこで救ってもらえたのだ。例えどんなものを犠牲に出したとしても、感謝以外の想いはない。例えどんなものを犠牲に出すとしても、レイアのために尽くしたい。

 それくらい、感謝してるんだって。言ったけど、多分うまく伝わってない。いつか、わかってくれるといいな"

 不老不死の代償。アイツの語りによると、それらしいものはないらしい。だが、気にする気持ちは十二分にわかる。そんなとんでもない効果、普通ならばそれ相応の対価があると考えるはずだ。そうでなければ、世界は保存されない。法則を満たさない。

 ただ、レイアはその法則の外にいた。世界の外側、いやむしろその内側にいた。それだけのことだ。

 何にせよ、ここにヒントはない。先を急ぎ、ページをまた開く。


――――――――――――――――――――――――


「レイアの力に頼れない以上、俺たちは自身の能力で人を救う必要があった。つまり、純粋な知識と技術、物資で人を助ける必要があった。だから、この組織を作ったんだ」

「……私は、すごく嬉しかったよ。ここができて、初めて事故に遭った人を助けれた時」

「俺だってそうさ。今でも、あの時のことは鮮明に覚えてる」

 澱みなく語る。間違いなく、本心から出ている言葉。ならば、なぜ――

「――じゃあなんで、」

「何であいつらを殺そうとしたかって?」

「……」

 先んじて言われる。

「言ったろ?順を追って説明するからさ。さて――」


――――――――――――――――――――――――


 "6月10日。

 ついにimp型、imaginative power型(意志電力転換機構)の試作が完成した。

 理論体系としては半年ほど前からできていてたが、机上の空論というかなんというか。いざ実現するとなると、とんでもない期間がかかった。

 とはいえ、これがうまくいけば枯渇したエネルギーという問題を完全に解決しうる。明日の試運転が成功することを祈ろう"

 "6月11日。

 少し問題発生。

 機能自体は予測通りいった。理論通り、これはとんでもない力を秘めている。

 ただし、その力は僕の想像の遥か上をゆくものだった。

 使った本人を傷つけるレベルのエネルギー。リミッターをどうにかして設けなければ危険だ。使用者を傷つけてしまっては意味がない。本格的に使用できるようにするのは、そのあとだろう"

「……!」

 なんということだ。つまりは、この機械を作ったのはこの日記の作者、おそらくはアイツなのだ。

 これまでで一番の衝撃。とはいえ、これが何かに繋がるわけではない。

 ざわつく心を落ち着け、またページをめくってゆく。

 "7月14日。

 不思議なことが起こった。この前完成したimp型とともに作っていた計測器「impm」を使ってみたところ、レイアの数値が0を指した。

 他の人は笑っていたが、これはおかしい。これは、僕の理論体系に反する。

 人は生きている限り、意志を持つ。これは、種という世界の外側に位置するすべての存在に共通すること。彼らは、生きるために意志を持つ。

 なのに、レイアは0だった。何かがおかしい。僕の理論が違うのか。それとも、彼女は根本が違うのか……

 あと、僕の数値も低かったので、しっかりと検査しようと思う"


――――――――――――――――――――――――


「impmが0を指す。これは本来あり得ないことなんだ」

 今度は少し、悲しそうに言った。

「生きるため、もっとわかりやすく言うなら、動くためには意志を持たなければいけない。例え動かなくとも、心があれば生き物は考えるし、考えれば多少なりとも意志を働かせる」

「……」

「これが0になり得るのは、地面や木といった無機物だけ。それなのに、君は0を指した。不思議だったけど、それ以上に納得もできたんだ。――これが、君が不死の力を得た理由に繋がってるんだってさ」


――――――――――――――――――――――――


 "2月24日。

 翠泉が死んだ。レイアが血を分けた人の中だと、初めての死者だ。彼女が助けられてから、80年ほどだった。

 最後まで老いることはなかった。ただ、最近少しずつ元気がなくなっていた。今思えば、あれが前兆だったのだろう。

 彼女は僕たちの組織の拡大に、大きく貢献してくれた。多くの人を助けてくれた。彼女の残したものを、無駄にはしない。

 翠泉は僕たちの中でもかなり早くにレイアの血を分けてもらった人だ。僕たちの中には、血を分けてもらってから彼女より長く生きている人もいる。この違いの原因がなんなのかは、わからない。また、代償らしい代償も見られなかった。

 なんにせよ、情報が足りない。これで全て決めてしまうのは早計だろう。

 ただ、80年ほどを寿命と見たほうがいい。ならば、僕もあと少し――

 死ぬまでにもう少しだけ、レイアに何かを残したい"

 ページをめくってゆく。

 しばらく、その他の仲間が死んでいったことが書かれていた。

 "10月7日。

 最後の仲間が死んだ。これで、残ったのは僕だけになってしまった。

 おかしい。僕はもう120年以上、あれから生きている。他の仲間で100年を超えて生きた人はいない。僕はなにが違った?僕の何がおかしい?

 ――一つ、心当たりがある。だが、もしこれが正しいんだとしたら?


 世界を、救えるかもしれない。


 確かめないと。まだ、わからない。もしかしたら、僕の勘違いかもしれない。おそらく、きっと――"


――――――――――――――――――――――――


「俺が思いついた仮説。それはね、レイア。君の不死の正体だよ」

 こちらを向かず、進みながら語る。暗くて、表情を一切読み取れない。冷たい。

「生きているならさ、意志は無いとおかしいはずなんだ。それは間違いなかった。心がないと、君はどうやって話してるのかわからないからね」

 彼の拳が強く握られていることに、今更気づいた。

「だから、その意志の形が違うと思ったんだ。正確には、心の向きみたいなものかな。俺が最初に測っていたのは、自分に向かってゆく意志。こうしたい、こうなりたいという、誇示的欲求。

 知っているかい?遠い昔、人間の欲求について研究していた人がいるんだ。その人によると、人は生存に関する欲求「生理的欲求」、それが満たされて初めて成り立つ、安全でありたいと言う欲求「安全欲求」、それらのさらに上に仲間が欲しい、社会に認められたい、自分を認めて欲しいと言う欲求「社会的欲求」「尊厳欲求」、そしてそれらのさらに上位の欲求である、社会貢献に繋がりたい「自己実現の欲求」という5大欲求があるらしい。

 少し複雑なのがね、自己実現の欲求ってのは"自分の思い通りになる"ことを指すんじゃないんだ。自分のありのままが、飾らない、偽らない自分の好きなことが社会に、他者の役に立って欲しい。そういった欲求なんだよ」

 手先の感覚が薄れる。外界との境目が、よくわからない。

「俺の初めの計測器が測っていたのは、これらの欲求のうちの初めの4つ。いわば、下位の欲求。

 あのあとさ、実はまた別の計測器を作ったんだ。それは、わかりやすく言うなら最後の欲求、「自己実現の欲求」を測るもの。

 こっそり、みんなのを測ってみたんだ――」


――――――――――――――――――――――――


 "12月24日。

 予想が当たった。レイアのそれは、他の人の比にならない。計測器が振り切れて、その値はわからなかった。けど、少なくとも普通の200倍を超えるはず。

 僕だって、普通の人の5倍くらいはあった。おそらくは、それが僕が他のみんなより長く生きれている理由だろう。

 でも、それでもレイアのアレはおかしい。だってこれは、その他の欲求があって初めて成り立つもの。自分の安全が、自己の保証が完璧になって初めて、人は純粋に他者を想えるようになる。どこまでいっても、人は自分が何より大事なのだから。

 なのに、レイアはそこがなかった。自己の保証を一切顧みず、他者のことだけを考えている。

 破綻している。致命的に、欠落している。生き物を、種という括りを超越してる。むしろ、惑星といったものの方が近いかもしれない。

 星は、そこに住むすべてに分け隔てなく恵みを与える。どれだけ星自身が傷つけられようとも、寵愛を与え続ける。

 でも、それは星が途方もない存在だから。無限に等しいリソースと、からのココロが揃って初めて成り立つもの。

 なのに彼女は、その小さな体で、あまりに儚い力で、全てを愛し続けている――"


――――――――――――――――――――――――


「きっと、だからなんだろうね。人でありながら、限りのある矮小な存在でありながら、どこまでも他者を愛することができた。だから、神様は君に「不死の病」という庇護のろいを与えたんだろうね」

 皮膚の感覚が薄れる。外郭が溶けてゆく。

「つまりさ、君は星と同一の存在なんだよ。種という、星の内海で生まれながら外に抜け出した存在と違って、君は星の内側にいる。

 星と人類のハイブリッド。星からの無限に等しい供給を得ながら、人類の意志という生きている限り無限に等しいエネルギーを放出する、永久機関。わかるかい?そう――」


――――――――――――――――――――――――


 "――今はまだできない。でも、もしこのエネルギー、仮にtde「上位的欲求エネルギー」と名付けよう――を今までの意志力と同じように電力として変換できたら?

 本当の意味で、永久機関が完成する。尽きることのないエネルギー。破壊し尽くされた地球で、枯渇しかけているエネルギー源という問題を解決しうる。きっとこれは、世界を救い得る。

 おそらく、いや、ほぼ確実に可能だろう。理論は同じだ。計測器だってできている。ならば、できない理由はない。

 でも、これは本当に良いのか?だって、これはレイアを機械として、部品として扱うことと同じだ。

 何度も書いたように、これらの意思は生きているだけで現れる。もちろん意識があったほうが総量は増えるが、エンジンとして考えるなら意識のない部品として扱った方が何倍も効率は良い。

 そんなの、生きながら死ぬようなものじゃないか。いや、死ぬことよりも何倍も残酷な、非道な処置。こんな扱いが、誰よりも他者を想っている人にあって良いのだろうか……

 きっと、レイアに言ったら彼女は受け入れてしまう。喜んで、自身を捧げるだろう。そういう人だ。そういう人だから、こんな運命を背負ってるんだ。

 ――なんにせよ、変換器ができないことには始まらない。とりあえずは、その研究を始めよう。そもそも、それができない可能性だってあるんだ。今はこれでいい。今は、まだ。きっと……"


――――――――――――――――――――――――


「その研究とは別に、ずっとやっていたことがもう一つあってね。それが、自我を失った、植物人間となってしまった人たちの再生治療さ」

 記憶が蘇る。覚えてたつもりになっていたものが、明白になってゆく。

「植物人間となった人たちはね、impmの数値が0に近しい数値を指すんだ。つまり、限りなく自意識が消えているってことだね。俺のimp型は意志力を電力や、エネルギーに変換する。

 でも、これを変換させることなく人に渡せたら?もしかしたら、何か解決につながるかもしれない。まぁ、正直これはダメ元もいいところだったんだけどね。助けれる可能性が1%でもあるなら、やってみる価値はあると思ってさ。

 ただね、今ではこれはやってないよ。理由は単純、基本的に他者の意志力を入れても拒絶反応を示して、最悪死ぬだけだったから――っと。ほら、見えてきた」

「――っ」

 大きな空間に出る。明るい。あまりに眩しい。思い出したくない。

「ここだよね。俺が拒絶反応を出して亡くなってしまった人を埋葬しようとしてた時に、レイアがちょうど来た。焦った様子で捲し立てられたからよく分かってなかったんだけど、あの時俺があの人たちを殺してると思ってたんだね。今更分かったよ」

 心が崩れ落ちてゆく。破片は砂のように、掴むことができず消えてゆく。

「っでも、、あの時、私のためって――」

「そりゃそうじゃん。俺が人を助けるのは、俺を助けてくれたレイアが人を助けたがってるからでしょ?恩返しなんだから、レイアのため、じゃん?」

「そん、、なの、、、、」

 逃れられない。言い訳のしようがない。

「つまり、理由はなんにせよ自分のせいであの人達が殺されてると思った。自分の不死のせいとか、ある程度心当たりはついてたんだろうね。だから、あの人たちを助けようとあの夜ここに侵入して、解放しようとした」

「――ぁ、」

 息が、心臓が、拒んでいる。生きることを。のうのうと、生きようとすることを。

「でも、失敗した。何がどうしてそうなったのかは知らんけど、施設を大炎上させて、助けようとした人たちも、関係ない人たちも大勢焼死させて。

 衝撃で記憶を失ったのか、罪悪感から潰れかけた心の防衛本能で忘れたのかは知らないけど、記憶を失った君は「捕まったらまたここの人たちが犠牲になる」、「自分の不死性のせいで犠牲になる」っていう断片的な記憶だけで行動していた――っと、こんなところかな?さて――」

「――――――」

 私の、せいだ。

 全て私の、勝手な行動のせいだ。

 私があの時聞いていれば。

 私があの時寝ていれば。

 私があの時出会わなければ。

 私があの時死んでいれば。

 私が、いなければ……









 


 

 もう、何でもいいや。

「…………殺して」

「ん、随分あっさりと言うね。いいよ。もともとそのつもりだし」

 全て、彼の言った通りだった。何一つ、間違いはない。これだけのことをして、何故生きていられるのだろうか。何故、生きていていいのだろうか。

「じゃ、またついてきて。君の待ち望んだ最後をあげるよ」


――――――――――――――――――――――――


 "3月12日。

 もうすぐ変換器ができそうだ"

 "5月16日。

 植物人間となってしまった人たちの治療法の研究を始めた。変換器の開発が少し遅れそうだが、問題ない。どうせ、あと少しでできる"

 "11月5日。

 彼らの治療施設を見られた。無駄に彼らを見殺しにしていることがバレた。とっさに、レイアのためと言ってしまった。彼女には、そんなのいらないと言われてしまった。

 どうする。変換器はできてしまう。殺すのか?それが救いなのか?いや、でも、そんなことは、

 どうすれば、どうするのが……"

 "12月25日。

 レイアが彼らを解放して、同時にここを逃げ出そうとしている。

 じゃあ、僕は、いったい、何が、どうすれば、正解なんだろうか。

 レイアにも拒絶されて、僕は彼女を救いたいのに、助けたいのに、殺そうとしていて、それが救いになると思っていて、

 僕は、ぼくは、ボクは?なにがしたい?なにをしたい?だれにしたい?ナンデ?ドウシテ?コロスことがスクイ?スクイってナニ?コロス?コロシテドウナル?ナニがスクイ?タスケル?ボクはボクはボクはボクはボクは、、、、

 わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない

















 そうだ。俺は、世界を救いたいんだ。

 じゃあ、レイアを逃そう。彼女を生贄にすれば世界が救えるんだ。

 今すぐにでも、捕まえるために、あの施設を爆発させよう。パニックを起こして、レイアに生きてもらおう。

 早くしないと、間に合わなくなる。さっさと捕まえて、作った機械に閉じ込めて、エンジンにするんだ。

 早くしないと、間に合わなくなる。レイアに逃げてもらって、殺して、殺さずに済むようにして、

 うん、完璧だね"

 

「……」

 それ以降は白紙だった。

 ようやっと、全てがわかった。計画の全容、レイアの役割、アイツの本性。

「――なら、俺は。」

 本をそっとしまう。こいつの役割はここで終わった。道標は十分だ。

 マップを開き、目標を見定める。俺がやるべきは――


――――――――――――――――――――――――


「...」

「...」

 互いに会話はない。少女は静かに少年についてゆき、少年は全てを懐かしむかの如くゆったりと、一歩一歩踏みしめて進んでゆく。

 少女に思考はなかった。そこにあったのは無限に続く後悔と、その全てへの懺悔。謝罪の対象が、己の作った幻影である以上、その旅が尽きることはない。

 ただ、例えその道のりに終わりがなくとも、彼女がその行いを止めることはなかった。

 それだけが、意味も価値も持たないその行動だけが、次の、僅か1秒の彼女の生を保っていたから。

 どれだけ少年が遅く歩こうとも、そこには限りがある以上、いつかはたどり着く。

 それほど経たずして、2人は目的地に辿り着いた。全長は何十メートルもありそうな、金属でできた冷たい機械。魂を喰らう竜のようにも、寂しさの現れのようにも見える。


 お目当てのものの前で立ちすくむ。不思議と、冷たさを直に感じた。体ではなく、心が冷えるような。

 これが、私にあてられた最後の罰。これが、私の待ち望んだ最後をくれるもの。これが...。私は...


 レイアの横を通り抜け、タッチパネルに触れる。確実に、一つ一つ操作を進める。起動準備、完了。これであとはー


 その瞬間だった。強い衝撃とともに、施設全体が揺れた。

「!?」

 自身の服に搭載されている端末を操る。ここでようやっと、組織の戦闘要員の3割が崩壊させられていることに気づいた。

 「...なるほどね」

 一応、起動を試みる。案の定動かない。


 「やられたなぁ」

 「...?」

 「主電力をやられた。要は、施設全体の機能が失われたってこと。この機械も、一度機能すれば半永久的に動くけど、最初に起動するためのエネルギーは外部から得る必要がある。これで、主電力を復旧させなきゃコイツは動かない」

「...サブはないの?」

「当然あるさ。でも、そいつらは完全に機能停止しないよう、最低限動かすので手一杯さ。こんな、末端の装置にまで回してる余裕ないよ」

 視界の端で、彼がニヤリと笑う。してやられた、というだけには見えない。どこか、嬉しそうにも写って見えた。

「挙句今はそこを占領してやがる。こっちの居場所がわからないなら、目的のものを動かせなくすればいいってわけね。ったく、どっからコイツのことを知ったんだか」

「...どうするの」

「部下たちがやってくれるのを待ってもいい、けど時間がかかりそうだしね。彼に来てもらおっか。俺が行ってもいいんだけど、面倒くさいしね」

 そう言いながら、彼は端末をいじる。するとーーー


ーーーーーー


「っ!はぁ!!」

 ようやっと意識が戻った。どれだけの時間気絶していたのかはわからないが、目の前のものが修復されていない以上それほど経ってはいないだろう。

 体は再生しきっていない。全力を込めた右腕は潰れたままだし、全身の骨だってくっついていない。まぁ、それも時間の問題だ。

 相手の目的が、レイアを機械のエンジンとして用いること。ならば、その機械が動かないよう心臓部をとめればよい。とはいえ、流石は全ての動力源。破壊した衝撃が凄まじかった。あとは、相手がどう出るか...

 足音が近づいてくる。音の方向を見ると、1人の女性が入ってきた。かなりの高身長に、黒く短い髪。見るからに、武闘派。

「はじめまして、ユート君」

「1人かい?部下は?」

「貴方レベルに、imp型を持たない方々をいくら当てたところで意味はないです。無駄な犠牲を出すことは、我々のポリシーに反します」

「へぇ。面倒が減って助かるよ。で、おひとり様でどうしたんだい?」

「主君から、貴方を主君の場所まで案内するよう命じられました。ここに、その場所が書かれたデータが入っています」

 そう言って、マイクロチップを見せてくる。

「至れり尽くせり、まったく感謝だよ。んじゃ、さっさと渡してくれ」

 俺の言葉とは反して、彼女がチップをしまう。

「主君は、私が貴方を殺せるならそうしても良いと言われました。貴方が行けば、彼を殺そうとするでしょう?」

「言わずもがな」

「主君が貴方に負けるとは思えませんが、主君を煩わせるわけにもいきません。悪いですが、ここで死んでいただきます」

「はいはい、建前はいいから。さっさと終わらせよう。お前も俺も急いでるんだ」

 静かに頷き、彼女が構える。深呼吸し、俺も拳を前に置く。

 会話が終わっても、再生し切ることは叶わなかった。問題ない。この心臓が、心が動く限り、充分だーー


――――――――――――――――――――――――


「多分、言うこと聞いてないよなぁ」

 はぁ、とため息をつく彼。椅子に座って、ぼーっと無機質な天井を眺めている。

 レイアは小さく、座り込んでいる。ただ、その瞬間を待っている。

 すると、またしても衝撃が施設全体を走った。先ほどよりもはるかに軽い。

「やっぱり。あいつらやりはじめたよ。はぁー」

 先ほどよりも大きなため息。だが、打って変わって今度は感情が読み取れない。

「俺がここまで案内するように言った奴が、勝手に戦い始めちゃった。いやまぁ、良いとは言ったけどさぁ」

 わざとらしく、やれやれと言った仕草をする。芝居がかった、薄っぺらい言葉。

「ねぇ、レイアはどっちが勝つと思う?」

 くるりとこちらを向き直して、尋ねた。

「ー」

「俺はね、彼が勝つと思うよ。というか、間違いなく彼が勝つ」

 答える気など毛頭なかったが、そもそもそんな暇も与えずに続けて言った。

「今の彼相手じゃ、俺以外勝てないだろうね。言ったんだけどなぁ。

 ま、いっか。そう時間はかからないでしょ。気長に待とっか」


――――――――――――――――――――――――


「ふぅ...」

 口の中に残った血を吐き出す。そのまま、マイクロチップを彼女だったものから取る。

 なかなか大変な相手だった。恐らく、一、二回は死んでいたのではないだろうか。ま、それも終わった話だ。

 冷たいココロは、いくら返り血を浴びようとも何も感じない。感じでいる暇はない。ツケなら、あとでいくらでも支払ってやる。

 躊躇なく、マイクロチップを読み込む。罠などはなく、言ってた通りにピンの刺されたマップが出てきた。ここに、ヤツがいる。

 もちろん、真実である証拠はない。嘘をついており、俺がいなくなっている間に主電力を復旧しようとしている可能性だって十分にある。

 だが、それでも確信があった。これが真実であるという確証ではなく、確信が。

 わずかに乱れたコートを着直す。これが最終決戦になるだろう。目を閉じ、全てを振り返る。

 ーーーうん、きっと平気だ。捨ててきたものはたくさんあっても、残してきたものは何一つなさそうだ。ちょうど良い。持ちものも悔恨も、少ない方がきっとさらに遠くまでゆける。

 最期へ向かって、遥かに重く、遠く、尊い一歩を踏み出した。


――――――――――――――――――――――――


「ーーっ」

「来たね」

 キュッと唇を噛み締める私と、不敵に笑う彼。コツコツと、足音が大きくなってゆく。

「...」

 暗闇からようやっと、彼の姿を肉眼で捉えた。焼けこげ、あちこちがちぎれたコートに、傷だらけの体。その姿はあまりに痛々しく、なぜ今も立てているのかが疑問なほどだった。

「ごめんね、うちの奴が。手をかけさせちゃって」

「当然の責務だろ、あいつにとっちゃ」

「俺の命令を守るのだって、そうだと思うんだけどなぁ」


――――――――――――――――――――――――

 

 首を傾げながら、俺から見てはるか上方にいる彼が答える。レイアの姿はよく見えない。それでも、確かにそこにいるのはわかった。

「ほら、待ちに待った再会だよ。最後になんか、言っておけば?」

 レイアの方を向きながら、彼が言う。

「...」

 しばしして、彼女が出てきた。ようやっと、目に見えるところに彼女がいる。

「レイア...!」

 今にも踏み出しそうな体を、ギリギリのところで抑えて口にする。しかし、彼女は目線を逸らしており、決して合わせようとしない。

「...なんで来たの?」

「――」

 なんで。言いたいことはわかる。

「言ったじゃん。あそこでさよならだって。それなのに、なんで、なんで...」

「それは――」

「私ね、たくさん人を殺しちゃったの」

 言い切る前に、自身を刺すかのように、押し出すように口にした。

「自分勝手な思い込みをして、大勢殺して、そのくせ、それを見て見ぬ振りをして逃げてきたの」

「...」

「ひどいよね、何十人も殺しておいて、自分はのうのうと楽しんでたんだよ?しかも、そのことを忘れて」

 声が、震えている。涙が溢れている。

「自分は全員幸せになってほしいなんて綺麗事言いながら、結局自分のことしか考えてなかった。そんな、最低な人なんだよ。そんな人が――」

「違う!それは絶対――」

「違わないの!!!」

 強く言い切った。胸のところを握りしめるように、倒れ込む。

「――そんな人が、生きてて良いはずがないの!許されて良い筈がないの!

 私にできる、最初で最後の償い。だから、だか、ら、、ごめん、なさい...」

 掠れた声で、溢れる涙を抑えながら言い終えた。

「だってさぁ!」

 楽しそうに、横にいた彼が叫ぶ。

「こいつ自身が言ったんだぞ!助けなんていらないって。そりゃそうだよなぁ!もう、取り返しのつかないことをしたんだ。後悔しても仕切れないことをしたんだ。ましてや、お前の助けなんか、なぁ?」

「――!」

 何を言おうとしてるのか、わかるに決まっている。

「知ってるかぁ?レイア。コイツはよ、お前を助けるためにここにいた奴らを大勢殺してきたんだ。なんの罪もない奴らを、大勢」

「――!!!」

 うずくまった小さな体が、震えた。

「―――ほん、とう?」

「―っ」

 震えた、願うような声。心臓が掴まれたような感覚。違うと言いたい。叫びたい。逃げ出したい。でもーー

「あぁ」

「っっっ!」

 息を呑んだのがわかる。こうなることもわかっていた。それでも、嘘はつけない。どこまで堕ちたとしても、彼女には誠実にいなければ。

「―――私の、せいだ」

「ちが――」

「そーだよ!お前のせいで、さらにまた人が死んだ!お前のせいで、さらにまた人が死ぬ!どうだ!!自分が、守りたいと願った命を潰してゆく感覚はぁ!!!」

 違う、俺の勝手だ。レイアは悪くない。そう言い切るよりも先に、彼が叫んだ。

「レイア...」

「…お願い、死なせて」

 心から、懇願するように答える。心が鋭く痛む。

「レイア...!」

「もう、これ以上耐えられないよ!もう、これ以上、自分のせいで...

 だから、せめて、私が死ぬことで誰かが助けられるな、ら、、、」


――――――――――――――――――――――――

 

 違う。そうだけど、そうじゃない。そんな大層なこと、私なんかが思えるわけがない。そんなんじゃなくって、

「―――もう、逃げたいの!」


――――――――――――――――――――――――

 

 不自然な間の後、再度レイアが叫んだ。

「もう散々なの!誰かが死ぬのを見るのは。もう疲れたの。もう、歩けない、歩きたくない。私は、もう、進めない...」

「――」

「だから、お願い。もう休ませて…。もう、死なせて……」

 

「だってさ」

 永遠にも思えた静けさを、男が打ち破った。

「聞いたか?わかったろ?お前のやってきたこと、全部余計なおせっかいなんだよ。わかったらさっさと諦めてくれる?ほら、邪魔しないなら、また拘束するだけで許してあげるからさ」

 余計なおせっかい。その言葉に、わずかにレイアが反応する。しかし、それ以上はなかった。

「…あぁ。わかってるさ」

「そ。ならさっさと――」

「わかってんだよ。そんなことは」

 わかってた。自分のやってきたことを、レイアが望んでいないことくらい。

 でも、それでも――

「レイアーーーー!!」

 精一杯叫ぶ。今持てる全てを、彼女に伝えよう。


――――――――――――――――――――――――

 

 彼が、呼んでいる。

 何度も何度も断ち切ったのに。断ち切った筈なのに、諦めた筈なのに。

 砕けた心が震える。まだ心が、あの日々を覚えている。


――――――――――――――――――――――――

 

「俺たちが犯した罪は、決して許されるものじゃない!奪ってしまった命には、俺たちの死を持っても、償いきれない!」

 悪いのは俺だけだ。許されないのは俺だけだ。彼女は悪くない。でも、そんな言葉は意味がない。だって彼女は、今救われなければならないのだから。

 だから、不本意だけど俺たちと言おう。

 飛んだディスアドバンテージ。上等。全部ひっくるめて、彼女をもう一度立ち上がらせてやる。

「でも、そんなことを聞いてるんじゃない!他人がなんだ!お前がどうなんだよ!?」


――――――――――――――――――――――――

 

 私。わたし、わた、し、は...

「だ、から!もう――」

「そうじゃねぇ!」


――――――――――――――――――――――――

 

 言葉を遮る。俺はそんなことを聞いてるんじゃない。俺はあの時の、初めてぶつかり合った時の答えを聞いてるんだ。

 「俺と過ごしてきた日々はどうだった!?」


――――――――――――――――――――――――

 

「っ!」

 ようやっと、言いたいことがわかった。ユートは、あの時の続きを話してるんだ。曖昧にして終わった、あの時を。

「俺とした旅はつまらなかったか!?楽しくなかったか!?後悔だけの、そんな旅だったのか!!?」

 体が、心が、魂が奮い立つ。無くしたはずのものが、落としてしまったものが光り輝く。

 いってはだめだ。理性が言う。罪と罰が否定する。そんなこと、許されて良い筈がない。許される道理がない。

 当然だ。他者を殺して良い理由など、一片たりとも存在しない。私が生きる権利など、とうに存在しない。それでも、でも―――

 世界の美しさを知った。1日ごとに、1秒ごとに、世界が色づいて見えた。

 世界が美しいだけでないことを知った。その醜さすら、愛そうと思えた。そう、思わせてくれた。気づかせてくれた。

 この想いだけは、間違いなく本当だから。わたしがようやっと見つけた、わたしだけの、わたし自身の本音だから。だから――――

「――っ、そんなこと!なかった!!!」

 全身全霊を持って、答えよう。


――――――――――――――――――――――――

 

「嬉しかった!楽しかった!!ずっとあの旅が続いてほしいって、ずっとずっと、一緒にいたいって思った!もっと、ずっと、、、!!」

 レイアが走り出す。止まっていた時間が動き出す。

 鉄格子に手をかけ、体が乗り出しそうになりながら、必死で叫んでいる。

 他者に、世界に縛られ、自己を持たなかった少女。そんな彼女がようやっと、自身の欲望を叫んでくれた。他の何よりも、彼女自身を優先してくれた。

 これ以上、一体どんな喜びがあるだろうか。

 口角が上がる。彼女が、あのレイアが本心で答えてくれたんだ。今だけは、俺もこの、沸き立つ感情に身を任せてみよう。

 滲んだ視界で、息を吸う。あの時と同じだ。言いたいことは、最後の言葉は決まっている。


――――――――――――――――――――――――

 

「じゃあ、レイアはどうしたい!!??」

 最後の最後にもう一度、わたしに選択権をくれた。戻るならこれが最後のチャンスだと、過去の私が手を引く。

 ごめんなさい。今までの全てに謝る。これからの全てに謝る。

 もう戻れない。知ってしまった。200年の、燻んだ一生を色付けてくれた。わたしの生きるこの世界が、どれだけ醜く、残酷で、美しく、素晴らしいのかを知ってしまった。

 楽しいと、もう少しだけ。もっとずっと、一緒に生きていたいと願ってしまった。未来を願ってしまった。永遠を祈ってしまった。だから、やっぱりわたしは――

「生きたい!生きて、また一緒に旅をしたい!!」


――――――――――――――――――――――――

 

「よし!じゃああとは任せろ!!」

 舞台は整った。彼女のための戦いはここで終わり。彼女は自分自身との戦いにすでに勝った。あとは、それに比べてなんとも醜いけど、俺自身のための戦いだ。

「残るはお前だけだ。来いよ、昏井クレイ!」

 

「へぇ、俺名乗ったっけ?」

 先ほどのレイアの叫びで特段怯んだ様子もなく、飄々とした様子で彼が飛び降りる。

「ちょっとな。お前の計画を知るために、色々と探したんだよ」

「あー、色々心当たりがあるわ。俺の部屋行ったなら確かに、いくらでも知れただろうね」

 邪魔そうに、上着を脱ぎ捨てる。

「ま、そんな雑談はどうでもいっか。レイアがなんと言ったところで、君が俺に負ければ全て無に帰るんだ」

「俺が負ければ、の話だろ?」

「事実一回負けてるじゃん?結果は変わらないさ」

「はっ!お前が理解しない限り、お前が負けるよ」

「…なんのことかな?」

 「ほざけ。ほんとは分かってるくせに。いつまで目を背けてるんだよ」

「…ごちゃごちゃと。いくら言葉で惑わしたところで、実力差は埋まらないよ」

「全部やってみればわかることだろ。前座が長くなりすぎたな。始めよう、ぜ!」

 示し合わせたかの如く、同時に地を蹴る。瞬きにも満たない時間が、限界まで引き延ばされてゆく。全てをかけて、拳を振り抜いた。


――――――――――――――――――――――――


「っ!」

 始まった。もはやわたしの目には追えない。ほとんど同時に、数箇所で衝突が起こる。一回一回、空間が軋む。衝撃波は余裕を持ってこちらまで届き、風塵で目が霞む。

 それでも、目を離すわけにはいかなかった。これは、わたしのせいで起こった争いだ。ならば、わたしがなんとかして止めないと。でも、どうやって。

 何にせよ、近づかないことには始まらない。クレイと違って、わたしにここから無傷で飛び降りれるだけの運動能力はない。が、彼と違ってわたしは完全な不死だ。なんにせよ、飛び降りて――

「やめろ、レイア!」

 ユートの声。すんでのところで留まる。声の方向を見ても、相変わらずその姿は捉えられない。

「これは俺ら自身をかけた戦いだ!だか、らぁ!」

 均衡が崩れる。何かが吹き飛ばされる。壁にぶつかって起きた粉塵が消えてようやく、それがクレイであるとわかった。

「頼む、見ててくれ。たぶんもうすぐわかるから」

「っ!やってくれる、なぁ!」

 ユートが言い終わると同時に、クレイが飛び出た。止まっていたユートも、次の瞬間にはまた消える。

 何が何だかわからない。説明もなく、勝手に...

 でも

「...信じてるからね」

 ユートが言うんだ。今は耐えろ。


――――――――――――――――――――――――


「くっ!」

 右の拳をかろうじて、頬を掠めながらかわす。対する俺のリターンは、いとも簡単に弾かれる。

 おかしい。

 つい先日に戦ったときは、圧倒的な差があった。破壊力ゆえに多少ヒヤリとすることはあれど、本来動かせない体を謎の力で動かしてきた、完全に想定外だった一撃を除けば攻撃が当たることすらなかった。

 それなのに、今はこれほどまでに追い詰められている。俺の一発一発は簡単に防がれ、あちらの一撃は見切ることすらままならない。

 どうなっている。たった一日で埋まる差じゃなかった。一体、何がどうして……

「!」

 目前の敵の左手が瞬く。今度は、完全に置いてかれた。

「がはっ」

 腹部に強い衝撃。休む間もなく、右足の蹴りが飛んでくる。

 かろうじて受け止める。が、受けきれずに飛ばされる。

「っ――!」

 何とか受け身をとった、次の瞬間には踵落としが飛んできた。

 受け切れない――殆ど脊椎反射の域でそう判断し、後方へ飛ぶ。相手の靴裏が、鼻先を掠める。

 金属製の大地に振り下ろされたそれは、轟音と共にそれらを破壊した。

 とてつもない衝撃。またしても、舞い散る花びらのように飛ばされる。土煙のおかげか、追撃はなかった。

「まだ気づかないのかよ」

 粉塵の中から、やつが出てくる。

「はぁ、はぁ……お前、何をした」

「何をした、ね」

 あれだけの実力差はそう容易く埋まらない。ならば、何か裏があるということ。聞いたところで答えてくれるとは思えなかったが、聞かずにはいられなかった。

「別に何も」

「……は?」

「言ってんだろ。俺はなんもしてねぇよ」

「……だったらなんで、」

「なんで俺は追い詰められてるのか――とかか?簡単だよ。俺は何もしてない。俺は、何も変わってない。なのに、互いの力関係がひっくり返った。だったら答えは、"お前が弱くなった"しかあり得ないだろ」

 ――何を言っているんだ?

「俺が、弱くなった?――それこそありえない。ここまでで、俺は何も食らっていない」

「? あぁ、俺がなんかしてお前に本来の力を出させてないってことか?だから、俺は何もしてないよ」

「――だったら、なんで」

「普通はあり得ないさ。でももし仮に、お前が"負けたい"と思っているなら、わざわざ本気で戦わずに弱くなっていることも納得いかないか?」

「――」

 は?

 こいつは、何を言っている?

「何を、馬鹿な……」

「いい加減、自分のことくらい理解しろよ。いいか?はなからお前はレイアを殺す気も、殺す勇気もありゃしないんだよ」

 殺す、勇気?

「――ちがう、俺は、レイアを利用して世界を……」

「それだって嘘だ。お前にとっちゃ、世界なんてどうだっていい。最初っからずっと、お前の中で大切だったのはレイアだけだった。救いたかったのは、レイアだけだ」

 救う?レイアを?

 なにを、いって――

「レイアを殺したくないから、俺に負けることでまた"あの時と同じように"逃げてもらおうとした"。

 そのくせ、いざ自分の手の届かない場所に行きそうになったら慌てて取り返そうとする。執拗で、女々しくて、意気地なしで。自分勝手なクソ野郎だよ」

 にげて、もらう?

 また?

「……ちがう。ちがう、ちがうちがうちがう――」

「だったらなんで、あの時施設を燃やしてレイアを逃げさせたんだよ」

「―――」


 あぁ、そうだった。あれはレイアがやったものじゃなかった。俺がやったんだ。

 じゃあ、なんで?

 決まってる。

 俺が、弱かったからだ。


――――――――――――――――――――――――


 日記を読んで、気づいた。こいつは俺と同じだ。こいつはほんとは、世界なんてどうだっていい。

 ただただ、レイアの役に立ちたいから、レイアに喜んで欲しいから、彼女の願いを叶えるために世界を救おうとしてるんだ。

「気づいたんだろ。レイアを救おうとして、レイアの望むものが、レイアにとっての救いが、彼女が死ぬことだって。しかも、世界を救う方法がよりにもよって、レイアの死を前提としてたわけだ」

 俺だって、なんとなくわかっていた。あまりにも美しく、高すぎる理想と、あまりに残酷な現実の狭間で、彼女は終わりを望んでいた。

 それでも死ぬことができないから、自身の理想を願い、それから目を逸らし続けて、気丈に振る舞って、本心なんて一切見せないで、ずっと深くにしまい込んで生きていた。

「でもお前は、レイアに生きていてほしかった。そうでなきゃ、あいつが報われないから。なのに、自分にとって生きていて欲しい、救いたい人物を救う方法が、そいつを殺すことだった」

 一体どんな気持ちだったろうか。自分の信じる人も、その人が願う理想すらも、何よりも大事なその人を殺せというんだ。

 レイアが大事で生きていて欲しいのに、死ぬことこそが救いなんではという板挟みの葛藤、そしてレイアの逃亡という実質的に背を向けられたという事実。心が欠壊したっておかしくない。むしろそんな世界に、どうして耐えられるだろうか。

「お前も結局、レイアと同じだったんだよ。そうやって壊れた心を守るために、「自分は世界を救いたい」って嘘をついて信じ込んで、そのくせ根っこではレイアを生かそうとした」


――――――――――――――――――――――――


 思い出した。思い出してしまった。いや、とっくにわかっていた。ただ、目を背けていただけだ。

「……そうだよ」

 俺は、彼女が死ぬことだけが、彼女を救えると思ってる。レイアはそう望んでいると、確信していた。でも、それが本当に正しいのか、俺は信じきれない。何より……

「……じゃあ、どうすればいいんだよ……」

 レイアが生きたいと言ってしまった今、俺の今までにどんな意義があるだろうか。俺の存在意義はなんだろうか。「じゃあ、何が正解なんだよ!お前がレイアを救っちまった今、俺のそれまではなんだったんだよ!俺は、ただの邪魔者じゃねぇか!!」

 あぁ、なんて自分勝手な。叫びながら、自分が嫌になる。レイアのためとか言いながら、結局自分のことしか考えてない自分に反吐が出る。結局、俺の行動の始点には自分しかいない。いっそのこと、さっさと殺してくれと願う。

「……」

 彼は何も答えない。彼女を救ってみせた、俺の持たない全てを持ったそいつに、俺は今救いを求めている。

 

――――――――――――――――――――――――


 開きかけた口が止まる。

 良いのだろうか。その答えを、俺は知っている。いや、答えなんてたいそうなものではないか。せいぜい、俺の信じる悪辣な信念程度のものだ。

 でも、俺とあいつは同じだ。だからきっと、これは彼にとって正解になりうる。

 だったら、俺はこれを言うべきなのか。言わなければ、この戦いはここで終わる。それで全てが終わってくれる。


 でも――――

 それじゃあ、彼の物語は終わってくれない。

「――お前は、俺がレイアを救ったなんて言ってくれたけど、それはちょっと違うんだ」

「……?」

「俺の答えはさっき言ったよ。


――――――――――――――――――――――――


 すこし、ちがう?おれは、どうしたい?

 おれは、レイアのためになりた――


 あぁ、そういうことか。

 結局のところ、おれたちはレイアと違ってどこまでも自分勝手なクソ野郎なのだ。

 誰かのためと言いながら、それすらも自分本位に考えている。自分勝手な善意を押し付けている。

 なんて醜悪な在り方だろうか。まあ、この世界にはよく似合う。

 俺は、レイアみたいに美しい存在じゃない。彼女みたく、どこまでも他者のことを思うことはできない。その発端には常に、自分本位な感情が眠っている。

 それでも、俺が抱くこの気持ちと心は間違いなく本物なのだ。醜く、偽りのもので溢れかえるこの世界で、確かに存在するなのだ。

 ならば、恥ずかしがらずに受け入れよう。譲れない信念のために、醜悪な自分を受け入れる覚悟をしろ。

 決意を固めて、もう一度自分に問う。

 、どうしたい?


――――――――――――――――――――――――


 わずかに俯いたクレイの顔には影が差し込んでおり、表情はよく見えない。

 言えることは言い切った。元々、俺とあいつは同じであっても、互いに相反する信念を持つ以上共存し合うことは決してないのだ。

 拳を固める。あとは、彼次第。俺には俺の答えがある。

 ゆっくりと駆け出し、加速する。わずか5mの距離。わずか2秒の猶予。無限にも思える時が、一息で流れてゆく。

 残り、1m。彼はまだ動かない。振りかぶる。迷いはない。それは、彼にとって冒涜だ。

 残り、30cm。あとは、手を伸ばすだけ。それで、終局だ。

 残り、5cm。終の境界線に立つ。刹那、彼が動いた。

 先ほどとは違う、狙って頬を掠らせながら避け、右の拳を一閃する。かわす手立てなどあるはずもなく、そのままに飛ばされた。

 音速で動く俺を、彼は光速を持って凌駕した。

 空を舞う体を制御し、なんとか受け身を取る。前を見ると、確かに彼が立っていた。彼の右手に付けられた意志が青く光りだす。空気が揺れる。けたたましくなるエンジン音は、本番の合図のようだ。

「きたか……!」

 状況は絶望的になった。その筈なのに、不思議と笑みが溢れる。高揚が止まらない。

「――僕は、彼女の死を持って彼女を救う!『call』だ、ユート!!」


――――――――――――――――――――――――


「――どうやら、こっからが本番みたいだな」

 不敵に笑いながら、ユートが立ち上がる。

「そう――ごめんな、色々と」

「別に。それより、ひとこと言っとくべき相手がいるんじゃない?」

 ――ほんと、何から何まで。

「……レイア」

 恩人の名前を呼ぶ。

「! ……なに?」

「ごめん、君が願っていないのはわかってる。でも、僕は君を殺すよ。

 今は生きていたいと思っていても、きっといつか後悔する。何より、僕はこれこそが、君の救いになると信じてるから」

「――」


――――――――――――――――――――――――


 そういうことか。ユートの言葉が繋がった。

 彼らは、わたしのために戦ってくれている。でもそれは、彼ら自身がそうしたいという、譲れない思いがあるから。わたしとは関係なく、彼ら自身から発露する気持ちがあるから。

 つまり、我儘の押し付けあいだ。世界が救われるかがかかっているとは思えない、小学生同士の喧嘩のようななんとも馬鹿らしい争い。おかしくて、笑みが溢れそうになる。

 結局のところ、わたしは当事者でありながら部外者であるということだ。そんな人が、絶対に譲れない我のぶつかり合いをどうして邪魔できようか。

 確かに、ここでユートが敗れればわたしは死ぬ。願いは叶わずに終わりを迎える。

 ――構わない。この思いを見つけられただけでも十分だ。夢が夢で終わる程度、その対価にしてはあまりに安すぎる。

「わかった。たとえクレイが勝ったとしても、わたしは全部受け入れる」


――――――――――――――――――――――――


 受け入れる。つまりは、望まれたものではないということ。

 胸の奥がずきりと痛む。だからどうした。僕はもう受け入れただろう。覚悟しただろう。それでも進むのだと。僕の思う正しさを、最後まで押し通すのだと。

「――ありがとう」

 巡る感情全てを込めて、声にした。過去の記憶が流れ去ってゆく。美しかった日々が甦る。

 結果がどちらにせよ、僕たちの旅はここで終わる。僕たちの物語は、ここで幕を閉じる。

 ――これだけで十分だ。あとはもう、やっと見つけた自分の思いだけあれば良い。要らないものは全て捨てゆけ。その方がきっと、もっと先へいける。その方がきっと、もっと自分に正直になれる。

 そうして残った僅かな、何よりも熱い心を握りしめる。右手が強く握られる。込められた熱は、太陽のようだった。

 相手はとっくに用意ができてる。相手の誠意に精一杯感謝する。あとはもう、ぶつかるだけだ。

 随分とダメージを受けてしまった。が、相手だってここに来るまでに多く傷を負ってきた。これでようやく対等だろう。

 今度こそ、場は出揃った。太陽から噴き出るコロナのように、互いに飛び出した。


――――――――――――――――――――――――


 放ち、防がれ、受ける。わずか1秒の間に十回以上相克する。120%を込めた一撃一撃は、虚空を揺らし地を断絶した。

「っ――」

 クレイからの腹部への一閃。いなしきれず、吹き飛ばされる。

 チラリと背後を確認。壁に衝突する寸前、パイプを掴み遠心力の要領で衝撃のベクトルを変換する。そのままの勢いで、壁を走り抜ける。クレイの目が追いつくよりさらに疾く、蹴り出して右拳を放つ。

「ぎっ!」

 ギリギリ、左肘で受けられる。が、今度は相手が受けきれずに飛ばされる。

 合間を開けるな。攻撃を続けろ。

 両脚に全神経を集中する。溜めた力を一気に解き放つ。壁にぶつかるよりさらに速く、自由の奪われた空中で再度一撃を与える――

 7mの空間を、0.2秒で飛ぶ。0からの限界を超えた加速に、内臓が破裂する。肉体の完全な操作は諦めて、脳と右腕のみを守り操る。

 吸い込まれるように放たれた一撃――を、何もない空で体を捻らせかわし、カウンターが飛んでくる。物理法則に反した動き。反応も予測もできるはずなく、地面に叩きつけられる。

「――!」

 鈍い痛みを感じる。が、目線は外さない。追撃の踵落としを、バク宙するようにして避ける。

「はっ!」

 壁際に追い詰められた。咄嗟に、手元の管を掴み、引きちぎる。ありったけを込めて、投げつけた。

「……!」

 ほんのわずかだけ驚きを見せ、すぐに落ち着いて、顔を傾けてそれをかわす。同時に、背後へ通り抜けていったそれを掴む。

 まじか――声にならない言葉を発する。割と不意をついた一撃のつもりだったが、簡単に、そして完璧に対処された。

 間髪入れずに、片手が塞がっているクレイの足元に踏み込もうとする。が、一歩踏み出した瞬間に彼が地を蹴った。

「っ!」

 瓦礫が飛んでくる。かわしきれず、両手を交差させてそれらを防ぐ。

 しまった、視界が悪い。そう思った時には手遅れだった。

「ぐっ」

 何かが来た――反射的に、ソレに向かって左拳を振る。鈍い感触と共に、先ほど投げつけた管が突き刺さった。

 あいつはどこに、と思った瞬間、答えはわかった。空いた左に、上空から来たクレイが蹴りを入れる。防ぐこともできず、再度飛ばされる。

 何かにぶつかる。が、それでも衝撃はいなしきれずに、ソレを貫いた。

「ぼ……」

 中が液体だったらしい。呼吸ができない。幸い、有毒なものではなさそうだが、一刻も早く出なければ。息が。身動きが。

 当然、そんな格好のマトを見逃すはずもなく、クレイが詰めてくる。そうして、一切の躊躇もなくクレイが飛び込んできた。

 水中戦……!まずい。あいにく、俺は泳げない。

 一切抵抗もできず、殴られる。

 だめだ。この、短い時間での撃ち合いでは勝てない。一発。なにか、形勢を逆転しうる一撃を。

 意識を切り替え、全てを次にかける。カチリと音が鳴ったような感覚がして、直後に痛みが遊離し、溶解したような感覚に陥った。頭は、この液体のように冷えている。

 まだ、まだ――ここ!

 全てを受け切り、ここぞというタイミングで放つ。凄まじい衝撃が、一瞬で液体内を駆け巡る。全体に拡散していくような攻撃を、流石に水中ではクレイもかわしきれず、吹き飛ばされる。

 同時に、液体が入っていた装置が砕け散る。背後で爆発音。何かしらの機械が衝撃で壊れたらしい。

 ようやっと、呼吸が再開された。

「っが!はぁ、はぁ、はぁ……!」

 頭が痛い。酸素が足りない。だが、止まってはダメだ。無理矢理にでも、体を動かせ。

 揺らぐ視界で、崩れそうな世界でなんとかクレイを睨みつける。

 思ったより先程の一撃が効いていたのか、クレイもやっとの様子で立ち上がる。空中に比べて水中ではより早く、全ての衝撃が伝わってくる。たまたまだが、結果的に俺の考えが功を奏した。

「――」

 一息に、10mを駆け抜ける。右足の蹴りを、伏せるようにしてかわされる。軸足を離し、そのまま左足の踵をぶつける。これまたギリギリで避けられた。

 相手の右ストレートを右手で弾くように避け、膝を入れる。その膝うちも左手で防がれたので、左、右、左と殴りつける。

 コンマ何秒かの猛攻。それらを、軽々と首を傾けて避けられる。そのまま、最後の左を右手で掴まれる。

「ちっ!」

 右手を振り抜こうとするが、それより早くクレイの蹴りが腹に刺さる。左手を掴まれていたために避けきれない。

 地面を転がる。なんとか顔を上げると、右足蹴りが眼前に迫っていた。寸前のところで、伏せてそれを避ける。と、今度は左足の踵。先程の俺の攻撃と、全く同じ。だが、速さが違う。

「がぁっ!」

 かわしきれず、顔を蹴られる。視界の左側が真っ赤に染まる。

 なんとか立ち上がり、体勢を立て直そうとする。が、ぐらりと世界が揺れた。平衡感覚がおかしい。さっきのやつのせいか?おそらくは、脳震盪。

 うまく立てず、体がのけぞる。が、結果として、その不意の動きで追撃をかわす。逆に、俺の考えなしの一撃が当たった。

「っー!」

 風に飛ばされるボールのように、クレイが壁に叩きつけられる。あたりどころが悪かったのか、細々とした装置類が爆発する。連鎖的に、施設全体が軋む。

 砂煙が、天井から落ちてくる。俺たちの争いの衝撃に、建物が耐えきれていない。

 そんなこと、意にも介さずクレイに焦点を合わせる。まだうまく立てない、が、彼もしばらくは動けないはず。その間に回復を――

 しかし、そんなわずかな隙さえ見せず、クレイが壁を蹴った。

 凄まじい速度。でも、かろうじて反応し切れる。

 そうして振り抜いた、右手のカウンター。予測通り、綺麗にクレイの頬に吸い込まれる――

 その寸前で、彼が止まった。速度が一瞬で、0になる。法則を崩壊させた、圧倒的な動き。伸ばした右手は、わずかあと2センチ届かない。

 一瞬で彼が視界から消える、と共に足を払われた。体が宙に浮く。

 まだ平衡感覚は戻らない。姿勢を制御しきれない。

「っだ、らぁ!」

「がぁ……!」

 そのまま、腹部へと膝蹴りが打ち込まれた。

 容易く空を舞う、俺の身体。そのまま天井に突き刺さる。またしても、施設全体にヒビが入る。

「ぐっ……」

 打ち上げられ、落ちていく俺と、追撃しに迫ってくるクレイ。

「さ、せるかぁ!」

 体を捻り、パンチを寸前で避ける。そのままクレイの襟元を掴み、投げつける。

 なんとか着地。平衡感覚はようやっと治ってきた。クレイに目を向ける。

「っ」

 呼吸が合った。着地した先、偶然にも相対する敵と体勢が完全一致する。思考が連結した。感覚が共有される。行くぞ、と語りかけてくるようだ。

 ――上等!

 シナプスが爆発する。視界が明滅する。脳が破裂しそうになる程加速する。余りある力を使い切って、両の拳を打ち出した。

 秒間何十発の衝突。先ほどの数倍。俺たちの間で星が瞬くようだ。ぶつかるたびに、拳が砕ける。俺らが繰り出す蒼い流星と、鮮血の紅い流星が視界を埋め尽くす。あまりに美しい景色に見惚れてしまいそうな心を殺して、全神経を次の一撃に集中する。

 威力は俺の勝ち。だが、速さは相手の勝ちだった。相殺が間に合わず、何発かもろに受ける。たじろぐわけにはいかない。置いてかれるわけにはいかない。感覚を置き去りにして、放ち続ける。

 だが、純粋な撃ち合いとなっては力量差がそのまま出た。ゆっくりと、だが着実に差が生まれてゆく。

「――」

 眼前に、拳が迫る。防ぐか、受けるか。考えている暇はなかった。俺という性質が判断を下し、防ぐことなく受け入れる。だが、その二択になった時点で勝敗は喫していた。

 右目が潰れる、とまではいかなくとも、ピントがズレる。曖昧になった視界で、この加速する星月夜についていけるはずもなかった。

 一瞬で、十数発を受ける。吹き飛びそうな体を気合いで抑え、動かない腕で決死の反撃をする。

 打ち返すことを考えない、防御を捨てた一発。当然かわせるはずもなく、腹部に直撃させる。その合間にも絶え間なく殴られ、体の大半の機能が停止するが、クレイには風穴が開いた。

 ――いや、そんな程度じゃ終わらない。互いに、無呼吸での猛攻が続く。比喩ではなく今度こそ、脳がはれつした。市ったことか。いまうごけるということは、どうでもいいぶいだ。そのうちなおる。

 まだ、撃ち続ける。勝っている要素はないが、動く限りは。まだ、もっ――

 シャットダウンするように、視界がブラックアウトした。意識はそこで途絶えた。


――――――――――――――――――――――――


 限界を超えた脳の酷使で、一部思考能力が途絶える。が、歯を食いしばり撃ち続けていた。直後、糸が切れたようにユートが倒れ込む。

「――!」

 先に、相手が耐え切れなくなったのだ。唯一無二のチャンス。動かなくなった脳を動かし、全力で距離を詰める。

 右、左、右。弾かれるように連続で叩きつける。1秒後、意識が戻ったのか防ごうとしてくる。

 ならば、これが最後だ。カウンターの雑な振りをよく見てかわし、全てを賭けた一撃を、さらにその全てを持って放つ!

 胸部に直撃する。音を置き去りにしたそれは、僅かな抵抗も許さず彼を解き放った。


――――――――――――――――――――――――


「きゃっ!」

 足場が崩れる。下の、彼らがいる地に滑り落ちる。足に微かな違和感。が、そんなことはどうでもいい。それより、この戦いは――

「――!ユート!!!」


――――――――――――――――――――――――

 

 轟音。衝撃。いくつかの機械を貫通し、壁に打ち付けられる。そして、しばしの静寂の軽く倒壊し、ユートがそれらの下敷きとなった。

「――っ、はぁ!はぁ!!」

 ようやっと呼吸が戻る。肺が切り裂かれたかの如く痛む。開いた風穴はまだ塞がらない。倒れそうな体を何とか支える。糸一本で、意識が保たれている。

 勝った。すべてを賭けた戦いに、己を懸けた戦いに。我の押し付けあいに勝利した。これであとは、この機械を動かすだけ。

 しかし、ようやっと望みが叶うというのに、どう足掻いても体が動かない。無理もない。限界なんてとうに超えていた。

 だが、なんにせよ、これで――

 ドォン!っと、爆発音が背後でなる。

「――」

 言葉を失う。音の発生源など、わかりきっていた。

 それでも信じ切れず、ゆっくりと振り返る。そこには、火の中に佇むユートがいた。血だらけで、傷だらけで、ボロボロで。なぜ動けているのか、何が彼を動かすのかがわからない。

 ふざけるな。もうこれ以上僕に残された力なんてない。お前だって、とっくのとうに限界のはず。なんで、なんで立ち上がれ――

「……『ALL IN』だよ、クレイ!」

 彼の持つ心の代弁者が唸る。赤い火の中でも一際強く、青白く輝き出す。その目には、確かにまだ光が灯っていた。

 あぁ、そうか。そうだった。この争いの本質を、わかっていたようでわかっていなかった。

 これは、自己の最も譲れない信念を押し付けあう戦い。そのために、すべてを捨ててきた以上、負けた時点で自己を失う。ゆえに、勝つ以外に路はない。今を主張できなければ、未来など永劫に語れない。

 ならば、中途半端に先のことなど考えるな。中途半端に、己を守ろうとするな。今この瞬間、いかに相手を負かして自分の正当性を主張するかのみ考えろ。

 決意を固める。あの時は、理想とは程遠い己に向き合い、受け入れる覚悟。今回は、そうして得た己すら捨てゆく覚悟。レイアさえ、僕の思うレイアの救いさえ叶えば、あとはどうだっていい。

 真の意味で、邪魔なものを全て無くした。変わったのは意識だけのはずなのに、体の痛みが他人事のように薄くなる。

 さぁ――


――――――――――――――――――――――――


 体中が軋む。筋組織と多くの内臓は、とうにその働きを失っていた。なぜまだ生きているのかがよくわからない。だが、動くうちは戦い続けろ。勝って、証明しろ。

 右手を強く握りしめる。魂から溢れてくる、この想いだけは止まらない。止まることなく流れ続けるそれに、すべてを任せる。それだけが、俺に残されたすべてなのだから。

 不恰好に、それでも確かに足を踏み出そうとした。その時――

 ドンッ!

 気配が変わる。空気が重くなる。見ると、彼の手に握られたソレが、一際強く輝いていた。その光は燃えたぎる炎のようで、俺たちの魂のようだった。

「さぁ、あげてこうぜ!正真正銘、最終決戦だ!!!」

 不敵な笑みを浮かべて、クレイが強く宣言する。こちらも不思議と笑みが溢れた。高揚が止まらない。こんなにも、自分の思いを全てぶつけれる相手がいることに感謝する。

 互いに限界なんて何度も超えてきた。その上で、おそらく次が最後のぶつかり合い。次の2秒が、俺たちの肉体が動きうる最後の猶予。

 残すものが無いよう、持てるすべてを絞り出す。ここまできて、何か一つでも残してしまっては勿体無い。全てを賭けれる相手が2人もいるなんて、なんて幸運なんだろうか。

 エネルギーが限界を超えて高まってゆく。高熱で、imp型の中の腕が若干溶ける。こいつもすでに限界だろう。

 さぁ、全てが整った。あとは、最後をどのように飾るか。カウンターか、有無を言わせぬ一発か、それとも……


――――――――――――――――――――――――


 構える。あとは、ゆくのみ。相手は一体どのようにくるだろうか。おそらくは――

 未来を推定し、ソレを打ち負かす策を演算する。

 全てが結論付いた。さぁ、終わらせよう。あと2秒、全力で踊りきるとしよう!

 全くの同タイミングに地を蹴り出す。2秒が何百倍にも引き延ばされてゆく。走馬灯は流れない。そんなものは、全て捨ててきた。

 互いに射程圏内に入る。瞬間、互いに貯めた拳を振り出した。

 ――ビンゴ!やはり、ユートは初手から全力でくる。正々堂々、正面から来る。

 ただ、わざわざそんなものに付き合っている余裕はない。正面からぶつかれば、負けるのは十中八九僕だ。

 だから、この右腕はブラフ。逆の手で方向を逸らす技はすでに使った。おそらく、今回も使えばバレてギリギリ対処される。

 ゆえに、僕が思いついた確実な勝ち筋は一つだった。

 拳同士がぶつかる寸前、全てのエネルギーを左腕に持ってゆく。力を失い、元来意志力のみで動いていた右手に抵抗できるはずもなく、あっけなく砕かれる。

 imp型が完全に破壊される。右腕の骨が砕かれる。相手の目が見開かれた。想定と違う手応えだったのだろう。当然だ。軌道が僅かに逸れると同時に、左に半歩避ける。右肩を掠らせながら、相手のすべてを賭けた一撃を背後に置き去りにしてゆく。

 これが、僕の唯一にして、絶対の勝ち筋。相手が変に後手に回るなら、右手でそのまま最速の一撃を放つ。逆に、正面堂々撃ち合うならば、右手を犠牲にしていなし、左手に持っていった力を再度叩き込む。最強の後出しジャンケン。

 左に避けるとともに、右肩への衝撃をそのまま利用し、体をひねる要領で左腕を動かす。imp型が壊れた以上、これ以上意志力によって体は動かない。貯めた意志力も、一秒持たずに霧散するだろう。十分。どのみち二秒の命だった。一秒など、あまりに多すぎる。

 最速の、短いアッパーカット。それでも、僕の想いを全て込めた一撃は、世界の理論を遥かに超越した威力を発揮した。右脇に放たれた一撃は、すべてを吹き飛ばし、すべてを終わらせ――

 ることはなかった。たかだか生身の肉体如き、耐えられるはずのない一発を、とてつもない衝撃を、右脇のみで受けられている。

 妙だとは思った。先刻の彼の一撃は確かに意志力の乗った一撃ではあった。それでも、彼のそれまでの威力を考慮すれば、遥かに弱かった。本来なら、右肩から先を吹き飛ばされると考えていた。おそらくは、2分の1程度のもの。

 つまり、彼は込めた意志力を半分は攻撃に、もう半分は僕の一撃を防ぐことに使っていたのだ。

 しかし、なんで。僕たちに、一発受けて返すだけの余力はない。受け身になった時点で負けている。

 だから僕は、右腕を犠牲にしてでもかわしてカウンターをすることに集中したのだ。そんなこと、彼でもわかっているはず。このままでは、互いに動けなくなって終わる。

 まさか、そうしてレイア1人に逃げてもらうことが目的?いや、彼はそういう人間ではない。ならば、一体なぜ――


――――――――――――――――――――――――


 分かってた。こいつには策がある。技術、経験では相手が上な以上、それを上回る方法など1つしか存在しない。

 互いに限界など、とうの昔に超えていた。これ以上動ける道理など存在しないことは、俺自身が一番よく知っていた。当然、こいつも。

 ならば、そここそが唯一の勝機。不条理な道理を穿ちうる、唯一つの点。存在しない勝利の存在証明をするには、俺自身が覆らない盆を覆す必要がある。

 すなわち、尽き果てた体を、心を、さらに動かすこと。

言葉も理屈もいらない。今はただ、結果さえあれば良い。まだ動き、こいつを打ちまかしうるという事実さえあれば。

 意志力を残しておく余裕なんてない。正真正銘、その時残っていたすべてを尽くした。そうでなければ、確実に初手で彼に負けていた。

 クレイがimp型を犠牲にしたのは幸いだった。imp型無しでの一撃ならば、半分の意志力でも耐え切れる。しかし、これで――

 

 心は尽き果てた。肉体を動かす燃料は、とうに失われている。存在が希薄になってゆく。俺を生かしていた糸は断ち切られた。何を思い、何を目指してここまできたのか。わからない。崩れ落ちていく体は、他人事のようだった。

 それでも。

 それ、でも――


 物事はすべて、いつかは忘れ去られてしまう。全ての存在は忘れられた時に本当に死ぬというが、永遠に覚えられるものなど存在しない。即ち必然に、全てはいつか無に帰るのだ。


 

 それでも。

 それでも、俺たちの記憶も、思い出も、すべて確かにあの時存在した事実なのだ。それらがすべて実在する以上、忘れることはあっても決して失われることはない。


 だから、すべてを失った後でも思い出せたのだろう。


 あの日、彼女と会った。苦しみ、震える彼女と。

 共に死地を乗り越え、共に旅をした。様々なものに巡り合った。新たな発見のたびにコロコロと表情を変える彼女は、とても可愛らしく綺麗だった。

 その旅は、確かに彼女の心を溶かしていった。

 互いに本気でぶつかって、本心を吐露して、真の意味で向き合えた。

 さらに一層、美しい旅をした。ようやっと、心の底から笑う彼女を見た。

 別離を経験した。突き刺さるような痛みだったが、きっと必要なものだったのだろう。だって、その先でようやっと、彼女は自分を得られたのだから。ようやっと、生きたいと願えたのだから。

 わずか数ヶ月の記憶。その全てが、ありありと目まぐるしく蘇ってゆく。大切だったものが、溢れ出してくる。

 ようやっと、人になれた彼女を。幸せを願えた彼女を。たとえ、その先が苦しみに満ちていたとしても、俺はそれを肯定したい!その願いはきっと叶うって、信じてみせる!

 だって、決して美しいだけじゃない世界にも、未来はあるのだと俺たちは気づいたのだから!!

 

 なんだ。まだ、覚えてたじゃないか――

 心の中でつぶやく。世界が加速する。溶けかけの心が、再度繋がりだす。魂がまた、燃え出してゆく。想いが、願いが。またしても溢れ出てくる。

 限界を越え、終わりを越え、さらにその先でなお残った希望を、全て込める。

「これで――」

 強く右手を握りしめる。ついぞ耐え切れなくなったのか、相棒が崩れてゆく。

 まだいけるだろう?心の中で尋ねた。当然だと言わんばかりに、瀕死の身体機体でより一層輝きだす。

 焦点をクレイに移した。驚きつつも、満足そうな表情。彼にも感謝しよう。全てを出し切り、さらにそのまた向こうへゆけたのは彼のおかげだ。

 一歩、踏み込む。あの時は、旅の始まり。これはその終わり。そして、この一撃は新たな物語の始まり。

 さぁ、これで――

 

「終わりだァァァァァァーー!!!」


 余すことなく、俺の全てをぶつけ切った。









――――――――――――――――――――――――


「っ――」

 轟音と衝撃が、世界を揺らした。

 土煙が収まってゆく。視界がゆっくりとひらけてゆく。そこには、確かに、一人立つ彼がいた。

「――ユート!」

 耐え切れず、駆け出す。彼ももう限界だったのか、糸が切れたように倒れた。地面に倒れ込む寸前、なんとか抱きかかえる。

「っ!」

 とんでもない傷。死んでいるのではないかと疑う。それでも、まだ。今にも消えてしまいそうなほど弱々しいが、確かにまだ生きている。

「ユートっ!」

 左手首を切って、口に流し込む。

 だめだ。飲み込めるだけの力がない。不幸というか幸いと言うべきか、傷は内臓にまで届いているので、そこに直接流し込む。こっちの方が、よっぽど効率が良い。

 なかなか傷が治らない。わたしの血でも、かろうじて生を保っているだけだ。

 それでも、僅かだが確実に回復はしている。朧げに、彼が目を開く。

「……れ、いあ」

 掠れた声で、口にする。

「ユート!だめ、喋らないで!」

 これ以上無茶をさせたら、わたしの血があってもほんとに死んでしまう。だから――

「……かった、ぞ」

「――――」

 息が、止まる。一瞬凍った世界を、流れ出た涙が溶かす。涙が溢れてきて、どうしようもなく止まらない。なんでなのか。悲しいからか、嬉しいからか。感情がぐちゃぐちゃで、よくわからない。

 でも、こんなんじゃダメだ。また彼を心配させてしまう。精一杯の、本心からの笑顔で応える。

「――うん、ありがとう!」

 ほっと、満足したような顔になった。


 しばらくて、ようやっと死地を乗り越えた。

「……もう、だいじょう、ぶ」

 と思うと、すぐにこれだ。

「だめ、まだ勝手に動かないで」

 まだもう少し、ここで安静にしないと。

 そう思った次の瞬間、施設が大きく揺れた。何かが崩れる音と共に、壁全体にヒビが入る。

「な、なに!?」

「倒壊だよ……見ての通り、、ね」

 声の方向。ハッと気づきみると、クレイがいた。穏やかな顔だが、腹部で体が二つにちぎれてしまっている。どう考えても、彼の今の再生能力で治る範疇を超えている。

「暴れすぎた、な……。僕らの戦いで、施設を支え、てたものが壊れてしまった、らしい……」

「――クレイ!」

「来る、な」

 弱く、それでも確かに言い放った。ぴくりと、体が止まる。

「僕を助ける、なら、またそいつを……殺す、よ」

「っ――」

「僕は、負けたん、だ。大人しく、退場させて、くれ……」

 心臓の鼓動が早くなる。どうする。手を伸ばせば助けれるかもしれない場所に、彼がいる。まだ、間に合うかもしれない。まだ、助けれるかもしれない。

 でも――

「……」

 背を向け、ユートを支えながら立ち上がる。

「それで、いい、さ。もうここは崩れる、から、、さっさと行きな……」

 心臓がキュッとする。それでも、振り向くことはしない。わたしがそう生きると選んだのだ。選んだからには、責任を持て。

「ユート、痛かったら教えて」

「だい、じょうぶ……」

 出口へ、ゆっくりと向かってゆく。あと、少し。あと一歩で――

 

 ――でも、でもやっぱり。せめて、この一言は。

「――ありがとう。わたしのことを思ってくれて。救おうとしてくれて」

「……」

 返事はなかった。一層胸が苦しくなる。ユートも、何も言わずにいた。

 ぐっと堪えて、一歩踏み出した。扉を開ける。

 希望と、痛みと、大切なものを抱いて。

 後悔と、理想と、大切だったものを残して。

 崩れゆく世界を後にした。


――――――――――――――――――――――――


「っ、はぁ――」

 足音が聞こえなくなる。ようやく、一息つけた。

 体の感覚はもうほとんどない。あと数分でここも崩れるだろう。

「……」

 随分と遠くまできた。道を間違えてしまったし、ゴールには辿り着けなかった。が、まぁ満足のいく結果だろう。

 100年をゆうに超える旅。その終わり際、僅かな休息。

「ありがとう、ね……」

 自然と口から出た。まだ喋れるとは思わず、少し驚くと共に感謝する。

 ありがとう。

 本当、こっちのセリフだ。たったその一言で、僕がどれだけ救われると思ってるんだ。

 顔がほころぶ。涙が滲んできた。

 例え、道を間違えても。例え、いい迷惑だったとしても。例え、願いが叶わなくとも。例え、その言葉が嘘であっても。

 最後の瞬間に、僕のことを思ってくれたなら。僕の存在が助けになったと少しでも思えたのなら。

 満足なんてものじゃない。これ以上ないほど、僕は幸せだ。

 満足して、そっと目を閉じた。全てを捨てた以上、これ以上思うことはない。あとは、幸せの余韻に浸りながら、ゆったりと終わりを待とう。


 

 あぁ、でも最後に。もう一つ思うことがあった。

 

 レイア。君の未来が、美しくあることを――


――――――――――――――――――――――――


 彼女の名前……

「なんで僕が――」

「だって考えるのめんどくさいもーん」

「思いつかないなら、サチコとかでいいんじゃね?」

「……ちなみになんで?」

「俺のばあちゃんの名前」

「きっしょ」

「言いやがったなコンニャロ!」

「だってそうでしょ!ねぇ、先生?」

「うーん、流石に嫌かなぁ」

「なんでだよ!おばあちゃんすっげぇ優しかったんだぞ!」

「知らないよ!」

 いつものように言い合っている二人と、それを宥める神様。微笑ましいが、僕としてはそれどころじゃない。

 神様の名前。確かに、僕が言い出した以上一つくらい案を出さなければ。とはいえ、名前を考えるなんて初めなので、何も思いつかない。

「今すぐ決めなくても良いんじゃね?」

「うーん、それはそうなんだけどさ」

「なんかダメか?」

「いや、後回しにしてたら一生やんなさそうだなって」

「あー、確かに」

 悩ましい。一体どんな言葉なら、彼女を言い表せるだろうか。

「そうだ」

 思いついたように、隣の彼がパチンと指を鳴らす。

「ん?」

「一から考えるんじゃなくって、どっかから持ってくれば良いんじゃね?」

「あー、なるほど」

 確かに、それならばモデルがいる以上やりやすいだろう。

 では、どんなものが良いか。どんな人が、神様に似合うだろうか。

 ――神様?

 そうだ。神様だ。それならば、良いのがいる。

 レアー。大地の女神にして、ある地域では植物や豊穣の神として崇められていた。その別名を――

「――レイア」

「ん?」

 神様が反応する。

「レイア。は、どうかな?」

「れいあ、かぁ」

 噛み締めるように、何度か口にする。

「うん、良いんじゃない?可愛いし、あんま聞かないから被んなそうだし」

「お。じゃあ決まりか?」

 取っ組み合っていた二人が来た。

「だね。じゃあこれからは先生改めレイア、よろしくね」

「はいよろしく〜」

「なんかふわふわしてんなぁ」

「ちなみに、由来はなんなの?」

「んー……秘密」

「うわ絶対戒名だこれ」

「……そうなの?」

「ちが、そんなわけないじゃん!僕がかみさ――せ、先生にそんなことするわけないじゃん。そもそも漢字じゃないし」

「幽霊の霊に亜鉛の亜」

「……クレイ?」

「いやだから違うって!」

 あははと、皆が笑いだす。その声は、雲一つない青空に吸い込まれていった。

 今は昔。遠い、遠い昔の話。記録に残らない、人類にとってはどうでも良い歴史。

 それでも、確かにあの時存在した、幸せな思い出だ。


――――――――――――――――――――――――


「ふわぁぁ〜」

 日の光で目が覚める。まだ少し眠く、大きな欠伸が出た。

「おはよぉ」

「んぁ、おはよう」

 すでにレイアは目が覚めていたらしい。まぁ、彼女も寝起きだろうが。


 あの後、施設から出てすぐに本格的な崩壊が始まった。結果的には、その八割が瓦解しただろう。

 脱出後、俺がそれ以上動くことができなかったために、数日そこで過ごすことになった。一度、生き残りの施設の職員に見つかった。が、リーダーを失った今、わざわざ俺を殺しに来ることはしなかった。

 死の淵を彷徨い続け、彼女の治療を数日間ほぼずっと受け続けて、ようやっと目に見える傷は無くなった。

「あ、朝ごはんは俺作るよ」

「良いから。まだ安静にしてて」

「流石にもう平気だって」

「んー、わかった。じゃあ手伝ってもらおうかな」

「りょーかい」

 まぁ、手伝うと言っても保存食を取り出して渡すくらいのことしかないのだが。

 なんにせよ、全てを捨てて、願望を叶えてなおこうして生きていられることに、今は感謝したい。

「そろそろ旅を再開するか」

「あ、それなんだけどさ」

「ん?」

「これから先はどこにいくの?」

「……あー」

 そう言うことか。今までは逃げることを目的として、小目標的にある程度目指す場所を決めていた。が、その大目標を達成した今、目指すところが特段ないと言うことだろう。

「どうする?ユートの家に帰るの?」

「ありっちゃあり、だけど……」

 ご飯を食べながら考える。やはり、

 あれ以来、痛みはおろか手先の感覚なども曖昧になってきた。味覚も完全に失せている。

 慣れとは違う、別の原因。おそらくは、脳の損傷によるものだろう。

 長くはない。覚悟して挑んだ戦いだったので当然だが、それを自覚している以上、一度定住すれば旅を再開できるかわからない。ならば――

「いや、目的は一旦決めずに、旅を続けてみようぜ。どうせ家がどの方角にあるかもわからないんだし」

「いいの?」

「良いんだよ。せっかくこんな遠くまで来れたんだ。もっと色々見てみたくないか?」

「――確かにね!」

 溶けるように、はにかんで笑う。朝日に照らされる彼女の笑顔は、狂おしいほどに美しかった。

 照れ隠しで空を仰ぐ。雲一つない、吸い込まれそうなほど美しい青空。

 風が、吹いた。木々が揺れる。ざぁざぁと音を立てる。鳥たちが飛び立つ。どこを目指すのか。どこに行こうか。

「――」

 息を吸う。わずかに寒い朝の空気が、体を貫いた。

 あぁ、ほんとう、なんて――

「さ、行こうか」

「――うん!」

 葉が落ちる。物語が終わる。でも、後少しだけ、エピローグをさせてもらおう。


 

 ――旅をした。秋が来た。

 家にいた頃は見たこともなかった、紅葉を一緒に見た。

 紅葉が降りしきる中を、はしゃぎながら駆けてゆくレイアを見た。

 花畑に出た。咲き誇る花々をいくつか頂戴し、いつかの本で見た花の輪っかを作った。花々に見惚れているレイアに、プレゼントとして渡した。

 その時の笑顔を、ぱっと咲いた何よりも美しい一輪を、俺は一生忘れないだろう。


 ――旅をした。冬が来た。

 しんしんと降る雪。生命の息吹を感じさせない、荘厳な世界。

 そんな銀世界の中を、レイアはただ一人横断する。

 雪が降る。白銀の少女が楽しそうに走る。雪が舞う。

 くるりと、笑顔でこちらを振り返る。一緒に遊ぼうと、手を振ってくる。

 、その光景を目に焼き付けた。

 あの時は儚く見えた、雪のように見えた少女は、凍てつく世界で確かに輝いていた。


 ――旅をした。春が来た。

 俺たちが巡り合った季節。俺たちが出会って、二回目の春。

 あの時と違うのは、桜が散る前にともにいること。

 花見というにはあまりにちっぽけだけど、桜の下で一日を過ごした。

 桜の隙間から差し込む陽。風に吹かれて、草木が踊っている。緑の大地を、花びらと葉が舞っている。木に触れている左手には、生命の暖かさを感じた。

 春――終わりの季節。これまでの旅について語り合った。

 時に怒り、時に焦り、そしてよく笑う。そんな、ありのままの彼女を見せてくれることが嬉しかった。後悔と呼べるようなものはなかっただろう。

 でも、春は終わりの季節であると同時に、始まりの季節でもある。

 夜、満点の星空を見上げながら、未来について語り合った。明日の朝ごはんのことから、一ヶ月後の目的地、一年後の約束に、十年後、百年後の話まで。

 遥か遠く、届くはずもない星々は、手を伸ばせば掴めそうに思えた。

 諦めて隣を見ると、レイアも同じことを思っていたのか、遥かな空に向かって手を伸ばしていた。

 自然と笑みが溢れる。笑った俺を見て、怒ったように顔を膨らませるレイア。そんな一瞬が、やっぱり捨て難い。

 全く、俺も諦めてられないな。


 ――旅をした。夏が来た。

 あの時と同じように、海へ行った。

 あの時と同じように、水を掛け合って遊んだ。あの時とは何も変わらなかった。

 あの時と違って、初めて潜ってみた。臆病な俺は、レイアとせーのでやって、初めて顔まで水に浸かれた。

 恐る恐る目を開けると、そこには果てしない世界が広がっていた。

 揺れ動く海藻。どこまでも続く青。水面から差し込む陽光。

 そして、そんな光景に息を忘れて見惚れている一人の少女。

 俺も、少しは変われたのかな。


 たまたま、ひまわりの群生地に出た。

 黄金世界。夏の象徴。やはり、彼女は夏が映える。どこまでも真っ直ぐに、純粋に、楽しそうに。まさにそう、ひまわりのような。

 唯一違うとすれば、それが永遠に咲くところだろうか。


 ――旅をした。秋が来た。

 吐血することが増えた。レイアにバレないはずもなく、なんなら俺が気づくより先に異変に気づいた。

「旅をやめよう?」

「どこか休める場所を探さない?」

 とても不安げに、彼女は何度も聞いてきた。もちろん、全て断った。せめてと血を飲ませてこようとしたが、それも断った。まあ、寝ている間に無理やり飲ませてきたりもしたが。

 案の定、効いた気配はしなかった。いよいよ、ご加護は尽きたらしい。

 少しでも心配はさせまいと、元気なふりをした。というか、痛みはおろか感覚がほとんど無いため、動く分にはなんら問題はないのだ。

 だから、心配なんて一切必要ない。


 

 ――旅をした。冬が来た。

 少しずつ、満足に動けなくなってきた。

 痛みなどによるものじゃない。ただただ、うまく足を出せなかったり、急に体が動かなくなるだけだ。

 吐血する回数も、最近少し増えた気がする。

 体の末端の感覚は、もうほとんどなかった。幸い、視覚と聴覚は特段問題ない。

 だから、動けるうちは精一杯歩き続けた。少しでも、多くを見届けたかった。

 レイアも不安そうな顔は消えなくとも、俺を止めることはほとんどなくなった。俺の意図を汲んでくれることがありがたいと同時に、最後まで彼女を煩わせてしまうことを申し訳なく思う。

 ま、こんなこと言ったらそれこそ怒り出しそうだが。



 ――旅をした。 春が来た。


 春――別れの季節。終わりの刻。


 その日は、なんとなく朝から体調が良かった。きっと、今日が最後なんだろうと気づいた。


 なんら、いつもと変わらない日々を過ごす。あのレイアに察せさせなかった自分を褒めたい。


 いつものように、美しい自然の中を、二人歩いてゆく。木々の音に、いつもより耳を澄ました。色彩に溢れる世界を、いつもより目に焼き付けた。


 夕方、景色のいい場所に行こうと言った。


「なんで?」

「なんとなくだよ。良いだろ?綺麗な方が」

「そう、だけど……」

「良いから。ほれ、案内しなさい」

「わ、わかったって。偉そうだなぁ」

「まぁ実際偉いし」

「うわむかつく」

「はは、違いない」


 少し不安そうなレイアを、勢いでなんとか言いくるめる。


 ここはどう?と、レイアが連れてきてくれた場所は、少し小高い丘の上だった。木が少なく、頂上に一本のみ立っている。まだ少し冬の寒さが残っているらしいが、花が一面に咲いていた。


 似合わないな、と苦笑する。まぁ、レイアが選んでくれたんだ。十分すぎる。


 最後の夕食を食べた。味も匂いも、もうしない。精一杯味わって、それらをいただく。


 そうして、焚き火を囲いながらいつものように喋って夜を過ごした。先に寝てしまったレイアの寝顔を見る。


 俺の選択は正しかったのかな。

 答えはわからない。


 ま、俺なんかの人生、所詮そんなもんだろう。そうして俺も眠りについた。






 目が覚めた。日もまだ昇っていないのに、なんと珍しい。


 というか、起きれると思っていなかった。あの夜が最後だと思っていたのに。


 どうやら、半日だけ読み違えていたらしい。立ちあがろうとして、今度こそそうだと確信した。


 レイアを起こさないように気をつけながら、丘の頂上へ向かった。流石に朝は寒いらしく、息がわずかに白い。もう疲れてきたのか、足がうまく動かない。もちろん、何も感じてはいない。


 十分近くかけて、ようやっと辿り着いた。木に寄りかかるように座り込んで、息を吐く。世界もまだ眠っているようで、ただただ静かだった。


「ユート?」


 聞き慣れた声が、静寂を打ち破る。


 ――あちゃあ。最後の最後にやっちゃったなぁ。


「ん、おはよう。レイア」


 諦めて振り返ると、そこにはレイアが立っていた。寝起きだろうに、真剣な、それでいて不安げな表情をしている。


「どうしたの?そんな薄着で、寒くない?」


 気づかれたからには、しょうがない。こうなったら、隠し事なしで全部伝えよう。


「――大丈夫。もう、寒くないから」

「――――いや、違うでしょ?寒いでしょ?ほら。これ、着て」


 上着を脱いで、俺に渡す。


「良いって。小さいから着れないし」

「じゃあ被ってて」


 毛布のように、掛けてくれる。断っても拒みそうなので、これくらいは受け入れよう。


「はぁ、そうだなぁ。最後に、何話そうかなー」

「――なに?最後って。最後じゃないでしょ?」

「最後だよ」

「どうしたの?今日、変だよ?体調悪い?なんか、必要なものあったら――」

「いや、これ以上ないほど落ち着いてるさ」


 そう、今までで一番、穏やかな気持ちだ。澱みが一切ない、風も温度も、全て消えてしまったような。そんな感覚。

 

「――じゃあ、なんで……」

「ふふ。なんで、かー。なんでだろうな」

「っ、わたしの血を――」

「いいさ」

「よくない!」

「良いんだよ。わかってんだろ、もう意味ないって」

「っ――」


 苦しそうに表情を歪めながら、押し黙ってしまう。あぁ。こんなふうに苦しめてしまうかもしれなかったから、気づかれたくなかったのだ。


「わたしの、せいだ」


 小さく、彼女が言った。


「わたしに会わなければ、ユートは、もっと――」

「違う」


 キッパリと言い切る。やっぱり、最後にそこははっきりさせないと。


「何一つ、レイアのせいで俺が困ったことなんてない」

「でも、わたしのせいでユートは――」

「だから違うって。俺が選んだんだ。俺が決めて、俺が勝手に命をかけたんだよ」

「……」

「むしろ、俺はレイアのおかげでいろんな大切なものに会えたんだ。レイアにあったから、臆病な自分を超えて、外の世界に行けたんだ。レイアがいなかったら、きっと俺は最後まであの狭い世界で生きていたと思う。

 たとえ長く生きられたとしても、そんな色のない人生より、多少短くても忘れられない思いをできた、今の方がよっぽど幸せさ」

「……うん」

「だから、二度とわたしのせいだなんて言うな。それは、俺の人生に対する冒涜になるから」

「……うん、うん!わかった。絶対言わない」


 涙目になりながらも、強く頷く。真っ直ぐに、こちらを見つめる。確かな思いと決意が、その目にはあった。


 息を吐く。何としても伝えたかったことは、これで伝えられた。やり残したことはあるだろうか。


「あとは、そうだなぁ。なんか、レイアに残せるものとかあったかなぁ。ちょっとでかいけど、このコートとかいる?」

「良いよ。ユートがもっと使ってよ」

「俺はもう使えないから」

「……やだ」

「やだって言われてもなぁ」


 ははっ。と、少し笑う。困ったが、こんなに大切に思ってもらえることが嬉しい。


「ま、そうだな。死んだ後は、俺の持ってたものは全部好きなようにしてくれ。必要なものはとって、いらないものは捨ててもらって、さ」

「――捨てない!全部、わたしが大事にとっておく!」

「良いって。言ってたろ?死んだら何も残らない。死んだ人には何もいらないって」


 あの時の、最初の頃の言葉。悲しいけど、その通りだ。


「――でも、ユートは違う!ユートがいなくなっても、何も残らないなんてことはない!

 わたしが、未来まで連れてくから。わたしがずっと、覚えてるから‼︎ 絶対に、忘れたりなんてしないから‼︎!」

 「――――」


 強く、確かな決意を持ってレイアは言った。


 ――泣きそうになる。ギリギリのところで、笑って誤魔化す。


 ああ、ほんとう、なんて贅沢なんだろうか――


「――ありがとう。その言葉だけで、もう十分だよ」


 だんだんと、呼吸が浅くなってきた。多分、後少しなんだろう。


 空はまだ暗い。数え切れないほどの星が瞬いている。


「……は、ぁ」

「ユート!」


 倒れかけた俺を、レイアが抱き止める。そのまま、彼女の膝に倒れ込む。


 まったく、情けない。

 

「あ、ごめん……心配、させたな。だいじょうぶ、だから……」

「っ――――」


 あぁ、くそ。もっとハキハキ喋れよ。また、あいつが泣き出しそうになってるじゃねぇか。


 それでも、強がりは長くは続かなかった。情けないが、最後になって言いようのない不安が押し寄せてくる。


「……おれ、は――」

「……なぁに?」


 今にも泣き出しそうな顔なのに、それでも優しく微笑みながら、レイアが言った。


 最後の理性が、崩壊した。


「――おれは、なにか、残せたの、かな……。おれ、が、生きた意味は、あった、のかな……」


 涙がこぼれる。声が震える。何度も覚悟してきたはずなのに。ここにきて、初めて死が少し怖く思えた。

 後悔の念が押し寄せてきた。


「……その答えは、ユートが教えてくれたよ?」


「――え?」


 穏やかに、それでも確かな自信を持って、レイアは口にした。


「わたしたちは、完璧じゃないから。今までの人生でたくさん失敗してきた。

 それだけじゃない。わたしたちは、自分勝手に生きるために、絶対に許されないことをした。

 だから、きっと、この後悔は最後までなくならないし、これから先もたくさん増えていくんだと思う」


「でも、でもね?それでも、楽しかった、忘れられない瞬間も確かにあったと思うの。

 わたしたちの失敗の塊みたいな人生に比べれば、あまりに小さい出来事だろうけど、その瞬間のために、わたしたちは生きるんだよ。

 だって、そんなちっぽけな瞬間の連続が、最後の瞬間の後悔を全て受け入れて、『まぁ良かったな』って思わせてくれるから。

 だからきっと、意味なんていらないんだよ。そんなものがなくっても、わたしたちは幸せを感じられるから。

 例えば、さ――――」


 ――あぁ、それは……


「――ユートにとって、この旅はどうだった?」


「……そうだった、な」


 本当に、本当に。もう、思い残すことなんてないのだと気付いた。


 最後の言葉は、いつだって決まっていた。あの時と同じように、精一杯息を吸って答える。


「最高に、楽しかった。最高に、世界で一番、幸せだった、よ……」


 俺の言葉を聞いて、レイアが大粒の涙をこぼした。掠れた視界ではよく見えなかったが、それでも確かに、彼女は笑顔だった。


 朝日が昇ってくる。花々にあかりが灯る。世界が色づいてゆく。


 終わりが来る。もう、あと一歩のところまで、迫ってくる。


 音はもう聞こえないし、目だって見えない。残されたのは、わずかな右手の感覚だけ。


 やっぱり、まだ少しだけ、死ぬことは怖い。


 それでも、これだけ間違いを犯してきた人にはあまりに不相応なほど、幸せな最後だろう。


 だから――


 せめて、彼女がそうしてきたように、最後くらいは自分以外を思ってみよう。


 心が溶けてゆく。自我が崩れ、霧散してゆく。何度も経験してきた感覚。


 でも、今回は少し違う。いつもみたいに、少し寒いけど、でも暖かい。


 この暖かさを、俺は知っている。


 もう、名前も思い出せない。

 それでも、彼女は確かにそこにいる。

 それでも、魂が確かに覚えている。


「――ありがとう、レイア」


 精一杯、手を伸ばして、彼女の頬に触れた。


――――――――――――――――――――――――


 そう言ったきり、彼が動くことはもうなかった。最後まで、穏やかに。幸せそうに、彼は旅立った。

 差し出された手を、頬に触れた手を握り締め、泣いた。

 泣いて泣いて、泣き続けて。体の機能として涙が止まっても、それでも泣き続けた。

 

 それでも変わらず、時は流れるし、明日はやってくる。


 そうして、丸一日座り込んで、ようやっとわたしは泣き止んだ。

 また、朝日が昇る。いつまでも立ち止まっててはいけない。彼に怒られてしまう。


 シャベルをとってきて、穴を掘った。30分ほどで、人ひとり入るほどの穴ができた。

 そこに、ユートを埋める。彼のコートをもらう代わりに、わたしのコートを掛けておいた。

 穴を埋め、木を刺す。周りから何本か花を頂戴し、その周りに添えた。

 彼の荷物を見ると、驚くほど私物がなかった。ほとんどが、生きるために必要な消耗品だけ。

 ただ一つ、彼の武器。その残骸が目に入った。壊れた後も、持っておいたらしい。

 迷った末に、それを墓の前に置いた。

 こんなんで良いのかとも思う。が、きっとこれで良いだろう。なんなら十分すぎるとか、笑っていそうだ。


 荷物を全てまとめて、背負う。よろけそうになる体を、なんとか支える。彼のコートはまだ少し大きくて、袖を捲ってようやっと満足に着ることができた。

 呼吸を整える。覚悟は決めた。向き合って、伝える。


「じゃあ、いってきます」


 朝日が昇る。世界が動き出す。少女は一歩、未来へと踏み出した。

 明日、最高の笑顔になるために



 



――――――――――――――――――――――――





 


 ――ふと、目が覚めた。この世界のように、真っ黒に塗りつぶされた空を眺める。

 その瞳は虚で、思考という能力はとうに失せていた。かろうじて残っているのは、呼吸という生命維持機能だけ。

 両腕、両足は動くどころか、感覚すら曖昧だ。世界との境界がぼやけてしまって、よくわからない。

 満点に輝く星々も、もう彼女の瞳には届かない。

 永遠に沈んでしまいそうな、深い深い闇。終わりの見えない孤独な日々。


 あれから、一体どれだけの月日が流れただろうか。少なくとも、彼と星空の下で語った未来の話など遙か遠い昔の話になる程、膨大な時が流れた。

 人類が完全に滅んだのも遠い昔の話だし、その形跡すらも、今となっては何一つ残っていない。

 結局、人が生きる意味なんてものは存在しないのだ。だってこうして、いつかは全て消えてしまうから。残るものなど、何もないから。


 空はまだ暗い。本当に朝が来るのかと思うほど、深い闇。少なくとも、彼女にはそう見えている。

 いつかは全て消えてしまう。永遠なんて存在しない。

 それは、例え悠久に等しい時間を生きる彼女であっても、例外ではなかった。

 

 結局、人はそう強くはなかった。絶対に忘れないと伝えた、何よりも大切な人の名前も、それを思い出せずに泣きじゃくった刻すらも、彼女はもう覚えていない。

 結局、人はそう簡単には変わらなかった。最後まで、彼女はみんなを思う生き方をやめられなかった。



 それでも、

 確かに、変わったこともあった。

 それは、『みんな』の中に『自分』が含まれるようになったこと。

 自分の幸せを、願えるようになったこと。

 

 人はそう簡単には変われない。

 でも、案外ちょっとした出来事で、わたしたちの人生は大きく変わることがある。


 だって、例えそれがどんなにちっぽけなことであっても、その瞬間は確かに存在したから。その時の、楽しい、嬉しい、幸せといった感情は、紛れもない事実なのだから。

 だから、ほら――――



 朝日が、昇ってきた。世界が、明るく色づいてゆく。僅かでも、微かでも。それでも確かに、色彩が蘇ってくる。

 そんな意思はないはずなのに、そんな力は残っていないはずなのに。ゆっくりと、彼女が立ち上がる。

 弱々しくて、よろめいて、今にも倒れそうで。それでも確かに、一歩を踏み出す。

 忘れてしまっても、確かに魂に残っていた。無意識に、声にならない意味を持たない言葉を発する。


「――あした、最高の笑顔に、なるために」


 あの瞬間にもきっと、意味はなくとも意義はあったのだろう。


 

 永遠なんてない。人が生きる意味はないし、生きるだけで多くを傷つけてしまう。そうして、さまざまなものを傷つけて、背負いきれないほどの罪を、見て見ぬふりをしながら歩んだ人生は、後悔に満ちている。世界は美しくないし、わたしたちは完全でない。

 それでも、あの時、あの瞬間、この瞬間が楽しいという気持ちは紛れもなく本物なのだ。誰にも語り継がれず、いつかは忘れ去られてしまうとしても、例えわたしたち自身が忘れてしまったとしても、確かにその瞬間はあった。確かに、あの喜びは、この喜びはわたしたちにとって紛れもない事実なんだ。

 生きる理由なんて、それだけで十分だ。


 だから、彼女は歩き続ける。完璧でなくとも、確かに美しい世界を歩き続ける。

 ほんの僅かな、ちょっとした、それでも確かな、幸せを目指して

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