竹の邸にて 3
言い出したのは私だからと、危ないと言い張る唐松を押し切って私が先頭に立って渡殿を進んだ。翁には事前にかぐや姫の対屋の場所を聞いてある。思っていた通り、この邸の中で一番竹が濃く生い茂っている場所だった。よほど竹が好きなのね。
皆一言も漏らさず、足音さえ消して私の後を付いてくる。
不思議とここでは夜の虫の音は聞こえなかった。風が竹を通り抜けるさざめきだけが、まるで波の音のように響いている。
新月を過ぎたとはいえ、下弦の月が昇るのはずっとあとだ。月明かりがないなか、天の川がゆったりと空を覆っている。今夜は月がないから、かぐや姫は空を見上げて泣いたりしないかもしれないわね。月の人ではなく、織姫だというのであれば違ったのでしょうけれど。
渡殿を渡り切ると、母屋にたどり着く。御簾は降ろされておらず中が見えそうだった。すると、何かが動く気配がした。そっと立ち止まると、後ろに続いている皆も私の動きから何事かを察知して足を止める。
そのままじっと目を凝らすと、中から人が出てくるのが見えた。
ひゅっと息を飲む。
かぐや姫だわ。
中から一人、姫が出てきた。簀子まで出ると、静かに空を見上げ佇んでいる。その姿は、今までに見たどの姫よりも美しく、儚かった。庶民であるなどとんでもない。かぐや姫より姫らしい姫など、おそらく存在しないでしょう。それくらい美しく気品のある姿だった。
私だけではなく、その場にいた皆がかぐや姫の一挙手一投足に目を奪われ言葉を失っている。
かぐや姫は間違いなく月の人だった。姫の盲言などではなかったのだわ。
だって、
かぐや姫はその体が内から、月のようにほんのりと黄金色に光り輝いていた。まるで蛍のようだわ。かぐや姫のまわりだけが、灯火もないのに光り輝きぼうっと明るかった。きっと、主上もこの光景をご覧になったに違いない。
月のない夜に彼女だけが光を帯びている光景は、神を見ているようでもあり体の芯がすっと冷たくなった。
これでは、一目で心を奪われてしまうわね。
口にはしないけれど、皆がかぐや姫が月の人であることを悟っていた。こんなに月らしい人を見て、他に何を思えばいいかしら。
私は意を決して一歩前に進み出す。御簾の影から私の体が見えたのでしょう。かぐや姫がさっとこちらを向いた。驚きに目を見開き、素早く袖で顔を覆うその姿さえも美しかった。
「そなたが、かぐや姫ですね」
私がそう尋ねれば、かぐや姫は逃げることなく袖で顔を覆ったまま頭を下げて答えた。
「たしかに、私がかぐやでございます。内裏からお見えになったという遣いの方でいらっしゃいますね」
かぐや姫の声は柔らかくしなやかだった。意外にも少しだけ低い声は耳に心地よく響き心が落ち着く。
「いかにも、私たちは内裏から来ました。しかし、帝の遣いではないのです」
そう告げると、かぐや姫よりも後ろに控えていた皆の方がざわめいた。かぐや姫はこちらの和が乱れていることを察して、やや怪訝そうに顔を上げる。
「父母からは、帝の遣いの方がお見えだと聞いておりました」
「ええ、そのように名乗っております」
「では、皆さま方は一体どなたなのでございましょう」
かぐや姫は落ち着いた様子で答えた。頑なに表に出ることを拒んでいた姫とは思えぬ落ち着きにやや驚きながらも、穏やかな話しぶりに好ましさを感じる。
こちらが先に誠意を見せましょう。
「私は皇后です」
私が名乗ると後ろから、皇后さま、と唐松の鋭い声が飛んできた。中宮さまと梨壺も動揺している声が漏れる。皆、私がかぐや姫にも身分を隠すのだろうと思っていたのでしょう。
かぐや姫は私の告白に目を一瞬だけしばたかせ、顔を隠していた袖を下ろしもう一度深々と頭を下げた。
「無礼をいたしましたこと、申し訳ございませんでした」
「身分を隠していたのは私たちです、貴女が謝ることはありません」
私の言葉に、かぐや姫は顔を上げて真っ直ぐに私を見つめ返した。月のように輝く顏のうちで、瞳の黒い中に小さな星が煌めいて星空のよう。同じ人であるとは到底信じられまい。
「こちらには、文でいただいていた内容でいらっしゃったのではございませんね」
かぐや姫はそう尋ねた。話が早い。はたから見れば、夫の不倫を突き止めに来た妻なのだから当然かもしれない。かぐや姫はそれでも落ち着いており、取り乱す様子は微塵も感じられない。
「主上についてお話しをしに来たのです。部屋で少し話してもよろしいかしら」
かぐや姫は少しも躊躇わずにすっと母屋に入る。
「では、こちらへどうぞ」
私はかぐや姫に続いて母屋に入った。中宮さまと梨壺も少しの躊躇の後に母屋に入り、それを見て慌てた女房三人がさらに後を追うように庇に入った。
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