第5話
「ねえ、珪、とってもいい声してるよね。ボーイソプラノ、って言うんだって、従妹のおねーちゃんが言ってた」
満干はハンカチを受け取りながら言った。
珪はきょとんとして満干を見た。
「あんたは誰にも知られてないと思ってるかもしれんけど、うち、聴いたことあるんよ、あんたの歌」
満干は辺りを見回すと、すっと彼の耳に口を寄せた。
「幽世浜の漁師小屋に小さな火が灯ってるのが見えて、火事だったら大変と思って、うちがひとっ走り行ったんよ。そしたら、いつもうちらが歌ってる聖歌とは違う、よその国の言葉のしんみりした歌が聞こえてきた。きれいな高い声で」
子どもは、ふいっと横を向いて、ざらめクッキーを頬張った。
「歌が終わると、すすり泣きが聞こえた。窓に映ったのは、オズマ先生だった」
説諭師のことを子どもたちはオズマ先生と呼んでいる。
「ねえ、なんであんな所で歌ってたの。なんで歌えるのに集会では歌わないの。なんで先生は泣いていたの」
珪は菓子のくずがついたままの手のひらを、満干の口に押しつけた。
満干は驚いて後ずさった。
菓子のくずを吸い込んでしまい、満干は咳込んだ。
「ちょっと、なにすんのよ」
珪は両手をだらんとたらして立っている。
満干はこのままひるんでしまうのは悔しい気がした。
「あのさ、なんで今日はランドセル持ってきてるの。どっかで勉強するの。宿題するんだったら、うちに来ない」
なんでもないと言わんばかりに満干は珪を誘った。
珪は答えずに砂地に座るとくつしたをはき靴をはきランドセルをしょって浜の出入りの小道へ向かって歩きだした。
「待ってよ、珪、返事くらいしなさいよ」
駆け足の速い満干はあっという間に珪に追いつき前に立って行く手を遮った。
「あのさ、映画、あれ、なんで泣いてる人がいるのかな。なんかさ、戦闘シーンだって、わざとらしいし、ちょっとちゃち、みたいな」
珪はくるっと向きを変えると元来た方に歩き出した。
「珪、ちょっと、待ってってば」
珪は走るではなく速足で砂浜に足をとあれることなく器用に進んでいく。
満干は意地になってツインテールの髪を揺らしながら駆け出したが、勢い余って思いっきり倒れ込んでしまった。
「じゃあ、何」
珪は落ちていた小枝を拾うと砂浜に絵を描き始めた。
魚の絵だった。
それからされこうべを顔の辺りに置いた。
「人魚」
珪はうなずいた。
「昔からこの浜に寄りくるものは生者と死者とあわいもの、ってばあばから聞いてたけど、けど」
納得できないと言わんばかりに満干はされこうべをにらんだ。
「人魚だったら、あわいもの」
満干はされこうべを恐る恐る見て言った。
「あわいもの、って知ってるよね。生きてもいない死んでもいないもの。海の底に自分が生きてるのか死んでるのかわからなくなってしまったものたちの国があって、そこから何かの拍子に出てきてしまったか罪を犯して追い出されてしまったか呼ばれたような気がしてさまよい出てしまったかしたものが、幽世浜に流れ着くって、嶌比丘尼のばーちゃんにきいた」
珪は不思議そうに首を傾げた。
「そっか、この話は、オズマ先生がここに来るずっと前から、本当にこの嶌に人が移ってきた頃からの話だから、オズマ先生が珪に話してないのかもね。っていうか、オズマ先生の教えに反するんだよね、海の底の国っていうのは。万邦至天連教では、オズマ先生の教えでは、死者は天の国に行くんだものね。正しき人も罪びとも、みんな、一緒くたになって。なんか、それって、まじめに生きてきた人にとっては納得いかないって思うんだけど、どう思う、珪」
満干は大人の前では口にできない普段思っていることを矢継早に話した。
珪はしゃがむとされこうべを手のひらで撫でている。
返事はないとわかり、満干はそれ以上あわいものについて触れるのをやめた。
「嵐は最近なかったし、潮の流れが変調したともきいてないし、船の事故もずっとないし、人が流されたっていう話もないし」
と、珪がされこうべを持ってハンカチに包むとランドセルに入れた。
「え、持って帰るの。浜に寄りくるものだったら、ちゃんとお祀りしてあげないと、たたるよ」
珪は無反応だった。
ランドセルをしょうと今度こそとばかりに足早に浜の出入りの小道に向かっていった。
満干はなぜか足がすくんですぐに追いかけることができなかった。
と、珪が立ち止まった。
それを見て満干は息を整えてそばに歩いていった。
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