第2話

 この嶌――南洲大天嶌なんしゅうだいてんとう――通称南大嶌みなみおおしまは、行くのに手間のかかる場所だった。

 東京から直行便で奄美空港に行くまではよいのだが、その先、名瀬港から島南部の古仁屋港へフェリーで向かった後からがまた時間がかかるのだ。

 一週間に二便、土曜と日曜だけ運航される島運営の南大嶌汽船に乗り換えて、加計呂麻島、与路島、諸島といった島々を縫って人や物を乗り降りさせて一通り用を済ませてから、喜界島方面に1時間ほど海原を行くと南大嶌にようやく到着するのだった。


 南大嶌は、周囲20kmにも満たない小さな島だが東西南北それぞれに地形の特色がある自然豊かな島だった。

 切り立った崖の頂きは亜熱帯の植物に覆われ、崖と崖の隙間の谷底に村があり、幽世浜かくりよはまという美しい浜辺があった。浜辺の両端にはそれぞれ天見岩そらみいわ星汲岩ほしくみいわと呼ばれる天然の大きな岩屋がありそこで浜と外海が区切られていて、その先は潮流が不安定だから行かないようにと子どもたちはきつく言われている。禁止されてはいるが、岩屋を越えたすぐの所は海産物の宝庫であり、潮の干満で現れるタイドプールがあり、絶好のダイビングスポットにもなっている。


 気候風土はおおよそ奄美地域に準じており、行きにくい場所であったことから独自の風習や文化が育まれてきた。台風で難破して漂着したり、海賊に追われて逃げ込んだ異国人の血がないまぜになって、独特の風貌の島民もいるのだった。


 数年に一度は海難事故があり、それを避けるための谷姫と万邦至天連の祀りごと――合切祭がっさいまつりが、それこそ観光イベントかと思われるような派手派手しくにぎやかに行われるのだった。この時ばかりは、信仰を分かつもの同士協力し合って海難の回避を願い、自然への畏敬の念を表すのだった。

 最も本来伝わる合切祭は嶌のいにしえからの伝承のものであるので、ここでもまた快く思ってはいない嶌比丘尼も一部いるようだった。その代の嶌比丘尼の長の力量と人徳でつつがなく祀りごとが行われるかどうかが決まるのだった。


 港のあるところは湾というよりは大きな入り江のようで、海底火山が少しゆらぐと硫黄のにおいが漂いエメラルドブルーが赤茶に濁るのだった。

 その変化の速やかさと苛烈さに嶌の喜怒哀楽を、嶌比丘尼はみるとされている。


 港を中心に町があり、役場、診療所、分校、図書館兼南大嶌歴史風俗博物館、駐在所、日用品と食品の店、食堂兼飲み屋などが並んでいる。

 人口は全島でおおよそ100名ほどで、村住まいは20名にも満たず、ほとんどが町に住んでいる。


 町は潮に強い素材の近代的な建物が多いが、観光公園の温泉場やビーチの辺りは郷土食豊かなつくりの街並みが残されている。

 乱雑なようでいてうまい具合に組み立てられた珊瑚岩の石垣が続く観光村への道は水牛の牛車がのどかに通っている。

 昔は、谷底ことに5つほど村があったそうだが、今では町に一番近い村だけが残っているに過ぎなかった。その村はそれこそ南大嶌の風土が凝縮したような風情溢れる所だった。


 村の子どもたちは、峠を越えて町の分校まで通っている。小学校と中学校の分校はあるが、あまりに少人数で小中共同学習であることに不安を感じる親たちは、子どもを本島の寄宿学校に行かせている。

 からだの弱い子、特別な子は、島外へ出ることはなく、家庭教師がつく。

 特別な子は、嶌比丘尼の血筋の家の子だ。

 生れてから人目に触れることを避けて育てられる特別な子。

 

 人の出入りの難しい離島ともなれば閉鎖的なのは仕方ないが、さすがに近年人口減少が著しく、ふるさと興し事業の補助金絡みで、離島留学や心身不調の若者を受け入れる事業を展開している。

 映画を観てしまった子どもの一人、小学四年生の少年は、その離島留学で来ている子どもだった。





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