前文

 柔らかくって、温かい。懐かしい感覚だった。遥か遠い昔に感じた、この気持ち。一体いつぶりだろうか。意識が回復していく――


 うつらうつらとしていると、目の前で寝ている少女がゆったりと瞼をあけた。ぼーっとした様子で、しばし周りを見た後、こちらを見つめてくる。青い、綺麗な瞳がまるで俺という存在自体を貫くかのように、真っ直ぐこちらを見てくる。

「やあ。体は大丈夫そう?」

 意識がまだ混濁しているのか、若干間があった。一度口を開け、何を言えば良いのかわからなくなったかのように口を閉じる。

 しばらく視線を泳がせた後、ゆっくりと、慎重に、言葉を選ぶかのように

「あなたはだれ?」

 と尋ねてきた。

 あの後家にある機器で軽く健康状態をチェックした。心拍、外傷、熱、血液検査、その他諸々。専門的なものとは程遠い、素人でもできる簡易的なものだが、全てにおいてとても健康的であった。

 特段できることもないと分かったので、親父のベットで寝かし、起きるのを待っていたというわけだ。

 ここまでの経緯をかいつまんで少女に説明する。彼女はずっとこちらをぼーっと見ていて、俺の話が理解できているのか、そもそも聞いているのかもよくわからなかった。

「ところで、君はどこからきたの?」

「……わからない。どっか、とおいとこ」

 ずっと気になっていた疑問の答えは、ある程度想像通りだった。まだ混乱しているのか、答えがはっきりしない。

 なんなら、言葉も曖昧だ。思考がまとまっていないように見える。詳しい場所なぞ、今聞いても意味はないだろう。

 この質問は後回しにして、ほかにも気になっている幾つかのことを尋ねる。

「誰かといたの?両親は?」

「……ずっと一人だった。おや、は……わからない」

「一人でここまで?どうやってさ」

「あるいて」

 さも当然かのように答える。

「何か道具を持ってたの?無くしちゃったのかい?」

「なにも……もってなかったはず」

 いよいよわからなくなってきた。やはり混乱しているのか。一度休んでもらったほうが良いだろう。

「そうだ。お腹空いてる?なんか食べれるもの作るよ」

「たべる……」

 なにか、初めて聞く言葉かのような反応。その後、驚くべきことを言った。

「それ、なんだっけ」

「それって…は?食べるが?」

「うん」

「えっ?いや、ご飯を食べるって…」

「ごはん……あぁ。ご飯か。なくてもへいきだよ」

「平気って…でもお腹空いてるでしょ?」

「わかんない」

「いやいや。ずっとろくなもの食べれなかったでしょ。最後に食べたのいつさ」

「おぼえてない。ずっとまえだったとおもう」

 本当に何を言っているのか。だが、こちらを真っ直ぐ見てくる瞳は、嘘をついているようにも、適当言っているようにも見えない。こちらがおかしくなりそうだ。

 一度深呼吸をして落ち着く。

「はぁ。よくわかんないけど、なんか作るから。そこで待ってて」

 立ち上がり、厨房に向かおうとして大事なことを思い出す。

「そうだ。君、名前は?」

「なまえ……?」

「そう、名前」

 しばし考えるそぶりをした後、

「レイア」

 と答えた。

「レイア?」

「そう。たしかそう言ってた」

 この国では珍しい語感。「確か」や、「そう言ってた」と言っているし、地元でのあだ名のようなものだろうか。あいにく、学問に秀でているわけでもなく、そもそも受ける機会もなかったので、その意味はわからない。

「あなたは?」

「俺?」

 こくりと頷く。

「俺は夕斗。よろしくね」

「ユート……」

 反芻しているかのように、レイアはその言葉を繰り返す。

「じゃあ、すぐ戻るから」

 さて、何を作ろうかな。余っている食材を思い出しながら、ぼんやりとメニューを考えた。


「はい、どうぞ」

 そう言いながら、さつまいものお味噌汁を渡す。

 改めて、意思電力系統が一切の損傷なく済んで良かったと思う。最優先で守っていたので無事でなければ困るのだが、もし万が一壊れていたら俺の技術力じゃ到底直せない。

 一応スペアはあるが、変換効率、出力ともに大幅に低下する。家のソーラーパネル、風力発電などはスペアよりも供給量が少ないので、確認すらしていない。旧時代の遺物なので直せない上、元々壊れかけだったし、別に必要なわけでもないので、今度機会があればあの行商人に売りつけるなどすれば良いだろう。

 レイアはまじまじと俺の作った味噌汁を見ていて、一向に食べるそぶりを見せない。

「……もしかして、なんか苦手なものあった?」

「いや、そうじゃなくって…」

 首を振って

「ううん、だいじょうぶ。とってもひさしぶりだったから」

 と答える。彼女の手のひらには少し大きい器を両手で抱え、恐る恐る口を近づけていく。一度唇が触れて、ビクッとしながら口を離す。

「熱かった?」

「……」

 返事はない。もう一度、器を口に近づける。今度こそ、こくりと一口飲む。

「……!」

 ぱっと目が見開かれる。慌てたように、再度味噌汁を飲む。口が小さいからか、側から見るとたくさん飲もうとしているのに全然できてなくて少し可愛らしい。

「ゆっくりで良いからね」

 こちらのことなど意に介さず、美味しそうに食べ進めていく。

 しばらくして、食べ終えたレイアがぼうっと宙を眺めている。

「どうだった?」

「…おなかがぽかぽかする」

「美味しかった?」

「うん、たぶん」

 失礼な、とは思いながら、今まで親父以外で自分の作ったご飯を食べてくれる人はいなかったので、美味しそうに食べてくれるだけでこちらも幸福感を感じた。

 親父は基本寡黙だったので、俺が初めて料理を作った時以外、美味しいはもちろん、ろくに俺の料理の感想を言ったこともなかった。

「はは、それは良かった」

 そう言いながら、器を洗おうと手に取ると

「もっとほしい」

 と言ってきた。

「……やっぱりお腹空いてんじゃん」

「わかんない。そうなのかも」

「おっけー。でも、いきなりたくさん食べるのは良くないから、あと一杯だけね」

「わかった」

 これで俺の分は無くなってしまう。が、今が嬉しいので万事OKだ。細かいことは後で気にすればいい。今はこの楽しさ、喜びを味わえばいい。そう思いながら、俺は再度器に味噌汁を注いだ。


 今度はあっという間に食べ終えたレイアが、目の前で幸せそうに座っている。

「さて、っと」

 俺も目の前に腰かける。レイアもすっとこちらを見る。

「改めてさ、いくつか聞きたいことがあるんだけど」

「……?」

「どこから…は分かんないか。外で何をしようとしてたの?」

 途端、レイアの顔が緊張する。

「いかなきゃ、」

「ちょっ」

 立ちあがろうとするレイアの肩を抑える。

「待って待って。怪我はなかったとは言え、潰されてたんだからしばらく安静にしなくちゃ」

「もうへいきだから」

「平気って……。そもそも装備は?そのまま何も持たないでいくの?」

「うん」

「いや…危ないから」

「へいき」

「いや、だから、確かにここまでは平気だったかもしれないけど、それだって本当に奇跡的なことだったんだよ?外を歩いてきたんだからわかるでしょ?そもそもどこに行こうとしてんのさ」

「どっか、遠く」

「は?目的地は?」

「ないよ」

 唖然とする。要するに、あてもなく、ろくな準備もなしに治外区域を旅するということだ。何という自殺行為だろうか。

「絶対ダメ。とにかくここで安静にしていて」

「だいじょうぶだから」

「何を根拠に言ってるのか分かんないけど、絶対大丈夫じゃないから。いいからここに居て。せめて2日は寝て食べて、ゆっくりして。こっちも装備を用意したり、何かしら考えるから」

 食べる、と聞いて、レイアが少し固まる。先程まで頑なに平気と言い返してきたのに、今度は何も言わず俯いている。何か迷っているようにも見える。

「とにかく、俺は外で色々してくるから。そこで大人しくしてて」

 俯いているレイアを横目に部屋を出る。反論してこないあたり、勝手に出ていくことはおそらくないだろう。


「さてっと」

 少し大きな台車を片手に、目の前の瓦礫の山を眺める。

「これ全部入るかなぁ」

 先ほどの通り、外に野放しに置いておくのではさまざまな危険がある。何か食べ物となるようなものがあれば、野生動物もやってくる可能性がある。貴重なタンパク源だが、棲家にされたり、大量にやってこられると対処しきれない可能性がある。

 そのため、まずはこの瓦礫の山を、別のわりかし無事だった小屋に移動させることにした。

 台車のタッチパネルを操作し、モードを変更。手のひらをあて、目を閉じる。

 物を乗っけて運ぶ様子をイメージする。ある程度具体的にイメージできると、いつものように想像していた様子がスッとボヤけて、薄くなり消えていくのを感じる。ピーっと音が鳴ったので、目を開ける。

 これでエネルギーの補給はできた。台車を瓦礫の下に滑り込ませる。純粋な俺の力では持ち上げられない。が、タッチパネルをもう一度操作する。いとも容易く台車が持ち上がる。そのままもう一度操作し、台車を自動で動かす。

 戻ってきた台車をもう一度チェック。バッテリー残量を確認。

「一回チャージで4周ちょいかぁ」

 この感じだと今日はできて五分の1程度しか片付けられないだろう。もっと俺にこの分野の才能があれば一回で何十周もでき、効率が上がるだろうに。

「いかんいかん。ネガティブは無しだろ」

 両頬を叩き、今一度集中し直す。どれだけできるかは関係ない。

 明日最高の笑顔になるために、頑張ろう。


 何度かチャージを繰り返すうちに空が暗くなってきた。作業を終了し、レイアの元へ行く前に、ふと思い出し倉庫を見に行く。


 用事を済まし、本拠点に帰る。

 レイアは言われた通りベッドの上で座っていた。何を考えているのか、ただ夕暮れを眺めている。その横顔に一瞬、寂しさのような物を感じたのは気のせいだろうか。懸念を振り払うように、明るく声をかける。

「お待たせ。今から夕ご飯作るけど、何か食べたいものある?そんなにメニューあるわけじゃないけど」

 こちらに気づいたレイアが振り返る。あまり元気のない声で、

「わかんないし、なんでもいいよ」

 と答える。だろうな、とは口にしない。

「りょーかい」

 どうせ食材の残り的に作れるものなど限られている。一度言ってみたかっただけなので、特に気にせずキッチンに向かう。


「はい、どーぞ」

「おぉ……」

 湯気が出ている、野菜と肉の煮物をレイアが目を輝かせながら見ている。昼より格段に良い反応。こんなことで喜ぶ自分が少し照れくさい。誤魔化すように自分の料理も置き、席に座る。

「じゃあ、いただきます」

「いただきます?」

「ん、知らない?」

「きいたことはある気がする」

「……記憶喪失?多分これはどこでも普通だろ」

「ちがうと思う。そこそこおぼえてるし」

「怪しいなぁ。けどまぁいっか」

 色々と不思議な要素はあるが、今更気にしても答えは出ないだろう。そのうちなるようになるはずだ。

「えっと、何だっけ?いただきますについてだっけ?」

「うん」

「いただきますは、何だろうな。食べ物への感謝みたいなものかな?」

「たべものに?」

「そう。命をいただいてるわけだからね」

「なるほど。じゃあ、とってもだいじだね」

 いただきます、とすぐに真剣な顔をしてレイアが言う。正直いただきますの意味など今までほとんど気にしたことなかったし、普段一人だと滅多にやらない。

 今回だって、ただの習慣でふと出た言葉に過ぎない。ただ、レイアの言葉、行動には妙に心があった。今日一日の中で一番彼女の感情が出ていた気がした。

 そんなことを思っているうちに、気づくとレイアはどんどん食べ進めていた。とても美味しそうに食べるレイアを見ると、こちらもお腹が空いてくる。俺もさっさと食べることにしよう。


「いやぁ、我ながら良い出来だった」

「たぶん、おいしかったよ!」

「たぶんかー」

 言いたいことは分からんでもないが、妙な言い方に笑いが込み上げてきた。笑われている理由がよくわかっていないのか、レイアはぽかんとしている。

「じゃ、俺は後片付けとか色々してるから、レイアはもう寝てて良いよ」

「……うん」

 歯切れの悪い返事。だが、顔を見てみても何を考えているのかは分からない。きっと、聞いても答えてくれないだろう。

「じゃあ、おやすみ」

「……」

 今度は返事がなかった。一瞥するが、彼女は俺に背を向けていて、今度は顔も見えない。諦めて電気を消し、部屋を後にする。


 洗い物と軽い掃除を終えた俺は、夜ご飯前に来ていた倉庫に向かっていた。今日はそこで最後の仕事をしたら寝ようと思っていた。ふと、レイアのことを思い出す。家の前だったので、起こさないよう静かに窓から覗く。

「……!」

 いない。あの時いたベットは無人になっていた。

 正直予想していなかったわけではない。が、実際に起こると焦るものだ。念の為と部屋の出口に仕掛けておいた熱源センサーを確認しに行く。見て、再度驚く。

 一切記録がない。気づかれていたのか。いや、気づかれていてもこれを避けるのは相当難しい。それ相応の知識と熟達した技術がなければほぼ不可能だろう。

 知っているはずの常識を知っていて、普通知らないはずの知識を知っている。ますます彼女のことがわからなくなった。が、今はそんな場合ではない。彼女が行くであろう場所を想像する。

 今日、彼女を俺はあの小屋で発見した。その後の様子からして、この家はそれまでに通っていない。この家は柵で囲われた俺の敷地内の中心なので、一度でも敷地内に入れば多少目につくはず。何なら、あんな小屋に向かう以前にここにくるはずだ。

 つまり、レイアはあの小屋方面から来て、その対角線付近に向かっていたことになる。

 あっているかはわからない、適当な推論だが、お世辞にも賢いとは言えない俺の頭ではそれ以外に何も考えつかない。焦る心を落ち着かせながら、俺は走り出した。


「はぁ、はぁ。い、いた!」

 その後すぐ、柵の出入り口を探しているレイアを見つけた。どうやら、彼女が部屋を出てから割とすぐ俺は気づいたらしい。

 俺の存在に気づいたレイアが、困ったような顔をする。

「なんできたの?」

「何でって……危ないからだろ。さっきも言った通りだよ」

「だからへいきだって」

「いや、だから…」

「それより、はやくいかないと。ユートの方があぶない」

「はぁ?俺?」

 何を言っているのかさっぱりわからない。

「じゃあ、さよなら」

「ちょっ!」

 柵を登って行こうとするレイアの手首を掴む。

「だから待っ」

 瞬間、家の反対側から爆発音。咄嗟にレイアの頭を覆い、身を伏せる。空を見ると、反対側で煙が上がっている。

「何だ!?」

「……きちゃった」

 知っているような口ぶり。レイアを見るが、暗くて表情がよく見えない。

「来たって何が!?」

「……」

 返事はない。

「っ!とにかくここで待ってろ。何があったのか見てくるから」

「ダメ、いっちゃ」

「すぐ戻るから!」

「ダメ。死にたいの?」

 感情のこもってない言葉。だが、冷たいナイフのように俺の心を刺す。

 分かっている。理性ではなく、本能が気づいている。事故なんかじゃない。何かがいる。行ったら確実に殺られる。

 言い返そうとするが、言葉が出ず口篭った。その瞬間、またしても爆発音のような轟音。今度は、先ほどまでいた本拠地の左半分がふき飛び、半壊する。今度は声も出なかった。直後、

「あら。二人?」

 知らない声がその方角からする。

 いつの間にか、前方15メートルほどに、見知らぬ女性が立っていた。

 バッグは持たず、身軽だがしっかりとした、最先端の技術でできているであろう防護服。右腕にはその体格に見合わない巨大な機械が、不恰好に着いている。全く知らないものだ。だが、俺の本能が叫ぶ。アレだと。アレが俺の家を粉砕したと。

「誰だ?」

 レイアを背後にやりながら、震える声を抑えて聞く。

「どうでも良いでしょ。それより、その娘を渡しなさい」

「何でさ」

「死にたくないでしょ?」

 本気だ。間違いなく、断れば一切の躊躇なく殺られる。けど、

「嫌だね。見ず知らずの野郎に、家ぶっ壊されて、挙句理由も説明せずに命令だあ?聞くわけねぇだろ」

 レイアを渡せば俺は助かるかもしれないが、レイアがどうなるか分かったものではない。

「あっそ。じゃ、良いのね?」

 彼女が構える。恐怖心を抑えて、レイアを背中に寄せる。彼女を守る意図もあるが、これならあの規模の攻撃は出せないはずだ。迂闊に手は出せないだろう。

 しかし、思いとは裏腹に、彼女の右腕の機械は何かをチャージしているかのようにひかりだす。空気が振動する。

「良いのか?お前の欲しいやつも死ぬぞ」

 戦って勝てるはずもない。少しでも、まともに話し合う機会を作るために声を出す。すると、驚いたように言った。

「あら?知らないの?」

 彼女がニヤリと笑ったのを感じる。次の瞬間、彼女が消えた。そう思った時には、体が左に吹き飛ばされていた。遅れて、とてつもない衝撃と痛みを右半身に感じる。何かにあたり、それをぶち破り、その先の何かに背中を打ち付けたのを感じる。

「がはっ」

 血を吐き出した。見ると、瓦礫を片付けた古屋だった。壁を何枚か突き破ったようである。

 右腕はぐちゃぐちゃに折れ曲がっており、一切感覚がない。おそらく内臓もいくつか潰れている。瓦礫の一部か、パイプのようなものが右肺あたりに突き刺さっている。

「ぐっ!」

 どうでも良い。そんなことより、痛みを我慢して周りを見る。

「……!」

 いた。俺の左後方に、レイアが横たわっている。右手が吹き飛んでおり、左足は逆向きに折れ曲がっている。どう考えても致死量の血が流れ出ている。俺と違い一切の装備が無かったからか、俺よりも容態が酷い。彼女の目からは生気を一切感じない。

「クッッソ、、が!」

 何とか、レイアの元へ向かおうとする。なにか、まだ出来ることがあるかもしれない。

 左に倒れ、這いずって行こうとする。が、壊れかけの左手だけでは体が動かない。うつ伏せになったまま、必死でもがく。当然、何も起こらない。

 だんだんと意識も遠のいていく。俺だって、冷静に見れば即死でもおかしくない怪我だ。

「あ゙あ゙っ!」

 守れなかった。何もできなかった。何も為せずに、俺も、彼女も死んでいく。苦しい。悔しい。一体何が?わからない。ただただ、感情が溢れ出てくる。

 冷静に思考する余力は残っていない。もがくことさえ、まともに出来ない。体の主導権が失われていく中で、純粋な感情のみがその存在感を増してゆく。

 が、自身の存在を唯一認識させてくれていたそれさえも、ピークを過ぎるとどんどん薄くなっていった。

 もう声も出ない。意識が遠のく。自我が、俺という存在が消えて――

「ねぇ」

 一気に、自己が戻ってくる。どこにそんな力が残っていたのか、弾かれるように顔を上げる。

 

 そこには、レイアが立っていた。

 折れ曲がっていた左足は何事もなかったかのように戻っている。体中の傷も見当たらない。唯一、吹き飛んだ右腕だけがそのまま――

 いや、右腕が修復されていってる。傷口から、急速に腕が再生していっている。

 思考が追いつかない。呆然としている俺を見ながら、レイアは言った。

「ユートは生きたい?」

 何を言っているのか、何が起こっているのか。何も分からない。相変わらず、俺はいつ死んでもおかしくないほどボロボロだし、思考もうまくまとまらない。

 それでも、彼女の一言はしっかりと俺の心に伝わった。言葉は出ない。体ももう動かない。それでも、彼女の目を見て、全身全霊で伝える。

 死にたくない。まだ、生きていたい、と。

 ちゃんと伝わったのかは分からない。が、レイアは答えるかのように小さく頷き、

「わかった」

 と答えた。そういうと、レイアはすでに治りかけていた右腕を、手首の辺りから折った。

 血が噴き出る。その血を、俺の口に流し込んだ。

「のんで」

 冷静に考えれるほどの思考力はすでになくなっていた。言われた通りにする。鉄の味。気持ち悪い。直後、体中に激痛が走る。

「がぁっ!」

 思わず声が出る。声を出すとさらに痛む。痛みはどんどん増して――

 いや、逆だ。今度は痛みがおさまっていく。見ると、怪我がありえない速度で修復している。

 そうして、気づいた。最初の痛みは容態が悪化したから生じたのではない。体が正常に機能したから、本来あるはずの痛みを感じたのだ。

 何が起きているのかはわかる。が、なぜかは分からない。あっという間に、立ち上がれるほどに回復した。腕や足を眺める。先ほどの傷が夢だったかのように、跡形もなく消えている。

「これでユートはほぼ不死身になったから」

 呆然としている俺を横目に淡々と語る。

「えっと……」

「おい」

 聞き覚えのある声。見ると、ヤツが立っていた。

「どういうこと?何で生きて……!!まさか、与えたの?」

 勝手に会話が進んでいく。俺だけ着いていけてない。

「どういう風の吹き回しぃ?学んだんじゃなかったの?」

「なんでだろうね。わたしもよくわからないや」

 レイアが答える。

「あっそ。ま、何だって良いわ。再生しきれないほどぶっ潰せば良いだけだしねぇ!」

 再度、何かをチャージし出す。そうだ。この危機的現状は何も変わっていない。アイツは一撃で俺を殺せるし、俺にはそれに抵抗する手段が何もない。

 どうする。長々と考えてる暇はない。咄嗟にレイアを抱えて、窓から外に飛び出す。奴の視線から外れた瞬間、伏せる。

 直後、頭のすぐ上を轟音とともに何かが通り過ぎた。振り返ると、小屋の上半分が吹き飛んでいた。開けた視界の少し遠くで、本拠点も2階より上が消えているのが見える。

「っ!」

 止まっている暇はない。だからと言って、障害物がないので、この小屋から出るわけにはいかない。転がり込むようにして、柱の後ろに隠れる。

「どうするの?」

 レイアが聞いてくる。

「ははっ!どうしようかなぁ?」

 不思議と笑えてきた。今日一日、意味不明なことだらけで頭がおかしくなったのか、恐怖心はほとんど消えていた。

 代わりに少し、いやかなりムカついている。アイツは、一切躊躇いなく俺たちを殺してきた。傷は治っても、痛みは覚えている。体に、心に深く刻みついている。

 腹が立つ。躊躇なく、あの様に人を傷つける人間がいることがムカつく。

「やられた分はやり返さないとなぁ!」

 そうだ。アイツは一度殺してきたんだ。痛かった。苦しかった。しかも、また俺たちのことを殺そうとしてきてる。ただそれを受け入れるなどありえない。するべきことは一つだけ。全力で抵抗する。そのために、今ある武器を考えろ。何が出来る。今の手札で、アイツを殺す方法は。

 思いついた。一つある。でも、そのためには――

「信じるぜ」

 レイアにつぶやく。彼女が何かいう前に、俺は走り出した。目指す場所は決まっている。

 ……あった。家が半壊されても、奇跡的に残っていたそれを手に取る。凝縮された時間の中でそれを操作し、チャージ。チャージを終える前に走りでる。止まって、集中している暇はない。相手に考える時間を与えない。俺がヤケクソになっていると誤認させるために、一息に終わらせる。

「うわぁぁぁ!」

 左手で前方10メートルほど先にいるヤツに殴りかかる。この暗闇だ。右手で背後に隠しているソレには気づかないはず。

「はっ!良いねぇ!!」

 ヤツが楽しそうに口にする。直後、先ほどと同じ様に消える。あとは、賭けと気合い。細い細い、僅かな勝機を、全てを持って掴み取れ――

 まずは二つの賭けに勝った。

 一つ目は、タイミング。当然、アイツが動いた瞬間に俺は反応できない。

 だから、見てではなく勘で振り向く。こちらに有効な攻撃手段がないと思っているからか、先ほどと同じ様にタイミング自体は分かりやすかった。

 警戒されてずらされたら終わりだったが、それもなかった。我ながら、完璧なタイミング。これなら俺の背後のソレに気づかれて引かれることもないはず。

 二つ目は、位置。先ほど、俺は左に吹き飛ばされた。おそらくヤツの攻撃手段はあの右手の機械。先ほどから、目に見える動きではヤツは攻撃する時にその武器を右から左に振り抜く。

 それなのに先ほど俺が左に吹き飛ばされたという事は、ヤツは俺の後方に移動し、俺たちを薙ぎ払ったということになる。

 保証はない。というか、ほとんど勘みたいなものだ。だが、それ以外に考えは思いつかない。さっきと同じ攻撃で来ることを信じるしかない。

 予想通り、ヤツは俺の背後にいた。驚いた様子でこちらを見ている。だが、止まる様子はない。当然だ。ヤツは俺に反撃手段がないと思っている。

 高速で、今度は俺の左半身にとてつもない衝撃が加わる。右足で踏ん張り、その場に何とかとどまる。

 再度、今度は大いに、ヤツが驚く。

 もちろん、ただの力比べで俺がヤツに勝てるはずもない。

 でも、これを使えば話は変わる。imp型のチェーンソー。これは、ただイメージをエネルギーに変える機械では無い。imp型の機械の本領は、強いイメージがあれば外的要因を無視してそのイメージを現実に変えることにある。

 右手のチェーンソーを強く握る。イメージするは、ヤツを切った姿。だが、俺の想像力が足りないのか、その場に留まるので精一杯である。

「うおおおお!」

 相手のギアが上がる。耐えきれず、膝立ちの様になる。地面はひび割れ、左腕はおそらくペシャンコ。踏ん張っている右足も、動いているのが不思議なほどボロボロだ。

「ぐっ!!」

 このままだと押し負ける。考えてみれば当然だ。相手は一発で家を吹き飛ばす化け物。一般人の俺が、こんなチンケな装備で勝てるわけがない。常識的に考えれば当然のこと。

 だが、関係ない。そんな常識ごと斬り捨てる。もっともっとイメージしろ。思い出せ。ここでやりきれなければ、次はない。また無惨に俺もレイアも殺される。こんなヤツにレイアが連れてかれてどうなるか、明らかだ。

 全力で抵抗しろ。この理不尽を覆せ。怒りも、痛みも、全部全部、俺という存在の全てを――


 斬り捨てろ!!!!

 

 咆哮する。右手のチェーンソーがかつてないほど光りだす。歯の回転が急激に加速する。一息にヤツの右手を押しのけ、瞬く間に、今度は俺の右手が振り抜かれた。

 チェーンソーらしくない、キンッと、澄んだ音がなる。先ほどの喧騒が嘘の様に、静寂が訪れる。直後、目の前のヤツの上半身が、腰のあたりからずれ落ちていった。右腕の機械が音を立てて外れる。

 最後の賭け。それは、レイアを信じること。ここまでの作戦では、良くて相打ち。でも、彼女のいうことを信じるなら――

 体中の傷が、またしても急速に回復していく。

 ……勝った。

「は、、は、は」

 目の前で倒れている、名も知らない女が笑う。

「さっさと、、行きな。ぐずぐず、してると、、、次が来る、、ぞ」

「……」

 俺と違い、回復手段はない様だ。当然と言えば当然。普通、人は一度死ねば生き返らない。俺はコイツを殺した。どんな理由があれ、その事実だけは変わらない。

 かける言葉などない。虫の息のソイツをそのままに、俺はレイアの元に向かった。

「おわった?」

「……あぁ。」

「そう。じゃ、いこ?」

「…………あぁ。」

「? だいじょうぶ?」

 意識が朦朧とする。傷自体はもう完治している。だが、体が重い。頭が重い。自己が希薄になっていく。レイアの言葉が遠くで聞こえる。何か、言わないと。なんて言っているんだろう。

 先ほど死にかけた時とは似て非なる感覚。自我が消えていくと言うより、薄くなっていく。

 そのまま、先延ばしにしていたツケが回ってきたかの様に、今度こそ俺は倒れた。

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