主文 後

「ふーむ。あれがやられるかぁ」

 ことの顛末を見届けた男は、静かにため息をついた。

「私が行くのはどうでしょうか。追いつくまでに少し時間がかかりますが、確実に彼女を連れて来れます」

「いや、いいよ。もともとこんな重要な任務を他人に任せるべきではなかったしね。最初のやつは彼女さえ捕まえればいいと速さしか考えてなかったからしょうがないけど、一回で学ぶべきだった」

「つまり……」

「ああ、俺が行く」

「私も同行します」

「平気。捕まえた後、2人を乗せれなくなっちゃうじゃん。それに、これ以上時間をかけるのはまずい」

「そうですね。もう彼女以外の全ては揃っています。あとは……」

「それもある、けど何より問題なのは彼だ。これ以上放置していると、手がつけられなくなる可能性がある」

 ゆらりと椅子を立ち上がる。

「もったいないけど、あれを出そうか。いつものやつじゃなくってさ。なに、彼女さえこちらに来れば全て解決なんだ」

「はい。今すぐ」

 女が一度礼をし、部屋を出ていった。かけていたコートを羽織り、ふと窓から外を眺める。自然と、右手が一枚のノートに触れる。

「久しぶりに会えるよ。俺の神様」

 独り言のようにつぶやいて、男もまたドアを開けた。




「そうそう、これ」

 三階層へ向かうエレベーターへの通り道の途中で立ち止まる。

「好きなの選んでいいぞ」

 衣服屋を指差しながら言った。

「え、いいの!?」

 目を輝かせながら尋ねてくるレイア。

「もちろん。その服ボロボロだし、買ってあげるって言ったしな」

「言ってたっけ」

「正直あんま覚えてない。まぁ、ごめんなさいもこめてさ」

「だから、もうそれはいいって」

「じゃあいらない?」

「今回のところはこれで許してあげる」

「手のひらクルックルだな……ほれ、見てきな」

「うん!」

 タッタッタッと軽快な音を立てて走ってゆく。俺も、のんびりと後に続いて店に入った。

「わぁ……」

 両手に服を持ちながら、交互に見比べている。

「あ、これも…」

「持つよ」

「ありがと」

 元々レイアが持っていた二着を受け取る。新たに二着持ってきて、見比べ、また俺に渡す。傷だらけでボロボロの服も多いので、とりあえずいいなと思ったものを集めているらしい。

 十数着集まったところで、いくつかを元あった場所に戻すレイア。最初のうちは順調に厳選できていたが、残り6枚で大きく減速し出した。

「うーん……」

「着てみれば?」

「いいの?」

「いいのってか、大抵の衣服屋ではできると思うぞ。今まで行ったことないから知らんけど」

「何で知ってるの……」

「本読んだり、売人から聞いたり」

「へ〜」

「たしか、何だっけかな。試着室なるものがあったはず……あった」

 試着室と書かれた看板を見つける。見ると、5つほど小さな部屋が連続していた。うち4つはボロボロでカーテンが機能しない。残り1つの、まだカーテンがしっかりしている部屋を選ぶ。中の鏡もそれほど割れていない。割れてたら割れてたでコートの機能を使えばいいだけだが。

「ここなら使えるな」

「しつれいしまーす!」

「カーテン閉めろよ」

「わかってるって」

 のぞいちゃだめだよ、などと余計なことを言いながらカーテンを閉めるレイア。俺を何だと思っているんだ。

 ガサゴソと音がする。暇なので、何か使えそうな服がないか見てこようと立ち上がったところで――

「みてー!」

 勢いよくカーテンの開く音がする。

 目をやると、そこには真っ白なワンピースを着た、レイアがいた。

「……思ったより似合ってるな」

「でしょー?」

「ただ、それだと普段は着れないぞ。機能性が悪すぎる」

「だよね。着てみたかっただけだから」

「普段着れないってだけで、買えないってわけじゃないぞ。買うだけなら別に良いけど、どうする?」

「ううん。じゃまになっちゃうしいいよ」

「そうか?」

「うん。他は多分機能的だし、この中らから決めるね」

 再度勢いよくカーテンを閉める。この調子だと、他の服を見に行ってる暇はないだろう。

「ねー!」

 案の定、考えてるうちに再度カーテンが開いた。



「んで、どうする?」

「待って、悩み中……」

「全部でもいいけど…」

「へいき。決めるから」

 全て着てから、かれこれ20分ほど経っている。が、謎のプライドをもとに、一個に決めようとしているらしい。声からして、説得は難しいだろう。強い決意を感じた。

「早くしないと、追っ手が来ちゃうんじゃなかったっけ」

「すぐ、もうすぐ決めるから……!」

「それ言いだしてからもう10分は経ってるよ…」

「あと少し、本当にあと少しだから……」

「へいへい」

 買っていいと言ったのは俺なので、大人しく待つことにする。とはいえ、このまま何もしなければあと20分でも、30分でも悩んでそうな勢いだ。

「俺は、これが一番似合ってたと思うけどな」

 ちょっとした一言。確かに本心からの言葉ではあったが、行動に移したのは早く決めて欲しかったから。そんな、若干不純な動機も含まれた、俺にとっては些細な一言だった。

「そう?じゃあ、それにする」

 先ほどまで悩んでいたのが嘘のように即答する。

「えっ、いいの?」

「うん。似合ってたんでしょ?」

「いやまぁ、そうだけど……」

「じゃあこれがいい」

 そう言って、俺の指したワイシャツとショートパンツを取る。

「着替えてくるね!」

 ぴゅーんという効果音でもなりそうな速度でかけてゆくレイア。俺は、ポカンとしながらそれを目で追う。

「……それなら――」


「ユートー!」

 先ほどより少し長い時間が経ってから、更衣室の方から声がした。やることは終わっていたので、声の方角へ戻る。

「着替え終わった?」

「うん。っていうか、どこ行ってたの?」

「ちょっとな。それより、その服……」

「どう?」

 くるりと回りながら、俺に見せてくる。少し丈の長いシャツがふわりと舞う。可愛らしいが、やはり……

「なんか、前着てたのとほぼ変わらない服になっちゃったな」

「ユートが似合ってるって言ったんじゃん」

 ほっぺたを膨らませながら言う。

「うん。よく似合ってる」

 間違いなく、これは本心だ。

「じゃあいいよ」

「それもそっか。じゃ、タグだけ見せて。買うから」

「これ?」

「そうそれ。っと、よしおっけー。買えたよ」

「やったー!」

「ついでにタグ切ってっと。よしおっけー。それじゃ、今度こそ次の階に行こうか」

「うん!」

 レイアもすっかり元気になってくれた。何より、楽しそうにしてくれているのが嬉しい。

 そんなことを思いながら、店を出て今度こそエレベーターに向かう。

「あれ?」

「ん?どうした?」

 半分くらい行ったところで、レイアが足を止める。

「ねぇ、エレベーターってまだ動く?」

「そりゃさっき動いて――あっ」

 そうだ。先程の戦闘が始まる時、ヤツはエレベーターごと破壊して突っ込んできた。あの衝撃でおそらく――

「――いや、まだわからん。ガラスの壁をぶっ壊してきただけで、動力にダメージは入ってないから大丈夫、なはず……」

「……はず?」

「…………ハズ」

 自信は全くない。だが、ワンチャン。ワンチャンいけるはず――

「……」

「……動かないね」

 そりゃそうだ。壁がない、安全性ゼロのエレベーターを動かせるようにするバカがどこにいる。

「直せないの?というか、直すために動かせないの?」

「機械が直してくれるらしい、けど3日ほどかかるってさ」

「そんな微妙な」

「どうしてくれるか……」

「あれは?上に引っかかって登れるヤツ」

 フックショットのことだろう。

「流石に射程圏外」

「むー」

 3日か、飛び降りるか。二つが天秤で揺らいでる時点で、俺の感覚もかなり麻痺しているのを感じる。

「……あっ」

「なに?」

 しばし考えて、思いつく。思いついた、が、出来る確証は全くない。

「一つアイディアがある」

「ほんと?どうするの?」

「とりあえず、こっち来て」

 不思議そうにこちらにくるレイアを、背中でおぶる。

「おわっ」

「動かないで……よし」

 ベルトとロープでしっかりと固定する。

「絶対に離さないでね」

「う、うん?」

 きっちりと固定はしたが、改めて念押ししておく。あまり分かってない様子だが、何をするのか伝えてもおそらく止められるだけなので説明はしない。

「っし……」

「……」

 レイアも言いたいことはありそうだが、空気を読んで黙ってくれている。だが、嫌な予感はしているようで再度強く俺の服を握った。その方が安全なのでありがたい。

 俺は俺で、全神経を集中する。強いイメージをエネルギーに。同時に、イメージしたものの一部をトレースする。

 問題は、何をイメージするか。この作戦を考えるきっかけとなったイメージが一番だろう。

 鳥を、空を自由に飛び回る鳥をイメージする。それらが瞬時にエネルギーへと変わってゆく。ある程度落ち着いたら、並列して今度は自分の軌道をイメージする。やるべきことは単純明快。一直線に飛んでゆくのみ。距離にして、約200m。実際には、垂直飛びはしないので300mくらいはあるだろう。

 上等。失敗すれば、俺もレイアも一度死ぬだろう。ならば、成功するより他に道はない。

 そう思うと、ギアが1段階上がった気がした。100%を超えた、120%の状態で、全てを持って地面を蹴り出す。

 轟音、と同時に強い衝撃。自分でやったにも関わらず、まるで大砲で打ち上げられたかのようなショックを受ける。が、あらかじめ軌道をイメージしておいたおかげで体勢はそれほど崩れていない。若干物理法則を無視した動きで、ぐんぐんと空へ昇ってゆく。

 しかし、上空130mあたりで大きく減速する。フックの射程距離は30mほど。このままでは届かない――

 キーンッと、高速で回る歯車をイメージする。急速に思考が加速してゆき、世界が遅くなる。無理矢理、猶予を伸ばした。増やした時間の中、凝縮した思考で突破口を探る。

 ふと、左に見えるエレベーターが目に入った。あれなら届く。ならば――

 最高点に届く寸前で、エレベーターを取り囲む、強化ガラス製の筒に向かってフックを放つ。

 無事にフックが突き刺さり、急速に体が引かれる。体がぶつかる、と同時に、わずかに残った上方向への勢いを用いて、全力でガラス壁を蹴り上げる。

 子供の頃、何度も想像した。壁を走る姿。今一度、原点に帰り、強く想像する。

 今度こそ、完全に物理法則を無視して垂直な壁を駆け上がる。一歩進むたびに、強化ガラスが壊れてゆく。この調子では修理にもっと時間がかかるだろう。いよいよ、やり遂げるしかなくなった。

 再度強く決意を固め、射程圏内まで残り30mほどを一息に駆け上がる。あと10mといったところで、バランスが崩れる。歯を食いしばり、体勢を立て直しながら1歩1歩踏みしめる。

 一度は立て直したが、あと数mといったところで足が離れる。全てをかけて、残った足で強化ガラス壁を全力で蹴り上げる。先ほどより、わずかに体が上昇する。考えうる限り、最高のタイミングでフックを射出。が、虚しく体は落下――

 した直後、フックを持つ手に全体重が乗っかる。見ると、しっかりと天井にフックが突き刺さっていた。

「あっぶねぇ……」

 安堵して、ロープを巻き上げる。

「……気絶するかと思ったよ」

 放心状態だったレイアも、ようやく口を開いた。

「急にごめんな。言ったら止められると思って」

「気付いてた、けどあそこで止めたら絶対失敗すると思って」

「違いない」

 あそこで話しかけられていたら、たとえわずかであっても集中力は途切れる。あと数センチでも足りなければ、結果は真逆だったはずだ。

「ってかね、ユートが飛ぶ直前に思ったんだけど」

「何を?」

「下に降りればよかったんじゃって」

「……あっ」

 ヤツが来ていた時点で、外の自立兵器は壊されていたはず。ならば、わざわざ上に出なくとも入ってきた入り口から出ればよかっただけなのでは。

「……ま、まあ、届いたから万事OKってことで…」

「あと、わたしもフック持ってるから、交互にガラス筒の中に打ち込んでいけば、わざわざ飛ばなくても登れたんじゃ……」

「…………」

「と、届いたからOKってことにしとこっか」

「助かります……」

 そうこう言ってるうちに、天井にたどり着く。またガラス筒を壊し、内側に入りながら上層へと登る。

「よっこらせっ、とぉ」

「おつかれさまー」

 上層階だからか、エレベーターホールのように、本来のエレベーターの出口から出ても建物の中にいた。エントランスや受付であっただろう場所を通り抜け、建物の出口に向かう。

 この古代都市の入り口を除けば、おそらく今までで最も大きい扉。両手をつけ、わずかに力を入れる。ほんの一瞬の抵抗感のあと、すんなりと扉は開いた。

 眩しい光が差し込む。少し細めた目に入り込んできたのは、今までとはまた打って変わった、美しい庭園だった。

「……」

「……わぁ」

 レイアからわずかに声が漏れるのみで、互いに絶句といった感じだった。

 道路の幅は広く、レンガのタイルでできた道以外は芝が広がっている。家も十数件しか見えず、その一つ一つが今までの比にならないほど大きい。それぞれの家の手前には、中層よりまた一段と大きな噴水。すでに清掃されたあとなのか、争いの跡は一切見えない。

「楽園……」

 一言で言い表すならば、その言葉が一番似合うだろう。外が終末世界であるとは全く思えない、

「あの家、入ってもいい?」

 一番近くにあるのを指しながら、レイアが尋ねる。

「ダメ。ここだと、不法侵入で即射殺される可能性すらある」

「だよね」

 豪邸を横目に、芝生を歩きながら緊急脱出口を探す。それにしても――

「ここに住んでた人たちは、楽しかったのかな」

 独り言のように、俺も思っていた事をレイアが口にする。

「……どういうこと?」

「なんだろう、家も庭も広くて、綺麗で。でも、なんだか楽しくなさそうだなって」

 言いたいことはわかる。家は数えれるほどしかなく、これといった遊びができそうな場所もない。変化のない、閉ざされた空間。

 確かに、ここに住んでる人たちの身分の高さは一目でわかる。が、そこに楽しさがあったのかと言われると疑問が残る。ただ、自己満足のみが残るような、そんな感覚。

「わからん、けど、これに幸せを感じる人だっている」

「そうかな」

「そうだよ。きっとね」

 ただただ生きることを、自身の権力を求め続けた人生。決して悪いことなんかじゃない。むしろ、社会を生きる人間ならば当然の行動だろう。でも――

「――あの時の話の続きになるんだけどさ」

「うん」

「俺は毎日を楽しみたい、明日を最高の日にしたいっていったじゃん?」

「そうだね」

「それはさ、いつか終わりが来るからなんだ」

「……」

「前も言ったかな?レイアはきっとこれから先、ずっと長く生きていくことになると思う。俺なんかより、ずっと。それでも、いつか絶対終わりはくる」

「来る、のかな」

 不安そうな、少し祈りがこもったような声。彼女は、終わりを願っているのだろうか。正解はわからない。が、今俺に伝えられるのは俺の思いだけだ。

「きっとね。永遠なんてないからな。んで、その時俺らはきっと、過去を振り返るんだ。

 今まで自分たちが残してきたものを、やり残してしまったものを。俺たちは完璧じゃないから、振り返ってみたものは多分、後悔で溢れてる」

 そう。世界が完璧でないように、その中で生きる矮小な俺たちでは、到底完全なものなど生み出せない。

「うん」

「でも、そんな悔しさの中で、ほんのちょっとした喜びも、楽しさもきっと残ってる。それぞれはちっぽけで、ばからしい、くだらないものの集まりだと思う。

 でも、そんな物たちが俺たちの人生を照らしてくれる、俺たちの人生の証だと思う」

「……」

「だから、例えどんなにくだらなくっても、そんな喜びを大切にしたいんだ」

 この人たちがどうだったかは、俺らにはわからない。それでも、俺はこの人たちと同じ生き方はしない。できない。俺の答えがあるから。

「最後の時に、数え切れないほどの後悔と、ほんのわずかな、くだらない喜びを抱えて、全部ひっくるめて、楽しかったなって。悪くなかったなって、笑いたいからさ」

「……なんだか今日は、やけにセンチメンタルだね?ユート」

 少しニヤリと笑いながら、レイアがこちらに顔を向けてくる。……なんか、俺の仕草が移っているような気が。

「うっせーやい。らしくない自覚はあるんだから、茶化すのはやめてくれ」

「ごめんごめん。でも、…そうだね」

 はにかんだ笑い。でも、その視線は確かに真剣だった。

 恥ずかしさを誤魔化すように、俺も慌てるようにして口を開く。

「まぁなんだ。要するにさ、だからここは楽園かもしれないけど、俺は残りたいとは思わないな」

「ふふ、そもそも立ち止まるなんて選択肢はないでしょ?」

「それはそう」

「だよね。うん、わたしも羨ましいとは思わないな」

 話していると、それらしいものが見えてきた。やはりあった。非常出口だ。扉は開きっぱなしとなっており、少なくとも一度使われたことがわかる。

 ここにいた人たちが、ここから抜け出して、果たして生きてゆけたのだろうか。

 きっと、現実はそううまくいかなかっただろう。せめて、その最後に彼らが幸せだったことを願う。

 確認するが、機能的には問題なさそうだ。どうやら、本で見たことのあるモノレールのようになっているらしい。画面を操作し、現在地上にあるモノレールをこちらに動かす。

 幸運にも、やってきたそれは多少傷ついていても壊れてはいなかった。

 ここで、さまざまなものに出会った。いろんな発見をした。さまざまな人の人生と、その終わりを目にした。

 でも、ここは俺たちの終点じゃない。彼らと残ることはできない。俺たちは、生きている限り進み続けなくてはいけない。それが辛く、苦しいことに満ちていても、わずかな喜びを求めて。

「さようなら」

 自然と、口からこぼれた。理性で押し固められ、時に見失ってしまう、本心から漏れ出したわずかな言葉。

「ありがとう、さようなら」

 隣でレイアがつぶやいた。思っていることは、きっと一緒だろう。この先へのわずかな不安と、たくさんの希望を胸に、俺たちは足を踏み出した。



「でっかーい……」

 モノレールから、だんだんと離れていく都市を眺めながらレイアが言った。

「探知機じゃ測り切れんから、もはやどんだけ大きいのかわからんな」

「そんなになの!?」

「一番小さい上層でギリ捉え切れるかどうか」

「ほえー。それにしても、景色もきれいだね」

「ほんと、観光用みたいな速度だし。これほんとに緊急脱出用かよ」

「今はこの方が景色見れて楽しいしいいじゃん」

「違いない」

 時刻はもう夕方が近づいており、赤みがかってゆく地平線は確かに美しかった。どうせすぐ夜になるならば、上層で一晩過ごした方が良かった気もする。が、出てしまったのだから仕方ない。

「次の目的地の街に着いたら、この都市のこと含めて教えるか。絶対、すごい金額になるぞー」

「どのくらい?」

「このコートが一生分買っても全然余るくらい」

「そんなに!?」

「ただ、実際にあの都市を見てもらってその価値を確認してもらって初めてもらえるかな。そんなに居座れる暇はないし、実際にはその10、いや20分の1くらいかな」

「ありゃ……」

「それでも十分な金額だぜ?」

「コート何枚分?」

「コート換算やめろや。大体20着くらいじゃね?」

「ユートが始めたんでしょ……。一生分、400着で足りる?」

「どんだけ壊すつもり……あー、そっか俺寿命伸びたんだった」

「ユート再生鈍くなってるし、多分そんなに生きれないよ。ほんと気をつけて」

「はいすみません」

 レイアの嫌がっていることをするわけにはいかない。こればっかりは、本当に気をつけなければ。

「いっそのこと、モノレールの到着場所で今日は寝るか。これが壊されてないってことは、多分安全だろうし」

「ん?なら、乗らないで――」

「やめて!さっき思ったんだからやめて!」

「……なんか今日のユート、ポンコツだね」

「くっそ、流石に言い返せねぇ……」

 雰囲気的に、あそこから「じゃあ、今日はここで寝よっか」は無理だろ!とも思うが、そもそもあの雰囲気にしたのは俺の発言な訳で、となるといよいよ言い訳のしようがないわけで……

 切り替えていかなければ。ここからはまた危険に塗れた旅なのだ。

「ついたー!」

「よし。じゃ、予定通りここで今夜は過ごすぞ」

「はーい」

 

「にしても、今までよくあんなでかいものが今まで見つかんなかったね」

 夜ご飯も食べ終え、寝る準備もできたところで、焚き火を囲みながらレイアが口にした。

「存外多いんだよ、こういうこと。ある村から30分で行けるような距離でも、そもそもほとんどの人は生涯治外区域に出ることはないわけで。

 ってなると、こういうのを見つけるのは俺たちみたいな旅人かあのババアみたいになるんだけど」

「口わるいよー?」

 そう、未開拓の地にあのような巨大建造物があること自体は、それほど珍しくない。問題なのは、あの商業人からもらった地図にこれが載っていなかったこと。

 確かにあの自立兵器との戦闘でルートからずれてしまってはいたが、あいつがこんなものを見落とすとは思えない以上、地図からかなりずれてしまっている可能性が高い。

 幸い、これまでにたどってきた方位などは何となくわかっているので、うまくリカバリーしなければ。

「気にすんな事実だから。んで、そういう人たちは大抵頭のネジ外れてるから探索に中に入るんだよ。

 そもそも、他の人に先に入られたら中の貴重なものを取られる可能性もあるしな。せっかく自分が見つけたのに、その利益を横取りされたらたまったもんじゃない。

 だからまあ、悪いことではないんだけど、安全を考えると絶対ダメな選択なわけで」

「なる、ほど……」

「そもそも、場所によっちゃあ一切の部外者を受け入れない都市、村だってあるしな。情報を売りに行ったら殺されたーなんてこともあるわけで」

「ひどい……」

「全員命懸けだからな。人を信じるってのは、案外難しいんだ。ほれ、寝るぞ」

「……うん、おやすみ」

 あまり言わない方が良かったであろうことも言ってしまった気がする。だが、今のレイアならきっと受け入れてくれるだろう。今は、明日に備えて休むべきだ。



 それから、いろんなことがあった。短くも長い、きっと最後の時まで忘れることのない、楽しい日々だった。

 

 ある時には、とある2人の最後を見た。

「これ……」

 森の中、全く人気のない、まだその純粋さを保ち続けている自然の中に一つ、これまた人工物でありながら、自然と融合した一つの小さな建物があった。

「……うん。やっぱ地図にはないな」

 やはりまだ元のルートには戻れていない。そもそも地図にも乗っていない場所のようだ。が、まぁ想定通り。あまりそこは気にしすぎなくていいだろう。問題は、目の前に忽然と佇む木製の家。

「ユート、入ろう?」

「一応聞くけど、なんで?」

「なんとなく」

 なんとなく。おそらくは、今俺が感じているものと同じ。

 微かな、死の気配。正確には、俺が感じているのはただの違和感に過ぎない。人のものでありながら、人の気配を残さないものたち。

 おそらくは、これらが境界線を曖昧にするほどに、長い期間が経っている。そして、俺たち人がその境界線を越えるのは、最後の時しか存在しない。

 だがきっと、レイアは「それ」をそのままに感じている。

 決して、行かなければならない道理などない。だが、彼女にとってはその限りではないのだろう。

「……わかった。でも、いつも通り俺が先に行く」

「うん」

 慎重に、扉へと進み、長くその使命を果たす機会を失っていた扉に力を込める。軽い抵抗の後、キィっという微かな抵抗の声とともに、あっけなく戸は開かれた。

「――」

 中は、先ほどの意味で言えば、外と全く変わらなかった。人の、異物の空気を一切持たない。ここは既に森の木々と一体化している。そんな意識は、無意識のうちに俺の意識を緩めた。

「ユート。罠」

「――っあ」

 レイアの声で、ギリギリのところで止まる。見ると、入ってすぐ、牢屋のような部屋の入り口に罠が仕掛けられていた。俺があの都市で仕掛けたような爆発性のものらしい。

 かなり風化しており、正常に動くかは怪しい。ただ、あまり見ない形をしているし、おそらくその爆発規模も俺が前仕掛けたやつの数倍はあるだろう。

 にしても、俺が気を抜いていたとは言えレイアの罠を見抜く力にはやはり舌を巻く。

「……奥」

「――ぁ」

 またしても、今度はレイアに何秒も遅れて気づいた。牢屋の奥に、寄り添うようにして白骨死体が2体、寝かされていた。

 あの時は、人工の気配が蔓延する都市の中に、自然としての空気を纏う白骨死体のギャップから瞬時に気づくことができた。その違和感も、凄まじいものだった。

 だが、今回は違う。これらは、完全に外界と調和していた。1人の、運命という画家が描いた芸術となっていた。だから、気づけなかった。

 もっとも、レイアにとってそんなものは関係なかったらしいが。

「……いかなきゃ」

「なっ。まさか、この中に?」

「うん」

「なんで!?」

「せめて、弔わないと」

 そうだ。こいつはこういうことを言うやつだった。

「罠はかわせるのか?」

「むり。だから、くらって行く」

「――おい」

 俺の最低限イエスと来るだろうと思った回答にすら、NOと答えた。だが、正直驚きはない。もう慣れた。だからといって、容認できるわけがない。

「ダメだ。死んだもののために、お前が傷つく必要はない。そもそも、何もなしに突っ込んだらあれも爆発に巻き込まれて、埋葬する前に壊れるだろ」

「走ってく」

「無理だ。間に合わない」

「なんとかする」

 ダメだ。やはり、それでもやはり、彼女にとっては自分自身より死んだ誰かの方が大事らしい。

 なんと愚かな。なんと、純潔で美しいのか。

 でも――

「わかった。じゃあ、これを解除するから。行くのはその後にしてくれ」

「……できるの?」

「できる」

「うそつき。こんな複雑なの、見たことない。きっと、この人のオリジナルだよ」

 そう、一見単純そうに見える目の前のトラップは、非常に美しく絡み合っていた。それでいて、どこか一つでもミスをすれば終わると言う確信があった。正直、解除できる自信はあまりない。

「どうせ、そのまま行っても間に合わないのはわかってるんだろ?」

「いや……」

「わかってる。そんな論理的な話じゃなくって、もっと感情的な話だろ?」

「……うん」

「なら任せろ。俺はお前を優先するし、そのためにできることを全てやる」

「でも、そしたらユートが……」

「絶対どっちかが犠牲になるよりかは、ワンチャン両方助かる方が絶対いいさ。大丈夫、俺だって死なん」

「――それじゃあいつか……」

 小さくて、よく聞き取れなかった。

「……わかった。でも、私も手伝うから」

「ありがとう。ってか、その方が助かる」


 2時間ほどかけて、何度もレイアのアドバイスに助けられながら、ようやく罠は解かれた。開けっぱなしでありながら、長く閉ざされてもいた、機能的概念としての扉をくぐる。

 近づいて、気づいた。片方が明らかにあたらしい。おそらくは、5年以上の差がある。また、わかりづらいが2人は手を繋いでおり、その手にはさびれていながらも綺麗な指輪がはめられていた。服装も、今となっては見る影もないが美しい服が、それも先に死んだであろう死体にも着せられている。

 思えば、あの罠は明らかに中から作られたものだった。ならば、もしかして――

「――ここで、一緒に眠ることを選んだの?」

 尋ねるかの如く、レイアが口にした。確証はない。だが、今の状況を踏まえるのならば、先に死んだ人を思い、これ以上1人で生きていけないと思ったもう1人は、ここでともに眠ることを選んだのだろう。

 自然とともにありたかったが、誰にも邪魔されないために、内から決して開けられない、開け放たれた錠を作って。ならば――

「レイア、もう一度、罠を作り直そう」

「――そうだね」

 僕らのような部外者が埋葬しようだなんて、彼らからすればとんだおせっかいだろう。静かに、2人きりの時間を過ごしているのに、邪魔をするわけにはいかない。


 再度、今度は1時間ほどで罠を作り直した。これでまた、彼らの平穏は保たれた。これからも、限りなく無限に等しい時間をともに過ごして行けるはずだ。

「ごめんね。時間を無駄にしちゃって」

 とても申し訳なさそうに、レイアが言う。

「いいよ。レイアの思いは間違いなく人として正しかった。今回はたまたま、本当に例外だっただけさ」

 会話はそこでやめて、静かに手を合わせる。たとえ静寂を汚してしまった部外者であったとしても、いや、寧ろだからこそだろうか。そんな非礼への謝罪と、2人の幸せを願う。

 目を開けると、隣でレイアがまだ祈っていた。あの時と同じ光景。幼いながら、凛々しい横顔。僅かに風に揺らされる、吸い込まれるように美しい髪の毛。先ほどまでの思いから一転、視覚を、全ての意識を奪われるほどに、彼女の在り方は美しかった。きっと、この世界で一番。

 彼女はある意味、生きていながらもっと自然に近い存在だった。そんな気がした。

 扉を閉める。こんな辺境で2人、自然の中で生き、自然へと帰っていったもの達。これもまた、人生のあり方の一つだ。華やかさも何もない、質素な世界。だが少なくとも、俺にはとても美しく見えた。



 またある日には、海に行き着いた。

「でっかーーい!」

「……おぉ」

 無邪気にはしゃぐレイアとは対照的に、俺は静かに感嘆の声を上げることしかできない。果てが見えないほど広い水たまりとでも言おうか。感動を超過して、気圧されるような感覚さえ抱いた。

「すごーい!ねぇねぇ、行こうよ?ユート!」

 コートの裾を引っ張りながら、レイアが言う。

「こりゃすっごいな。海か?それとも湖?あいや、池か?でも、こんなでかいのが海以外に……」

「もう、行けばわかるでしょ?そんなの。いいから、早く行こ!」

「池か湖かは区別つかんだろ……。なんだっけ、どっちの方が大きいんだっけ……」

 俺が思考を巡らせている間も、片手をパタパタさせながら俺を引っ張る。力比べなら負けるはずもないが、考えに集中したいのと、レイアが可愛らしい――というか、8割型後者が理由だが――ために、体を預けて引き摺らせる。

「泳いでいい?」

「確か大きいだか、深い方だかがみず――は?いや、おいちょまて!」

 ビーチにつくや否や、疑問を投げかけておいて返事も聞かずにパタパタと走ってゆく。まずい。あいつのほうが先につく――と思ったところで、

「っ!あっつーーーーい!」

 途中で靴を脱いだ結果、素足で砂浜に触れてレイアが飛び跳ねる。

 コートの体温調節機能で気が付かなかったが、季節は夏が近づいてきている。何より、今は昼過ぎくらい。日光が最も当たり、1日の中で砂浜が一番猛威を振るうタイミング。なんの対策もせずに、いきなり突っ込めばこうもなるだろう。

「大丈夫か!?やけどは?」

「う、ううん。そう言うのは平気なんだけど、びっくりしゃって」

 足裏を見ると、言う通り火傷の跡はない。と言うか、今の間に治ったのだろうか。なんの証拠もない以上、真相は闇の中である。

「痛みは?」

「ずっとないよ。ほんと、おどろいただけだから。もう平気だよ。ほら」

 そういって、今度は完璧に立ち上がる。それはそれとして、そのままでは火傷しかねないので靴は是非とも履いていただきたい。というか――

「てか違う!それじゃなくって、こっちの言うこと聞く前に飛び出すな!」

「―あっ」

「眼中になかったなこんにゃろ」

「ご、ごめん……」

 先ほどまでのワクワクはどこへ行ったのやら、一転、今度はしおらしくなる。

「はぁ、いいさ。冷静になってくれたなら。それはそうと、これに入るのはダメだ」

「なんで!」

「耐水性が多少あるとはいえ、コートが壊れかけん」

「なら裸に――」

「本当にバカなのか?」

「で、でも、これなら壊れないよ……」

 女性経験なし純粋無垢な思春期男性の俺が壊れるわ。という本音は飲み込んどく。そうではなくて、

「装備がない状態で襲われたらどうする。それか、これが盗まれでもしたら」

「うっ、で、でも、私死なないし、せっかくこんな珍しいところに来たのに……」

「おっけー何度でも言うね?レイアは自分がただの女の子だって言う自覚を持って、もっと自分のことを大事にして?」

「はい……」

 ものすごく落ち込んでしまった。とても心が痛む。

 確かに、俺も泳ぎたい。こんなでかい水の塊がどうなってるかなんて、喉から手が出るほど気になる。でも、危険性を考えるなら、そう言うわけには――

 いや。そんな合理的な話より、レイアが悲しそうにしていることの方が断然嫌だ。彼女にはもっと笑っていてほしい。そのための旅だと、あそこで再確認したのだろう。

「――わかった、行ってもいいぞ」

「いいの!?」

「まて、最後までよく聞くこと」

「はいっ」

 レイアがピシリと姿勢を正す。

「一つ目は、荷物は俺に預けること。俺が見張ってるから。んで、俺の近く10メートル以内にいること。その距離なら多分、何が起ころうとも助けられる」

「らじゃー」

 敬礼をする。そういえば、こう言った知識はどこで知ってのだろうか。

「最後に、今着てるコートとかの代わりに、これを着ること」

 そう言って、俺はリュックから一枚の服を取り出す。

「え、これ……」

 それは、純白のワンピースだった。小物はほとんどついていないが華やかで、レイアにとてもよく似合うと思った。

「コートを直した後にさ。似合うと思って買ったんだよ。泳ぐ用ってわけじゃないから、くれぐれもそこは気をつけて」

「ーーーっ!!うん!ありがとう!!!」

 とても嬉しそうに、明るい笑顔で受け取る。それだけでこれを買った価値が――いや、その何倍もあっただろう。


「じゃ、いってきまーす!」

「いってきますって言うほど離れるなよ」

「わかってるってば」

 怪しいなぁと思いつつも、言われた通りレイアはすぐ近くで遊んでくれている。純白の髪は陽光に照らされて、この世のものではないような美しさだった。

 裸足で砂浜と海との境界線をかける。濡れないように、スカートの裾を持ちながらくるりと回って、こちらを向く。一輪のひまわりのような、儚くも明るく、美しい笑顔。浜辺に天使が舞い降りたような錯覚を見た。

「あはっ!つめたーい!」

 楽しそうに飛沫を上げながら駆け回る。

「……足がつく範囲にいろよー」

「ユートもきなよー!」

 ……あんま聞いてないな。俺の言葉。

 会話が成り立っていない。が、楽しそうなのでいいだろう。

 自分でさっき言っておいてあれだが、やはりこうやって見るとレイアもただの少女なんだと気づく。普段の言動や行動、その他会ってすぐの達観した様子のせいで感覚が狂っているが。

 というか、見た目だけで考えればそれこそただの可愛らしい少女だ。絶世の、とまではいかないが間違いなく整った顔立ちをしている。……他をよく知らないため比べ用がないので、少なくとも俺よりは。にしては何というか。こう、可愛らしさが少し足りないからか?なんか、「これじゃない」感がある。何でだろう。見た目だけ幼い少女のビジネス少女だから?いやいや。それこそ普段の言動、好奇心旺盛な様子だって少女そのもの(一部例外を除く)ではないか。ならば一体――

「うわっ!」

 思案していたところ、急に水が顔にかかってきて驚く。塩の味。どうやら海水だったようだ。若干鼻に入ったのが痛い。犯人は探すまでもないだろう。

 目の前でニヤニヤしている、レイア。そもそも容疑者がこいつしかいないし、何より「してやったり」顔を隠す気がない。

「そんな考え事してないでさ、いこ?」

「いやだから、お前と荷物を見張ってなきゃ――」

「わたしのことも荷物のことも見てなかったじゃん?てか、ユートびびりなんだ?」

「……」

 確かに、ぼーっとしていたのは俺が悪い。だが、後半の言葉は反論せざるおえない。

「誰がびびりだって?」

「ユートだよーだ!」

「言ってくれるなコンニャロ!」

「うわっ!」

 コートを適当にほっぽり投げ、レイアを追いかける。蹴るようにして、海水をぶっかける。

「わぷっ!」

 振り返った瞬間、顔にもろにくらって倒れるレイア。ざまあみろってんだ。

「べー!しょっぱーい」

「そりゃ海水だからな」

「やったね?」

「先にやったのそっちだろ」

「うるさいうるさい!やり返させろ!」

 性懲りも無く、両手で掬うようにして海水をかけてくる。

「うわっと」

 顔に当たらないよう両手で防ぐ。やられたら、やり返さなければ。

 そうして、しばしの間互いに水を掛け合った。飛沫の隙間から、彼女の笑顔が見える。俺の願っていたものが、確かにそこにはあった。

 今襲われたら終わりだなーなどという思考すら起きなかった。そんなことどうでも良いくらい、その瞬間がレイアも俺も楽しかったからだ。

 そうやって、俺たちは夕方まで遊んでいた。

「つっかれたー!」

「ビッショビショだけど、どうしよ……」

「レイアはそれ脱いで返してくれ。乾かしとく。問題は俺だから。服の変えないんだけど」

「なんも考えず遊ぶから〜」

「誰のせいだオイコラ」

 夕陽に照らされながら、服を絞る。夜になってしまっては乾きづらい。できるだけ、今のうちにやっておかなければ。

「こりゃ今日はここで――」

 言葉が止まった。振り返ってみると、夕陽の中に彼女がいた。濡れた髪を振って、耳にかける。白銀の髪は、夕日の前では雪のように儚く、今にも溶けて消えてしまいそうに見えた。

 本当に、このまま消えてしまうのではないかと言う不安がよぎる。世界で唯一の不死でありながら、ほんのちょっとした事でいなくなってしまいそうな、矛盾した気配。しかし、

「ん、楽しかったね!」

 そんな俺の不安を吹き飛ばすように、俺の視線に気づいた彼女は笑った。

 今までで、きっと一番本心に近い笑顔。オレンジに照らされる海を背景に、昼と夜との狭間で、世界が止まったかのようだった。それほどまでに、今でも鮮明に思い出せるほど綺麗だった。


 

 ある時には、別の行商人と出会ったりもした。短い時間だったが、互いに利益のある話だった。レイアとも楽しそうに話していたが、不死性のことは語らずに別れた。

「また会えるかな……」

 別れた後、レイアが言った。

「わからん。けど、これから先もずっと歩き続けていれば、いつかまた巡り会えるかもな」

 正直、会うことは2度とないだろう。でも、レイアならば。これから先ずっと長く生きてゆくレイアならば、生きているうちに直接ではなくとも、いつかもう一度会える気もした。


 もちろん、楽しいことばかりではなかった。ある時には自立兵器に襲われたり、獣に襲われたりもした。

 しかし、そんな日々も、思い返せば全て美しい思い出だった。間違いなく、俺たちの生きた証だった。

 


  

「よし、じゃあ今日はここで寝るぞ」

「わかったー」

 そうして、あの商人と別れてから、3週間ほど経った。

 一度は外れてしまったルートも無事戻ることができ、またペースも良く、この調子ならばほぼ予定通り、あと1週間と少しでその都市に着くだろう。

「ご飯できたよー」

「ほーい」

 一度ご飯を作ってもらってからは、俺とレイアは交代でご飯を作ることにしている。今となっては俺に勝るとも劣らない腕前だ。

 だが、成長したのはそこだけではない。機械の操作もほぼ完璧と言えるほど成長した。そら恐ろしい成長速度であった。

 今は、銃の操作方法などを教えている。彼女の性質上、人を撃つことは一生叶わないだろう。が、それはそれでいい。

 そもそも、撃たずに済むならばそれに越したことはないのだ。とりあえずは、自立兵器や獣相手に1人で戦える力を身につけてもらうことを目標としている。

 というか、今までそのような技術なしに治外区域をうろうろしていたのがおかしいのだ。今までいかに、自身の不死性に頼ってきたのかがよくわかる。レイアだって人のこと言えたもんじゃないだろう。

「「ごちそうさまでした!」」

 一緒に食べ終わり、後片付けをする。これが終わったら、後は寝るだけだ。

 毎日がとても順調だった。いろいろなことがあった。しかし、何かがあったかと言えば、何もなかった気もする。でもきっと、こう言った日々の積み重ねが、俺の言った「ちょっとした喜び」なのだろう。

「おやすみ」

「すみ……」

 早速レイアは寝てしまったようだ。初めからは考えられないほど、自然体でいてくれるようになった。ちらりとその横顔を眺め、俺も瞳を閉じる。丸一日、警戒状態で歩き続けたのだ。たまっていた疲労が、一気にやってくる。瞬時に、意識が霧散しそうになる。

 都市につけば、また一悶着あるかもしれない。それに、いつ次の刺客が来るかもわからない。だが、こんな日が続けばいいなと、夢と現実の狭間で願った。


――――――――――――――――――――――――

 

 夢を見た。一体いつぶりだろうか。そもそも、これは夢なのだろうか。何かを見ているのではない。むしろ、直感や予感といったものな気がする。

 何かが、来ている。俺と似た、ナニカ。いや、それは表面上に過ぎない。その奥に隠した本質はわからない。だがなにか、悪い予感を感じた。コイツを何とかしなければ、全てが終わってしまう。そんな気がした。

 一体それが何なのか。理性が眠りについた、夢の中だからか。危ないとは思わなかった。本能がそれを知ろうと、そいつの中に沈んでゆく。

 暗く、冷たい液体の中にいるようだ。抵抗。当然だろう。誰だって、隠している自分の本質は知られたくない。わずかに残っていた判断能力は、わずかな抵抗も許されず、全て飛ばされた。

 だが、余分なものがなくなった、純粋な本能は、すなわち俺の本質は、一切の抵抗を感じることなく沈んでゆけた。周りの流れが強くなる。しかし、それらは俺をすり抜けていくようだった。

 長く長く、深く沈んでゆく。やっとのことで、それが見えてきた。まだ届かない。触れることは叶わない。だが、感じ取った。

 それは、俺とは真反対の、それでありながら最も俺と似た存在だった。


――――――――――――――――――――――――

 

「――!」

 一瞬で意識が覚醒する。空はまだ暗く、日は登りきっていなかった。一応、コートの履歴をチェック。自立兵器や生き物の接近を知らせるものはなかった。

「はぁ、はぁ」

 汗がすごい。呼吸も浅かった。アラートなしで、このような目覚めをするのは初めてだった。一体何がそうしたのだろうか。

 よく、覚えていない。何かを観た気もするし、何も観なかった気もする。心が泡立つ。まるで、何かが起こる前兆のような、そんな感覚。

「……はぁ」

 呼吸もある程度落ち着いた。こういう時は大抵、考えたって仕方がない。きっと理性に基づいた理由なんてないからだ。

 せっかく早く起きたので、今日はレイアの当番だったが、俺が朝ごはんを作ってしまおう。


「ん……あれ?もぅあさ?」

 調理中、寝ぼけた様子でレイアが起きてきた。いつもより1時間近く早いだろう。

「あ、わり。起こしちゃったか?」

「うん……」

「俺が勝手に起きちゃっただけだから、まだ寝てていいぞ」

「…う〜ん、でもきょうわたしの当番……」

「いいからいいから」

「……もうちょっと、ねてくる…」

「ほいよ」

 再度自身の寝袋へと戻ってゆく。ご飯ができたら程よい時間になっているだろう。


「おお、きれい……」

「こっちは湖か……初めて見たな」

「あ!なんか飛んだ!」

「白鳥ってやつかな?知らんけど」

 朝の悪い予感とは裏腹に、これといったトラブルもなく夕方となった。地図にあったので存在はわかっていたが、目の前に広がる広大な湖と夕陽が美しい。

「ちょうどいいな。もうちょっと進めないこともないけど、せっかくだから今夜はここで過ごすか」

「さんせーい!」

 ウキウキした様子で、自身の寝袋を取り出す。喜んでもらえて何よりだった。

 最近は追っ手のことを気にすることも減った。気にしなければならないことだが、気にせずに済むなら越したことはないだろう。

 そもそも、どうやって俺たちの居場所がわかっているのかも不明なままだ。やれることがほとんどないのに怯えるなんて、時間の無駄だろう。旅の道中に色々と調べたが、奴らがどうやって俺たちの居場所を突き止めているのかはわからなかった。

 しかし、それさえ分かれば全て解決する可能性が高い。次奴らに襲われたら、何とかしてこの情報を聞き出そうと思っている。

 俺は俺で寝袋を設置し、焚き火も準備する。夜ご飯のメニューはすでに決めてある。道中で手に入れた食材を取り出し、調理器具に目をやった。

 異変はすぐに起こった。

「ユート……!」

 低く、短い声。いつもと同じ、レイアの持つ謎の危機感知能力。その精度は今のところ100%だ。

 言われてすぐに、俺も気づいた。大地がわずかに震えている。振動は、徐々に大きくなっている。間違いない、何かが近づいてきてる。

 レイアの反応からして、友好的なものでないのは確か。というか、間違いなくあの集団の一味。身構え、臨戦体制に入る。他に、何かできることは。レイアだ。レイアをなるべく遠くに――

 そんな思考を実行に移している暇はなかった。振動は加速度的に大きくなっている。

 振動が極限まで大きくなったと同時に、眩い光と砂煙が起こった。しばしして、目が慣れてくると、目の前にあるものが明らかになってきた。

 鋼鉄に包まれた、形容し難い形の乗り物。いや、どこかで見たことがある。おそらくは、過去の本。

 そうだ、飛行機だ。書いてあったよりは遥かに小さいが、形からして間違いない。だが、あの乗り物はこんなふうに急停止できないはず。

 ということは、これもimp型のもの。わかりきっていたことだが、改めて敵が今までと同じ団体のものだと確信がつく。

 半球型のガラス製カプセルのようなものが開く。中にいた人が降りてきた。

「危ない危ない。この操作性じゃ、とてもじゃないけど大衆向けには売り出せないなぁ」

 凛々しい、美形な容姿の男。髪は短めで、現代では珍しい、メガネをつけている。また、白いロングコートを身にまとっている。身長はやや俺より高いだろうか。装備は、俺とよく似た腕輪型のものをつけている。

「おっ。君がユート君だね?直接会うのは初めてだね」

「……どうして名前を知っている?」

「今までの奴らと同じ団体の者なのは分かってるでしょ?」

「じゃあ聞くが、どうして俺たちの居場所がわかった?」

「あー、そうだね。これで最後なんだし、自己紹介がてら、いろいろと答え合わせをしよっか」


「ね?久しぶり、神様」

 続けて、背後にいるレイアの方を見ながら口にした。

「レイア、なるべく遠くに逃げてくれ」

「――」

 返事がない。

「レイア?」

 ヤツから目を離すわけにはいかない。横目で、視界の端にレイアを捉える。

「…………」

 そこには、膝から崩れ落ちたレイアがいた。口元を覆い、目にはわずかながら涙を浮かべている。

「思い出してくれたかな?」

 不敵に、目の前の敵が笑う。

「何しやがった……!」

「別に〜?俺を見たら、なんか思い出しちゃったんじゃない?よっぽど、後ろめたい記憶でもあったのかなぁ」

「テメェ……」

 何かはわからない。が、やつの一言一言が鼻につく。やり場のない、原因不明の怒りが湧いてくる。

「ほらほら、落ち着いて。今から少し、昔話をしてあげるよ」


「あるところに、1人の神様がいました」

 ゆったりと、過去を懐かしむように語り出した。

「その神様は、不老不死の肉体と、ありとあらゆる生命を蘇らせる血を持っていました」

 間違いない。レイアのことだろう。

「彼女はその血を使って、多くの人たちを助けました。助けられた人々は、彼女を崇め、彼女と同じように人々を救おうと立ち上がりました」

「こうして、より多くの人々が救われ、壊された文明も修復され、imp型と呼ばれる新たな機械の発明、つまりは古代文明を超える、文明の進歩まで実現したのです。一度は崩壊しかけた世界もわずかに建て直されたのでした」

「時は経ち、初めに彼女に救われた人たちも、徐々に死んでゆきました。彼女の血は、その肉体の老化を止め、一時的な再生能力は与えても、永遠の命を与える者ではなかったのです」

「だけど、彼女はそれを悪いことだとは思いませんでした。一度は若いながら、道半ばで死にかけた命を救い、その人たちはその人生を長く楽しみ、幸せに死んでいったのです。

 本来、生命はいつか死ぬものであるという考えを彼女は持っていました。そのため、そのような終わりは残される彼女にとっては辛いものであっても、死にゆく彼らにとってはこれ以上ない幸福であったはずだからです」

「しかし、ある時大事件が起こりました。多くの人々を救い、私たちに希望を与えた彼女が、彼女の施設を大破させたのです。

 とてもとても、甚大な事件でした。そこにいた多くの人々は苦しみながら死んでゆきました。それでありながら、私たちの神様はどこかへ消えていったのです」

「一度は壊されてしまいましたが、私たちには世界を再興する方法がありました。ただ、そのためには私たちの神様の力が必要でした。

 そうして、私たちは彼女を捜索するドローンを飛ばし、はるか上空から彼女を監視し続け、追手を出しました。私たちを一度裏切った神様を連れ戻し、世界を救うために――」


「どうだったかな?俺のお話は」

「嘘か本当かしらねーけど、どうでもよかったな」

「残念ながら、本当の話さ」

 ヤツの話を信じるならば、レイアは多くの人を助けながら、最後に多くの人を殺したことになる。レイアの性格からして、ありえないだろう。が、ならばレイアのあの反応はなんだ。

 不可解な点は多くある。しかし、真実は後でレイアから聞けば良い。なんなら聞かなくたっていい。そこは、それほど重要でない。本当に重要なのは――

「つまりは、俺らのずっと真上から、ずーっと俺らを見張ってたってことか?ありえねぇ。どう考えたって、エネルギーが足りない」

「自然エネルギーを用いた発電に、他のドローンからの定期的なエネルギー補給を加えれば十分可能さ」

「……なるほどね」

 原理はなんとなく理解した。つまりは、空を飛ぶ手段を持たない俺らにはどうしようもないということだ。

「ってことは、お前らの親玉を見つけ出してぶっ飛ばすしかないってことか」

「ああ、その必要はないよ?」

 肩をすくめながら口にする。

「ここで俺たちを捕まえるからってか?二番煎じどころじゃないぜ?それ」

「それもあるけど、そうじゃない。だって、俺がその親玉だもん」

 ――なんと。目の前にいる相手が、目的の人物だった。確かに格好からして只者ではないと思っていたが、まさかリーダーだったとは。

「じゃ、話は早い。さっさと――」

 お前を殺して、という言葉を言い終える前に地面を蹴り出した。すでに思考は加速している。人智を超えた速度で、正面から殴りつける――

 音もなく、左手一本で俺の拳は全ての勢いを止められた。1秒に満たない時間。だが、力関係を明らかにするには十分な時間だった。

「いい加減気づいてくれたか。和解は無理だって」

 加速された世界で、凝縮された時の中で、ヤツの声が聞こえた。

 直後、ヤツの右腕が瞬き、俺の腹部を強い衝撃が打つ。

「っ!」

 構わず、勢いそのまま回転するように左足で蹴りを回す。

 先ほどまで頭があった、今では何もない空間を空振る。視界の隅で、ヤツのモーションが見えた。右足の蹴り。条件反射で、顔に飛んできた蹴りを両手で受ける。

「――っ!」

 先ほどの比にならない衝撃。風に吹かれる葉のように、簡単に吹き飛ばされる。どこかに打ち付けられるより先に、ヤツのかかと落としが腹部に叩きつけられる。

「がっ、ア゙ァ゙!」

 腰の入っていない、乱暴に振り回した拳。避けるほどでもないと思ったのか、ヤツにそのまま叩きつけられる。

 しかし、意思のこもった俺の拳は、当の本人の予想すら凌駕する破壊力を誇った。

「っ!」

 初めて、ヤツが驚く。当たるすんでのところで、左肘に防がれた。が、その上からでも巨大な衝撃は抑えきれず、ヤツを吹き飛ばした。

 すぐに追撃に向かいながら考える。身体能力という面で、負けているところはない。ただ、技術の差だ。もしくは経験の差だろうか。なんにせよ、こちらの攻撃は当たらず、相手の攻撃は当たる。

 なに、今までと同じこと。やることは分かりきっている。不死身を利用した、相打ち前提の一撃。最大火力ならば、今までの経験上おそらく俺のほうが上。あの戦いでの最後の一撃以降、自身の力の使い方は理解した。今ならば、確実に一撃で屠れる。

 一瞬、レイアとの約束がよぎった。自分を犠牲にするようなことをしてはいけない。それは、レイアを傷つける。

 ごめん、と一言心の中で思う。約束か、レイアか、どちらを優先したとしても、レイアを傷つけることとなる。

 ならば、俺はレイアを優先する。生憎、第3の選択肢を見つけられるほど俺は賢くない。俺が正しいと思う、俺の選択を信じる。たとえわがままだとしても、この思いは譲れない。

 追いつくより先に、受け身を取ったヤツが再度臨戦体制に入る。素人から見ても、無駄な動きがない。付け入る隙がない。上等。最後に立っていたものが勝つのだ。勝機はこちらにある。

 互いに、右腕を振り抜く。奇跡的に軌道が一致した。ぶつかる。勝った。極限まで延ばされた時間の中で、そのような思考が駆け巡る。

「お前、自分の火力を特別なものだと思ってない?」

 そんな思考の狭間に、ヤツの言葉が聞こえた。

 新たに思考している暇はなく、互いの拳が衝突する。今までにない、あの時とは比にならない衝撃、爆発。当然、こんなことを想定していなかった俺は踏みとどまれず体勢を崩す。

 一方、相手の体勢が崩れたのは一瞬で、轟音と砂埃の中瞬時に距離を詰める。手刀のように、ヤツの左腕が振り上げられた。

 痛みもなく、俺の左腕が切られた。

 それで終わるはずもなく、間髪入れずに追撃が入る。腹部、脇腹、顔面、さまざまな場所に連打が入る。

「ア゙ア゙ァ゙ァ゙!」

 崩れ落ちそうになる体を気合いで支え、壊れた体の部位は意思で保管し、最後の力を振り絞って右腕を振り抜く。

 反撃など想定していなかっただろう、防御の体勢が一切取れていない相手の腹部に、拳をたたき込む――

「残念」

 俺の大振りとは違い、モーションの短いアッパーカット。腹部に当たる寸前で、吸い込まれるように俺のに腕にぶつかる。俺の一撃とは比にならない、小さな衝撃。

 だが、先ほどの俺の一髪がヤツを吹き飛ばしたように、俺の拳の軌道を逸らすには十分な一撃だった。

 そのまま、俺の拳はヤツの右脇腹を掠め、その衝撃はヤツの背後にすり抜けていった。

 もう、残された力はなかった。ヤツの腹部に倒れ込むように、崩れ落ちていく――

 と見せかけて、もう一度力を振り絞って、頭突き。

「くっ!」

 若干、ヤツが悶える。不意打ちのために、十分に振りかぶらなかったため、威力は足りなかった。が、隙を作れればそれで十分。相手の注意は俺の右手に向かっている。

 しかし、右手は体を支えるために地面につけている。つまり、相手はもう"さらに追撃する手がない"と思っている。

 そこに、勝機を見出した。先ほど失った左手はヤツの思考に残っていない。いわば、わずかに生じた意識のノイズ。その刹那の隙間に潜り込む!

 不死身である利点を最大限利用した、復活した左腕での一撃を叩き込む――

 そうして振り抜かれた、いや、振り回した"肘の手前あたりから切り取られた俺の左腕"は、空を切った。

 残された力などなく、当然の摂理として倒れ込む。

 再生していない。間に合わなかったか。いや、これは、そもそも――

「無茶しすぎたね。もう傷は治らないよ」

 倒れた俺に向かって、かがみ込みながら口にした。

「痛覚がもうないのかな?全身ズタボロで、もう機能していないくせに、意思だけで動かしやがって。

 これじゃ、君を連れていくのは無理かなー。

 残念、珍しいサンプルだったのに」

 近くにいるはずなのに、遠くからヤツの声が聞こえる。視界がぼやけてきた。あの時と似た感じ。そう、レイアに助けられた――

 そうだ、このまま死んでたまるか。このまま死ねば、レイアはどうなる。一度は助けられた命。もう、使い方は決まっている。

 ならば、立ち上がれ。大義はいらない。複雑な理由もいらない。そんなもの、あとで考えれば良い。今は動け。止まるな。全て出し尽くせ。

「なっ!」

 驚いた様子で、ヤツが立ち退こうとする。それより早く、声にならない叫び声を上げながら、飛び起き、振りかぶる。かわしきれないと判断し、両手をクロスして防ごうとしてくる。構うものか。防御を掻い潜ろうと考える余力があるならば、それも全てこの一撃に回せ。

 ここで終わってもいい。いや、終わらせる。後悔なんてない。そんなもの、残す余裕なんてない。俺の全ては、レイアのために。たとえそれが俺の自己満であったとしても、俺の思う正義を貫き通せ!

 今までのどんな一撃よりも、はるかに強い一撃。それは、ミニチュアの核爆弾のような衝撃を与えた。

 

 土煙が薄れてゆく。今にも壊れてしまいそうな両足で、なんとか体を支える。振り抜いた拳の先には、腹部の8割を失い、両腕も肘の辺りから無くなった姿で立っている相手がいた。

 なんとか、かろうじて相打ちに持ってゆけた。問題は多く残してしまうが、多少なりとも目的は果たせたのではないだろうか。

 今度こそ、本当に今度こそ全てを出し尽くし、背中から倒れた。痛みも、音も、呼吸している感覚すらもない。ゆっくりと、意識が薄れてゆく――

「ほんと、驚かされるばかりだよ。あそこからまだ動くなんて」

 わずかに残っている意識の全てが、声の方向に向けられる。体は動かないので、視線のみを動かす。相手は、平気な顔をして立っていた。その体は初期の俺やレイアに比べればゆっくりと、だが確実に再生しつつあった。

 可能性はあった。というより、なぜ考え付かなかったのだろうか。なぜ、再生することが俺の特権であると思っていたのか。なぜ、もともとレイアと共にいたコイツらが全員再生できないと思っていたのか。

「しかもあの一撃、今まで見た中で間違いなく一番だった。どうなってんの?

 あの状態から、なに考えてたらあんな火力出せるの?できれば死なないで、教えて欲しいんだけど」

 ダメだった。コイツを倒せていなかった。立ち上がらなければ。せめて、コイツをやらなければ。

 だが、何度も限界を超えて動いた俺の体は、今度こそ動くことはなかった。わずかに残っていた意識も、どんどん曖昧になっていく。世界と自分との境界線が曖昧になる。全てが遠くなってゆく。意識が、薄くなってゆく。

「ま、もう死ぬか。じゃあね。俺は神様を捕まえにいくから。そんな遠くには行けてないでしょ」

 待て、行くな。言葉にはならない。おそらく、口も動いていないだろう。

「その必要はないよ」

 声がした。聞き慣れた声。もう、目を向けることはできないが間違いない。レイアだ。なぜ来たのだろうか。逃げてくれたのでは。

「あなたたちの言うことを聞く。代わりに、彼を助けさせて」

 ふざけるな。そんなことはしなくていい。早く、遠くに。殺される前に。

「ふぅん。あなたはまだしも、こいつが言うことを聞くなんて保証はどこにある?」

「それは……」

「この調子じゃ、間違いなくまた歯向かってくると思うけどなぁ」

 遠くで声だけが聞こえる。しかし、それぞれを消化し、理解するだけの余力はなかった。ただ、音として聞こえてくる。

「ま、いいさ。あなたが大人しくしてくれるなら、それに越したことはない。こいつにも色々とやりたいことはあるしね。

 ただし、次こいつが歯向かったなら、今度こそこいつを殺すから」

「……わかった」

 足音が近づいてきて、俺のすぐそばで止まる。ぼやけた視界に、何かが映る。それが何かを判断するだけの力は、もう残っていなかった。

 それでも、残された純然たる本能が、彼女のその行動を否定した。言葉にはならない。行動として表現もできない。しかし、彼女には伝わったらしい。

「大丈夫。きっと、今がその時なんだよ」

 そう言いながら、彼女はナイフを自身の手首に押し当てた。溢れ出た血を、俺の口に流し込む。

 その時。きっと、前話した、終わりの時。あの時は人生の終わりという意味合いだったが、今はきっと違う。俺たちの、旅の終わり。

「今ならきっと、いろんな後悔を、自分の罪を受け入れられると思うんだ。だって、こんなに楽しかったんだもん。全部笑って、受け入れられると思う。たとえ今が、最後の時でも」

 嘘つけ。ならなんで、なんで、そんなに泣きそうな顔をしているんだ。なんで、そんな名残惜しそうに俺の手を握るんだ。

 レイアの血をもらっても、なかなか傷口は治らない。効果が薄くなっている。

「悪いけど、怪我治ってすぐ暴れられたら困るからね。これを使わしてもらうよ」

 男の声。右腕に、何かが入ってくる。またしても、意識が遠のいてゆく。

「大丈夫、睡眠薬さ。初めはこれであなたの事をとらえようと思ってたんだよ」

 男の声。どうでもいい。

「ユート、ありがとう。とっても、とっても楽しかったよ。わたしは、わたしの問題に向き合うから。

 たくさん元気付けられた今なら、きっと向き合えると思うから。だから、忘れて。わたしはもう大丈夫だから。ユートはユートの人生を生きて」

 傷口が塞がり、再生してゆくのに比例して、俺の意識も薄れてゆく。完全に途絶える寸前に、最後にうっすらと、聞こえた気がした。

「……さようなら」



「完全に意識も飛んだかな?」

 目の前の少女は、少年を抱き抱えたまま押し黙っている。

「悪いけど、拘束器具もつけさせてもらうよ。あともちろん、武器も没収ね。起きた時になにされるかわかったもんじゃないから」

 少女を尻目に、着々と出発の準備を進める。

「はい完了。じゃあ、帰ろうか?」

「……」

 少女の呼吸は浅い。足が震える。うっすらと思い出してきた、自身の罪に向き合うことの恐怖からだろう。

 彼女が今までそれを忘れていた理由。それは単に、自己を攻撃し過ぎてしまい、自ら自己を破壊してしまうから。防衛本能とはまさに逆。過剰な自己嫌悪。その成れの果て。

 だが、そうして逃げないために、今は耐えなければ。耐えられなければ、今まで何のために、あれほどこの少年に頼っていたのだろうか。逃避のために、どれだけ彼の手を煩わせたのだろうか。

 

 それでも、どうしても名残惜しかった。

 この少年は彼女にとって太陽のような存在だったから、多くを教え、たくさん救ってくれた人だったから。

 何より、夜空に瞬く星々のように、楽しい日々だったから。あと1秒を、一緒にいたかった。でも――

 最後にもう一度、少年の手を握りしめる。もう十分、助けてもらった。勇気をもらった。優しさをもらった。ずっと、もう覚えてないほどずっと昔にもらってから、ずっとなかった、忘れていた、人のぬくもり。

 本当は離したくない。でも、守られたままではいけない。覚悟を決めて、少女も一歩踏み出した。

 2人の道は、ここで分たれた。

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