竹の邸にて 1
牛車を下りてから通された部屋は広々としていた。調度品はあれども少なく、部屋をさらに広く見せる。几帳や襖は竹を描いたものが多い。それを目にする度に、梨壺さまは不快そうに顔を背けていた。
邸のあちこちから竹が見えるけれど、ひときわ竹が濃く茂っている箇所があった。竹がひしめいていて、渡殿の先はほとんど伺い知れない。渡殿がその先に続いているのを見るに、その先にかぐや姫の居る対屋があるのかもしれないわ。
「この度はお出でくださいまして、なんとお礼を申し上げればよいか分かりませぬ。どうかお力を賜れればと思うております」
身なりの良い翁が額を擦り付けんばかりに平伏する。その隣で嫗もまた同じように頭を下げた。どちらも身なりは良いがこじんまりとしていて、やや頼りなく見える。
皇后さまは尚侍の代わりに参った尚典であると名乗られた。尚典は私の肩書きですが。
「病の尚侍に代わって此度の話をいたします。まずはかぐや姫にお出で願います」
そう皇后さまが告げると翁は頷き、嫗に呼びに行かせるよう促した。嫗は襖をつたいながらゆっくりと下がる。足がわるいのかもしれぬ。翁も嫗も姫を持つにはいささか歳を重ねすぎているようだわ。身内から引き取った姫なのか、あるいは身を寄せるところがなく独りでいた女童を迎え入れたのか。
翁は長い眉毛を指でつまみながら、そわそわと落ち着きがない。女房たちに何やら申し付けると、しばらくして女房たちが盆を持って戻ってきた。盆の上には皿の上になにやら重なっている。
「もてなしもせずにお迎えいたしまして申し訳ございませぬ。娘が参るまで、こちらをお召し上がりになってお待ちくだされ」
翁が得意そうに手で示したのは菓子だった。
「まあ、これは
中宮さまがお声をはずませる。私も驚いて皿の上を見つめた。貴族のようであるとはいええ、ここは庶民の邸。菓子が出てくるとは思いもしなかった。
肉桂の粉がふんだんに振りかけられた菓子は、後宮では人気の菓子だ。翁にうながされてひとつ口に入れると、肉桂の香りが鼻の奥いっぱいに広がった。
「なんと柔らかい餅なの」
梨壺さまがやや離れたところからうっとりとした声を漏らす。本当に柔らかく舌触りのよい餅だわ。噛んでいる内に、普段食べている桂心と違うことに気づく。これは一体何かしら。何かが、桂心の中から出てきた。甘くて口の中で溶けていくようなこれはもしや。
「中に餡が入っておりますわ」
私の隣で兄子が小さく声を上げた。横を向くと兄子と目が合い、互いに頬を緩める。
「女人は甘味がお好きだと女房たちから聞きまして、此度に合わせて作らせたのです。お気に召していただけたでしょうか」
翁は私たちの様子を見て大層満足げにしていた。ここまで喜びの声をあげたのだから、私たちも素直に頷く。
「こちらでこのような菓子をいただくとはおもいませんでした。歓待に礼を言いますわ。本当に貴族のような暮らしをしているのですね」
皇后さまのお言葉に、翁は恭しく礼をして答えた。
「ご存知かとは思いますが、娘が我ら夫婦のもとにやって来てから、竹を取るたびに竹の中から財が出るようになりまして。このように身に余るほどの暮らしをすることができるようになりました。おかげで、貴族ではございませぬが、娘を姫として育てることができたのです」
その言葉に、菓子で心が緩んでいた私たちの気が一度に引き締まった。噂には聞いていたけれど、本当にそう答えが返ってくるとは。果たして翁の話はどこまでが本当なのかしら。
「あなた」
几帳の奥から嫗が女房に支えられながら戻ってきた。表情が冴えないところを見るに、かぐや姫はここに出てくることを拒んだのでしょう。やはり、私たちではかぐや姫は出てこないのだわ。
黙って首を振る嫗に、今しがたまで上機嫌だった翁の表情も曇る。翁はこちらに向き直ると頭を下げた。
「申し訳ございませぬ。娘は人にほとんど触れずに育ったためか少々強情でして。今一度話しをして参りますので、もうしばしお待ちいただけませぬか」
「こちらのことは構いません。主上に関わる話ですから、必ずや参られますようにとお伝えください」
「もちろん、そのように申します」
皇后さまにそう返事を返すと、翁と嫗は連れ立って奥に姿を消した。女房たちもそれに習って皆下がってしまうと、梨壺さまが一番に口を開いた。
「豊かな暮らしぶりであることはわかりましたが、少々躾がなっていないようですわね。童であっても、ここまで親の言うことに否という者はおりませんわ」
梨壺さまの仰る通り、かぐや姫は姫としての心構えが足りていない。主上の名が出ているというのに、ここまで頑なに拒むなど貴族の姫なら許されない。庶民であるなら尚のこと。命を取られてもおかしくないというのに、余程変わり者の娘なのでしょう。
美味しそうに桂心を頬張りながら、皇后さまはのんびりと庭の竹を眺めていらっしゃる。かぐや姫のことは少しも気にされていないよう。
「皇后さま、どうなさいますか」
そうお声をかけると、肉桂が付いた指をほんの少し舐めてからこちらを振り向いた。
「こうなることはここへ来る前から分かっていたこと。夜まで待ちましょう」
「それでは、やはり」
そう尋ねれば、皇后さまは黙って頷いた。やはり、夜にかぐや姫の閨に忍び込むのですね。腹を括ったはずであったのに、胸の内で何かがざわめく。ここで、もし上手くいかなければ一体どうなってしまうのかしら。今はその先のことは考えないようにしましょう。そう自らに言い聞かせて胸に手を当てる。
皇后さまだけが一人平然と背筋を伸ばしてすわっていらっしゃった。今まで一度も袖を通したことのない女房装束に、中宮さまと梨壺さまがややお疲れのようである。同じ境遇の皇后さまだけは何枚も重ねた単をものともせず、本物の女房らしい佇まいでいらっしゃる。
「今は私が尚典です。呼び間違えればすべてが水の泡よ、気をつけなさい、唐松」
ぴしゃりと言われて私は、はい、と返事をするほかなかった。ただの唐松になるのは久しぶりだわ。
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