主文 前

 暖かな陽光で、自然と目が覚める。目の前には青空が広がっていた。

 ……青空?ベッドにいながら、何で空が見える?

 だんだんと思考力が回復していく。思い出してきた。昨晩何が起きたのか。あれが現実だったなら、屋根は吹き飛ばされているはず。それならば、今目の前に広がっている景色の理由もわかる。つまりあれは現実だったと言うわけだ。

「……」

 冷静に考えた結果、受け入れ難い事実が浮かび上がってきた。気が滅入る。

「あっ!レイア!!」

 なぜ忘れていたのか。レイアのことを思い出した。昨日の様子だと、既にどこかに行ってしまっていてもおかしくない。

 起きあがろうとする。左脇腹に変な感触。

「……?」

 掛け布団を持ち上げる。レイアが丸くなって寝ていた。

「……猫?」

 掛け布団をあげたからか、レイアが眩しそうに目を擦る。こちらに気づいた。

「あ、おきたんだ」

「あー、お陰様で」

 本当に、レイアのおかげで死なずに済んだ。理由も手段も、何もかもが不明だが、それは後で聞けば良い。

「じゃ、はやくいこ」

「行くって、どこにさ」

「アイツらが来ないとこ」

「アイツら?」

「きのうの人たち。あの人がやられちゃったのは知ってるはずだから、はやくにげなきゃ。つぎはもっとつよい人がくるはず」

「マジ?」

「まじまじ。それに、わたしの血のんじゃったから、ユートもねらわれてると思うよ。だから、いっしょにいこ」

「……マジか」

 アレに狙われると思うと気が遠くなる。

「ごめんなさい。わたしのせいで、ユートにもめいわくかけちゃってる」

 俺の顔を見て、レイアが言った。俺は慌てて訂正する。

「いや、それは良いさ。というか、レイアのおかげであの時助かったんだ。むしろ感謝してるよ」

「でも、わたしがすぐにいなくなれば、ユートはたぶんへいきだった」

 たぶん。言いたいことはわかる。あの感じだと、レイアがいなくともなんとなくで家を壊されていた可能性は十二分にある。

「それこそ、俺が勝手に家に連れてって、理由もまともに聞かず留めてたせいだろ?レイアに責任は何一つないさ」

「でも……」

「でもじゃない。レイアは、俺のことを助けてくれたんだ。だから、ありがとう」

「……うん、ありがとう」

 納得し切ってはいない。が、一応こちらの言うことを受け入れてくれた。

 何より、少しだけレイアが心を開いてくれた気がする。昨晩までは、俺に迷惑をかけないためにすぐに出ようとしていたからか、はたまた自分の秘密を隠すためか、どこかずっと緊張していた。それがずっと良くなっているように感じる。今はそれで十分だろう。

「それじゃあ、こんどこそ行こっか」

「それより、色々と聞きたいことがあるんだが……」

「歩きながらきくよ」

 さっとベッドから出て、レイアが外に向かう。

「あっ!ちょっと待った!」

「? だから、話は後で――」

「いや、それじゃなくって。まぁ、何だ。すぐ終わるから、ちょっとついてきてくれ」

 昨晩ので壊れていないことを祈るしかない。名も知らぬ神に祈りながら、俺もベッドから立ち上がった。


 昨日戦った小屋に向かう。半壊しているので、気をつけながら中へと入っていく。瓦礫だらけの家に入るのは昨日ぶりなので、スイスイと進める。

「……嫌な慣れ」

「なにが?」

 後ろをついてきていたレイアが答える。

「いや、気にしなくて良いよ」

 せっかく片付けたのになぁ、などと未練がましく思いながら、前へと進む。目的地にはすぐに着いた。

「おー。良かった残ってる」

 少し砂がついてしまっているが、これだけで済んだなら上々だ。

「なに?これ」

「レイアのだよ」

「わたしの……?」

「そう」

 昨日用意していたのは、レイアの装備一式だった。基本的には俺が子供の頃使っていたのを修理し、どうしてもなかったものは今ある材料で簡易的に作った。

「いらないよ?わたし、死なないもん」

「そう言う話じゃなくってだな……例え死ななくても痛いもんは痛いだろ?それに、これ着てるとめっちゃ快適なんだぜ?」

「?」

 よくわかってない様子。

「ま、良いから着なって。別にあって困るもんじゃないだろ?」

「そうだけど……」

「ほらほら。腕上げろ」

 言われた通り、レイアが両手を上げる。コートの袖を通して、前を閉めてあげる。

「べつにかわらないけど……」

「そりゃあ電源つけてないからな。ほれ、そのボタン押してみ」

「これ?」

「そうそれ」

「……なんか出てきた」

「見せてみ。……いやはや、まーじで健康そのものだなぁ」

「えへへ、そうかなぁ」

「おう。気持ち悪いくらいに」

「……いいかたって大事だね」

 この様に、数値として出ると改めて舌を巻く。血圧、心拍数、体温、その他諸々、完璧という言葉以外見つからない。

「まぁ良いや。え〜と、次はこれ」

「これ?」

「そ。どう?」

「……なんか、ちょっとかわった?」

「涼しいだろ」

「んー、そうかも」

「気温良いからなぁ。あんま感じれないか」

 台風一過と言うんだったか。よく覚えてない。

「じゃ、靴履いてみ。これとか分かりやすぜ」

 用意していた靴を目の前に出す。レイアが両足を入れる。

「わたし、靴紐むすべない」

「ヘーキヘーキ。ほれ、ここ押しな」

「おぉ!」

 空気が抜けて、足首の辺りからフィットする。

「良いだろ〜」

「うん!なんかこれ、すき」

「分かってるなぁ。ちなみにそれ、めっちゃ歩きやすいぞ」

「へぇー」

 楽しそうに足をふみふみしている。

 そんな調子で、バッグや武器などを渡してゆく。

「はい、これで完璧」

「おぉ…」

「ほい、鏡。見てみ」

「わぁ!」

 鏡の前で腕を伸ばして、くるくる回っている。ようやっと、少女らしい反応を見た気がする。

「なんか、雰囲気変わったな」

「そう?」

「前より自然らしいって言うか、昨日は少し他人行儀だったからさ。会ったばっかだったからしょうがないと思ってたけど」

「たにんぎょうぎ?」

「素直になってくれてないみたいな、そんな感じ」

「ああ。だって、もう隠すひつようないもん」

「隠す?何を……って、ああ。なるほど」

 つまりは、自身が不死身であることを隠す必要がなくなったからということだ。色々と合致がいった。

「それで装備については終わりだから……そうだ。最後にもう一個、着いてきてくれ」

「うん!」

 あからさまに機嫌がいい。すんなりと賛同してくれた。最後にやっておきたいことのために、部屋の端っこにあったある道具を手に取る。


「あれ?」

 最後の目的地には、予想していたものはなく、代わりに予定していたものができていた。

「え?もうできてる?」

 小さな土の山ができており、そのすぐ目の前にはお花が置かれている。簡素だが、間違いなくお墓だ。側には、奴がつけていた機械が倒してある。

「わたしが昨日つくったの」

「レイアが?どうやって穴掘ったのさ」

「がんばって」

「道具もなしに?」

「? スコップはつかったよ?」

「そりゃあスコップなきゃ話にならないからな……」

「手でもできるよ?」

「モグラかよ」

「……」

 ポカポカしてくるレイアを横目に、目の前の墓を眺める。

 大の大人が入る穴を掘るのは、想像の何倍も労力がかかる。だから俺も、imp型のスコップを持ってきたわけだが。

「コイツに殺されそうに、ってか一回殺されたのに…」

「ユートが倒れちゃって、すぐに出れなくなったんだもん」

 殴る()のをやめて、レイアが言った。

「それはごめん……って、時間があったからやるってそんな適当な……」

「理由はあるよ。わたしたちは死んでないもん。それに、わたしはこの人を殺した」

「レイアじゃない。俺だよ」

 反射的に、強めに答える。

「でも、わたしはこの人をたすけれた。それに、わたしが言うことを聞いていればだれも死ななかった」

「でも、そしたらレイアが…」

「どうだっていいよ」

 本気だ。本気で言っている。コイツは今、本当に自分のことをどうでも良いと考えている。

「たすけれなかった。たすけなかった。この人にも、しあわせになってほしかった。だから、これはせめてものつぐない」

 お墓の前で手を合わせながら、レイアが言う。

 違う。レイアのせいじゃない。思っても、口には出ない。きっと、彼女はそんな言葉を求めていない。でも、俺は彼女が求めている言葉を知らない。彼女の正しさを知らない。

 ため息を吐く。さまざまに思考を巡らした末、それらを全て放棄した。きっと、今言っても何も届かない。もっともっと、彼女のことを知る。もっともっと、彼女に知ってもらう。全て、それからで良い。

「おいしょっと」

「……」

 レイアの横に正座し、俺も手を合わせる。目を閉じ、祈る。名も知らぬあの人に、精一杯の謝罪を伝えるために、そして俺がこの罪を忘れないために。後は、ちょっとでもレイアが背負っているものを背負えたらなと願って。

 ただ、どうしてもやっておきたいことがあった。

「あのさ、コレ少し拝借して行きたいって言ったら怒る?」

 側に置いてある例の機械を指さして尋ねる。

「いいんじゃない?」

「えっ良いの?」

 返事は思ったよりあっさりしていた。

「だめなの?」

「いや、なんか死者を冒涜するなとかって言われるかなーって」

「しらないの?死んだらなにものこらないんだよ?」

「でも、助けたかった、幸せになって欲しかったって……」

「それはそうだよ。

 でも、死んだらそこでおわり。確かに、死んだ人のからだはそっとしておいてほしいけど、だいじにしていたものとかはどうでも良いよ。そのひとにはもう2度とつかえない、いらないものだし」

「ああ、そう。じゃ、ありがたく……」

 分かる範囲で目の間の機械を解体しながら考える。異常な思考だ。自分のことより、見ず知らず、ましてや自分のことを殺そうとしてきた相手を助けたいと言った。

 もちろん、言葉上なら何だって言える。嘘かほんとかわからない。常識に従えば嘘だろう。だが、もし本当なら……

 ふと、一つの疑問が湧き上がる。

「なぁ、それならどうして俺を選んでくれたんだ?」

「どういうこと?」

 そこらへんのガラクタをいじっていたレイアが、こちらに目を向ける。

「いや、レイアの言ってたことを考えると、俺を犠牲にしてアイツを助けるって手段もあっただろ?それなのに、なんで俺を助けたのかなって」

「あぁ、うーん……」

「……もしかして、あんま理由ない?」

「いや、あるんだけど、おぼえてないっていうか……」

「覚えてない?」

「うん。むかしのことほとんどおぼえてなくって。ただ、つかまったほうがよくないって何となく感じたから」

「なる、ほど?」

 それ以上言うことはないと言った様子で、レイアが再度ガラクタに目をやった。

 色々と納得はいかないところもあるが、レイアに答える気がない以上今考えても仕方ないだろう。昨日に引き続き何度目かの思考放棄をして、目の前の現実に目をやる。

 何度見てもよく分からない、全く未知の機械だ。強いて言うなら、予想通り大まかな構成はimp型の機器に似ている。が、そもそも既存のimp型の機械ですらまともに理解しきれていない俺では、修理はもちろん、これ以上壊さずに分解することも難しいだろう。

 諦めて、基盤となっているであろう細身の右腕型の機械を取り出した。外側に色々とつけられていたものが外れたので、コレならば持ち運べるだろう。

 それをバッグにしまい、レイアに尋ねる。

「よし。じゃ、行く前に聞くんだが…」

「また?」

「そんなめんどくさそうな顔すんなって。いや、目的地はないのかなって」

「ないよ」

「だよなぁ」

「だってあの人たちからにげるのが目的なんだもん」

「うーむ。分かった。それでも、一旦目指す場所は決めよう。東方面に行くんだよな?」

「ひがし?」

「太陽が出てくる方だよ。あっち側」

 東を指差す。

「あぁ。うん、そうだよ」

「よしきた。ちょうど都合がいいし、一旦あいつのところを目指そう」

「あいつって?」

「商売相手」

「?」

「ま、行きゃ分かるさ。ダイジョブ、悪いやつではないよ。それに、あいつんとこ行けば、色々足りないものも買えるしな」

「そう。ユートがいうならしんじる」

「おっけー。じゃあ行こうか」

 今朝慌てて用意したサバイバル道具一式を背負い、今度こそ本拠点の東方面の出入り口に向かう。

 すぐに辿り着き、門を開けて外に出る。閉める前に、家をしっかりと目に焼き付ける。きっと、今回は長い旅になるだろう。

 帰ったら、きっちり修理してやるからな。

 そう心に決めて、扉を閉めた。


「んで、聞きたかったことなんだけどさ……」

 1時間ほど歩いて、ようやっと疑問がまとまってきた。

「レイアは自分のこと不死身って言ってたよな?」

「うん」

「それって一切死なないし、歳も取らないってことであってる?」

「うん」

 歳を取らないことに同意した。と言うことは、実際には見た目の通りの年齢でないと言うことだ。

「ちなみにおいくつかとかは……」

「おぼえてないよー」

「ああ、そう……」

「……なんかしつれいなこと考えてない?」

「いえいえ、滅相もございません」

 失礼な思考は置いておくとして、これでレイアがどうやってここまできたのか、どうして大丈夫と言っていたのか、合点がいった。

 服がボロボロだったのに傷一つなかったのも、実際には服の上から怪我を負い、体だけが再生したのだろう。そして、俺がレイアを見つけた時、おそらく彼女は死んでいた。つまり、レイアは死にはするが、無条件で蘇生、再生するのだろう。

 とはいえ、限度がある可能性もある。それに、痛みは(おそらく)感じるわけだし、怪我をしないに越したことはない。

「そうだ。俺も不死身になったー的なこと言ってたけど、あれは?」

「ああ。わたしの血をのんだからね。ユートはいまほとんど不死身だよ」

「ほとんど?」

「そう。ほとんど」

「不死身にほとんどなんてあるのか?」

「うーんとね、ほんとは不死身じゃないっていうか…」

「?」

「なんだろ。わたしみたいにケガ治るけど、ずっとじゃないっていうか。年もとりづらくなるだけなの」

「あー、なんとなく分かった気がするわ」

 要するに、レイアの再生に限度が見えないのに対して、俺は目に見えて限界があるということだろう。

「……あれ?もしかして俺のあの戦い方って結構無茶だった?」

「いちおう、わたしがもっかい血をあげたら少しはかいふくするよ。なんどもできるわけじゃないけど」

「血をあげるごとに効果が薄れるってことで合ってる?」

「そーだね」

「どちらにせよ寿命は削りまくってたのか…」

「いまでも、ケガをしなかったら100ねんくらいは生きれるとおもうけど」

「なっが!?てか、なんでそこまで知ってるんだ?今まででも誰かを同じ方法で助けたことがあるとか?」

「わかんない」

「わかんない?」

「うん。おぼえてないの、むかしのこと」

「ああ、さっき言ってたやつか。何かあったの?」

「わかんない」

「それも覚えてないのか…いつから記憶がないんだ?」

「きづいたらにげていて、あの人たちにつかまっちゃいけないってことをおぼえてた」

「やっぱり。ってことは、アイツらとの関係も、アイツらが何者なのかも、アイツらがなんでレイアのことを狙っているのかも覚えてないの?」

「そうだね」

「結局わかんないことだらけか……」

 アイツらの名称も目的も、結局不明のままだ。抵抗手段も、解決方法も全く見当たらない。何か、こちらにも有効な攻撃手段が手に入るまでは逃げ回るしかないだろう。

「ってことは、なんで不死身になったのかとかも……」

 レイアが首を振る。

「だよなぁ」

 肝心の謎が分からないままだ。

「ってなると、平和的解決なんて夢のまた夢だな」

「どういうこと?」

「アイツらが何を狙っているのか分からないからさ。いや、多分不死身になることを目指してるんだろうけど、なれた理由が分からないなら話し合っても意味ないなって」

「そうかなぁ」

「多分、ね」

 レイアを渡せば解決するかもだが、それはもってのほかだ。血が必要なわけだし、どんな酷い目に遭うかなんて火を見るより明らかだ。

「そもそも話しあえるかな?」

「今のままじゃ無理だろうな。せめて、あっちにもこちらを脅威に思ってもらわないと。それまでは逃げるしかないか」

「どうやって、きょうい?に思ってもらうの?」

「それがまた分からない」

 改めて、この旅の異質さに気づく。今まで拠点の外に出る時は、何かしら目的があった。だが、今回はそれが何かわからない。一応、行商人のもとに行くという通過点は決めたが、それが何か答えにつながるという当てがあるわけではない。というより、ほぼ確実に繋がらないだろう。

 まるで、暗闇の中を、掴めるものがない中進んでいる様な感覚。目的も、終わりも、何もわからない旅。

 だが、不思議と恐怖感はなかった。いや、むしろワクワクしている。それは、未知への探究心からなのか、はたまたレイアがいるからなのか。

「ま、気長に行くかー」

 ならば、未来のことなど一旦は気にしなくて良いだろう。楽しければ万事OK。大抵のことは何とかなるし、何とかすれば良い。

「そうだね。じかんはたーくさんあるし」

「さすが、レイアが言うと貫禄が違うな」

「……わるぐち?」

「まさか」

 なんだって何とかなるだろーと口にしながら、地図を広げる。ここら辺は今までもよく通ったことがあるので、正直なくても平気だが、慎重になって損はない。

「よし、ここはちょっと遠回りしていくぞ」

「いいけど、なんで?」

「自立型兵器の巡回ルートと被ってる」

「じりつ...?」

「見たことあるだろ?空飛んでる小型の機械」

「あー、なんかうってくるやつ」

「撃たれたんかい」

「べつにそれだけだし」

「大問題だわ撃たれるんだぞ」

「死なないよ?」

「……俺がいなくなる前に、せめて常識的な感覚は身につけてほしいな。ってか、その防護服が壊れるわ」

「それはまずいね」

「出来れば自身の体でそう思って欲しかったかな」

 小言を言い合いながら右折する。少し回り道になるが、トラブルは避けるに越したことはない。

 一応、フルでつけていた機械探知機も設定し直す。モノによるが、自立型兵器の中には探知されたことをきっかけに逆探知してくるものもある。

 精度も範囲も落ちるが、出力を減らした方がよっぽど安全だ。ただし、その分五感を最大限集中する必要がある。生命探知機の方はそのままでいいだろう。

 遅れて、レイアにこれらの説明をしていなかったことを後悔した。一応探知機の電源は切ってあるので、レイアの方から逆探知されることはないだろうが、レイアの不用意な動きで見つかっては意味がない。というか、俺自身レイアの分も気をつけなければならないのは流石にきつい。

 迷った末、とりあえず最短で安全なところまで行き、そこでレイアに色々と説明することにした。レイアも治外区域を出歩くのは慣れている。

 何なら俺より経験があるだけあって、悪路でも進む速度が変わらない。やはりというか、周りを気にしているようにはあまり見えないが、そこにさえ目を瞑れば一流の行商人とも遜色ない技術を持っているのではないだろうか。この調子なら、すぐに目的地に着くだろう。


「よし、じゃあ一旦ここで休むぞ」

 俺が声を掛けると、レイアが振り返った。

「もう?」

「あぁ、軽く伝え忘れてたこともあってさ」

「なに?」

「いや、それはご飯食べながら話そう」

「それより早く行った方がいいんじゃ……」

「焦って機材を壊して、あいつらへの対抗手段を失う方が厄介だろ。それに、普段は昼飯なんて食わないけど、今日は朝ごはん食べてないし」

「たべなくても死なないよ」

「そりゃ、1日くらいなら一般人でも平気さ。でも、ご飯食べると元気出るだろ?」

「……」

 何か、葛藤があるようだ。

「心のゆとりは何より大事だぜ?」

「……わかった」

「よりきた。そうと決まれば、さっさと作るから」

 拠点から持ってきていたレトルトスープでさっさと作る。あまりにも粗末だが、あくまで何かを食べたという満足感さえ得られればいい。

「「いただきます」」

 そんな粗末な料理でも、とても美味しそうにレイアが食べている。その割に、未だに彼女の中で食事の優先順位は低い。いつか、別々になる時までに、彼女が普通の少女のように振る舞えたらなと願いながら、俺もスープを飲んだ。

 そんな事をしながら、レイアに防護服(スーツ)の探知機能について軽い説明をした。俺の設置した罠を瞬時に見破り無効化するだけあって、機械類の覚えは速かった。

「これ探知を音だけとかにできないのかな」

「どして?」

「とんでる音だけにしぼれたら、もっと安全じゃない?」

「アレほぼ音出さないからきついと思うぞ」

「そーなの?」

「ああ。それより、互いに探知する方角を絞った方がいいな。今のまんまじゃ二重に探知しちゃってる」

「わかった。わたしうしろやるね」

「北西な」

「今おぼえた」

 きちんと教えたわけではないのに、ぎこちないが素早くスーツを操作している。ものの30秒ほどで探知範囲を絞ってくれた。

「すげーな」

「なにが?」

「いや、もうソレ使いこなしてるなって」

「まだまだだよ。それに、けっこうかんたんだし」

「俺子供の時クッソ苦労したんだが」

「才能かな?」

「年の功の間違いだろ」

「よくわかんない、けどなんかムカつく」

「あんま気にすんな」

 実際何歳なんだろうな、などと頭の片隅で考えながら、残りの脳のキャパ全てを使って、周りを警戒する。警戒はしていた。が、やはりレイアのことで気を取られていた分、少し反応に遅れた。

 右前方に、人型の何かがあった。

 一瞬警戒し、すぐに気を緩める。このような治外区域ではよくある罠だ。人が倒れていると思わせて、近づくと何らかの罠があり、相手を殺す。逆にいえば、近づけばどうと言うこともない。気にする必要もないだろう。

 忘れていた。レイアがいたことを。何より、俺の反応が遅れたことで、その距離はレイアが十分気付けるまで近づいていた。

「えっ」

 何の前触れもなく急に、レイアが走り出した。向かう方角は、当然その罠。掴もうとした俺の右手をすり抜ける。

「レイア!罠だ!」

 叫びかけるが、少し遅かった。走っていたレイアの右足が、地面を踏んだ瞬間に沈む。パチンっという嫌な音。右足が切断された。爆弾などの即死系じゃなかっただけマシだが、通常ならば失血死は免れないだろう。

 それで終わればよかった。

 右足を切断されたにも関わらず、小石に躓いた程度の反応で、今度はケンケンのように走り出すレイア。叫び声など一切あげず、痛そうなそぶりも全く見せない。人型の、おそらくは人形を確認するように、横に座り込む。

 しばしの衝撃のあと、落ち着いて探知機の強度を上げる。本来近づかなければいいだけだが、一応探知機をマックスでかければ罠を見分けることもできる。罠に引っかからないよう気をつけて、レイアの元に近づく。

「レイア!」

 まだこちらに気づいていないようで、独り言のようにレイアが呟いた。

「よかった。人じゃなかった」

 再度、いや、今度はその何倍もの衝撃が走る。

 足が切断された。その痛みは想像を絶するものだ。それなのに、レイアは一切反応しなかった。そうして気にかけたものが人形、すなわち罠だったのに、それが人でなかったことへの安心が先に出る。

 異常。全くの異質。自分の犠牲など全くどうでもよく、他者を守ろうとする。ありえない、あってはならない思考。

 つまり、あれは本当だったのだ。あの時の、あの言葉は。自分のことなんかより、他人のことの方が大事だと言う思考回路が。

「あっ。ユート」

「っ!いや、それより、レイア、足は!?」

 停止しかけていた思考を戻す。見ると、レイアの足はすでに再生していた。

「足?あ、ごめん。くつ落としちゃった」

「――は?」

「ご、ごめ――」

「いや、そうじゃなくって……」

 ここでもだ。自身の足が切断されたことではなく、靴を落としてしまったことを謝る。自分のことを全く勘定に入れてない。

「……とりあえず、ここから出よう」

「うん」

 入ってきたのと同じルートで罠の圏内から出る。何から話せばいいのかわからないが、話さなければならないことははっきりしている。

「レイア、はっきり言うぞ」

「……」

「靴のことは正直どうでもいい」

「えっ?」

 怒られると思っていたのか、想定外だったろう俺の言葉にポカンと答える。

「問題はそこじゃない。いや、悪いことはそもそもしてない。けど、大問題っていうか……」

「? どういうこと?」

「第一に、こういうのは100%罠だから軽率に近づかないでくれ」

「あー。うん。ごめんなさい」

「それと、なんだ?もっと自分のことを大事にしてくれ」

「?」

 わかってない。俺自身、何といえば良いのかわからない。痛がれ、というのも違う。とはいえ、これじゃあ大事なところを伝えられていない気がする。

「靴のことを大事にしてくれるのは嬉しい、けどレイアは足が持ってかれたんだぞ?俺はそっちの方が心配だし、というか当然大問題なのはそっちだ」

「死なないよ?」

「そういう問題じゃない。死ななくっても、怪我したら痛いんだ。頼むから、自分のことを大事にしてくれ。何より、俺の心臓が持たない」

「うーん、わかった」

 いまいちわかってなさそうだが、これ以上上手く伝えれる自信がない。説得の続きは諦めて、再び歩み出そうとした。

 昔の言葉で、一難去ってまた一難というものがあるらしい。一つ危機を乗り越えたあと、人は安心する。その安心した瞬間にこそ、油断した瞬間にこそ、新たな危機はやってくるということだ。まさに、今の状況だろう。

「――!」

 瞬時にレイアを抱えて、近くの岩場に隠れる。マッハで俺とレイアの探知を切る。

「な――」

「しっ!」

 俺の剣幕で察したか、すぐにレイアは静かになってくれた。また、高速で探知機を操作する。今度は機械そのものではなく、その他自然情報をキャッチする。

 思ったより標的が発する音が大きいので、そちらをメインに情報をとる。――居た。約20メートル先、北東方向にいる。

 音と標的の大きさ、内部の熱からしておそらく旧型。あれなら撃墜しても問題ない。が、ルートからしておそらくこちら側に来ることはないだろう。一応、銃の用意だけしておいて、息を潜める。探知していた対象が、予想通り探知範囲外まで行ったのを確認して、ようやく銃を下ろした。

「やらかしたな……」

「みつかったの?」

 レイアもきちんと気づいたようだ。

「いや、見つかってはいないんだけど。もっと早く気づけたなって」

「みつかってないならいいじゃん」

「アレが旧型じゃなかったらとっくに撃たれてたさ」

 旧型だったからこそ、ルート指定がなくあんな場所にいたわけだが。とはいえ、新型でも経年劣化やその他外的要因のせいでシステムが壊れ、ルートから外れた動きをするものもいる。治外区域では、最悪を想定できなければ簡単に命を落とす。

「悪いけど、こっから集中してくから。レイアも俺のそばから離れないで。何か探知したら、すぐに伝えてくれ」

「わかった」

 こくりと頷く。本当、レイアが物分かりが良くって助かった。

 探知機で気をつけながら、靴だけ回収する。レイアの機械とは既に連携してあるので、10メートル以上離れたら反応するようにだけして、一旦レイアのことを頭から追い出す。周囲の確認に全神経を集中させた。


「思ったんだけどさ」

「ん?」

 夕食を食べ終え、寝床の用意をしていると、レイアが声をかけてきた。

「わたしも少し荷物もとっか?」

「あー、これ?」

 俺が背負っている、レイアの背丈ほどあるバッグを叩きながら尋ねる。

「そう」

「いや、良いよ。見た目ほど重くないし。何より、もう一個バッグないから」

「わかった。でも、入れものみつけれたらわたしも持つから」

「ありがたい。そうなったら少し頼むわ」

 実際、俺は慣れもあって平気だが、レイアにはかなりキツイ量だろう。持たせるとしても、ごく僅かにするつもりだ。

「じゃ、軽く明日の予定話すから」

「なんかあるの?」

「おう。予定通りなら、明日の昼頃には着く」

「なんだっけ、ぎょうしゅうにん?」

「行商人な」

「おしい」

「とりあえずそいつに色々聞いたり、買うもの買ったり、地図持ってないか聞いたりするから、1日はあいつのもとで過ごすつもりだから」

「わかった」

「んで、こっからが本題」

「なに?」

「レイアのことをなんて言うかだ」

「? ふつうに、拾ったとか言えばいいじゃん」

「いや、それだとめっちゃ怪しまれる」

「なんで?」

「あいつの方がここら辺の地域をよく知ってるから」

 俺はそこまで治外区域を出歩くわけではないので、レイアを見ても俺の知らない里や家があるだけではないかと考えた。

 だが、あいつの場合はそうはいかない。付近にそのようなものがないのは、誰よりも知っている。俺のように、知らないだけだと考えて曖昧に済ますはずもない。

「それに、あいつの職業柄、よくわからないものをそのまま受け入れるわけないしな」

「取引できないってこと?」

「俺がいるから、全く話を聞かないってことはないだろ。けど、きちんと納得させれなきゃ俺らのお願いには応じてくれないだろうな」

「……もしかして、私じゃま?」

「邪魔ってことはないさ。ただ、色々考えなきゃな。レイアはやっぱ、自分が不死身なことを他者に言うのは嫌か?」

「そう、だね。できるだけ言いたくない」

「そらそうだ」

 自分が不死身で、他者を回復できるなんて聞いたら、どんなことをされるかなど想像に難くない。実際、今彼女はおそらくそれが原因で狙われているわけだし。

「ってなると、良い設定を考えなきゃなぁ」

「いいせってい?」

「他の人たちに疑問を持たれないような、納得できる俺たちの関係を今から考えるってこと。1番の問題は、レイアの出生をどうするかだな」

「なんなら私知らないしね。どこでうまれたのか」

「そういやそうだった」

 なら、それをそのまま伝えてみるか?いや、それだと結局レイアと取引しても問題ないかの確証が取れない。解決策にはならないだろう。

 いっそのこと、レイアを待機させて俺だけ行くか?いや、これもダメだ。レイアの分も取引しようものなら、色々詮索され、怪しまれるに違いない。

 なにより、レイアを一人にしておくのは危険だ。またいつアイツらが襲ってくるか、分かったもんじゃない。

「妹は?」

「いないって言っちゃってる」

「むぅ」

「……待てよ、レイアって西側から来たんだよな?」

「うん」

「来る途中で集落は通らなかったか?」

「しゅうらく?」

「人がたくさんいる場所のこと」

「あー、家がたくさんあるところなら見たよ。見つからないように遠回りしたから、誰ともあってないけど」

「どんくらい前の話?」

「1ヶ月くらい前かなぁ」

 レイアでそれなら、俺だけなら二週間でいけるだろう。帰り道にレイアがいたとしても、今の装備なら三週間ちょいで帰れるはず。

 滞在期間もろ込みでも、多少盛れば1ヶ月半の旅になる。あいつと最後に会ったのは2ヶ月前。これなら怪しい要素はない。

「よし、俺はレイアをその集落で拾ったことにする。あと、そこから俺の拠点までの道筋を教えてくれ。詳しい設定は聞きながらこっちで考える」

「分かった」

 夜が更けていく。目の前の焚き火だけが、俺たちを照らしてくれる。こうして、俺たちの1日目の旅は終わった。


「じゃ、行くか!」

「しゅっぱーつ!」

 どのみち補給するつもりだったので、朝ごはんを少し豪華にしたからか、レイアが楽しそうに声を上げた。前から美味しそうに食べてはいたが、ずっと何かを不安がっているような、何かに引け目を感じているような雰囲気があった。

 今日だってそれが完全になくなっていたわけではない。けど、少しずつ、彼女の中でそんな感情がなくなっているような気がする。

 些細なことだが、とても喜ばしいことだった。けど、今はやらなければならないことがある。

「じゃ、だいたい俺が話すから、そっちは適当に合わせてくれ。基本は昨日話した通りで」

「らじゃー」

 若干気の抜けた返事。少し不安に思いながら、俺たちは旅を再開した。


 予定通り、目的地にはすぐに着いた。

「おし、着いたぞ」

「着いた?」

「おう」

「でも、何もないよ?」

「一見するとな」

 そう言いながら、スタスタと前に進む。

 そう、パッと見、周辺には何もない。あるのはまばらに生えた数本の木と、朽ち果てた小屋だけ。壁から何まで倒壊しており、扉も機能していない。

 それでも、何となく扉を開けて奥へ進む。俺の倒壊した小屋とは違い、道には瓦礫が一切ない。いつもの位置で、瓦礫の中へ入っていく。目指すはキッチン。目的の場所には、1箇所だけ不自然に瓦礫のない空間があった。

「お、やっぱいる」

「ねぇ、これって……」

「分かった?」

 言いながら、地面についている引き戸を開けた。階段がついており、先は暗闇に覆われている。

「じゃ、俺が先行くから。こけないように気をつけて」

「分かった」

 頼もしい言葉だ。普通、先の見えない暗闇を前にすると、人間は恐怖するものである。

 よほど慣れていない限り、転んだり、足がすくんだりしてしまう。ましてや今回は階段だ。慣れている人などそうそういないだろう。

 しかし、言葉に反さず、俺の後ろをレイアはスイスイついてくる。転ぶ素振りも見えない。

 割とすぐに階段を通り抜け、今度は先ほどではないが薄暗い地下通路を進む。

「……流石というか何というか」

「何が?」

「いや、安心感が違うなって」

「あー、どうくつ歩くほうが大変だし」

「そんなでも……いや待て、もしかしてライト無し?」

「わたしが何も持ってなかったの知ってるでしょ?」

「……バケモンかよ」

「だから言い方!!」

 ほめてるんだろうけどさなどと、レイアが後ろでぶつぶつ言っている。その通り、俺なりの誠心誠意の褒め言葉だ。こんな整備された階段とは違い、洞窟は地面が平らでないことが普通。

 水で濡れていることもあり、場所によってはとても滑る。なのに、暗闇の深さはこの階段以上で、しかも尖った岩などその他諸々の外的要因にも気をつける必要がある。俺だったら、ライトがあったって入ろうと思わない。

 そんな経験があるなら、こんな整備された階段など容易に進めても違和感はない。

 改めて、彼女の異常なサバイバル能力に驚きながら、歩を進めた。

 進むにつれて、だんだん明るくなっていく。数十メートル進み、右手の扉を開けた。

「やあ」

「ほぉ?これはこれは」

 俺の声に気付き頭を上げた相手が、レイアの方を興味深そうに見つめている。

「随分と可愛らしい。君の子供かい?」

「冗談はいいから、さっさと進めよう」

「そう言うなよ。知らない人に会うことだって、この世界ではとても難しいんだ。せっかくの機会だし、ぜひお嬢さんのことを知りたいな」

「こいつが商売相手にしうる価値があるか知りたいだけだろ?」

「相変わらず冷たい言い草。ワタシは優しい淑女だよ?」

「本音は?」

「お嬢さんはワタシにとってどれくらい利益になるんだい?」

「本性表したな」

 ケラケラと、楽しそうに相手が笑う。

「初めまして、私はさとこ。お嬢さんの名前は?」

「……レイア」

「レイア。ふーん、珍しい名だねぇ」

「やめろその言い方。てか、こいつの地元でのあだ名だよ。本名はれい」

「なるほど。ゆうとはレイアとどこで出会ったんだい?」

 やっぱりきた。

「西側の集落さ。俺の家よりさらに行ったところ」

「へぇ!そっち側にもあったのかい。どのくらいにあるんだ?」

「俺一人だったら、二週間ほど歩けば行ける」

「なかなか遠いね。集落の規模は?」

「かなり小さい。家が10個あるか無いかくらいだったな」

「ふーむ。移動費も考えると、利益には繋がりにくいかな。地図はあるかい?」

「一応」

「やるじゃないか。どの程度かによるが、そこそこいいものと交換してやろう」

「そりゃありがたい。それじゃあ早速――」

「待った。まだ、いくつか聞きたいことがある」

「何か問題でも?」

「いやいや、集落で生きていた子をわざわざ連れてくる、それもほとんどずっと一人で生きてきた君がそんなことをするなんて、一体どんな風の吹き回しかなって。

 そもそも何で西側に、それも二週間も行ったんだい?ただ集落を探すなら、前私が教えた東側の集落に行けばよかっただけのはずだ。君はそれほど冒険好きな人間ではなかったろう?」

 根幹を尋ねる質問。だが、想定済みだ。

「一つ目の質問の答えは、こいつの両親が死んでいたからだよ。村で別の家の子供を養えるほどの余力はなかったそうでね」

「ほう。なかなか優しいじゃ無いか」

「少なくとも、あんたよりはそうだろうな」

「言うじゃないか」

 またしても、楽しそうに笑う。

「二つ目の質問の答えは、親父が理由だ」

「へえ」

 興味深そうにこちらを見る。

「ワタシの知る限り、君の父親はその集落と関係性がないと思うが」

「俺もそう思ってた。ただ、親父の遺品を整理していたら、2ヶ月くらい前に親父の日記を見つけてさ。読んでみたら、西側で親父の兄が住んでいるらしくてね」

「あの人に兄弟がいたのかい」

「そうは見えなかったよな。それで、会いたいと思ってさ」

「それで、その集落で会えたのかい?」

「いや、そもそも西方面に住んでいたって書かれていただけで、詳しい場所は分からなくってさ。少なくとも、その集落にはいなかったよ」

「なるほど、ね」

 どうやら納得してもらえたらしい。賭けには勝ったようだ。

 今回ついた嘘は大きく二つ。一つは、レイアについて。これはこいつが確認しようないので、矛盾さえなければ問題ない。集落の規模や、用意した地図は本物だ。もっとも、俺が直接みたわけではないので正確性は保証できないが。

 二つ目は、親父について。こっちが問題だった。そもそも、親父に兄弟がいたのか俺は知らない。元々寡黙な人だったので、自分の話など数えるほども聞いたことがなかった。息子の俺が知らないのだから、こいつも知らないはず。

 それに、兄弟姉妹のことなど聞いても利益にそれほどつながらないので、こいつも親父にそんなこと聞いたことないはず。案の定知られていなかった、が、万が一知っていたらこれで終わりだった。

 顔には出さないように気をつけながら、ほっと息を飲む。何より、直接レイアに聞かれることが無くてよかった。一応すり合わせてはきたが、多少矛盾が生じてしまっていた可能性は高かった。

「聞きたいことはそれくらいだから、そろそろ本題に入ろうかね」

「やっとかよ。こっちはさっさと行きたいんだ」

「珍しいね。何か急いでいることがあるのかい?」

「そこまで言う必要があるか?」

「別に。ちょいと気になっただけさ」

「じゃ、無視させてもらうよ」

「つれないねぇ」

「言っとけ」

 痩せ細った相手の体が、ふわりと立ち上がる。決して美人というわけではないが、30後半とは思えない見た目だ。

 慣れた手つきで、荷物が雑多に散らばっている床を進んでいく。机に隠れていた下半身が見えて、レイアが息を呑んだのを感じた。誰だって、一目で気づくだろう。左足がおかしいと。

「サトコさん、それ……」

「ああ、見えてなかったかい」

 コクリとレイアが頷く。

「随分昔にやっちゃってね」

 そう言いながら、あいつは自身の義足を撫でた。膝あたりから、靴べらのような形をした金属が生えている。

「別にもう痛くないし、慣れたからね。不自由は特にないから、気にしなくていいよ」

「……」

 返事はない。ただじっと、あいつの義足をレイアは見つめていた。一体何を考えているのか、わからないような、わかるような。

「それで、何が欲しいんだい?」

 あいつに聞かれて、意識が戻った。

「あ、あぁ。食料をなるだけ。弾丸に工具、ここから東側の地図。あと、できるならこれを直して欲しい」

 そう言って、ここまで持ってきた例の機械を差し出す。

「ほー、随分と珍しいものを持ってきたね。少し見させてくれ」

 あいつが、右腕につけるimp型の機械をいじり始める。しばらくして、

「報酬は何だい?」

「西側の地図、これらの機械全部、あとは今あるありったけのお金」

 持っているものを全て目の前に出す。目の前の商売相手が、主に俺の出した機械を吟味するように、一つずつ見て回り始めた。

「それじゃあ、これは直せないね」

 しばらくして、目の前のやつが例の機械を指差しながら答えた。

「どうしてだ?」

「過電力と強い衝撃で、多くの箇所が壊れている。いくつかはただ修理するだけでどうにかなるが、その他は同じパーツが必要だ。一つ一つのパーツがとても貴重なんでね。それだけで、君が今回持ってきてくれた分に相当するかな」

「そう、か……」

 そんな気もしていたが、やはりこいつは直せなかった。今現在考えうる、アイツらに対抗しうる唯一の手段だったが、こうなってくると別の方法を考える必要がある。

 それとも、食料類を諦めるか?いや、いくら体が死なないと言っても、心が傷付けばそれは治らない。精神の磨耗は避けたほうがいいだろう。

「その足なおしたら、やってくれる?」

 俺が考え込んでいると、レイアが沈黙を突き破った。

「……?」

「だから、その足なおすからコレ修理してくれる?」

「なおすって……これをかい?」

「そう」

 当然と言うかのように、レイアが答える。

「いや、レイア……」

「いいから。サトコさん、きずぐち見せて」

 俺の心配をよそに話を進めていく。

「ユート、なんか切れるものちょうだい」

「いいけど……ほんとに良いのか?」

「うん、だいじょうぶ」

 俺が差し出したナイフを、何の躊躇いもなくレイアが手に取る。あいつは、よくわかっていない様子で義足を外した。

「ほら、外したけど……」

「ありがと」

 傷口は当然だがすでに閉じており、そこで四肢が終わっている。

「ごめん、ちょっと痛いかも」

 返事より先に、レイアがすでに閉じている傷口にナイフを落とした。皮が一枚切れて、血が滲み出てくる。

「っ!――」

 またしても、何か言うより先に、今度はレイアが自分の指を切った。血が吹き出してくる。

「ちょっ!!」

 初めてこいつが焦っているのを見た気がする。当然だ。治るわけがないものを治すと言われ、いきなり傷口に切り付けられたと思ったら、今度はその張本人が自身の指を切ったのだ。言葉にしてみると意味がわからない。

「……」

 特に反応なく、レイアが流れ出た血を傷口に当てる。すぐに離して、一歩離れた。

「なにして――えっ??」

 あいつが何か言うより先に、左足が修復し出した。と思っているうちに、左足は修復しきっていた。本当に、あっという間の出来事である。

「これでできた」

「じゃ、こいつも不死身に?」

「ううん。きずぐちにかけただけだから、ならないよ。左足はしばらくの間、無くなってもすぐに再生するだろうけど」

「そうポンポン足がなくなってたまるか。ってか、俺の時もそうしてくれれば……」

「あそこまでひどいとダメ。というか、内臓いっちゃってたし」

「あー、なるほどね」

 呑気に俺たちが話している一方、あいつは茫然自失と言うべきか、はたまた絶句というべきか、失ったはずの左足を何も言わず眺めていた。

「どう?動く?」

「……えっ?あぁ」

 恐る恐ると言った様子で、彼女が足に力を入れるのを感じる。長年別れていた左足は、驚くほどすんなり動いた。最初はビクビクしていた彼女も、すぐに足を曲げては伸ばしてを繰り返し始めた。

「動…く……」

「よかった」

「な、なんで…?」

「それはヒミツ。それより、これで直してくれる?ソレ」

 レイアが例の機械を再度指差しながら尋ねる。

「……少し時間を頂戴。色々、整理するから」

「…わかった」

 へたりこんでしまっている、らしくない商売相手をそのままに、俺たちは部屋を出た。


「大丈夫だったかな」

 外に出たレイアが一言、口にした。

「あいつについて?」

「うん」

「平気だろ」

「でも、なんか喜んではなかった……」

「そりゃ、いきなり失った足が生えてきたら混乱が先に来るだろ。良いことなのは間違いないし、あんま気にすんな」

「そうかな……」

「そうだよ。じゃ、今のうちに教えてなかった機能とか説明するから」

「これの?」

 自身のコートの裾をあげながら、レイアが尋ねる。

「そ。こっちとの連絡の仕方とか教えるから」

「れんらく?電話とか?」

「いぐざくとりー。えーっと、まずはこいつを――」


 小一時間ほど、通信方法や中の気温の調節、外部の状況のチェックなどのやり方を教えた。

「うーん、頭がこんがらがる……」

 真剣な眼差しでモニターを操作しながら、レイアがつぶやく。

「ちょっと一気にやりすぎたな。とりあえず、通信方法とこっちの位置の確認の仕方さえ覚えてくれれば良いから」

「いや、全部やり方は覚えれるよ。咄嗟に出てこないってだけで」

「初めて知ってそんだけできりゃあ上出来よ」

「えへへ、それほどでも…」

「言われてみるとそんなだな!ほれ、もっと頑張れ!」

「……そっちに電気流す機能とかないの?」

「あるにはある」

 本来の機能ではないが、軽くいじって少し電気をレイアのコートに流す。

「ひゃっ!!」

 レイアが驚いて飛び跳ねた。

「ちょ、ちょっと…なんでわたし…!」

「へえ、電気はやっぱ痛いんだ」

「い、痛くはないけど、びっくりするよ……じゃなくてぇ!」

「頑張って自分で探しな。こっちでその機能切っとくけど」

「ずるいって!!」

「じゃ、もうそろ良いだろ。行くぞ」

「あ、待って!」

 慌てた様子で、レイアが俺の後をついてきた。


 先ほどいた場所に戻ると、定位置に座って頭を抱えている商売相手がいた。

「戻ったぞ」

「ん?あぁ……」

「整理はついたか?」

「ぐっちゃぐちゃよ、全く……」

「だろうな」

 いつもは掴み所のない、皮をかぶっているこいつも、動揺で本性が隠せないようだ。らしくもなく、考えていることが顔からわかる。

「商売人として、失格だぞ。そんな様子じゃ」

「失格で結構。こんなこと2度とないだろうさ」

「違いねぇ」

「ねぇ、その足……」

 少し気まずそうにレイアが尋ねる。

「あぁ、大丈夫。すっかり治っちゃって。どういうわけかわからないけど、おかげさまだよ。ありがとねぇ」

「! よかった……」

「な?言ったろ?」

 ほっとした様子のレイアの頭に手を乗せる。

「やっぱり、どういう原理かは……」

「悪いが言えないね。というか、どうせ想像はついてるだろ」

「あまりにも現実離れしてるから、妄想に過ぎないけどねぇ。いいさ、恩人に迷惑はかけないよ」

「らしくないな」

「ワタシだって人並みに驚くし、取り乱すさ。こんな状況じゃ、商人気質だってどっか行っちまうもんだよ」

「みたいだな。さあさあ、雑談はこれくらいにして本題に移ろうぜ」

「そう、ね。そのことなんだけど……」

「?」

「ごめんなさい。これは直せないわ」

「……技術的に、ってことか?」

「……」

 返事はない。が、YESということだろう。

「対価を出せないと踏んで強がったな」

「一つ違うわ」

「?」

「修理に見合う対価は出せないと考えていた。それは事実よ。でも、万が一に備えて、それに見合う物の当てはあった。これよ」

 そう言って、彼女が出したのはよく見知った物だった。

「! これ……」

「そう。あなたが持ってきた物のプロトタイプよ」

 目の前に置かれたのは、俺がここまで持ってきたものと瓜二つの――いや、さらに細身の腕型の機械だった。

「どこで見つけたんだ?」

「集落の市場で売っててね。価値の分からない奴が適当な値段で売ってたから、すぐに買わせてもらったのさ。もう10年近く前の話だよ」

「壊れてないのか?」

「壊れていた、けど、あなたが持ってきたのと違って今の機械でも使われている部分がやられていただけだったからね。簡単に修理できて、今では問題なく使えるよ」

「とんだラッキーだな」

「ほんとにねぇ。使い方は知ってるのかい?」

「いや、よくは……」

「モノは試しだ。つけてごらん」

 言われるがまま、装着する。それっぽいボタンを押すと、自動で俺の腕にフィットした。

「おぉ……」

 レイアが短く声を上げる。靴のことと言い、密着感が好きなのだろうか。目をキラキラさせながらこちらを見ている。

「んで、どうすりゃいい?」

「何でもいい、強くイメージしな」

「何でも?」

「そう。何なら、物をイメージするんじゃなくて意志を強く固めるだけでもいい」

「それじゃ何も実行されないんじゃ……」

「こいつは何かを実行する道具じゃないさ。いや、正確にはそれも可能なんだけどね。こいつの本質は、あらゆることを可能とする媒介になる物だよ」

「はい……?」

「いいから、さっさとやってみ」

 説明してもらうのを諦めて、こちらも意識を集中する。とは言え、題材なしに強くイメージとはなかなか難しい。何か、俺が集中できること。俺は今、何がしたい?

 ……わからない。けど、今は何だかワクワクしている。目の前にある新しいオモチャに好奇心が駆り立てられる。そうだ、最近は何だか大変な目に遭ってばっかで、楽しいことがなかった。

 ならば、明日を楽しみたい。命が危うい今でも、明日最高の笑顔になるために、レイアにもそうなってもらうために、今頑張る。今は、ヤツらに対抗する武器を手に入れる。

 ただの、ちょっとした願望に過ぎない思い。だが、腕につけているこいつを意識した瞬間、願望が薄くなっていった。慣れた感覚。次の瞬間、腕につけた機械が音を立てて光出した。どこかで見た光景。光が増すにつれ、体中に力が沸いてくる。

「何だこれ……?」

「現在広く使われているimp型の機械が特定のイメージを具現化するのと違って、こいつは種類を問わず、イメージをエネルギーという媒体に変えることができる。

 簡単に言うなら、一般生活において一切必要ない、戦闘兵器だね」

「どうして?」

「こいつが生み出すエネルギーは、電気のように他のものを動かすのではなく、あなた自身に莫大な力を与えることしかできないから。

 変換効率が桁違いだから、同じようなイメージでもただの総量なら、こいつの生み出すエネルギー量は一般のやつの比にならないよ」

「……なるほど」

 確かに、体中にエネルギーが駆け巡るのを感じる。アイツが家を簡単に吹き飛ばしたのも納得がいく。

「それで、この状態からどうすれば……」

「適当に、壁に向かってデコピンでもしな」

「おっけー」

 ぶっ壊しても問題なさそうな、何も立てかけられていない壁を向く。距離にして5メートル。右手を差し出し、構えを取る。中指に全力を込め、押さえてた親指を解放する。

 直後、轟音。爆風のような衝撃。レイアも目の前の商売人も平然としており、俺だけが呆然としていた。砂煙が無くなって見えた壁には、全体にヒビが入っており、爆風が直接当たったであろう中心は陥没していた。

 壊れてもいい場所を狙ったが、まさか本当に壊すとは思わなかった。

「弱いね」

「えっこれで!?」

 予想外の商売相手の発言に驚く。

「本来、地盤が崩れてみんなが生き埋めになってもおかしくない威力を発揮しうるものだよ」

「先に言え!んなもんを説明なしに撃たせるなよ!」

「もちろん、計測器を見てたからおそらく平気なのは分かってたよ」

「計測器?」

「これだねぇ」

 調子が出てきたのか、喋り方がいつもの感じに戻ってきている。

 彼女が差し出した右腕には、小さな機械が握られていた。目盛がついており、見るからに計測器という形をしている。

「これはただのモニターでね。計測器自体は先にそれに付けといたのさ。腕出しな」

「あ、あぁ」

 言われた通りにする。

「これだね」

「……小さいな」

「機能は本物さ」

「……なんか、ずっと針揺れてない?」

「こいつはエネルギー量じゃなくて、意志力を測るものだからねぇ。強いイメージがなくとも、生きてりゃ多少出つづけるもんなのだとよ」

「どこ情報だ?」

「有数都市じゃ常識的な機械だからね。そこで取引した時に教えてもらったのさ」

「! どこにあるんだ?それ」

「北東方向、ここからなら1ヶ月程度かかるかね」

「ずいぶん遠いな。というか、そこにはこれは普及してなかったのか?」

 右腕の機械を指しながら尋ねる。

「今は知らない、けど少なくとも2年前までは存在も知られてなかった」

「なのに、こんな計測器はあるのか」

「普段発せられる意志力で、その道への才能をある程度計れるらしくてね。才能があれば、その手の職につくことができる。適性診断の一環に用いられてたんだとさ」

「なる、ほど」

「ちなみに、あなたのはワタシの半分くらいね」

「えっ」

 見ると、計測器は12程度を指していた。彼女に近づくと、目盛が少し上がる。つまりはそういうことだろう。

「何となく予想していたことだけど、こう、値として出るとちょっとショックだな……」

「ユート、弱いってこと?」

「言ってくれるなぁ。おら、持ってみろ」

 会話についてこれず、ぼーっとしていたレイアが、ここぞとばかりに会話に割り込んできた。ムカつくので、機械を投げて渡す。

「うわっと。あぶないよ!」

 あたふたしながら、レイアがキャッチ。

「結果壊れてないから問題なし。モニター見せてくれ……って、おい?」

「……見て」

 返事がなかったので彼女の顔を見ると、つい先ほど見たような様子だった。そう、足が生えた時のような、信じられないものを見て怯えているような。

 覗き込むようにモニターを見て、俺も驚く。目盛は、わずかに揺れているが、ほぼ0を指していた。

「お前、人のこと言えねぇじゃん!」

「え?どうだったの?」

「見ろよ、これ――」

「レイア、隣の部屋に行ってちょうだい」

 俺の言葉を遮って、隣の商売相手が言う。

「? なんで?」

 不思議そうな、レイアの声。

「近づくと、ワタシ達のが影響しちゃうから。ちゃんと測れないのよ」

「わかったー」

 少しワクワクした様子で、両手に計測器を抱えながらレイアが部屋を出た。改めて、モニターを見ている。今度は揺れすらしない。まごうことなく、0を指している。

「どういうこと……?」

「どういうことって、この値か?」

「それ以外なんだって言うの」

「いや、まさか0とは。珍しいのか?」

「珍しいなんて次元じゃないわ。

 人は、生きてれば何か考え、何か願望を持つもの。例えその願望を明確に意識してなくとも、何か考えるだけでもあれは反応するわ。

 明確な自意識を持たない、野生動物だって思考する。つまり、対象が自意識を持たないものであっても、あの機械は反応する。

 生き物なら、0なんて数字はあり得ない」

「……つまり?」

「つまり――」


「アレは、生き物を超えたナニカよ」


 

「改めて、色々ありがとな。それと、ほんとにタダでよかったのか?こいつら」

「最初に騙したのはこっちだしねぇ。何より、対価に見合うものは十分貰ったし、見させてもらったわ」

「それはそう、だけどやっぱありがとう。ほれ、レイアも」

「うん、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうねぇ」

 あの後、レイアの計測結果は俺の半分くらいだったと伝えることにした。別に本当のことを言ってもいいと思ったが、悪い予感がするという彼女の直感を信じることにした。

 その後は、最初に話していた物同士の取引などを行っているうちに夜になり、予想通り一泊した。

 また、俺が持ってきた腕の機械と、レイアが直した足の引き換えに物資をかなり追加、ついでに計測器もくれるとのことだった。いらないと言ったが、彼女も使わないとのことなのでありがたく頂戴することとした。

 そして、翌日の朝となり、今に至る。

「それで、これから行く場所は――」

「あぁ。言った通り、北東部の有数都市を目指すよ」

 技術の発展した有数都市ならば、レイアのことについて何かしら発見があるかも知れない。

「さっきも言ったけど、都市の地図はもう2年も前のものだからね。あまり当てにしないでくれよ」

「分かってる。それで言うなら、俺が渡したのもな」

「あなたよりよっぽど慣れてるからね。位置さえわかればどうってことないさ。と言うより、行くこともないだろうし」

「それもそうか」

「それじゃあ、幸運を祈るよ」

 彼女が、ひらひらと掌を振る。

「ありがとう、またな」

「またねー!」

 またねと聞いて、少しだけ彼女の動きが止まった。何か名残惜しそうな、羨ましそうな、清々しい表情。その本心はわからない。

 すぐにそんな表情は消え、いつものように飄々としていた。まあいい。きっと彼女も、なにかを見つけたのだろう。ならば、わざわざ俺から言うことなどない。

 あっさりとした別れ。だが、それでいい。悲しい別れなんて、楽しい旅には似合わない。楽しそうに手を振るレイアを横目に、俺は扉を開ける。そうして、俺たちは旅を再開した。


「……行っちゃった」

 自然と口から溢れる。一抹の羨望を感じながら彼らの背中を眺めていたが、ついに見えなくなった。

 まだ少し違和感の残る、長く別れていた足を撫でる。もう傷はないはずなのに、少しだけずきりと痛む。この感覚が消えるには、もう少し時間がかかるだろう。

 ずっと、外の世界に憧れていた。彼に危険だと、死ぬと言われても、どうしてもその魅力には抗えず、飛び出すように出て行った。そんなワタシを怒りながらも、彼はついてきた。

 そうしてすぐに、ワタシ達は世界が決して美しくないことを、現実の醜悪さを知った。知識の無さか、危機感の欠落か、運が悪かったのか、はたまたその全てか、半年経たずしてワタシは足を、彼は全てを失った。

 生死の間を彷徨い、何とか生き延びた。いや、生き残ってしまった。

 死を乗り越えた先にあった地獄を目の前に、ワタシはかつて見た美しさを見出すことができなかった。もう行けない。いっそのこと、このまま死んでしまおうかと思った。

何度も、何度も。

 でも、生き残った意味を探すために、彼が死んだ意味を探すために、それらの意義を失わないために、もう一度ワタシは進み出した。ありのままではできなかったから、偽りの自分を作って、あの時の苦しさを心の奥底にしまい込んで、歪な足を引きずりながら進み続けた。

 それでも、結局答えは見つからなかった。当然だ。ありのままの自分を救えるような答えを探していながら、ありのままを隠していたのだ。10年近くたったの頃には、惰性で生きていた。死に場所を探しながら、その瞬間を夢見ながら。

 ほとんど同じ時期、彼に会った。幼く、父親以外人に会ったことがなかった彼は、昔のワタシのようだった。

 ワタシと同じように外の世界に理想を抱き、憧れていながらも、ワタシと違って賢く、外の世界に恐怖を抱くこともできていた彼は、ワタシの夢見た姿だった。

 もしこうあれたなら、あんなことにはならなかったのでは。ふとしたことで、彼に昔の自分を重ねてしまった。

 そんな彼が、自らその巣を旅立ったのだ。過程や動機は違えど、あの時のワタシと同じ選択をしたのだ。

 それを見た時、ワタシは喜びよりも先に恐怖した。彼も気づくのではないか。ワタシと同じ結論に至るのではないか。頭では受け入れていても、心では受け入れられていなかったために、ワタシはそれを拒絶しようとした。

 ところが、そんな予想とは裏腹に、彼は自身の旅を楽しんでいた。多くの理不尽に見舞われてきただろうに、それでも彼は外の世界に希望を持っていた。

 一緒に連れていた少女がなにを思っていたのかはわからない。先の見えない闇の中に隠された本心を、ワタシは見抜くことなどできなかった。だが、彼はそんな少女の心も溶かそうとしていた。

 なぜそこまで純粋でいられるのか。なぜ、理想を抱き続けられるのか。彼を見てもなおわからなかった。しかし、最後の最後で、別れる寸前に彼らを見てわかった。

 そんな大層な理由なんて要らなかったんだ。確かに世界は美しいだけじゃない。でも、美しくないだけじゃない。世界はそんなに、一意的じゃない。決して理想そのままではなくとも、ワタシ達が夢見た世界も確かにあった。

 なら、それで十分じゃないか。それに、ワタシの原点はきっと今も変わってない。苦しみながらも外の世界にこだわり続けたのは、あの時のちっぽけでくだらない、大切な憧れからだった。

 なのに、自分を誤魔化して、迷って、挙げ句の果てに本当の気持ちを見失っていた。それでもやっぱり、見失っても、捨てることはできなかった。

 やっと、見つけれた。気づけた。これが正解なのかはわからない。自分のことなのに、これが本心であると言い切れる自信はない。でも少なくとも、今も昔もワタシはそう思っている。ならば、信じてみよう。今の晴れ晴れとしたこの心は、本物なのだから。

 持っていた食料なども、随分と彼らと交換してしまった。生きるために、また都市に行かなければ。

 今度は、彼が教えてくれた新しいところに行ってみようか。そこにはどんなものがあるのか。どんな人がいるのか。それまでの道中で、どんなものに会えるのか。

「――楽しみね」

 20年越しに溢れた、本心からの言葉。先のことなどわからない。きっと、想像に反した、苦痛に満ちたものになるだろう。

 それでも、行こうと思う。自分が信じた心に従うために。また見失って、後悔しないために。これまでの過ちと、後悔を受け入れられるように。いや、笑い飛ばせるように――

 

「ねぇ、今日はわたしがごはん作ってみたい」

 レイアが初めてそう言ったのは、あれから3日経ってのことだった。

「いいけど、急にどうしてさ」

 寝袋を片付けながら尋ねる。

「うーん、なんだろ……これといって理由があるわけじゃ無いんだけど」

「やってみたい、的な?」

「そー。それに、いつもやってもらってるしさ?お礼だと思って」

「そんな大変なわけじゃ無いし、気にしなくて平気だけどな。ま、善意はありがたく受け取らせてもらうよ」

「ほんと!?じゃあ、早速やってみるね!」

「なんか手伝おうか?」

「ん、ヘーキ。ていうか、わたし一人でやるからユートはどっか行ってて。何ができるかはお楽しみってことでさ」

「レイア、今まで料理の経験は?」

「記憶にある限りは無いよ」

「よし、ここでしっかり監視しとくから。好きなようにどうぞ」

「お楽しみは?」

「待ってる間楽しめないからなし」

「けち。信じてよ!」

「信頼ってのは結果のもとに成り立つんだよ」

「つまり?」

「俺が大丈夫だって思えるようになったら、好きなようにさせたる」

「みてろ〜」

 ワクワクと言った様子で、レイアが袖をまくる。レイアが包丁を逆手に握った。かっこいい。が、日本でその持ち方をする人はいないだろう。何なら、普段朝ごはんづくりで俺は包丁を使わない。今までの旅の中で一番不安だった。


「とか思ってたんだけど……」

「そんな失礼な」

「わかってなかったのは事実だろ」

「もう知ってるもん」

「俺が教えたからだろ」

 などと言い合いつつも、目の前に広がっている朝ごはんは、確かに大した出来栄えだった。

 無論、料理と言えるほど何かしたわけでは無いが、一切経験なしにしてはそれほどあたふたすることなく出来ていた。何より、火や刃物を一切怖がらないのが初心者に思えない手際の良さを生み出していたのだと思う。あまり喜べない理由なのが残念だ。

「じゃ、いただきまーす」

「うん!いただきます!」

 一口。いつもの味のはずだが、いつもより美味しく感じる。レイアを見ると、同じように幸せそうに頬張っている。

「なんか、いつもより美味しい!わたし才能あるかも」

「自分で作るとそう感じるもんさ。でも、確かに美味しい」

「でしょー?じゃあ、夜は一人で作って良い?」

「夜もやってくれんの?」

「もちろん!」

「んー、いや、今夜は俺が作るから。一旦は見ててくれ」

「えー。なんでー?」

「色々確かめたくってな。予定通りなら、今日には着くはずだから」

「どこに?」

「それは見てからのお楽しみで」

「じゃあ、早く行こ!」

「わーったわーった。じゃ、片付けるか」

 残りを流し込み、食器を洗いに立ち上がる。そう、地図通りなら今日の午前中にはあそこに着くはず。


「だんだん、それっぽくなってきたな」

「なにが?」

「ん、景色」

「?」

 あれから3時間ほど、地図通り周りに緑が増えてきた。今まで植物一つない荒地だったが、低い草木が昨日から見えてきていた。

「なんか気づかない?」

「ん?んー……」

「ヒント、緑」

「……あ!植物が増えてる!」

「せいかーい。あと1時間も歩いたら本格的に森に入ると思うから、それまでに探知機の設定をしなおしとこう」

「また設定し直す必要があるの?」

「無いっちゃ無い、けどやった方が電力消費を減らせる」

「なるほど。ちなみに何を変えるの?」

「機械類の探知を減らして、生物メインに変える。森林中は自立兵器は滅多にいないからな。んな難しく無いから、今回は歩きながら教えるから」

「わかったー」

 説明が終わった頃には、案の定森に囲まれていた。

 森は荒野と違い野生動物が多い。逆に機械は少ないが、それでも総合的に見ると危険度は高い。

 代わりに食料は手に入れやすい。今はまだ貯蓄がたくさんあるが、その場で手に入れられるうちは、貯蓄品の消費を抑えた方が良いだろう。ペースは落ちるが、食べれそうな木の実などを集めながら歩みを進める。

 俺が色々と気にかけている一方、レイアはその珍しい風景に興味津々と言った様子だった。

 現在、世界では自然のほとんどが破壊し尽くされている。昔はこの日本でも国土の6割を森林が占めていたらしいが、今では見る影もない。レイアは俺より長く旅をしてきたはずだが、それでもこのような森は珍しいのだろう。

「初めてなの?」

「? 森のこと?」

「そう」

「初めてではない、けどこんなに大きいのは初めてかな」

「どんくらい大きいかはわからんだろ」

「木の高さである程度想像つくよ」

「どっから来てんだその知識」

「さあ?」

 旅の終点までに、彼女の過去を知れたらなとも思う。


 その後はこれといった障害にあうこともなく、夜がふけた。

 森林では火おこしが楽なのもありがたい。ちゃっちゃと火を起こし、道中で捕まえた二匹の小型動物を焼きつつ、集めた木の実を調理する。

 慣れているかのように振る舞うが、森林に入るのは俺は初めてだった。知識としては知ってても、このような材料で調理するのももちろん初。内心ドキドキしつつ、レイアに見られながら進める。

「今捨てたとこ、食べれないの?」

「毒があるらしいぞ」

「へーきじゃん」

「……死なないから?」

「うん」

「だからさぁ……そういう問題じゃなくてぇ!」

「あー、はいはいごめんなさい」

「謝る気ねぇだろ!」

 今言っても仕方ないのはわかっている。この旅を通して、レイアのそのような考え方が想像以上に、レイアという存在の根幹に根ざしているのは理解した。

 とはいえ、見過ごすことはできない。会った時より、レイアはずっと少女らしい振る舞いをしてくれるようになった。

 でも、それはきっと彼女が俺に心を許してくれたから。俺を助けて、俺を信じなければならなくなったからだ。根幹は、きっと何も変わっていない。少し、ご飯を食べることを楽しむようになってくれたくらいだ。

 どうすれば良いのかはわからない。から、今はできることを、俺の気持ちをできるだけ伝えよう。いつか、俺の行動が彼女の中で意味を持ってくれることを願って。

「よし、こんなもんかな」

「おぉ……!」

 出来た料理は、いつもとは全く違った様子だった。

「一応言っとくと、きのみの調理とかこれが初めてだから。味の自信はないぞ」

「だいじょぶ。絶対美味しいよ」

「だと良いな。んじゃ、いただきまーす」

「うん、いただきまーす!」

「……!」

 食べて驚く。正直期待してなかったが、とんでもなく美味しい。知らない味ばかりだが、違和感なく全てが調和しあっている。

「レイア、これ――」

 見ると、一心不乱に俺の料理を頬張っているレイアがいた。俺の声など届いていないようだ。

「……この感じ、久しぶりだな」

 思えば、初めて会った時もこんな感じだった。子供みたいに、いや、子供らしく食べているレイアを見てホッとする。それが何故なのか、何に対してなのかはよく分からない。

「ゆーほ、ほえ、ほっへもおいひい!!」

 今更気づいたのか、こちらに慌てたように話しかけてくる。

「ちょ、わかったから、口になんか入れながら喋るな。行儀悪いぞー」

「……!」

 若干申し訳なさそうにしながら、再度関心の対象が料理に移る。いつまでも考え事をしてないで、俺も食べることとしよう。

 

「おいしかったねー!」

「だなーって、毎食これ言ってる気がするなぁ」

「ほんとのことだもんね。しょうがないよ」

「……なんか俺、泣きそうだよ……」

「えっ!な、なんで?」

 若干あたふたするレイア。理由は言わなくて良いだろう。というか、言わないほうが良い。矯正するのではなく、いつの間にかそうなってて欲しいからだ。

「明日も楽しみだな!」

「だね!」

 これから寝るというのに、互いに興奮が止まなかった。

 

 忘れていた。ここがどこなのか。治外区域がどんな場所なのか。俺たちが楽しく森林中を過ごせたのは、これが最後だった。



 ビーっという嫌な音で目が覚める。寝ぼけている暇などない。瞬時に意識が覚醒する。

 この音は常に設定してある機械の接近を知らせるアラート。俺たちが動いてないのに反応した、ということは間違いなく自立兵器。最速で方角を確認する。北東から1台。いや、2台に増えた。この調子ならもう2、3台いてもおかしくないだろう。

 巡回ルート出ないのは確認済み。そもそも一周3時間以上かかる巡回ルートなど戦時中ただの一つも存在しなかった。周りの明るさから、今はおそらく5:30くらい。就寝から5時間以上経っている。ならば、壊れたやつ?ならば何故集団でいる?

 疑問点はたくさんだが、気にしている暇はない。レイアを確認。レイアの方もアラートで目は覚めているようだが、まだ意識が朦朧としていた。指示を出しても反応できないだろう。

 咄嗟にレイアを抱えて近くの樹木の下に隠れる。距離的にまだ問題ないはず。この間にもっと情報を――

 失念。普段であれば、確かにこの行動で問題なかった。が、ここは森林。入る前に探知範囲を変更した。その距離は通常の半分程度。当然、最速で気付けれていなければ落ち着いて考える暇など存在しなかった。できる全力だったが、寝起きでさらにレイアがいた。到底、最速には劣る速度。

 おそらく、数秒の差。だが、この世界では致命的な時間だった。

 俺がタブレットを開こうとした瞬間、銃声が鳴り響いた。すぐに、銃声と反対方向に駆け出す。

 銃声が2倍、3倍に増えていくのを感じながら、ジグザグに駆けてゆく。

「ユート!?これ……」

「後で話す!」

 うまいこと視界が切れたのを確認し、再度別の木の裏に隠れる。とはいえ、10秒経たずとも再度見つかるだろう。今は逃げるので精一杯だ。状況を確認している暇はない。だが、状況がわからなければ何もできない。どうする?こうなったら――

「レイア!」

「な、何!?」

「周囲の機械の数を確認してくれ!多少雑でも良い、どうせ場所はほぼバレてる!」

「わ、わかった」

「できれば種類も――っ!」

 何か情報を拾えたわけではない。ほとんど直感で、再度駆け出す。

「わっ」

 驚くレイア。だが今は、優しくエスコートしてあげるほどの余裕はない。

「ぐっ」

 一発左肩を突き抜ける。その他数発が体のすぐ横を通り抜けていくのを感じる。

 止まれば、死ぬ。

 左肩の鈍い痛みと、銃弾が近くを通り過ぎた肌あたりがヒリヒリするのを感じながら、足場の悪い森の中をかけてゆく。前方が少し開けている。瞬時にルートを左方面に変更する。なるべく、障害物が多い場所を通る。が、なかなか視界を切れない。

「レイア!わかったか?」

「うん。6台いる」

「ハァ、ハァ、6かよ、場所は?」

「2台は近い。後方20メートルくらい。でも、他の4台は遠いよ。50は離れてる。多分、この2台を追いかけてるだけでわたしたちを見つけれてるわけじゃないと思う」

「! でかした。なら、勝機がある」

「どうするの?」

「ぶっ壊す」

「えっ、うわ!」

 細めの木を掴み、遠心力の要領でUターン。銃を手に取ろうとして、気づく。左肩が再生している。そうだ、今俺は不死身なのだ。

 攻撃意識を上げて、両手に銃を持つ。それぞれで一台ずつ狙う。近い方は、利き手でない左手の銃で狙い、乱射。

 自立兵器は、相手の行動から次の行動を予測して動く。俺が2度目に視界を切れなかったのはこれが原因だろう。だからこそ、俺の急襲に相手は対応できなかった。

 俺より遅れて、ヤツらも撃ってきた。が、時すでに遅し。幸運にも、相手の照準が合う前に撃ち抜くことができた。

 喜んでいる暇はない。残りが来る前に、再度Uターン。

「レイア、一旦探知を切ってくれ」

「わかった」

 理由は聞かずにやってくれる。今は1秒を争う。こういう時に瞬時に落ち着いてくれるのは、本当にありがたい。

 ある程度離れたところで、視界を遮るように木の裏に隠れる。今度は俺が探知機を操作。最小から少しずつ範囲を広げていく。案の定、俺が壊した機械のあたりにいた。こちらまで捜索してくるのはもう少し先になるだろう。できる限り、情報を集める。

 先ほど撃つ時に確認した通り、自立兵器自体は旧型だった。が、その中でも新しい部類。割と珍しい種類で、集団で行動するものではないが、互いに連携をとること自体はできる。

 おそらく、一台が壊れてルートを外れ、その道中で同じ種類の自立兵器を集め、小隊のように動いていたのだろう。

「4台か、やり合うのはキツイな」

「逃げる?」

「そうしたいところだけど、今動くとバレかねん。つっても、そのままでもそのうちバレるだろうな」

 ヤツらがこちら側に来るまで、長く見積もっても5分あるかないかだろう。

「クッソ、どうする……?」

「ねぇ、一個考えがあるんだけど」

 想定外の人からの提案。こういう時のレイアは本当に役に立つ。

「聞かせてくれ」

「わたしがあっちに突っ込むから、その間に回り込んで」

「なるほど……うん?」

「いや、だから――」

「いやいやいや、だからぁ!」

「あー、だいじょぶ。この服は一旦脱いでユートに渡すから、撃たれてもヘーキだよ」

「……昨日の俺の涙を返してくれ」

 前言撤回。道のりの長さを実感する。が、今はそんなことしている場合ではない。

「冗談はさておき、なんか考え出さないと……」

「冗談じゃないんだけど……」

「その方がタチ悪いわバカ」

「バカじゃないもん!」

「るっせぇ言ってる暇あったら考えろ!誰かが怪我する前提は無しだ!」

「無理じゃん……」

「最悪二人で突っ込むぞ」

「服は?」

「着たまんまだ。多少の防弾性能はある。壊れたら修理すりゃ良い」

「それをいうなら体の方が……」

「そこはぜっったい譲らん」

 言い合いつつも、脳をフル回転させて解決策を考える。アレを全部倒すのは無理。ならばどうする?アイツらの捜索さえ回避できれば良い。

 通常であれば難しいだろう。が、今回は状況が特殊だ。この森の地形を活かせば、何か――

 一つ、閃いた。

「レイア、できるか?」

「なにが?」

「そりゃあ――」


 しばらくして、一台が近づいてくる音がする。なかなか小さい。五感だけでこいつらに気づくのは至難の業だろう。

 息を潜める。俺らがいた場所にやってきた。しばし痕跡を確認し、そのまま"俺らの下"を通り過ぎていった。

 探知機を作動する。残りの3台が離れていくのを確認して、俺らは木から降りた。

「気づかれないもんだね」

「アイツらが浮いてるのは、障害物に妨げられず対象を発見できることが一つにある。だから、下側はよく確認されても、上方は死角になりがちなんだ。もっとも、こんな森の中でなけりゃ上をとることはもちろん、取れたとしても見つかる可能性も十二分にあるけどな」

「へぇー」

 解説しながら、音を出さないよう気をつけて先に進む。しばらくして、俺が立ち止まる。

「あれ?行かないの?」

 レイアが聞く。

「一度捜索した箇所はそう戻ってこないさ。それより、こいつらを軽く分解していきたい」

 先ほど壊した自立兵器を指差しながら答える。

「……なんか、ユートがどんな人なのかわかってきた気がするよ……」

 若干呆れた顔をしてレイアがいう。

「なんだよ。貴重なんだぞコレ」

 言いながら、自立兵器の元に辿り着き、しゃがみ込む。持ち上げて、気づいた。

 まだ、生きている。

 おかしいとは思った。俺は決して射撃が上手いわけではない。何より、このバージョンの自立兵器は中心にある小さなコアが壊れなければ完全には停止しない。

 飛ばなくなったから、運良くコアを撃ち抜けたのだと思った。違った。エンジン部分を壊せただけだ。コイツにはまだ探知能力が残っている。おそらく、交信も。

 瞬時に銃を取り出し、再度撃ち抜く。左手でレイアを抱き寄せ、ダッシュ。背後で数分ぶりの銃声が鳴り響く。

「どうしたの!?」

「しくった!とにかく逃げるぞ!」

 さっきの感じからして、逃走し切るのは不可能に近いだろう。相手が学習する以上、同じ戦法ももう使えない。ならば撃ち合う?いや、2対4は流石にまずい。被害が大きくなりすぎる。それは最終手段だ。できれば2対1、せめて2対2の状況に持っていかないと。だが、どうやって?

 走りながら全力で打開策を考える。

「ユート!」

「どうした!?」

「前になんかある!」

「何かって、何が!?」

「わかんない、でっかいの」

 俺も走りながら、センサーを横目に見る。確かに、前方200メートルほどに巨大な何かを検知。自立兵器か?違う。この大きさは聞いたことがない。まさか、これは……

「レイア、頼みがある!」

「なに?」

「それをジャックしろ!」

「どうやって?」

「今まで教えたのを使えばいけるっ!30秒以内で頼んだ」

「やってみる」

 即座にレイアがモニターへと目を落とす。間に合わなければ最悪周りを一周しようと思っていたが、近づくにつれてその大きさが明らかになってくる。

 これほど大きいと、周りを回るのは現実的じゃないだろう。体力が持たない。

 150、100、50メートルと近づいてくる。木々の隙間から目視できるようになってきたあたりで、

「できた、と思う」

 頼もしい声が聞こえた。

「でかした!」

 俺も片手間にモニターを開く。俺とレイアのは共有されているから、そっちでジャックできればこちらからでも操作ができる。

 木で射線を減らしながら、右手のみで操作。かなり大変だが、一度のミスも許されない。体力も限界。これを失敗したら、死にながら特攻するしかないだろう。

 操作完了。勘で、今から4秒後に1秒間だけロックを解除する。

 あとは、全力疾走。森を抜け、目の前が一気に広がる。現れたのは、金属でできた巨大な建築物。扉の位置を確認。おおかた、想像通りの場所にあった。

 巨大な門の右隣にある小さな扉に向かってかける。体感では平気。あとは信じるしかない。

 森を抜けたことで、銃声が一気に増える。数発、体を貫く。レイアをこちらに寄せて、彼女に当たらないようにする。

 激痛。だが、気にしている暇はない。血を吐きながら、扉に滑り込む。開いてなければ終わり。頼む、どうか――

 ほんの少しの衝撃。だが、弾き返されるようなことはなく、扉はそのまま開いた。

 背後で扉が閉まると同時に、カチリと鍵が閉まる音が聞こえた。銃声が鳴り響く。扉に何発も当たる音。が、壊れる気配はない。

 暫しして、銃声が止まった。

「……なんとかなった、かな」

「みたいだね」

 二人一斉に息を吐く。体を見ると、傷はほとんど消えていた。痛みもなくなっている。コートに空いた穴から、どこを撃たれたのかはわかる。左肩、脇腹、右肺が撃たれたようだ。レイアを見る。同じように、傷はない。が、右足付近に穴が空いている。

「大丈夫か!?」

「なにが?」

「その足……」

「ん?あぁ、撃たれてたんだ。そりゃもちろんヘーキだよ」

「撃たれてたんだって、お前……」

「良いから、行こ」

「良くないだろ……」

「それ言うならユートの方こそ、だよ」

「俺はもう大丈夫だから」

「わたしもおんなじだから。ていうか、ユートは不死身じゃないんだよ?ユートの方こそダメだよ」

「あー、そういやそっか」

「人のこと言えないじゃん!」

 言われて気づく。どうやら俺は思ったよりレイアと同じような行動をしていたらしい。確かに、これじゃあ説得力もないだろう。

「お互い様だな」

「今更だね……」

 呆れた様子、だが俺としても同じ反応をしたい。俺も大概というのはわかったが、こいつだって十分大概だ。

 それに、俺が不死身じゃないからって、不死身の(可能性が高い)レイアを囮にするなどもってのほかだ。ならば、やることは今までと変わらない。レイアを守るだけだ。

「さてっと、どうするかなぁ」

「あー、この先?」

「おう」

 目の前には暗い廊下が広がっている。あかりはほとんどなく、20メートルも進めば何も見えなくなるだろう。

「というか、ここどこなの?」

「いわゆる、古代都市ってやつだろうな」

「古代都市?」

「俺も初めてだから詳しくは知らんぞ。

 記述によると、2世紀前の世界大戦後に生まれた城郭都市のうち、すでに滅びたものを言うらしい。大抵の場合、戦前の貴重な技術が多く残っているから、貴重な研究対象として大都市が占領しているそうだ」

「じゃあ、これも?」

「いや、だったらロックを解除できなかったはずだ。それに、今のところだけど人の気配も感じない。おおかた、未発見のものだろうな。地図にもなかったし」

 もともと、森の中にこのような大都市が生まれることは珍しい。また、人々もその危険性から自ら森に入ることは滅多にない。そういった要因から、これまで見つからずに済んだのだろう。

「こりゃあ探索が楽しみだな!」

「それも良いけど、わたしたち今逃げてることも忘れないでね?」

 おそらく自立兵器のことではなく、追っ手のことだろう。

「どーせ今この出口から出たらまずいんだし、奥に行くしかないんだから。楽しめるものは楽しまなくちゃな」

「まずいの?この外」

 扉を指しながら尋ねるレイア。

「こんな金属一枚じゃ探知は遮れないからな。目の前にいるのに射撃をやめたってことは、壊すのを諦めただけだろ。今頃必死こいてセキュリティ解除に努めてると思うぜ」

「それ、まずくない?わたしすぐできたよ?」

「俺が軽く設定し直したから」

「いつの間に……」

「入ってすぐにな。それに、こう言うジャック系統の性能は人間が圧倒的に上だから。どちらにせよ10分、強化した今なら30分以上持つだろ」

「それでも30分かぁ」

「ん。だから、かる〜く罠だけ仕掛けてく。残ってる材料的に全部それで殺るのはきついだろうけど、2、3台壊せりゃ御の字だ」

 バッグを開きながら答える。

「仕掛け終わったら中に進むぞ。できれば、対岸側の出口を見つけたい」

「わかった」

 手早く、扉が開くと同時に爆発するようセットする。火力は少し下がるが、探知されないよう周りを特殊な機材で覆う。これで問題ないだろう。

「おっけできた。じゃ、行くか」

「あ、もう?」

「何かやってたの?」

「うん、これ直せないかなって」

 コートに空いた穴を指差しながら、レイアが答える。

「そこそこの設備がなきゃきついな。結構高性能だから、それ。多分この施設のどっかに修理可能な場所があると思うから、まずは行くしかない」

「なるほど」

 大事そうに、コートの穴を辺りを撫でるレイア。

「気にしなくて良いよ。ものは使ったら壊れるもんだから」

「うん」

 余計な言葉はいらないだろう。暗闇の中、コートの機能であるライトをつけて進む。一度軽く教えただけなのに、当然のようにレイアもライトをつける。

「あ、そういえば探知はどうするの?」

「それなんだよなぁ」

 周りを捜索しながら答える。

「俺も無人都市の探索なんて初めてだし、これと言った情報もないから手探りで行くしかない。とりあえずは、荒地の時の設定にしとこう」

「機械メインのやつ?」

「そうそれ」

 言った直後には操作が終わっている。相変わらず手際が良い。

「この調子じゃ、すぐに追い抜かれちまいそうだな」

「なにが?」

「こいつの操作」

「ふふん。でしょ?」

「うわうざ。褒めなきゃよかった」

「すぐに追い抜いてやるんだから」

「楽しみにしてるよ。っと、これは……」

「また扉?」

「だな」

 コンピュータをいじる。ここはまだセキュリティが低い。簡単にロックを解除できた。

「よし、開いた――あれ?」

 押しても動かない。

「ちょ、レイア。手伝ってくれ」

「おっけー、ふんっ!んー!」

 俺も精一杯押す。が、錆びているのか、はたまた向こう側に何か障害物があるのか。一切動かない。

 右手の機械の電源をつけ、扉を壊さないよう気をつけながら意志を込める。が、それでも開く気配はない。

「こりゃ無理だな」

「ん〜! って、やめたなら言ってよ!」

 俺が押すのをやめた後もしばらく続けていたレイアが突っ込む。

「ほんとは開いてないとかじゃなくて?」

「あまり舐めるなよ小僧」

「こぞうじゃないんだけど……」

「なんか別の方法を探さないと」

「爆破する?」

「なんで即その考えに至るんだよ」

「さっき仕掛けたやつみたいなの使えばいけるかなって」

「なんでさっきのが爆発するの知ってんだよ」

「見ればわかるもん」

「包丁の使い方知らないやつが罠の種類一目で見分けれんの意味わかんないって」

「それで?どうなの?」

「いけるかも、だけどこういう大都市で爆破はまずい。今んとこは平気だけど、もしこの都市がまだ生きてたら防衛反応を取られる可能性がある。この規模だと、一生外に出れなくなるとかもあり得るな」

「ここにずっとはやだなぁ」

「良かったそれでも良いやとか言ったらぶん殴るところだった」

「ぼうりょくはんたーい」

「もうちょっと周りを調べるぞ」

「見落としはなかったと思うけど」

「違う。見えないところを調べる」

「?」

「ま、見てな」

 モニターを操作。やるべきは、壁の向こう側の調査。床下は分厚すぎて無理、扉の向こうは調べたって意味ないからスルー。両隣の壁も特になし。天井は――

「あった」

「なにが?」

「抜け穴」

 少し戻り、天井を指差す。

「あ、なんか穴空いてる」

「排気口かな?調べた感じ、上の階に続いてるっぽいぞ」

「でも届かないよ」

「俺が先登って、紐垂らすから。それたぐって登ってくれ」

「ユートも届かなくない?」

「こいつを使う」

 取り出したのは、先に鉤爪のついたロープ。電源をつけ、スイッチオン。先を穴に向ける。

 ドンっと音を立てながら、一直線に鉤爪が飛んでゆき、天井に突き刺さる。再度別のスイッチを押す。ロープが巻き取られ、体が浮く。

「何それ!?ほしい!」

「生憎一個しかないから。ま、この都市なら一つくらい、どっかにありそうだけどな」

「探すね!」

 なんならより高性能なものがありそうなくらいだ。

「お好きにどーぞ。よし、じゃあ下ろすぞー」

 鉤爪を抜き、ロープを下におろす。レイアが捕まったのを確認して、同じようにスイッチオン。ゆっくりと、レイアが釣り上げられてくる。

「離すなよー!」

「だいじょーぶ、よし」

 無事にレイアも登ってきた。

「狭くない?」

「狭い、けど仕方ない」

 小柄なレイアは少し屈む程度で平気だが、この年齢の男性として、平均的な身長を持つ俺は少し狭い。四つん這いになるほどではないが、屈むと進めないと言う絶妙な狭さなのもめんどくさい。

 結局四つん這いになって進む。しばしして、無事上に登れる穴が見えた。

「よし、ここからなら……問題ないな。レイア、出て良いぞ」

 先に安全を確認して、排気口から出る。

「もう入りたくないな……」

「だろうね。なんかずっと苦しそうだったもん」

「実際苦しかったからな」

 両手、両膝を見る。埃はほとんどついていない。と、言うことはやはり――

「この都市、まだ生きてる」

「さっきも言ってたけど、それどういうこと?」

「まだ機能停止してないってこと」

「じゃあ人は?」

「いる可能性も少し出てきたけど、まあほぼほぼいないだろ」

「人はいないのに?ていうか、何でそんなことわかるの?」

「汚れてないから。こういう都市だと、滅ぶ寸前は人の手によるインフラ整備はほとんど機能しないんだ。そんなことしてる余裕ないからな。

 それなのに、あんな埃の溜まり場になりそうな排気管の中ですら清潔に保たれてた。ってことは、この都市が未だに正常に機能していて、整備が滞っているってことだ」

「生きてる人がやってくれた可能性は?」

「だったらあの扉は開くだろ。てかそこだよ。レイアは知らないだろうけど、俺らが入ってきたあの入り口。履歴を見たら、最後にロックが解除されたのは10年以上前だった」

「またいつの間に……」

「まだまだ俺の方が上だな。んで、他の出入り口をメインで使ってるんだったり、この施設の中で全ての生活が賄えてるならそれまでなんだけど、それにしたって外界との交流がなさすぎる」

「だから、ここにすでに人はいないんじゃないか、と」

「そゆこと」

「なんでいなくなっちゃったのかな」

「さあな。先に行けば、分かるかもしれないし、結局分からずしまいかもしれない。どちらにせよ、行かないことには始まらないさ」

「……だね」

 浮かない顔つき。だが、してやれることはない。今はただ、前に進むだけ。

 しばらく進むと、またしても扉。同じようにしてロックを解除する。今度はさほど苦労せず開いた。やはり、先ほどのドアの裏には何かが置かれていたのだろう。

 道は暗さが増してゆくばかりで、頼れるのは自身の持つライトだけ。見落としがないよう、慎重に先へ進む。

「!」

 しばらくして、急にレイアが走り出した。

「あ、おい!」

 慌てて追いかける。すぐにレイアは止まった。

「急にどうし――」

 追いついて、気づく。レイアの目の前にあったのは、白骨死体だった。扉の前で、壁に寄りかかるようにしてある。衣服はそれほど劣化しておらず、ほぼ当時のまま残っているようだ。ボロボロだが、高貴な身分であったのはわかる。

「……ごめん」

 先に謝って、死体を漁る。右手には、血に塗れたカードキーが握られていた。おそらく扉の開閉などに用いられるのだろう。

 もしやと思い、モニターを開く。目の前の扉のロックを解除するとともに、軽くチェック。――やはり、セキュリティクリアランスが足りない。

 このレベルでは、ここから行ける出入り口のどこも動かせない。ここに逃げてきたは良いものの、中に入れず外にも出れず餓死したのだろう。どこから入っていたのかはわからないが。

 違和感。高貴な身分と予想したが、それにしてはクリアランスが低い。おそらくは、中の下程度のもの。この都市はよほど発達していたのだろうか。

 そもそも、なぜこんな場所に来てしまったのか。どうして助けが来なかったのか。理由はわからない。

 俺が考えている間、レイアはじっと手を合わせていた。

「……行こう」

「…………うん」

 レイアが目を開ける。ショックは受けていたようだが、きちんと切り替えられているようにも見える。やはり、彼女は強い。

 申し訳ないが、カードキーはもらっていく。この先できっと何かの役に立つだろう。

 扉を抜けて、先に進む。変化のない道。終わりは見えない。

「! ユート……」

「あぁ」

 ほぼ同じタイミングで、レイアも気づいた。探知機が2体検知したのだ。レイアは警戒しているようだが、俺はある程度正体の想像がついているのであまり気にせず進む。

「平気なの?」

「たぶんな。――ほら、やっぱり」

 近づいてきて見えたのは、2体の丸い機械だった。今までのとは違い、武器を持っているようには見えない。

「何この子!?かわいー!」

「いわゆる、お掃除ロボットってやつだ」

「危険?」

「いや、よっぽど危害を加えたり、その地域のルールを破ってこの施設の排除対象になったりしなけりゃ平気だよ。そもそも戦闘能力はほぼないから、万一敵対しても平気だな」

「そーなんだ。良い子だね〜」

 レイアが機械の頭らしき部分を撫でながらいう。スリープモードなのか、反応はない。

「一匹、持ってって良い?」

「だめ」

「けち」

 盗み判定になるかもしれないので許可は出せない。レイアも、断られるのは想像はついていたのか、それ以上何か言ってくることはなかった。

「この子達があの通路もきれいにしてるのかなー」

「多分違うと思う。だったらあそこの人がこちら側に来れたはずだからな。多分、あそこはあそこで別の清掃機械がいるはず」

「そんなのいた?」

「天井とかにときどきそれっぽい反応はあった」

「天井にいるの?この子達が?」

「割とそういうことあるぞ。床にいるんじゃ邪魔だからな」

「じゃあ、何でこの子達は?」

「その機能が壊れてんのかな。詳しく調べてみないとわからん、けどクリアランスが足りないのに分解するのは危険だからやめとこう」

 お別れをして先に進む。少しレイアが名残惜しそうにしていた。しばらく行くと、またしても扉が見えてきた。が、今回はいつもと少し見た目が違う。

「これ、は……エレベータかな?」

「なにそれ?」

「乗ればわかる、ってか動くのかなぁ。お、大丈夫そう」

 特にロックなどされておらず、ボタンひとつで動き出した。作動音の後、しばらくして扉が開く。

「行き止まり?」

「違うよ。乗ってみな」

「うん。えっ」

 扉が閉まった後、床が動いてレイアが驚く。

「な、なに?」

「上にあがってるんだ。お、もう着いた」

 振動が止み、再度扉が開く。

「今の技術だと、こういうのも滅多にないからなぁ。貴重な経験できた」

「不思議な感じ」

「また乗りたい?」

「あんまかなぁ」

「多分あと2、3回乗ると思うけどね」

「まあ別にそれでも良いけど」

 割と興味なさそうに答える。景色に変化がないとつまらないのだろう。

「また似たような廊下〜」

「ん。でも、奥はちょっと違うっぽいぞ」

「ほんとだ」

 レイアも探知機を操作して気づく。先ほどまでと違い、廊下の先で空間が広がっている。

「ってことはついに?」

「ああ。居住区の可能性が高い」

「おお!」

 レイアの歩くペースが少し上がる。すぐに扉の前についた。ロックを確認。ハッキングしても良いが、少しセキュリティが高そうなので、カードキーを使用する。

 幸いクリアランスは足りていたようで、重々しい音を立てて扉が開いた。わずかに会いた隙間から、光が差し込む。

「……へぇ」

「わぁ」

 目の前に広がっていたのは、温かな陽光に照らされた、美しい街並みだった。壁に囲まれてるとは思えないほど広く、左右の壁は見えない。木々が程よく生えているのも、ここが室内であることを忘れさせる。

「きれい……!」

「こりゃすごい」

「みてー!たかい!」

 数ある建物の中でも、比較的高いやつへ駆けて行く。

「ちょいちょい!ストップ!」

「え?うん」

 建物に入るすんでのところで止まる。

「あっぶねぇ……」

「もしかして、まずかった?」

「ワンチャンな。ないとは思うけど、これがもし誰かの私有地だった場合不法侵入でシステムに目をつけられる可能性がある」

「あ、さっき言ってたやつ」

「そ。だから、入るならあれみたいな、あからさまにお店のやつだけにしてくれ。あと、一応時間にも気をつけて」

「時間?」

「多分だけど、ここの人工太陽は外に合わせて明るさが変わってる。街のどっかに時計もあるはずだけど、それが見つかるまではあれである程度時間把握して、入るのは開店してるであろうお店だけにするんだ」

「なるほど。ちなみに今は何時くらい?」

「たぶん8:00ごろかな。もちろんだけど、入っても店内のものは盗んなよ」

「うぅ……」

「大丈夫。アテはあるから」

「アテ?」

「モノ買うためのお金のアテ。まだちょっと確信が持てないから、もう少しだけ待ってくれ」

「わかった!」

 一瞬落ち込んでいたが、すぐに元気になってくれた。気をあらためて、先へ進む。

「ん?水の音?」

「やっぱり?あっちから聞こえるよ」

 言われた方へ進む。家を2、3軒通った先にあったのは広場だった。

「お、まじか噴水だ」

「ふんすい?」

「観賞用のオブジェ。昔は結構あったらしいぜ。今じゃ汚染されてない水は貴重だから滅多に見ないけど」

「うん、確かにきれい!」

「だな。俺も見るのは初めてだ。ってか、今でも残ってるのか」

 噴水が適切に動くということは、浄水システムもおそらく問題ない。噴水の水を見ても、汚染されている様子はないのでそういうことだろう。

「あ、ここは入ってヘーキ?」

 雑貨屋さん?のようなお店を指さして尋ねる。

「24時間営業っぽいし、多分平気」

 掠れてよく見えないが、店の看板には24hと書かれているように見える。というか、注意しておいてなんだが、今の時間ならほとんどどこでも平気だろう。

「おじゃましまーす」

「誰もいないけどな」

「うわぁ。なんか……」

「うーむ、流石にかぁ」

 街の様子とは打って変わって、店内は荒れ果てた様子だった。商品はほとんどなく、そもそも荒らされたようで色々なものが壊れ、散乱している。だが同時に、妙な清潔感も感じる。

 違和感。荒れていることに対してではない。それと関連した、何か。直感が語りかけてくる。が、具体的な正体はわからない。

「なんで……?」

 レイアの声で現実に帰ってくる。

「あ、あぁ。街自体は公共の福祉として整備されてるんだろうけど、店内はその店の保持者が管理するもんだから。その管理者がいなけりゃこうなるか。やっぱり人はいなさそうだな」

「……せいびされてないから?」

「それもある、けど何よりまだこの店が運営されている判定だから」

「どういうこと?」

「もし店主が死んだなら、普通は別の人が引き継ぐかこの土地は売られる。売られて誰も買ってないなら、ここは公共のものってことになるから、システムが整備するはずなんだ。なのに、誰かが引き継いだ様子も、街のシステムが管理してる様子もない。ってことは……」

「……その人の死が気づかれてない?」

「おそらく」

 都市を運営する上で、それぞれの個人情報の管理は必須。ならば、街の人々の生死だって当然記録される。

 それが記録されてないということはすなわち、人々による管理が一切行き届かない混乱が起きたということ。先ほどの死体の様子からしても、その混乱で多くの人が死んだのだろう。

「じゃあ、やっぱり……」

「まだわからん。というか、こんだけ整備されてんなら、人は充分生きていける。ごく少数なら、むしろ生きてる可能性が増えたと思うぞ」

「ほんと!?」

「期待はしないでくれ」

「わかった!」

 わかってないだろ、という言葉は一旦飲み込む。それより、今はやるべきことがある。

「ちょっとやりたいことがあるから待ってくれ」

「うん。見て回ってていい?」

「なんも触んなよ」

「もちろん」

 軽い足取りで店の奥へと走っていく。言いつけを破ることはないだろうから、こちらはこちらでやることに集中する。

 レジ横に行き、適当に最も安いであろうものを手に取る。まだなんとか動いてそうなものを選び、バーコードに当てる。ピッという音ともに、不鮮明ながらも値段が出る。

 先ほど拝借したカードキーを取り出し、あてる。再度澄んだ音が鳴る。

 僅かな間の後、ブーっという音が鳴り、画面がつく。点滅してて読みづらいが、おそらくパスワードと書かれている。おおよそ、顔認証が失敗したからだろう。ということは、やはり――

 

「おーい、レイア。行くぞー」

「はーい」

 奥から声がして、すぐさまレイアが出てきた。次に、俺の手にある白色のシュシュを見て驚く。

「なにそれ!?」

「買った」

「どうやって!?」

「これ」

「? さっきのカードキー?」

「そ。これが貨幣としても使えた」

「どういうこと?」

「なんつーんだろうな、ここまで文明が発達すると、物々交換とか、現金は使われないんだ。かわりに、電子マネーが使われる」

「なにそれ?」

「要は、お金が実態をなくすってこと。何か買ったら、支払った分はデータ上で記録される。同じように、働いて稼いだお金も記録されて、そこから買った分の代金が引かれる。ここの前後関係はどっちでも基本いい。だから、こいつさえありゃよっぽど高いものじゃない限り買い放題ってわけ」

「じゃあ、それ盗まれたら終わりじゃん」

「一応顔認証とかパスワードのチェックがあるから、そう簡単にはいかん。万が一そこが割れても、持ち主から再度パスワード変更したり、ロックかけたりもできるしな」

「じゃあユートはどうしたの?」

「普通にハックしてパスワード盗んだ。もうパスワード変えるやつもいないわけだし」

「やっぱガバガバじゃん」

「ハッキング技術は、現代で唯一発達した技術だしなぁ。この一点と、imp型のみは古代文明を凌駕する代物だよ。こういう都市だったり、戦前の都市内で探索、発掘をするには必要不可欠だったからさ」

「なる、ほど?」

「それはいいから、ほれ。あげるよ」

 買ったシュシュを差し出す。

「え、いいの?」

「当然。俺いらんし」

「ありがと!どう使うの?」

「髪に結ぶか、腕につけるかとかかな。腕につければ?」

「わかったー」

 手首につけて、空にかざすようにしてそれを眺めるレイア。

「どう?」

「似合ってる似合ってる」

「そう?うれしー」

 正直よくわからないが、綺麗だとは思ったので素直に褒める。なんだかむず痒いが、こういうのは正直に答えた方がいいだろう。

「じゃ、この調子でスーツを直せる店を探そう。服が売ってそうな店を探してくれ」

「わかった」

 嬉しそうに左手首を眺めながらレイアが答えた。せっかくならもっときちんと選べばよかったと思った。

 

――――――――――――――――――――――――

 

 1機が、静かに扉に向き合い、データベースに侵入していた。残りの2機もすでに周りの探索を終え、1機のそばで処理を手伝っている。

 すぐに入れる、その他の入り口がないのは確認済み。

 こいつらに感情はない。ただ、システムされた通り、先ほど発見した対象を殺すために動いているだけ。

 あと少しと言ったタイミングで、ソレはやってきた。処理にリソースのほとんどを使っていたため、気づくのが遅れる。直後、3機全てが真っ二つに切られる。

 音もなく停止するソレらを気にかけることもなく、今度は扉にその刃を向ける。

 相手は弾丸すら通さない金属。だが、それすらも意味を成さず、三角形を描くように切断される。

 少し押すと、人1人が通れる穴ができた。中に入る。直後、罠が起動。爆発した"後に"それに気づき、瞬時に離れる。一切巻き込まれることなく、爆発から逃れたソイツは、警告音に構うことなく、その歩みを進める。


――――――――――――――――――――――――


「おっけ。ここならできそう」

「おお」

 途中途中で保存食(そもそもまだ残っている商品がごく少量の保存食しかなかった)やその他荷物の補充、新調を済ませながらお目当ての店を探した俺ら。20分ほどで、レイアがそれらしい店を見つけてくれた。

「お手柄だな」

「もっと頼ってくれてもいいんだよ?」

「それはちょっと……」

「なんでよ!」

 ポカポカ殴ってくる。

「痛い痛い、悪かったって。ほら、一旦そのコート脱いで。先直すから」

「えっち」

「えぐ。前なにも言わなかったくせに」

「わたしも成長したんだよ?」

「へぇ」

「その反応が一番つらいって……」

「いいからさっさと渡しな」

「はーい……」

 若干拗ねながらコートを脱いで、こちらに渡してくれた。見ると、確かに薄着だ。上は若干大きいシャツ一枚(俺のお下がりだから)、下はショートパンツ(というか、ボロボロになって長さがほぼショートになっているハーフパンツ)のみ。ここを出る前に、レイアの服も調達した方がいいだろう。

「……なに?」

「別に。後で服買ってあげないとってさ」

「かわいいのがいい!」

「機能性重視で」

「やだ……」

「カードキー持ってるの俺だから、俺が選ぶぞ」

「ゆーとぉ……」

 若干泣きそうな顔でこちらを見てくる。もちろん冗談だが、そんなにか。

「うそうそ。もちろん機能は重視するけど、その中から自由に選んでいいぞ。ほんとに欲しいのあったら、それも買ってやる。街中とかなら着ても平気だろ」

「ほんと!?」

「ほんと」

 そうこう言ってるうちに、スーツの修理が終わったようだ。先払いだったので、普通に取り出してレイアに返す。今度は俺の番なので、俺もスーツを脱ぎ、機械にセット。お金を払おうとしたところで、気づく。

「うん?」

「どうしたの?」

「いや、なんか警戒モードになってる」

 画面右上で、文字が点滅している。そこには確かに、警戒中と書かれていた。

「修理できない?」

「それは問題ない。けど……」

 他の店でも、なんならさっき修理した時は出てなかったはず。確かに自立兵器が解除を終えててもおかしくない頃合いだが、ハッキングなら警戒モードには入らない。あの罠もロックアウトが起動しないように爆発の規模は抑えておいた。システムの故障なら、それでいい。だが、もしそうでないなら――

「これ直したら、急いで行くぞ」

 嫌な予感がする。

「うん」

 同じような感覚があるのか、レイアも真剣な眼差しで答えてくれた。

 修理完了を待ちながら、街のシステムに入り込む。探すは、この街のマップ。それほど重要なものではないのだろう、案の定すぐに見つかった。ロックだって当然かかっていない。ダウンロードし、画面に表示する。

「レイア、この街のマップを送った」

「これ?」

 画面をこちらに見せながら尋ねる。

「それ。見てわかる通り、この階層から直接出口につながる道は通ってきたあそこしかない」

「じゃあ、上に行くの?」

「だな。多分、上に行くほど住む人の階級も上がるはず。一番上なら、万が一責められても逃げれるよう非常出口があるはずだ。そこまで行かずに出れるなら越したことはないけど、見つからない限りは基本最上階を目指そう」

「わかった」

 同時に、修理が終わる。すぐに羽織って、目的地へと進む。目指す場所はこの先800mほどのところにある。言葉を交わさずとも、2人とも若干早歩きでゆく。

 先ほどまでとは打って変わって、左右に続く店の数々を見ても気にも留めないレイア。話していた衣服が売っているのを見ても、入るそぶりすら見せない。

 こちらとしても、レイアをそこに誘っている余裕はない。上に行ってもこう言ったお店はあるはず。一旦は、安全が確認できるまで足を止めることはできない。

 レイアから最初の頃と似た空気が漂う。警戒しているからだろう。あの時は少し冷たさも感じたが、今は安心する。レイアが俺を信頼してくれているから、そして俺も警戒しなければならないからだろう。

 レイアを守る上で、彼女自身も警戒してくれていること、何より1人じゃないことはとても安心する。

 とはいえ、気を抜いている暇はない。目的地に着いたので、瞬時にエレベーターを起動する。さっきより若干動きが怪しいが、なんとか俺たちを運び切ってくれた。

 扉が開く。目の前の光景を気にするのは後にして、すぐに俺たちを運んでくれた機械に向き合う。コンピュータで操作し、電源を消す。目の前の箱が停止するのを確認して、ようやっと張り詰めていた空気が和らいだ。

「ふぅ、これでまぁ平気かな」

「なにしたの?」

「こいつがもう動かないようにした。電源切って」

「それ、下からつけられたら終わりじゃない?」

「下からは無理だよ。予想通り、上に行けば行くほど上流階級の人が住んでいたらしい。上が設定したものは、同じかそれより上の位からじゃないと変更できないみたいなんだ。だから、どう足掻いたってあの階からこちらには来れないよ」

 入口などと違い、このエレベーターが街のシステムが運用しているものでなかったのも功を奏した。

 おそらく、上の人々は下の人々が自分と同じところに来るのをあまりよしとしていなかった。だから、自分たち自身の手でそれらを制限できるようにしていたのだろう。根強い差別意識。共感はできなくても、理解はできる。

「……」

「どした?」

「いや、なんだかひどいなって」

「この制度のこと?」

「うん」

「こればっかりはどうしようもない。人類を滅ぼした一つの要因であると同時に、ここまで発展させた要因でもあるわけだからな」

「わかってる」

 俺も、分かっている。レイアが言っているのはそういうことじゃないんだろう。けど、それを俺がどうにかすることはできない。

「何はともあれ、これで一旦は安心だろうから。またこのフロアを探索しよう。さっきのところは全然出来なかったからな」

「思い出した、上に登るやつ探さないと」

「フックショット?」

「たぶんそれ」

「絶対どっかにはあるだろうな。それに、さっきより狭いし見つけやすいだろ」

「ていうか、あんまり景色は変わらないね」

「ちょっと木が増えたくらいか」

「それっていいことなの?」

「自然は心を豊かにするからなぁ」

「そういうもんなんだ」

「そういうもんさ。ほれ、行くぞ」

 道成に沿って進んでゆく。マップを得るために手短なお店に入る。お店の種類はわからない。理由は単純。

「ひどいね……」

「これじゃ、何売ってたのかもわからんな」

 一つ下の階とは比にならないほど荒れていたからだ。レジですらまともに動かないので、諦めて別の店を探す。が、どこに行っても状況は基本同じだった。

「なんだか、建物の中だけ別の世界みたい……」

 全くその通りだ。一見すると美しい街並み。だが、人の気配は一切なく、建物内は酷い惨状。先ほどより違和感を強く感じる。

「お、ここはそんなだ」

 街の中心部から離れた、端のほうにまだそれほど荒れていない店を見つける。どうやら骨董屋さんらしい。商品は埋もれてしまっていて何が何だかわからないが、レジはまともに動きそうだ。ここからなら、この階層のシステムに侵入できるだろう。

 少しセキュリティがあがっているが、問題なくシステムに入れた。まずはマップを探す。

 すぐに見つかったので、確認。思った通り、下の階より狭くなっていた。おそらく下の二分の一くらいだろう。上の階には、中心部のエレベーターから行けるようだ。先ほどはたまたま動いてくれたが、今度はロックされている可能性も十分ある。

 何か情報がないか、ニュースを開く。定期的に全体システムから送られているようで、本日の気温や、定期整備の連絡などがつらつらと書かれている。

 おそらく有用な情報はないので、読み飛ばしていく――あった。46年ほど前、システムによるものではなく、人の手によるもの。すぐに開いて確認。内容は、上からの食料配給がさらに減ったことに対する批判だった。

 言葉の節々から、それぞれの階層で大きな対立があったことが読み取れる。別のニュースでは、下の階層でのデモに関するものもあった。貼り付けられている写真では、機械が武器を持った人々を取り囲んでいる様子が写されていた。その下には、上流階級の人がインタビューを受けている写真もあった。

 どうやら、その人の家族が行方不明らしい。具体的な要因はわからないが、この感じだとやはり階層ごとでの対立、抗争がこの都市の崩壊の原因だろう。

「あったー!」

 背後で、大きな声。見ると、レイアがほとんど新品同然のフックショットを掲げていた。おそらく俺のものより新しいバージョンのもの。性能も俺のより良いだろう。

「買って買って!」

「よく見つけたなぁ。ほら、貸して。買うから」

「はい!」

 バーコードに通す前に、気になった記事を一応ダウンロード。ついでと思い、システムの定期連絡も一つダウンロードしとく。

「どうしたの?」

「あぁ、いや。色々分かってな」

 買い物をさっさと済ませ、中心部に向かいながら俺がニュースを通して理解したことを伝える。

「なにがあったのかな」

 俺の言葉を聞いたレイアは、しばし考え込んだ後に口にした。

「わからん。もしかしたら、はっきりした原因なんてなかったのかもな。

 食料だけじゃない、上の人たちの裕福な生活に対する嫉妬心、それこそ、友達が言ってるからなんて理由で対立していた人もいたかもしれない。

 そもそも、こんな階級制度を作った時点で破滅は決まってたことだろう」

「じゃあ、全員が平等ならこんなことは起こらないのかな」

「理論上はそうだけど、それでもきっといつかは終わるさ。永遠なんてないんだ」

 思えば、俺の隣にいるこいつこそ、最も永遠に近いかもしれない。だからなんだという話だが。

「ふーん……」

 興味がない、と言った感じではない。これまでの状況から、ある程度現状を理解できていたのだろう、落ち込んでいるようにも見えない。

「どーした?」

「いや、やっぱり変だなって」

「何が?」

「人の気配がない」

「やっぱり生存者はいないか。次が多分最上階だから、そこにもいなかったら――」

「いや、そうじゃなくって」

「?」

「死体が一切ないなって」

 言われて、気付いた。同時に、今まで感じてた違和感、見つけた情報、全てが繋がってゆく。

 瞬時に画面を開き、先ほどダウンロードした記事の一覧を表示する。迷うことなく、ある一枚を開く。俺の読みが正しければ、確実にあるであろう一文を探す。

「――そういうことか」

 あった。

「どうしたの?」

「分かった。多分。ここで何が起こったのか。あと、上に行く方法」

「ほんと!?どうするの?」

「まずは行く場所がある。向かいながら話すよ」

「? エレベーターじゃないの?」

「違う。ま、ついてきな」

 マップで位置を確認。幸い、それほど離れた場所ではなかった。なんなら、先ほどまでいたお店に近い。その理由も、なんとなく想像がつく。

 

「で、ここで何があったの?」

 痺れを切らしたように、レイアが尋ねる。

「起こったこと自体は単純、階級同士での争いだな」

「やっぱり?」

「そう。んで、この二階層が一番荒れていたのはここが主戦場になっていたから」

「でも、下から上には上がれないんじゃ無いの?」

「だったら俺たちもここに上がれなかった。ずっとロックが解除されてたってことは、騒ぎに乗じて下層の人たちがエレベーター付近を占領してたりでもしたんだろ」

「なるほど。それと上に行く方法とに何の関係が?」

「普通に考えて、下層の人がより良い生活水準の人たちに勝てるはずがないんだ。確かに人数では勝っていても、武器の差はそれを覆す」

「あれ?じゃあ、下層の人たちがエレベーターを占領できた話と矛盾しない?」

「だな。でも、この階層――中層って呼ぶけど、中層の敵は下の人たちだけじゃなかった」

「あ……」

「そう、上の人たち。上層の奴らだ」

 上層の人たちならば、全ての層に共通しているロボットを自由に操作できるはず。ならば、人数の差などあってないようなものだ。

「下層の人たちが上にあがれたのは、先に上層との争いが起こってたからだろうな。でも、これだけなら今まで見つけた情報に基づく妄想にしかならない」

「なんで?」

「明確な証拠がないから。ってかそこだよ。ストーリーは簡単に想像できるから、その決定的な証拠にまで目が向かなかった」

「証拠……」

「要は、死体。銃創のある死体一つで、これらの妄想は事実に変わる」

「でも、それが一切ない」

「ま、そこにさえ気づけばあっさりだった。なんなら、答えはシステムからの定期連絡に書いてあったぜ」

「なに?」

「これ。"公衆の害になるものは利権に関わらず撤去されます"」

「……どういうこと?」

「例えば、ただの汚れだったら店内であれば無視される。あくまで店内だから、公衆判定されないんだろう。でもこれが、店の中にありながら店の外にまで影響するものだったら?」

「……撤去される」

「そう。例えば、異臭のするもの――死体とかな」

「あ」

 そう、最初の違和感の正体。汚いにも関わらず、清潔感を感じる。その正体は、臭いだった。見た目に反して、一切の悪臭がない。

 理由は、悪臭のするもののみ取り除かれていたから。おそらく、食料品の中に保存食などしかなく、生鮮食品が無かったのもそれが原因だろう。

「でも、カードキーを持ってるのに物扱いされるの?」

「死体から生命反応がすると思うか?カードキーだって、提示されなきゃ確認しようともしない」

「でも……」

「機械は所詮機械だ。見た目から判断することもなければ、倫理観を気にすることもない。

 ただ、生命反応がない悪臭のする"それ"をゴミとして処理するだけだ」

 となれば、そのゴミの居場所はわかりきっている。

「だから、死体は最終処分場にあるはず」

「……上に行く方法は?」

「これだけ聞くと、滅亡したのは中層と下層だけで、上層にはまだ人がいることになる。でも、そうじゃないと思える理由があった」

「なに?」

「最初に見た遺体」

 ニュースを見た時、一枚の写真が記憶に残った。どこかで見た気がしたからだ。

「あの服は、上層の人たちと同じもの。初めから高貴な人だとは思ってたけど、写真を見て確信した。どうやら、身分を表すために上層では服が統一されてたらしい」

 インタビューの写真を思い出し、もしかしたらと検索すると、その旨の記事を見つけた。

「なのに、持っていたカードキーは下層のもの」

「なんで……」

「攫われて、盗まれたからだと思う。偶然かもしれないけど、最後の人の手による記事の数週間前に、上層の人が行方不明になったっていう記事があった。多分だけど、その人が――」

「……」

「その人から、中層の人たちは上層へとあがるための鍵、つまりカードキーを手に入れた。あとはパスワードさえ分かれば本人に用はない。むしろ、攫ったことがバレれば制圧される口実になる。だから、中層の人たちは彼を下層に追いやった」

 そうしても、下層に彼の居場所はない。とはいえ、上にあがる方法もない。彼に残された、戦火から逃げる唯一の方法が、さらに下へ行くことだったのだろう。

「カードキーはその持ち主の生命線だ。だから捨てられてもきちんと回収されて、別途保存されるらしい」

 そうこう言っているうちに、目的地が目の前に近づく。

「着いた」

 見えたのは、質素な鉄扉。鍵などはかかっていないようだ。異臭などは感じない。

「先に俺が中を見るから、レイアは俺が許可を出してから入ってくれ」

「――やだ」

「は?」

「わたしも見る」

「――平気か?」

「だいじょうぶ」

「……分かった。覚悟しろよ」

 レイアが若干震えながらも、力強く頷く。俺は俺で、一度深呼吸して覚悟を決める。

「よし、開くぞ」

「うん」

 せーので扉を開く。暗くてすぐには何も見えなかった。が、数秒でチカチカと電気がつく。目の前に広がっていたのは、気が滅入るほど大量に転がっている白骨死体だった。

「っ――」

 レイアの顔が強張ったことを感じる。俺も、一瞬吐きそうになったのを必死で抑える。目を逸らしそうになるのを理性で抑える。この現実から目を背けないために。

「ゴミは――」

「ゴミって言わないで」

「……悪い。そういうつもりじゃなかった」

「うん。分かってる」

「……ロボットが回収したものは、ある程度量が貯まってから捨てられるらしい。だから、人がいなくなってからずっとこのままだったんだろう」

 近くにある頭蓋骨に目をやると、穴が空いている。間違いなく撃ち抜かれたのだろう。

 言葉をかけるでもなく自然と、俺たちは手を合わせた。この数を丁寧に埋葬することなどできるはずがない。せめて、誰にも知られず死んでいった人たちへの敬意と、俺たちが覚えておくという誓いを込めて。

 目的のものは、横に逸れた部屋ですぐ見つけれた。落とし物センターのようなものらしい。長居はしたくなかったので、最後にもう一度一礼してそこを去った。

 中央のエレベーターへ向かっている途中、会話はなかった。気まずさや、気分の悪さからではない。ただただ、言葉が浮かんでこなかった。

 死ぬとは、生きるとは、彼らは一体どんな人たちだったのか。

 取り止めもない思考が、浮かんでは消えてゆく。

 辿り着くまで、長いようにも短いようにも感じた。カードキーを使い、ロックを解除する。

「ほら」

「――――うん」

 起動する。動き出した直後の振動はすぐに消え、静寂が続く。今度のエレベーターは俺の期待通りガラス張りだったが、それでもレイアからの反応は薄い。

 離れていく地上を俯瞰しながら、つい1時間前までの出来事を思い出していた。通ってきた道を目で追いかける。


――――――――――――――――――――――――


 たまたまだった。ふと、一つだけ異様な存在感を放つガラスの筒を見上げると、何かがその中を登っていくのが見えた。

 すぐさま、それが目的のものだと気づく。右の口角が自然と少しあがる。踏み込みの姿勢をとり、イメージ。溜めたエネルギーを、一気に噴出するような感覚で――


――――――――――――――――――――――――


 きっかけはわから。ない。ただ、眺めていた視界の端で、何かが光ったような気がした。俺が気づくより数瞬早く、レイアが身構えた。「ナニカ」の正体を察するには、それで十分だった。

 すぐ左にいるレイアの腕を掴む。こちらに寄せようとした時には、急速に近づくそれはもう目の前にいた。

 何が起こったのか、気づいた時には空中にいた。意識はなかったが、たまたまレイアを離さずいられたらしい。今度こそレイアをこちらに寄せながら、地上を見る。

 西方向に垂直に吹き飛ばされたようで、地面が急速に迫ってくる。高さ約80メートルからの落下。当然、対処方法など思いつかない。生存は諦め、とりあえず俺がクッションになるように体勢を整える。

 覚悟を決める暇もなく、衝撃。足から降りようともがくことも出来ず、背中から地面に突っ込んだ。

 当然の如く、意識が飛び散る。が、再生すると同時に激痛で意識が戻る。レイアを確認。今度も離さずいられたようで、骨は何箇所も折っただろうがすでにその跡は見えない。俺と違って死なずに済んだようだ。

 悠長に思考している暇はない。これまでの経験から、ある程度痛みには慣れた。どうせ時間が経てば治るのだ。体中の悲鳴は無視して立ち上がり、レイアを背後に隠す。

「ユート……!」

「大丈夫」

 自分に言い聞かせるように、短く答える。気づけば、相手は前方に歩いてきていた。

 格好は、前回襲撃してきたヤツとほぼ同じ。違う点があるとすれば、腕には何もついておらず、代わりにその両足にコンパクトな機械が取り付けられていること。

 俺が臨戦態勢をとっているのを見て、相手がため息をつく。

「大人しく捕まる気は?」

「……あると思うか?」

「ま、無いだろうね。ってか僕でもそうする。ただ、僕の立場からすると大人しくしてくれたほうが仕事が減るしね。そもそも、不死身相手に戦いたいやつがいると思う?」

「じゃあ見逃して欲しいかな」

「さっきのセリフ、そっくりそのまま返すよ。はぁ、女の子1人を連れてく楽な仕事だと思ってたのになぁ。不死身で殺してくる気満々のやつを、どうやって連れ帰るってんだ」

 レイアの予想通り、相手の狙いはレイアだけでなく俺も含まれるようだ。ならば、レイアには離れて隠れてもらいたい。庇いながらではろくに動けない。

「レイア」

「うん」

 もはや物分かりが良いと言う次元では無い。おそらくレイアも、自ら状況判断して自分は離れるべきと考えてたのだろう。

「一つ、聞いてもいいか?」

「なに?」

 呑気に、相手が答える。

「なにが目的なんだ?どうして、レイアを求める?」

 ずっと気にしていた疑問を口にする。

「生憎、僕割と新人だから、詳しいことは知らないよ。ただ、その神様の力を使うんだ」

「神様?」

「君のいう、レイアさ。神様の力を使って世界を再興し、彼女を救う」

「再興、救う?どうやってさ」

「前者は僕もよく知らないな。ただ、後者は知っている」


「殺すんだよ。囚われた、ひとりぼっちの神様をね」


 予想していなかったわけではない。が、これで確信した。コイツらは全員殺す。

「こっちも一つ、質問していいかな?」

「……あぁ?」

 なんとか怒りを抑えて答える。感情に流されすぎるな。確実に、目の前の相手をやるために。

「どうしたら諦めてくれる?」

「生憎、死ぬまで諦める気はないよ」

「? ああ、そうか。君は彼女と違って一応死ぬのか」

 少し考えるそぶりを見せる。襲いかかるか考えたが、この距離を瞬時に詰める手段が思いつかない。一旦は時間稼ぎに徹しよう。

「じゃ、君は再生しなくなるまでやればいっか。最悪あの子さえ居れば許してくれるでしょ」

 ニヤリと笑い、あちらも戦闘姿勢をとる。さっきの判断を後悔する暇もなく、ヤツが消えた。反応2割山勘8割でヤツの蹴りを防ぐ。

「っ!会う敵会う敵瞬間移動しやがって‼︎!」

 とは言え、今回は一応反応できた。戦えないことはないはず。

「やるな」

 ニヤリと相手が笑った、気がした。動く。呼吸で感じる。このタイミングだ。アレと同じなら、動きは同じ。さっきは正面からの普通の右回し蹴り。イメージはできてる。右腕の機械が光る。完璧に、イメージ通り作られたカウンターの動きは――

 空を切るだけだった。

「おっ?」

 背後で声がした、と同時に左脇腹を蹴られる。助骨どころか、背骨が折れた感触。受け身に失敗し、左腕もいかれる。50メートルほど飛ばされ、ようやっと止まった。

「な、んで……」

「なんで?ああ、さっきの動き変だと思ったら、そう言うことか」

 1人で納得しているようで、追撃はない。が、さっきはそう油断してやられた。気を抜かず、相手の様子を見続ける。

「あいつだろ?名前覚えてないけど、ああ言う奴らはオートマだから」

「はぁ、はぁ、オートマ?」

「そ。特定の動きをイメージして、それを反復する。うまくやると、一つの行動で瞬時にその動きをできるようになるから、普通はありえない速度で動き、攻撃できるようになるんだ。いわゆる格ゲーのコマンド技みたいなものだね。違うとすれば、初手が圧倒的に早いことかな」

 "かくげー"が何かは分からない、が人間離れした動きの正体は分かった。通りで、ただイメージするだけではアイツらのようにうまくいかないわけだ。

「でも、強くなるならそれじゃいけない。一度パターンを読まれたら今みたいなカウンターで一発だからね。おおかた、あいつが君にやられたのもそれが原因でしょ?」

「……」

 答えてやる道理はない。

「僕たちは違う。自分の意思で、動く。要は、マニュアルってやつさ」

「どいつもこいつもお喋りだな」

 怪我は治った。言っていることが全て本当なら、状況は絶望的。だが、弱音を言う余裕はない。

「せっかく親切に教えてあげてるってのに、失礼だねぇ」

「頼んでないことを、敵のくせにペラペラと。そういうの、舐めプって言うんだぜ?」

「あら?これで諦めてくれるかなって思ったんだけど、言ってる意味が分からなかったのかな?」

「まさか。おかげで何とかやれそうだよ」

「さっきっから虚勢ばっかり。それとも、自分に言い聞かせてるのかな」

 図星だが、顔に出さないよう気をつける。

「ま、いいさ。なら最初の予定通り……死ぬまで殺すだけだよっ」

 武器の性能はおそらく同じ。ならば、理論上は対抗できるはず。感覚でタイミングを測る。ここだ。動く。

 今度こそ、かろうじて彼が動いた方向を目で追えた。だが、次の瞬間には目が追いつかない。

 十分。ある程度、どちらに行ったのかはわかる。あとは気配と感覚で、視覚はダメでもその他の感覚を総動員して攻撃に反射する。

 最初の一撃と同じように、かろうじて右脇腹へ振り抜かれる蹴りを防ぐ。最初と違うのは、感覚ではなく意識して行ったこと。一度、理論的にできたならば次も可能だ。

 あとは、こちらが攻撃するだけ。とはいえ、あの速度の相手をどうやって殴れるだろうか。考えは二つ。

 一つは、カウンター。とはいえ、致命傷を避けるのが精一杯の現状では、こちらが一度死ぬ覚悟でいってもまともな打撃を与えることはできないだろう。

 ならば、やり方は消去法的に一つしかない。すなわち、ヤツと同じレベルの速度で戦うこと。仮に俺がその速度に行けるならば、当然相手に対応できる。先に言ったように、装備は同じ。ならば、ヤツにできて俺にできない道理はない。

 とはいえ、何をイメージすれば良いのか。どのようなイメージがあのような人間離れした速度と、それをコントロールする能力を実現しているのだろうか。わからない。ならば、今できる精一杯は――

「おっ!」

 目の前に迫ってきていたヤツが、俺の急速な前進に驚く。右に避けた相手に0コンマ何秒か遅れて、俺は左によける。

 こちらに直進してくる瞬間を捉えることに成功した。条件は整っている。あとは、ヤツの動きに全神経を集中させるだけ。まずは体を慣れさせろ。

 再度ヤツが近づき、右足を振り抜く。合わせて、俺も右足を振り抜く。

「なるほどね。僕の動きを真似てるのか」

 ニヤリと笑いながら、こちらに話しかけてくる。その間もヤツは動きを止めないので、こちらが反応する余裕はない。

 とはいえ、ヤツの言うことはあっている。俺は、彼の動きの原理を理解したのではない。ただただ、目の前の相手の動きに合わせて、それを即座にトレースしているだけ。

 目の前に見本があるのだから、集中してそれを見れば、それをイメージの対象として全く同じように動くことができる。

 相手からすれば鏡合わせの相手と戦っているようなもの。負けることはなくとも、勝つことはない。俺の視界から外れようと離れるならば、そのまま俺はレイアと逃げるだけ。

 不死身の俺らは気にせずこの都市から飛び降りることもできるが、相手はそうじゃない。あの感じからして、死ぬことはないだろうが動きに支障が出る程度には傷を負うだろう。つまり、ヤツにも退路はない。

 だが、それは俺がヤツの動きについていけている限りの話。わずかでも遅れれば、俺は完全に置いてかれる。今度は正面から来てなどくれないだろう。

 初動をつかめなければ、2度と彼について行くことはできない。俺が置いていかれるのが先か、俺がこの速度に適応するのが先か。

 だんだんと目が慣れてきた。ヤツの動きを追うのに余裕が生まれてくる。わずかな相手の初期動作から、次の動きを予想できるようになってきた。思考にも余裕が生まれる。ただのトレースから、まずは腕のみを自意識で操作する。

「っ!」

「……!へぇ」

 相手の拳を、考えて受けながらカウンター。その戦闘の中で唯一、圧倒的に遅い俺のカウンターは空を切るだけだった。

 それでもヤツの右ストレートを防げた。相手も、同じ動きではなく防御してきたことからこちらの成長に気づいたらしい。

「やるじゃん。ただの鏡合わせじゃつまらないからさ。早く君の意思で戦ってくれないかな」

「へっ!随分と余裕そうだなぁ!」

 だんだんと、体の支配権を取り戻してゆく。同時に、理解してきた。俺が今ヤツを目で追えるのは、慣れてきたからではない。加速だ。

 ヤツは、ただ速く動いているんじゃない。もしそうなら、その速度に追いつけている俺がこんな短時間で慣れれるはずがない。イメージが動体視力を強化してるのも少し違う。それだけならば、体への命令が追いつかないはずだ。

 つまりは、純粋な思考の加速。体ではなく、脳の加速だ。普通ならば、脳が加速しても体は追いつかず、世界が止まっている状態で思考ができるようになるのに留まる。

 だが、imp型の機械があれば話は変わる。イメージさえできれば、物理的限界を超えて体は動く。

 まさに、イメージを具現化するだけの従来のものでは不可能な、想いをエネルギーとし、自由に活用できるこいつだからこそできる芸当。こいつの、本当の解釈が深まったような感覚。

 もう、コピーの必要はない。概念的な、「思考の加速」というイメージの仕方ももう掴んだ。人との戦闘経験はこれで2回目だが、ただの戦闘技術ならばそれほど劣らない。治外区域で生き残るためには必要だったからだ。残った差は、不死身の体で覆す――

「――はぁっ!」

 左足の蹴りを避け、右拳を強く握る。様々な感情が混ざった決意を、そのままエネルギーへ。思考の加速とはまた違った、力が体中にみなぎる。それを全て右手にこめる。全力で、相手の腹部へ。

 すんでのところで、ヤツのクロスした腕に阻まれる、が良い感触。なすすべもなく、ヤツが吹き飛ばされる。

「ぐっ!やるねぇ……」

 致命的なダメージとは言えないが、相手に回復の手段はないのだ。持久戦となれば、ヤツに勝機はない。

「やっと追いついたぜ」

「追いついた?へぇ。随分と能天気な思考だ」

「そっちこそ。さっさとその余裕そうなツラを、泣かせてやるよ!」

「余裕そうな、ねぇ。僕は生憎根拠のない自信を持つような人間じゃないから」

「……何が言いたい?」

「実際余裕だってことだよ」

 今までと打って変わって、今度はヤツの笑みが消えた。動いた。今までの、2倍以上の速さで。

「なっ!」

 一瞬、思考が停止する。瞬きほどの時間。だが、加速した世界では致命的な時間だった。

 直後、ヤツの右腕が俺の心臓を貫いた。大量の血が逆流する。気にしている暇はない。もう一度置いてかれないため、血を吐き出しながらカウンターを仕掛ける。空を切る俺の右手。

「ぐっ。あ゙あ゙!」

 傷が治るのを待たず、次の攻撃に備えて加速する。心臓のない体。流石に痛みで顔が歪む。でも、何もしなければさらなる苦痛が待っている。

 右方向に飛び去りながら、相手を探す。見つけられたのは、ヤツが俺を地面に叩きつけてからだった。

「ごっ!」

 蹴られた方向を見る。が、もういない。状況が最初に戻る。勘と、俺でもそうするという予測から体を左に転がす。

 直後、すぐ右で衝撃。ほんの数瞬前まで俺の顔があった位置、ヤツの足が地面に突き刺さっていた。衝撃で吹き飛ばされながら、一旦逃げ場を探す。咄嗟の判断で狭い路地に転がり込む。相手の来る方向を限定した。これならば、俺にも反応できる。

 瞬く間にヤツはきた。正面から、何のフェイントもなく突っ込んでくる。撃たれたように、衝動的に全力で右拳を振り抜く。たまたまだが、完璧なコース。

 突っ込んでくる相手の顔に、クリーンヒット――する直前で、ゆるりとヤツが動く。スピードを一切殺すことなく、ギリギリで首を捻って避けられる。

 かろうじて、という感じではない。完全に見えてた上で、避けるのが容易だったからこその動きだった。

 回し蹴りが、俺の左脇腹に突き刺さる。壁に打ち付けられた俺に、間髪入れず拳が連続で飛んでくる。助骨が折れ、左肺が潰れたのを感じる。治りつつあった心臓は再度貫かれ、その他臓器も多く破裂しただろう。

 とはいえ、頭を潰されるのが一番まずいので反応できない以上、頭を守るしかできることはない。

「っ――」

 先ほど空振りした右手にはまだエネルギーが残っている。それを全て使って、押し付けられている壁を叩く。爆音。一撃で背後の巨大な建物が倒壊する。

 ヤツも連打をやめて、瞬時に逃げた。俺はあえて逃げずに倒壊に巻き込まれる。うまくゆけば、万全の状態まで再生する時間を稼げる。頭に当たる瓦礫だけ防ぎ、そのまま飲み込まれてゆく――

 倒壊が止まった。潰された臓器も、防ぎきれず下敷きとなって潰れた右足も再生した。覚悟を決める。決めた覚悟をそのままエネルギーに変えて、一気に放出。俺を閉じ込めていた瓦礫を全て吹き飛ばす。

 視界が広がった。律儀にも、ヤツは倒壊した建物の前で待っていた。

「不死身をうまく使ったアイデアだ。やるじゃん」

「偉そうに……何様のつもりだぁ?」

「少なくとも、君より強い人からのありがた〜い褒め言葉さ」

「まだ勝負は決まってないだろ?」

「命からがら、尻尾巻いて逃げたくせに。そっちこそ偉そうだなぁ」

「戦略的撤退だよ。強い言葉は、勝ってから言ってほしいね。身分不相応だぜ」

「はっ!お望み通りやってやるよ!!」

 煽り合いはここまで。先にヤツが動く。ほんの一瞬だけ目で追う、がすぐに見失った。

 散々強気なことを言いつつも、こちらにヤツに追いつく手段はない。思考加速してなお、アイツの速度には届かないし、目で追い続けることも叶わない。最初よりもさらに絶望的な状況。

 だが、こちらが圧倒的に不利であるということは、出来ることだって限られる。今俺が考えつく限りの手段だって、一つしか残っていない。ならば、迷う余地などあろうか。

 俺が持つ唯一の策、カウンター。それも自分の死を前提とした、言ってしまえばただの道連れ。俺の不死性を最大限活用する。

 おそらく、死ぬほどの攻撃を受けた上での、考えうる最大の隙をついた万全の攻撃でも、放てるのは一発だけ。一度致命傷を受ければ、万全の動きができなくなれば、先ほどと同じく一方的にやられるだろう。2度も同じ逃げ方は通用しない。全身全霊を、俺の全てを込めて、一撃で沈める

 ヤツも何かを感じ取っているのか、周囲を飛び回るばかりでなかなか攻撃してこない。いや、違う。加速している。トップスピードで、相手も一撃で沈める気なのだろう。この様子ならカウンター狙いなのも勘づかれているに違いない。

 上等。どのみち今の速度でも追えてないのだ。次の瞬間には体を真っ二つにされててもおかしくない。

 ならば、意識を集中しろ。だが、カウンターに気づかれて避けられるわけにはいかない。ギリギリまで引きつけて、相打ちに持ってゆけ。勘と、五感と、持ちうる全てを使って反射しろ――

 互いに、次の一撃に全てを賭けていた。だから、その「外側」の存在に気づくものはいなかった。


――――――――――――――――――――――――

 

 少女は戦いを追えていたわけではなかった。建物が倒壊して、いてもたってもいられなくなって来た彼女が見たのは、瓦礫の中に立つ少年とその周りを飛び回る何か。

 だが、その光景以上に彼女が感じ取ったのは、普通であれば気づけないだろう、少年の死への覚悟だった。

 死の気配という、見えない、感じ取れないはずのものを敏感に察知した少女は、相手が見えていないのに、瞬時に死の気配に向かって、すなわち少年のすぐ左側へ走り出した。自身の死の気配には気づかずに、いや、感じ取りさえできずに。


――――――――――――――――――――――――


 かろうじて、ヤツが来たのを察知する。左から。想定より速い。引きつけるなんて、高度な真似をしている暇はない。今から最速で動いて間に合うかどうか。いや、間に合わない。殺られる。どうする。どうしようもない。限界を超えろ、届かせろ――

 強いイメージにより僅かに加速する俺の体。が、想い儚く、貫かれる。相対する2人ともがそう思った。が、すんでのところで視界に何かが飛び込んできた。音もなく、それがヤツの右腕に貫かれる。

 意識外からの侵入者。時が止まった。1秒にも満たない時間だったろうが、互いに思考が静止する。

 ただ、今までの経験の差のおかげで、数瞬早く、状況を認識する。その正体がレイアだと俺は気づいた。

「――」

 言いようのない怒りが、困惑、理解といった全ての思考を凌駕して現れる。冷静な思考が入り込む隙間などなかった。

 左手をレイアの方に伸ばし、右手をさらに強く握りしめる。赤黒く、右手につけられた機械が光る。衝動的な、技術も作戦も何もない行動。今までの全てを超えた拳の速度は、止まることを知らず加速してゆき、音速を超えて、全てを置き去りにして振り抜かれる――

 

 その瞬間、先ほどまで15程度を指していた計測器は20をゆうに超え、30、50、80と加速度的に上昇してゆき、100を超えて、そのまま振り切れた。


 思考も何もない、ただただ感情のままに振り抜かれた音速の拳は左手でこちらに引き寄せられたレイアと入れ替わるようにヤツの右脇腹へと突き刺さり、音もなく、抵抗もなく、その前方と周囲の全てを吹き飛ばした。

 轟音。と同時に無音が訪れる。破けた鼓膜はすぐに再生した。機械は無事でも右腕はぐちゃぐちゃだ。見えていないが、原型がないのははっきりわかる。治るまでには少しかかるだろう。俺のイメージと、繰り出されたエネルギーに肉体が耐えきれなかったらしい。そんなことがあるのだろうか。

 土煙が消えた先には、全てが吹き飛ばされて広がる地平線と、体の8割を失い倒れている敵の残骸だけが残っていた。生死など、確認する必要もないだろう。そんなことより、よっぽど気にするべきことがある。

「レイア!」

 左手で抱えているレイアをゆする。貫かれたのは腹部の辺り。傷はすでに塞がっている。俺の声で、意識が戻ったようだ。ゆっくりと瞼を開ける。

「ん、ユート……?」

「大丈夫か!?傷は?痛みは?」

「たぶんもう治ったからヘーキだよ」

「……」

 ひとまず安心する。

「またコートが……。直しにいこ?」

「……あぁ」

 互いに傷は癒えていた。が、心が重い。体があまりいうことを聞いてくれない。ゆっくりと立ち上がり、歩みを進める。

 しばらく歩いていると、ふわふわとしていた思考が落ち着いてきた。だが、心のつっかえはまだ残っている。冷静さを取り戻すと同時に、心配とは別の感情が現れてきた。

「……なんで出てきた?」

「?」

「分かってただろ。出たらやられるって。なんで出てきた?」

「だから、死なな――」

「そういう話じゃねぇって言ってるだろ!」

 急な俺の大声にレイアが少し驚く。が、すぐに冷静に言い返してくる。

「何度も言ってるじゃん。それはこっちのセリフだよ」

「っ!」

「分かってたよね?というか、ユートが死ぬこと前提で動いてたでしょ」

「それは……それしか方法がなかったから……」

「ユートは不死身じゃない。でも、私は死なない。だったら、わたしがやられた方が――」

「死んだ方がいいやつなんていない。絶対」

「それはユートもだって言ってるじゃん」

「それは、そう、、だけど……!」

「分かってる?おかしいんだよ。ユートの言ってることも、やってることも。こわくないの?死ぬんだよ?」

「じゃあレイアは怖くないのかよ!」

「こわくないよ。死なないもん」

「それでも、痛みは――」

「ないよ。わかんないもん。もう」

「――――」

 なんとなく、予想はしていた。それでも、だからこそ、それをそんな簡単に――

「ふざけんな!!」

 レイアの胸ぐらを掴み、壁に押し付ける。今度は驚いていなかった。じっと、こちらを見てくる。

「痛みがわかんない?どんだけ苦しんできたんだよ!?いままで!」

「おぼえてないから。そんなの」

「覚えてなくても、体には刻まれてる。魂には残ってる。だから今そうなってんだろ!?そんなやつを、これ以上苦しませる理由がどこにあるんだよ!」

「だから、今度はユートが苦しむの?苦しんで、わたしとおんなじようになるの?」

「俺はならねぇよ!」

「わかんないでしょ、そんなの。それに、ユート今どれくらい痛みを感じるの?」

「――」

 言われて、気づいた。

「普通人は、銃に撃たれたら動けなくなる。あんな高さから落ちて、ケガもなおってなかったのに動けるわけがない。わかったでしょ?ユートも……」

 骨が折れていた。内臓だって破裂していた。それでも、今の戦いでそれらを意識することはほとんどなかった。レイアから血を貰う前に受けた傷より酷い怪我だって何度も受けていた。

 それでもあの時みたいに動けなくなることはなく、戦い続けることができた。それは、きっと――

「でも、だからって……」

「わたしはもう痛くない。苦しくない。これ以上良くなることも、悪くなることもない」

 もしかしたら、レイアが正しいのかもしれない。俺が間違っているのかもしれない。でも、今はよくわからない。それ以上に、何かが俺につっかかる。それでも納得できない何かがある。

「クソッ!」

 左手で壁を叩く。コンクリートにヒビがつく。おそらく骨も折れただろう、血が流れ出る。が、少し痺れるだけでやはり痛みはよくわからない。

 掴んでいた右手を離す。俺はもうレイアの目を見ていられなかったが、それでもレイアは俺の目を見ていた。

「……貸せ」

「?」

「コート。直してくるから、ここで待ってろ」

「……」

 しばしの沈黙。が、すぐに渡してきた。互いに言葉を交わすことなく、俺は顔さえ見ることなく。


「……」

 ただ黙って進む。初め通った時はワクワクした道を、隣にレイアがいて、あっちこっちにかけていくのを眺めながら歩いた道を。今度は、逆方向に。

 不思議な感覚だ。一歩ずつ、わずか数時間前の出来事がまるで何年も前のことのように懐かしく、それでも、ありありと思い出される。

 だんだんと気持ちが落ち着いてきた。冷静に考えてみれば、レイアの言ったことは合理的であったことがわかる。いや、そんなことはわかっていた。そう、そういう話じゃないんだ。ただ、納得がいかない。理性とかではなく、もっと感情的な話だ。

 でも、こんなことを言ったって納得してもらえるわけがない。そんなことはただの善意の押し付けだ。そんな善意は彼女を苦しめるだけだ。

 俺は決してレイアと対立したいわけじゃない。俺はただ、レイアを救いたい。

 でも、何から?

 彼女の歪んだあり方からか?

 じゃあ、どうやって?

 ……わからない

 そもそも、それは俺の一方的な押し付けなんじゃないか?

 …………そうかもしれない

 結局のところ、俺はただ自分の一方通行な思いを彼女に押し付けて、彼女を苦しませていただけなんじゃないか?それはただの自己満足ではないか?

 胸の辺りに鋭い痛みが走る。息が浅くなる。

 ポツポツと、雨が降ってきた。ここは屋外でない。人工のものだろう。わざわざそんな機能までつけて、ここに住んでいた人たちにどんなメリットがあったのだろうか。

 普段であればそんな悪態の一つや二つついていたところだろうが、今はそんな気も起きなない。頭ではわかっていても、この雨は天からの一種の罰のように感じた。俺が間違っていると言われているようだった。

 きっと、それもわかっていたのだろう。ただの自己満足だとどこかで気づいていながら、保身のために、自己中心的な欲求のために、それを見て見ぬふりをした。

 ならば、そんな自己中心的な考えならば、俺は彼女と一緒にいるべきでは――

「っ!」

 それは違う。それはきっと、何の解決にもならない。

 それでも、一度よぎった考えは頭から離れない。俺は、彼女といていいのだろうか。それは、彼女を苦しめるだけではないのか。

 そもそも、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。俺はどこで間違えたのか。どこでずれてしまったのか。この旅の目的は――

 アイツらから逃げるため。レイアと共に、生き延びるため。ならば、なぜレイアを守るのか?

 ……違う。これじゃない。これは俺の求めるものじゃない。この問いを続けても、答えはない。そもそも、この考え自身、何かが違う気がする。どこかで、自分の心に嘘をついている。

 では、何が違う?本当の、この旅の目的は……?

 あの家から、生まれてからずっといた家を出た時、俺は何を感じたのか。……恐怖?それもあっただろう。でも、何よりも覚えている感情が、一つある。

 期待だ。知らない世界への胸の高鳴り。未知への恐怖以上に、それらへの高揚が確かにあった。

 きっかけは確かに、レイアとの出会いだった。それでも、こんな旅をずっと願っていた。

 命を救ってくれただけじゃない。そんな機会を作ってくれたレイアへの感謝が、いつしかこんな独善的な思いへと変わっていた。

 きっとそれも、レイアのことをより深く理解したからだろう。かわいそうだと、報われるべきだと思った。それが俺の一方的な思いであったのに。

 それでも、今感じてるこの思いも決して偽物なんかじゃない。たとえ彼女がそれを望んでいなくとも、俺はそうあってほしいと思う。

 そう思ってほしい。報われたい、救われたい、助けてほしい、痛い、苦しい、そして、楽しい。

 ありふれた思いを、"誰かに強制されることなく"、自分自身で思ってほしい。

 雨は降り続けていた。手先が冷えて、感覚がなくなってくる。ようやっと、自分の握りしめた拳から血が流れていたことに気づいた。何気なく、傷ついた手のひらを眺める。血は流され、傷口は治っていく。

 原点に戻ってきた。最初から持っていたはずの道標を、気づいたら見失っていた。いつしか道から逸れて、迷って、苦悩して、傷つけて、思い返して、見つけた。

 今度は迷わない。覚悟はできた。決意は固まった。たとえ間違っていたとしても、偽物なんかじゃないこの思いを。そのために――


 修理が終わり、戻ってきてもレイアはいなかった。でも、前と違って俺の心は落ち着いていた。どこにいるのかはわかる。きっと……


 しばし歩いたところに、レイアがいた。先ほどの戦場。遺体があったはずの場所には、瓦礫でできた小さな山があった。

 前と違って、花は無い。雨の中、座って祈っていた。それとも、謝っていたのだろうか。

 きっとその両方だろう。

「……レイア」

「……」

 ゆっくりと、立ち上がって振り返る。雨の中、真っ直ぐとこちらを見ている。何を考えているのかまではわからない。そもそも、正直そんなことはどうだっていい。

「レイア、ごめん」

 深く、頭を下げる。

「……なんであやまるの?」

「間違ったことをしたから」

「……間違ったことって?」

「レイアを苦しめた」

 反応はない。彼女自身、それほど意識していなかったのかもしれない。もしかしたらこれも、俺の一方的な考えなのかもしれない。

 だからなんだ。今度はそうやって逃げるのか。

 あの時、きっと伝わらないからと後回しにした言葉を。今度はまた違う言葉、違う思いだけど。今度こそ、全部伝えよう。

「レイアはそう感じてないかもしんない。けど、俺のおせっかいが、レイアを守ろうとする行動は多分レイアを苦しめてた」

「……うん」

「だから、ごめん。自分勝手だけど、謝りたい。でも、やっぱりこの行動を変えることはできない」

「え?」

「こんだけ考えても、俺はレイアの考えは間違っていると思う。レイアは救われるべきだ。報われるべきだ」

「そんなこと、わたしは――」

「わかってる。レイアは願ってない。思ってない。そんなことは」

 悔しいけど、これまでの旅でそれを変えることはできなかった。

 そもそも、履き違えていたんだ。俺が犠牲となって守ることが、レイアにそう思わせることが目的となっていた。

 ある意味じゃ、目的と手段が逆になっていた。

「だから、決めた。そう思ってもらう。誰かに強制されるんじゃない。レイア自身に、救われたいと、楽しいと思ってほしい」

「……どうやって」

「今はまだ、わからない。でも、そのために俺が苦しむのは絶対に違うってことはわかった」

「ずっと言ってたじゃん」

「でも、それでレイアが苦しむのも違う。綺麗事だけど、誰も彼もが幸せになってほしい」

 正確には、ちょっと違う。俺は正直、レイアのこと以外はどうでもいい。でもきっと、レイアはそう思ってる。ならば、俺もそう願う。

「そんな綺麗事を語るには、世界はあまりに残酷だ。理想が存在するには、この世界はあまりに汚い。きっと、レイアが傷ついて、心を失ったのも、たぶん……」

 前々から思ってた。レイアは全員の幸福を願っていながら、その取捨選択ができる。一般人もこれ自体は可能だろう。

 ただ、見ず知らずの人のために自身の命を蔑ろにできる人に、この考えはきっとできない。

 理想を求めて、現実に傷ついて、その果てに見つけた諦めのようなものが、彼女の取捨選択なのだろう。

「この世界も、人も、思うほど美しくない。だから、こうやって滅びに向かっている」

「……」

「――でも!」

 言うべきことは決まってる。

「それでも、全部が全部そうなわけじゃない。それでもきっと、世界は美しい。だって、今までの旅の中で何度も感じた興奮は、胸の高鳴りは、思い出は、全部本物なんだから!」

 強く、吐き出すように声を出す。雨が弱くなってきた。わずかに光が差し込んでくる。人工の、偽物の光。

 それでも、これを作った人々の思いは、俺が感じる暖かさは偽物なんかじゃない。

「きっと、この先も苦しいことは幾度となく起こる。逃げ出したくなる、目を背けたくなることが、きっと何度も。

 でも、俺はこの旅を続けたい。いつか終わる日まで、この残酷で、くだらない、美しい世界をもっと見たいから。もっと、この人生を楽しみたいから。

 だから、レイアにも思ってほしい。誰かに思わされるんじゃなくて、自分自身で、自ら未来を願ってほしい。理想郷なんかじゃないこの世界で、今日も精一杯頑張るんだって。苦しくても、希望を持って進み続けるんだ――」

 雲の切れ目が、広がる。陽の光が、俺たちを照らす。背中を押されるように、ありったけの思いを叫んだ。

「明日、最高の笑顔になるために!」



 


「結局、俺は考えを変えないぞーっていう意思表明じゃん」

 しばしの沈黙の後、ゆっくりとレイアが答えた。

 その通り。ただただ、後回しにしていた思いを伝えただけ。何かが変わったわけでも、変わるわけでも無い。それでも、伝えたことに意味があったはずだ。

「言っちゃえばそうだな。でも――」

「うん、だいじょうぶ。たぶんわかったから」

 逆光の隙間から彼女の顔を覗く。笑顔、とはまた違う。何か、満足そうな、嬉しそうな。

「わたしも、わたしの考えはきっと変わらないと思う。でも、そうなれたらなーっとは思ったよ」

 そう簡単に、人の心は変わらない。互いに譲れないものがあるし、きっとそこに正解不正解はないのだろう。

 だから、俺たちがするべきだったのは押し付けることではなく受け入れること、そのために伝えることだった。

 思いは伝えた、伝わった。なら、今度は行動で証明する。俺が精一杯楽しんで、レイアにも楽しいと思わせて、人生を惜しいと思わせる。生きていたいと、自分自身を大切にしてもらう。誰かに強制されるのではなく、自分自身で、そう思ってもらう。

「……そ。なら、俺の今の演説も大きな意味があったよ」

「大演説だったね」

「うるせぇ。ほれ、コート」

「うん、でも今はいいかな」

 ぐーっと、レイアが背筋を伸ばす。眩しそうに手を翳しながら、空を仰ぐ。

「はれたねー」

「……だな」

 偽物の太陽。なんと綺麗なのだろうか。

 何となく、ここにいた人々が雨を作った理由が分かった気がした。

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