中宮 1
「中宮さま、皇后さまより文が届きましたわ」
「ありがとう」
燈子から文を受け取ると、ふわりと丁子の甘い香りが舞う。皇后さまがお好きな香だわ。皇后さまからの文にもご本人からも、いつもこの清廉さのある甘い香りがする。梨壺の安息香の濃厚な甘さとはまた趣が違う。
文を紐解くと、流れるような筆で梨壺が物忌みに入ったと書かれていた。出立の準備が整ったという意味だ。
「燈子、梨壺が物忌みに入ったそうよ。私も日をあけて物忌みに入ります」
燈子はただ黙って頭を下げる。皇后さまの案に、私が乗ったことをまだ認めていないのね。
「燈子、お前は行かなくても良いのよ」
「何を仰います。中宮さまを必ずや無事にお連れするのが私の務めです」
「だけど、ちっとも納得していないじゃないの」
「当然でございますわ。御身を危険にさらすことを望む女房などおりませぬ。ましてや、此度の件は后さま方全員が内裏をお出になると仰るのですから」
燈子は言いづらそうに言い淀んでから、一息吸って私を見る。
「皇后さまが仰る通り、本当にどのような者がいるのか分かりません。いるのが姫ではないかもしれないのです」
燈子は眉根を寄せて、真剣な顔で詰め寄る。皇后さまと燈子の言うことは、私だってきちんと理解している。内裏から后が出ることが非常識だということも、誰よりもわかっているつもりよ。
だけれども。
自分以外に興味関心のなかったあの主上を、そこまで惹きつけてやまぬ者が本当に存在するのなら。それがどのような者なのか、気になるのも事実。傾国の美女だというのなら、この国を守るために私も何かしたい。そう父上と約束してここに来たのだもの。父上が何よりも愛して、大切にしてきたものだから。
「中宮さまは上皇さまの血を継いでおられます。后の中でもっとも尊い方だと、皇后さまも仰られましたわ」
「それは違うわ!」
この内裏で幾度も女房たちがささやくのを耳にしてきたこの言葉。聞くたびに、何度違うと叫びたかったことか。
「皇后さまが一番尊い方よ。早くに入内されたからでも、先に立后されたからでもない。皇后さまというそのお人柄があるからよ。もっとも皇后としてふさわしいお方です」
「無礼を申しました、申し訳ございません」
すぐに燈子は頭を下げた。燈子が悪気あって言ったのではないことは分かっている。
血筋だけを見れば確かに正しいことを言ってるもの。血筋は大事よ。だから主上も帝になれた。血筋がなければ、あんな男が帝に推挙される可能性など寸分もなかったはず。
「顔を上げなさい」
言われるがまま、静かに顔を上げる燈子。物静かで内裏の女房の中でも年上の者。皇后さまと唐松のように、もっと親しく心を打ち解けて接したいのに上手くいかない。
はあ、と小さく息をついて脇息を引き寄せた。
「物忌みに入るのは三日後にしましょう。近すぎてもよくないけれど、私が物忌みに入らないと皇后さまの物忌みが遅れてしまうから」
脇息にもたれると肩の力が抜けて、少しほっと落ち着いた。
「燈子、本当に一緒に来てくれるのね?」
そう尋ねれば、力強く頷かれた。それならば、あとは同じ船に乗る者同士だわ。
「共に行くなら、これ以降の文句は禁じるわ」
「承知いたしました」
今はまだ、互いの心が読めずとも。
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