第4話 溺愛なんてくだらない
暗黙官が事細かに指示を出した習慣や作法はどれも変な代物だった。"国王やそれに準ずるものは、涙を流してはならない"なんて、くそルールだろう。
が、中でもこれは一際、奇妙だった。
"相手よりも幸せになってはいけない"
「一番重要な原則です」
「王配として陛下をお支えする以上、かの方の幸せを第一とせよということだな」
「そのとおりですが違います」
だがまず閣下側はそのぐらいの認識でも問題ないでしょう、と暗黙官は偉そうに言った。
詳細は追々……との話だったが、その後すぐに海戦に入ったので、落ち着いて話をするどころではなくなった。
§§§
「死ぬかと思いました」
「艦長室で大人しくしていろと言ったのに出てくるからだ」
「閣下の乗る旗艦が敵旗艦の土手っ腹に突撃して、乗り込み合いの白兵戦になるなんて聞いてませんよ!なに考えてるんですか!!」
「あのタイミングで、あの風と潮なら、俺の船なら包囲の間を抜けて突っ込めるな……と」
「閣下が悪鬼のごとく高笑いしながら敵兵三人まとめて海に蹴り込んでいるのを見たときには、肝が冷えました」
「そんなに怖い顔をしていたか?」
「バカですか、閣下は! 御身の価値を何だと思っていやがる! 後ろに大男がいたの見えていなかったでしょう」
「おお、そういえば。お前が短剣を投げてくれたおかげで助かった。ありがとう」
「持っていても使えないから返しただけです! あんなもの一本手渡して、部屋で隠れてろって言い残して出ていかれても困ります」
「それはすまなかった」
「いえ……閣下には、あのあと海に落ちたところを助けていただきましたから……」
「素人があれだけ荒れたときに甲板に出たら落水するのは当たり前だ」
「……息もできないほどの苦しい恋なんてするもんじゃないなと思い知りました」
「ハッハッハ。大変結構」
じきに補給のため入港するから、上陸先でゆっくり休めと言って肩を叩いたら、痛いと叫んで涙ぐんでいた。そういえば負傷していたのだった。悪いことをした。
§§§
「ここでお別れしなければならないのは非常に残念です。閣下には言っておかなければならないことが、まだたくさんあったのに」
「それはまた機会があればでよいだろう。まずは傷を直せ」
別れ際に赤毛の暗黙官は口をつぐんだまま目を伏せた。らしくないので、俺は奴の包帯が巻かれていない方の手を握った。
「貴殿の教えはありがたく心に刻んだ。必ず守る。息災で」
暗黙官はうつむいたまま、このまま王宮に戻り、王女殿下に俺に伝えたのと同じように、王家の婚姻関係に関する家訓を伝授する予定だと告げた。
「一番重要な原則も、閣下にお教えしたのとまったく同じようにお伝えします」
王女殿下に伝言があれば伺うと、彼は俺をまっすぐに見上げた。
なるほど、俺はこの男にまったく信用されていないらしい。不思議に腹は立たず、笑みが浮かんだ。
「"愛している。必ず戻るから、俺を信じて待っていて欲しい"」
痩せて背の低い赤毛の男は、海戦で俺をかばったせいで負った傷が痛むのか、ひどく顔を歪めて苦しげな表情を浮かべていたが、それでも背を伸ばし、綺麗な宮廷儀礼通りの礼をして、「必ずお伝えします」と言って去っていった。
§§§
予想していた通り、その後の海戦は長期化し、熾烈を極めた。
陛下の病状が悪化しているということが、王子の失態で諸外国に広まったのと、宰相が妻子を伴ってエスマトーラに亡命したのをきっかけに、対エスマトーラ戦が激化したのだ。
俺は海上勢力を束ねて可能な限り応戦し、同時に外交交渉で睨みを効かせ、中立国の大半に参戦を見送らせた。が、それでもいくつかの国はエスマトーラと組み、あるいは第三勢力として参戦してきた。
俺は最終的には私掠船まがいのことまでして、徹底抗戦したが、なんとかエスマトーラの主力艦隊を海の藻屑にし、第三勢力の海上輸送をズタズタにして手を引かざるを得なくしたところで、国内で民衆の蜂起が起きて政権がひっくり返った。
死んだ父の跡を継いで国王に即位していた第一王子とその妻だった碌でもない売女は、処刑され、我が殿下は黒塔に幽閉された。
国民政府が樹立され、エスマトーラや諸外国は新たに新政権の代表と国交を結んだ。
§§§
黒塔は王族や高位貴族を幽閉するための監獄だ。名前通り黒っぽい灰色の石で作られたその塔は陰鬱で、よく晴れた空も、温かい柔らかな日差しも、少しもその陰鬱さを減じてはいなかった。
狭い螺旋階段を上った先の部屋に、王国最後の女王……暴虐王が処刑されてから国民政府が発足するまでにわずかに期間があったために、便宜上、即位させられた元王女はいた。
見張り役の小柄な赤毛の兵を下がらせて入室した国民政府の代表を務める男に、彼女は宮廷作法通りの美しい礼をとった。
「ご機嫌よう。第一市民殿」
「女王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「皆の幸福が我が心の喜びです」
視線を上げてこちらを見た彼女は、静かな微笑みを浮かべた。
「貴方も……ご壮健な様子でなによりです」
「どうしても果たさねばならない約束がありましたので」
「わたくしも、ただ一つの約束のためにここまで生きてまいりました」
でもこれでもう思い残すことはありませんと言って、彼女は室内に一脚だけ置かれた女王のためというのはあまりに簡素な椅子に座った。
「王国最後の女王としての務めを果たします。どうぞ先の戦争の咎は、わたくしの命で償う形で決着をつけてください」
このようなところに居ても、相変わらず情勢をよくご存知だ。確かに国民議会では、その主張が優勢だった。
「陛下のお心遣いに感謝いたします」
彼女は目の前にひざまずいた男を見つめ返した。多くを語れない立場で育ってきた彼女は、こんなときでも想いを直接言葉にすることはできない。彼女の言葉はその表面通りの内容ではなく、言外に込められた心に意味がある。
「最後に、貴女がお忘れになっていらっしゃるようなので、大切なことをお伝えさせていただきます」
俺は彼女に手を差し伸べた。
「そんな役目、降りちまえ。こちとら通らねぇ無茶を無理やり通して、全員黙らせてここまで来たんだぞ。俺はお前抜きで一人で幸せになんかなれないんだ」
彼女はポカンとした顔で、俺の乱暴な言葉を聞いたあとで、差し出した俺の両の手を取って、額を押しあてた。
俺は言葉を元通り丁寧なものに戻した。
「お迎えできる用意があります。ただの……一市民の妻として我が家にお越しいただけますか?最愛の人よ」
王はけして流すなと教えられていたはずなのに、熱い雫がとめどなく俺の手を濡らした。
俺はついに手に入れた俺の最愛を抱き寄せて、呼吸を忘れるほど口づけした。
溺愛なんてくだらない。
嵐の大海は航路を見誤らず舵を取って渡り切ってこそだろう。
*********
[あとがき]
周辺諸国全部に睨みを効かせて、メインの敵国から賠償金ガッツリむしり取って、国内の混乱を治めるためと称して実権掌握して、第一市民という名で実質帝政の独裁政権作ったのは、ひとえに嫁のため。
丸呑みリヴァイアサン……。
理性と自制心と忠誠心がバカ高いので、王女の身を守るために、野心も持たず、目立たず、変な誘惑にも引っかからず、単に強力な抑止力として王家を支えていたであろうに……。
枷が反転して爆発的なエネルギー源になった結果、王女の身を守るという目的はそのままに、能力を100%以上に発揮して、あらゆる無茶を押し通した覇王が爆誕。
いいのかそれで。
「うちの大将が凄いのは知ってたけど、手段を選ばなくなると、あんなにタチの悪い人だとは知らなかった」
「俺、あの人の部下だったおかげで、ずっと生きた心地がしなかった」
「敵なんか心地だけじゃなくて生きてないぞ」
「敵じゃなくて部下で良かった」
「それはそう」
「なんだ、お前ら。こんなところで何の話だ?」
「俺達、閣下の部下で良かったなー」
「一生どこまでもついていきます!」
「うちには来んな」
第一市民。家庭に仕事を持ち込まない男。
お読みいただきありがとうございました。感想、レビュー☆、応援などいただけますと大変励みになります。本作は読み切りですが、これからも色々投稿させていただきます。
よろしくお願いします。
溺愛なんてくだらない 雲丹屋 @Uniyauriya
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