追風 2
皇后さまは少し年の離れた従妹であった。
「従兄さま」
そう呼んで後を付いてくる姿は可愛らしく、高貴な姫らしく父母の良いところを受け継ぎ美しかった。
左大臣家の待望の姫という期待を一身に受けながら、姫の手本のようにお育ちだった。艶のある美しい濡羽色の髪は光を受けて輝き、夏の薄単からのぞく肌は雪のように白い。
大臣さまは京一の美姫と言われた北の方似ではないことを嘆いておられたが、北の方に似て箏の腕前が見事なことも、美しい文字も、心のお優しいところも姫として求められるものはすべて母似だ。
大臣さまに似ているとされるお顔は聡明さが現れており、涼し気な目元や柔らかな口元はお美しい。お産まれになったときから皇后となることが決まっているというのに、年頃の若い貴族に会えば必ずその容姿やお人柄について尋ねられた。
おそらく、私から話を聞いた多くの若者から歌が届けられたはずだが、そうしたものを受け取ったという話は聞かなかった。皇后という身分になる方だ、大臣さまの手によって握りつぶされていたのだろう。
「桔梗姫から文が届いております」
ある日そう言われて受け取った文を開くと、それは和歌であった。
送られた和歌はどうやら恋の歌らしい。どう返事をしたものか。確かに仲良く育った姫で美しいのだが、単純に好みではなかった。
大胆に迫ってくる姫も多いなかで、楚々とした恋の歌は響かぬ。
恋の歌に読めるが、他の歌にも読める。そういう歌をあえて送ってきているようだった。ならば、と思い何事もない歌でそっと返した。まるで気づいていないというように。いずれ皇后になるのだ、時が過ぎれば忘れるものと思っていたのだ。
それでも、見目麗しいと知っている姫に想われるのは良い気分である。付かず離れず、文以外では優しく接するようにした。桔梗姫の甘露のような秋波に酔いしれたのは一度や二度ではない。他の者には返事のひとつもないというのに、私だけが桔梗姫の恋の歌を送られている。その事実がたまらなく優越感をくすぐった。
しかし、さすがに桔梗姫も入内してからは思いを諦めたのか、恋の歌を送ってくることはなかった。
次にお会いしたのは私の位が上がり参内が許されるようになってから。大臣さまと共に弘徽殿に上がり見た桔梗姫の美しさに、言葉を失った。そして同時にそのお心に影が差していることにも気づく。皇后にもおなりですでに手の届かぬ人であるのに、その影のある美しさに胸を打たれた。
「惜しいことをした」
ことあるごとに、そう悔やんだ。他の姫から歌をもらったとき。逢瀬を重ねたとき。儀式に参列し、主上の隣に暗く鎮座なさる皇后さまのお姿を見たとき。そして、妻を得たとき。
何故、恋の歌を送られたときにものにしておかなかったのか。あの時手中に収めていれば、今頃は影で逢瀬を重ねる仲であったやもしれぬというのに。
もはや、触れることすら叶わぬ。そう思っていたが。
「皇后さまに手が届くな」
寝転がったしとねの中で、己の腕を伸ばして空を掴んだ。暗闇の中、思い浮かぶのは掴んだ皇后さまの腕の細さだ。しっとりとしたなめらかな白い肌が、薄い夏の単から透けていた。
梨壺さまのような明るく愛らしい方が好みだと思っていたが、儚く気高い皇后さまの美しさに気づいてしまった。
腕を捕まれ驚いている一瞬の表情の中に、まだ好意の欠片があるのを感じた。おそらくまだ、皇后さまは初恋を胸に秘めているはずだ。
この手であの美しき后を抱きしめられたら。もう一度、あの甘美で切ない眼差しを浴びられたら。そう思うと、居ても立ってもおれぬ。
「皇后さまを内裏の籠からお救いしよう」
そして、また麗しかった元の桔梗姫に戻して差し上げよう。皇后さまに差し込む影を取り払って差し上げられるのは、間違いなく私だ。そう思うと腹の底に温かい力が湧いて溢れた。
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