第6話
帰りかけた二人は浜の端の星汲岩の波に洗われてる根の部分に何か光るのを見つけた。目をこらすと漁網が岩根に絡まっているのが見えた。波に見え隠れするように光も瞬いた。
「何だろう。漁船のライトを落としたのがひっかかってるのかな」
満干は返事がないのはわかっていたが珪に向かって言った。
珪はさらに目をこらして見つめている。
潮騒が二人を包む。
夏の陽ざしの照り返しが眩しい。
「えっと、宝岩のとこみたい。もしかしたら、おかあさんかも。ライトの付いたコンパクトミラー欲しいってお祈りしたんだ」
満干は打ち明け話をするように言った。
言ってから、でもお祈りしたのさっきだし、さすがにそんなにすぐには無理かなと思いながらもう一度目をこらした。
「あれ、なんか、網にひっかかってる」
満干の声は震えていた。
珪が走り出した。
ランドセルの中でされこうべがかしゃかしゃ音をたてている。
満干も本来の走りになって珪に続いた。
珪は立ち止まるとランドセルをおろした。
そして、一目散に星汲岩に走り寄った。
「待って、どうしたの」
満干も珪の後を追って走った。
珪に追いつくと、囁くような歌声が聞こえてきた。
――あわれなる天煉使
わが身をささげん
清らなる血肉のみが
魔煉奴をうちやる――
珪が歌っていた。
集いで歌われる聖歌だった。
澄んだ少年のソプラノは波音をぬって空に流れていく。
満干は聞き入ってしまった。
同じ歌詞が変調しながら繰り返される。
耳の底に歌声が入り込み聞き入らせ、動きを縛る。
それ以上前へ進ませないとするように。
やがて咳込むと珪は歌うのをやめた。
岩に絡まる漁網にかかった何かがまた光った。
「珪、すごい、いい声だね。こっそり聞いた時にも思ったけど。近くで聞いたら、なんか、どきどきしたよ」
満干は素直に言った。
珪は聞こえてるのか聞こえてないのか、返事はしなかった。
口をつぐんだまま星汲岩の根本へ歩き出した。
「あ、待ってよ」
満干も後に続いた。
と、珪がいきなり立ち止まった。
満干は珪にぶつかりそうになって咄嗟に彼をよけて2,3歩前に出た。
その場にそぐわないものが目に入ってきた。
「ひ、ひと」
満干は両手で口を抑えて立ちすくんだ。
立ちすくんだまま、視線をそらせることはできなかった。
蒼白ではあるがほのかに頬にわずかながら赤味がさしていて唇も青くなかった。
鮮血が染みたようなシャツの胸ポケットからつぶれた
漁網にくるまれて胸元が赤く染まり岩場にうちやられているという異様な状況から、てっきり絶命しているのかと恐れたが、微かな胸の動きにそうではないようだと気付き満干はほっと息をついた。
「きれい。海でもまれてきたんじゃないみたい。眠ってるみたい」
思わず満干はそう口にしていた。
珪は見惚れているような満干を一瞥すると、打ち寄せる波に足をすくわれないように器用に岩場を渡り、漁網が絡んでいるところへ歩んでいった。
夢見心地のまま満干も後を追う。
その足取りの覚束なさに、珪が手を差し伸べ左手首を握った。
満干はそこで我に戻った。
いつもなら手を振り払うところだが、妙に心細く思い人のぬくもりが伝わるのをそのままにしていたかった。
「ありがとう」
その言葉に珪の返答はなく、潮風でかぶさってくる髪をよけた時に垣間見えた顔もいつもの無表情だった。
我にかえってからは、満干は反射的に横たわる人から目を逸らしたが、すぐに恐る恐る視線を戻した。
若々しい青年の顔が見えた。
どこかで見た顔だと思ったが誰だったのか思い出せなかった。
「潜っているうちに絡まったのかな、でも、服を着てる、靴もはいてる。何か落として拾おうとして引き込まれたのかな」
満干は珪に同意を求めるように言った。
珪は答えず、満干が普段通りに戻ったようなのを感じたのか手を放してしゃがんだ。
そして、青年の胸ポケットからつぶれた嶌李を一つ取り出すと口に含んだ。
「ちょ、何してんの、いくらここの海がきれいだからって、洗わないとだめだよ」
珪の唇が赤く染まった。
満干は言葉を継ごうとして言い淀んだ。
「と、とにかく誰か呼んでこよう。息してるし、けがもしてないみたいだし」
満干がそう言った時だった。
「満干さん、珪さん、お帰りになりなさい」
呼びかけられ二人は振り返った。
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