第二章 嶌の訪問者

第1話

 翌朝、いつもより朝早く目の覚めた満干は、朝ごはんのおつゆにいれる海藻を拾ってくるのを口実に幽世浜へ向かった。

 幽世浜は静かだった。

 嶌の西側にあるので夜が開けてもしばらくは水面は昏く青くたゆたっている。

 早朝気功会のお年寄りたちもまだいない。

 星汲岩の方を眺めやったが、漁網は見えなかった。


「先生が助けてくれたのかな」


 満干は御厨間睦心が青年を助けたのだろうと自分に言い聞かせた。

 診療所へ連れていったのか、医師が診にきたのか。

 いずれにせよ大事おおごとではなかったのかもしれない。

 いや、あんなおかしな様子で人が横たわっていたなんて、やっぱり大事ではないだろうか。

 とはいえ、子どもの手におえるような状態ではなかった。

 なかったけれど、と、満干は打ち寄せられているワカメを拾い、見つけたら集めておいでと言われている塩化カリウムのとれるカジメもいくつか手にしてから辺りを見渡した。


「珪、昨日はどうしたかな。帰ってから怒られなかったかな。ランドセルに隠したあれ見つからなかったかな」


 満干は珪が来てるかと探したが彼の姿はなかった。

 珪の嶌での身元引受人はオズマ括吏で、それは、音楽教師御厨間睦心と一つ屋根の下に住まうことだ。

 となれば、勝手に浜に出てくることは許されないだろう。

 満干は気を取り直して海藻を持ってきたかご一杯にしてから浜を後にした。

 

 カジメは実験に使うから研究所に売れると父親が言って満干から受け取った。

 二人は嶌鯵の干物と朝採れワカメの味噌汁と簡単に朝食を済ませると父の運転で港町に向かった。

 買い出しだ。

 港の観光案内所兼土産物屋兼食堂の港プラザに車を止めると父親は役場に用事があるからと満干をここで待っているように言って足早に去っていった。


 満干は観光案内所の長椅子に腰かけて足をぶらぶらさせながら港に入ってくる観光船を眺めていた。

 幽世浜のある嶌の外まわりと違い、港のある南大嶌湾は思い出したように小規模な噴火を繰り返す海底火山のせいで白く濁っている。一年のうち半分は濁り水で、もう半分はうそのように澄んだ透明度の高い海水を湛えるのだった。

 硫黄の混じったぬるい潮風が開け放たれた建物の出入口から流れ込んでくる。接岸を告げる汽笛が高く鳴り響く。

 満干はタラップを降りてくる乗船客に目をこらす。

 休みに海遊びに来たのか里帰りに来たのかと思しき家族連れが二組、買い出しに出ていたらしいラフな恰好の島民が数名、そして、最後に降りてきたのは島民にも観光客にも見えない飄々とした風情の男だった。

 手荷物は斜め掛けしたショルダバッグ一つという軽装で、洗いざらしのジーンズに墨絵風なタッチの何やら架空の動物らしきものが描かれた白いTシャツを着ている。いい具合にくたびれた麦わら帽子で仰ぎながら男は歩いている。

 タラップを降りると男は両手をあげて大きく伸びをして、辺りをきょろきょろ見まわしてから港プラザに向かって歩き出した。男は観光案内所でひとことふたこと会話をすると地図をもらって再び船着場に向かっていった。そこで地図の裏に載っている船の時刻表を指さしながら船員に何かたずねているようだった。

 しばらく話し込んでいたが、船員が首を傾げている様子からどうやら男の知りたいことはわかなりでいるようだった。

 船員が忙し気に去っていった後、男は地図を畳んで空を仰いだ。


 困っているのかもしれない。


 そう思ったらいてもたってもいられなくなり、満干は駆け出していた。

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