竹の邸にて 2
かぐや姫は私たちがこの邸に着いてから一度も姿を表さなかった。
皇后さまは気にされた様子もなくあっさりと、それではこちらで待たせていただきます、と翁に邸に泊まる承諾を得てしまわれた。
全員が女房という名目でいるので、同じ部屋に几帳を隔てて泊まることとなった。皇后さま、中宮さままで同じ部屋でお休みになることに申し訳なさが込み上げる。
「本当に宜しいのでしょうか」
もう何度目かわからない問いを繰り返すと、皇后さまは笑ってお答えになった。
「兄子、今は皆女房です。そこまで気にしていたら不審に思われてしまうでしょう。もうその問いはおしまいになさい」
「申し訳ございません」
中宮さまも燈子さまに同じように言い聞かせていらっしゃる。燈子さまは中宮さま一筋でいらっしゃるから、より一層この状況がいたたまれないのでしょう。
「さ、夜が更けるまではのんびりと待ちましょう」
皇后さまはそう仰ると、女房がするように几帳の内で袿を脱いで肩におかけになり、脇息にもたれながら髪をお梳きになる。その様子はまるで、唐松さまのよう。
「唐松さまに似ていらっしゃるわ」
うっかり口を滑らせてしまい、あっと口を塞いだけれど遅かった。皇后さまだけでなく、その隣の唐松さまにまで聞かれてしまった。
「なんですって」
唐松さまが素っ頓狂な声をあげて身を起こす。私は身を縮めて袖で顔を隠した。その姿をご覧になった中宮さまがくすくすと笑うお声が聞こえる。
「よく気が付きましたね、兄子。尚典を名乗るのだから、本物の真似をせねばと思っていたのよ」
皇后さまは怒ることなくそう仰った。まさかそんな風に思っていらっしゃったなんて。皇后さまは愉快そうに笑っていらっしゃる。
「皇后さま、そのようなことをなさっていたのですか」
「唐松、私は尚典だと言っているでしょう。私だけじゃないわ。中宮さまのことは春日、梨壺は夕月と名前で呼ぶのよ」
妃である主をそのようにお呼びするなんて! めまいがしそうだけれど、もしもここで私たちが本物の遣いでないことが露わになってしまったら。私が百面相を繰り広げていると、隣からそっと肩に手を添えられた。
「そう深く考えるのはよしなさい」
「梨壺さま」
「夕月さま、でしょう」
穏やかに微笑む梨壺さまがそう仰った。どうも、お后方は心が定まっていらっしゃるよう。私たち女房ばかりがおろおろとしていて頼りない。
「申し訳ございません、夕月さま」
「それでいいのよ。夕月なんて呼ばれるのは久しぶりね」
梨壺さまは少し嬉しそうにおっしゃる。以前、夕月の名を気に入っているとお聞きしたことがあるから、梨壺さまとしか呼ばれないことに寂しさを感じていらっしゃったのかもしれない。
梨壺さまと皇后さまに挟まれるような位置で落ち着かないけれど、どうやら緊張から体は思っているよりもずっと疲れているようだった。横になると、まぶたが重たくなってくる。
梨壺さまは私が横になったのを見届けてから、几帳の向こう側へと戻られた。
「兄子、宵が深くなったら教えてあげる。少し眠って体を癒やしなさい」
梨壺さまのお言葉に甘えて、私は少し眠らせていただくことにした。
目を閉じると、先程までの夕餉の様子が思い出される。
翁を通じて、後宮にすぐに連れて行くことはしないこと、翁には席を外してもらい主上について申し上げたいことがあれば聞くことを伝えたけれど、それでも出てこなかった謎の姫。最後には月の使者から守るために月の人について教えてほしいとまで言ったのに、かぐや姫は首を縦には振らなかった。
月を見て泣いているというのは、本当なのかしら。
それが判明するのは、ついぞ今晩なのだわ。頭が冴えて眠れないのに、体はもう動かない。まぶたが落ちて梨壺さまや皇后さまの話を聞いている内にだんだんと意識に
気づけば、誰かに体を揺さぶられていた。
「起きなさい、兄子。かぐや姫とやらに会いに行くわよ」
梨壺さまの尖った声がして、私はまぶたを押し上げた。しんと静まり返った室内には、闇が立ち込めている。わずかな影だけが見えて、そこに人がいるのだと感じた。隣に座る梨壺さまの息づかいが聞こえて、感覚が研ぎ澄まされていると気付く。
眠る前にあった不安はもう感じない。きっと夜の闇に溶けて消えてしまったのだわ。眠ったことで、体の重さも感じなかった。今ならきっと、私もやれる。
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