二度目のさよなら

@kasuka_124

遺言

 親友が死んだ。

勿論、言葉の意味そのままで。体中のどこを触っても、温かさを感じない。これが極度の冷え性ならどんなによかったことか。残念ながら親友は、平熱が少し高い人だった。


 親友が死んだ。

死因は交通事故らしい。詳しいことは聞けなかったし、聞きたくもなかった。ある程度聞いた話では、どうやら人助けの末らしい。とても親友らしい行動だと思った。けれど、そうだとしても、親友を褒め称える気にはならなかった。


 親友が死んだ。

どうして死んだ。なんで、なんであいつなんだ。この世に死んだ方が良い人間なんて、他にいくらでもいるだろうが。レジでイヤホン外さないやつとか、ポイ捨て平気でするやつとかさ。

 でも、神様はあいつを選んだ。いや、神様はいるのか?そうだとしたら、あいつの人生は、生まれてきた瞬間から、死ぬことが決まっていたのだろうか。俺と同じ年に生まれ、俺の誕生日で死ぬ。俺が、二十歳の誕生日で。

「誕生日に命日とか、冗談だろ」

誰にも聞こえないくらいの、小さなため息をつきながら呟いた。冗談ではないことは、もうとっくにわかっている。それでも、俺のごちゃ混ぜになった、まるでゴミ箱のような感情が、それを受け止めることを拒否していた。

スタッフから受け取った白い菊の花を持ち、親友の顔を覗き込む。やけに綺麗だった。

 何か、言うことはないか。最後の言葉を何にするか考える。親友の横たわった、不気味なくらい整った顔を見て、自然と、親友との最後の時間だということを実感した。いや、実感してしまった。これが終われば、親友は姿を消す。沢山の花に包まれた後、炎の中で静かに消えていく。故人の殆どが通ってきた道のりを、親友もまた、進んでいく。俺がここで何を伝えようが、親友からの返事は帰ってこない。それがやけに馬鹿馬鹿しくなって、思わずこう言った。

「遺言くらい、残しとけよ」

ありがとうとか、元気でなとか、もっとふさわしい言葉はある。でも、俺がそんなことを言ったらきっと、サムイわ、とか言うんだろう?なら、ふざけ半分で話しかけるのが、俺ららしくていいんじゃないか。最後の言葉とか、格好つけた台詞はいらない。いつも通りの、親友とのやり取りが、快く見送れる、親友にとってのエールになれば充分だ。

親友の顔のそばに、そっと花を添え、親友から離れていく。ああ、やっぱり寂しいな。これからどんなに年を重ねても、お前と一緒に過ごせないのは。とどめなく溢れてくる涙を拭わずに、天を見上げたその瞬間、会場がざわざわと騒ぎ出した。葬式だというのに、この騒ぎはおかしいと思い、親友のいる棺の方に振り返ると、

「…は?」

棺の中から起き上がった親友の姿がそこにあった。

「朝陽!これ、どういう状況―」

それはこっちの台詞だろ。と、その場にいる全員が思ったことだろう。驚く人、呆然とする人、中には恐怖を感じて叫ぶ人もいた中、俺はただ一人

「お前、一回死んだんだよ」

と、あんなに受け入れ難かった親友の死を、冗談抜きで伝えてやった。



「んで、なんで生き返ったのかは全くわからないと」

「そー、お医者さんも腰抜かしてたわ。」

「当たり前だ」

 親友が生き返った。何事もなかったかのように会話もするし、なんなら目の前で呑気にアイスを食べている。五体満足ではあったものの、念のため一日だけ病院にいることになった親友は、どうやら自分でも何が起きているのかわかっていないらしい。

「正直記憶も曖昧なんだよなー、事故ったっていうけど、なんでそんなとこいたんだろ」

「それは…お前しかわからないだろ」

「はは、確かに」

 思えば、親友が死んだ場所は馴染みのない土地だった。近くにショッピングモールや、観光名所があったわけではないし、交友関係の広い親友が一人で出かけるのは妙に引っかかる。どこを行くにも誰かが隣にいるような親友が、何故。

「あ、そういやさ」

「ん?」

食べ進めていたアイスを急いで最後まで食らい、ベッドの上で正座をし始める。何事だと身構えると、親友は屈託のない笑顔でこう言った。

「誕生日、おめでとう」

親友の、空気の読めなさはずっと変わらない。教師に説教されているときにトイレに行きたいと言って、一緒に怒られたこともあったし、付き合い始めた彼女と一緒に帰ろうと言われたのにも関わらず、「朝陽と一緒でもいい?」と巻き込まれることもあった。そんな親友にいつも振り回されてきたけれど、親友のそういうところに、何度か救われてきたのも変わらない事実だ。

「…サンキュー」

「俺より一つジジイになったな」

「うるせえ、お前もそのうちすぐジジイだろ」

「あー…それ、さ、多分来ないよ」

「はあ?んだよ、自分だけガキのままか?」

「うん、そう」

「は?」

ここでもこいつは空気を読めないのか。それとも、面白がって、俺を騙したいだけなのか?病室の窓から吹く風がやけに冷たく感じる。

「俺、二十歳になる前に死ぬ。多分、一生ガキのまんまだよ。そんな気がするんだ」

ごめんな、と普段より小さい声で、親友が呟く。

「気がするって、ほんとかどうか、わかんねえだろ」

「いや、たぶんガチのやつ。」

「なら、もう一回事故で死ぬのかよ、それを止めれば、」

「何回避けたって一緒だよ、俺は、二十歳にはなれない。記憶が曖昧でも、それだけは直感的にわかる、悪い。」

きっとこの言葉は、嘘ではないのだろう。なぜなら、その言葉に誰より傷ついて、泣きそうになっているのは、俺じゃなくて、目の前に生きている親友の方だったからだ。


「朝陽、お願いがある」

「俺がなんで死んだのか、俺が二度目のさよならをするまで、一緒に探してほしい。」

 俺がまだ事実から逃れようとする中、親友は一人、二度目の死を覚悟しているようだった。親友の死から逃れ、今も親友の覚悟から逃れようとしている俺は、一生子供のままの親友よりも、誰かに縋りつきたいとする、二十歳のガキのままなんだ。



「これが、お前の部屋…?」

「そう…らしいよ」

 退院した翌日、ひとまずは親友の家に帰ることにした。いや、帰ることが目的なのではなく、親友の死を探るために。本当にただの交通事故だったのか?確かに、親友を轢いてしまった人はいるし、親友が助けた子供も、実際にはいる。けれど、問題は死に方ではなく、なぜそこに居たのかだ。それだけが不可解で、俺も、記憶を失くした親友にとっても、理解できない行動だった。

「おじゃましまーす」

「お前が言うな」

大学が実家から遠く、近くの賃貸物件に住んでいるとは聞いていたが、親友の部屋は殺風景だった。生活感の感じられるものも少なく、カーテンが完全に閉まっている。明るい性格の親友には想像がつかないくらい、物も片付いている。

「俺、もしかすると、死ぬ予定があったのかもな」

自身の机の中から何かを取り出していた。数学と書かれている、ノートだった。高校のとき、よく使っていたような、懐かしいノートだ。

「予定って、それ」

親友が静かに俺の傍に寄り、ノートのあるページ部分を見せてきた。そこには、こう書いてある。


十二月一日 午後 海


 それ以外、何も書かれていなかった。

真っ白なページだらけのノートの真ん中に、ポツンと佇んでいる。それはまるで、波に揺られて彷徨っている、何かのように。

「その日は」

「お前の誕生日…俺の、命日になるはずだった日」

親友は、自分の身に起きたことを、他人のことのように語った。自分に言い聞かせるように。

「自殺、しようとしてたんだ、俺」

「なんで…」

「なんとなく、思い出してきた。ちょっとついてきて」

「あ、おい!」

家から飛び出し、そのままどこかへ走り出す親友を追いかけていく。何も語ろうとしない親友の背を見ながら、一体俺は、親友の何を見てきたのだろうかと、胸が苦しくなった。

 目の前にいるやつは、親友なのは変わらない。

けれど、俺の知っている、本当の親友はきっと、何かを隠し続けてきた、俺の知らない親友、なのかもしれない。



 電車に揺られ、たどり着いた場所は、親友が死んだ場所の近く、海だった。正しくは、本当の死に場所、だ。

「さみー、よくここで死ぬってきめたよな」

「……」

「はは、ごめん、空気読めなくて」

「…いや、」

どう言葉にすればいいか、わからなかった。親友が、あの明るくて、誰にも好かれて、俺の憧れだった親友が、死にたいなんて考えていたとは思ってもいなかった。結果的に死因が人助けによる交通事故だったとしても、なんで。

「なんで…」

「ん?」

「なんで、俺の誕生日に、死のうとしたんだよ」

聞くのが怖かった。俺の誕生日に死ぬことが決まっていたなんて、わざとでしか思えない。俺の知らない親友が、目の前にいることが、怖かった。

「これ、覚えてる?」

差し出されたのは、幼いころに失くした、紙で作られた金メダルだ。小学生のとき、運動会の徒競走で、初めて親友に勝ったときに貰ったものだったはず。

「俺、お前に初めて負けた時、悔しくて、羨ましくて、お前の家に遊びに行ったとき、奪ったんだ」

そんなの、別にどうだったよかった。失くしたときは、確かにショックだったけど、時間が許してくれるものだし、今言われなければ忘れていたくらいのものだ。

「許せなかった、自分のことを」

親友は、死ぬはずだった自分の罪を告白した。

ずっと、羨ましかったと言う。そんなの、俺だってそうだ。お前の周りにはいつも誰かがいて、みんな笑って。運動神経も、成績も優秀で、嫌われる要因なんて一切ない、そんなお前が、親友だと思ってくれていることが誇りで、そんなお前がずっと、羨ましかった。

「俺は、皆に好かれるように、周りに合わせて、期待に応えるだけの人間だったんだ。」

「じゃあ、俺は、お前のことを、」

 縛っていたのか?

それだけは、言えなかった。いや、言うのを辞めた。きっと、俺が呑気に過ごしている間、親友はずっと、誰にも縋ることができず、罪を抱えて生きてきたんだろう。そんな親友に寄り添うことも出来ず、誇りだと言って縛っていた俺自身が、今は憎くて仕方がない。

「でも、一回死んでみてわかった」

親友の目を 直視することができず、蹲る俺に寄り、肩をガシッと掴まれる。

「朝陽」

名前を呼ばれて、恐る恐る顔を上げると、そこには見慣れた笑顔の親友がいた。

「俺、苦しかったよ、確かに。だけど、そうでもしなきゃ出会うことがなかった人もいる。悪いことばかりじゃなかったくせに、自分で自分の首を絞めてたんだ。」

「だからさ、俺、お前に言いたいことがある」

「俺と友達になってくれて、親友でいてくれて、ありがとう!」

ああ、ほんと、空が晴れたみたいに笑うなあ。

思わず涙を流した俺に、親友は「まだ死んでねーだろ」と励まされた。

「…それ、遺言か?」

「そーかも、朝陽は?なんか言うことねえの?」

「そうだな…」

 きっと、親友が生き返ったのは、運命なのかもしれない。親友が伝えたかったことがあったように、俺にも、二度目のさよならをする機会を与えてくれたのだろう。最後の言葉が「遺言くらい、残しとけよ」なんて、勿体ない。ダサくても、サムイわ、って親友に言われてもいい。俺の、心からの気持ちで、送り届けよう。

「俺も、お前がいてくれて、本当に幸せだ、柊夜!」

そう言うと柊夜は、思った通り、「サムイわ」と嬉しそうに笑った。



 親友が死んだ。

今度は自分の誕生日で、ギリギリ大人になることができた。死因は交通事故ではなく、病で。春の訪れとともに、静かに息を引き取った。亡くなる瞬間に立ち会うことは出来なかったけれど、大丈夫。もう遺言は受け取ってある。俺も、最後の言葉で送り届けた。


 柊夜は死んだ。

もう生き返らない。俺の前で食べることも、ゲームをすることもない。けれど、不思議と悲しい気分にはならなかった。寂しい気はするけれど、親友が柊夜であることは変わらない。形として存在しなくても、心では分かり合える。俺の傍には柊夜がいて、柊夜の傍には、俺がいる。これから俺は、柊夜よりもどんどん大人になって、柊夜も俺の歳と並ぶことはなくなる。沢山の人に巡り合う。それでもまたいつか、朝陽と柊夜という名前で会えなくても、なんなら人同士じゃなくてもさ、いいんだ。二度目のさよならがあるように、二度目のおはようをして、今度は柊夜が、俺を看取ってくれよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二度目のさよなら @kasuka_124

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画