第3話 閣下、お覚悟を

「体調はどうだ」

「……ここにいるのは生ゴミです。返事をさせないでください」


 暗黙官は青い顔をして毛布にパタリと伏せた。船酔いだ。船が初めての新兵はたいていかかる。死にそうな顔をしてもそれで死ぬやつは見たことがなく、数日もすれば慣れるのが普通だったので、放置していたら、新兵並みの体力すらない此奴は、死にかけた。


「難儀なやつだ」


 王命でつけられた文官を着任早々に死なすわけにもいかないので、多少、便宜を図ってやった。

 新兵なら特別扱いはできないが、暗黙官などというどれくらい偉いのか偉くないのか所属も何もはっきりしない身分のイレギュラー一人なら、少々、普通はしない待遇にしても、ややこしい贔屓の先例にはならない。


「艦長室は、艦内で一番、揺れが少ないんだから、ここで治らないなら諦めろ」


 暗黙官は、艦長室に運び込ませた簡易寝台代わりのベンチに突っ伏したまま、返事なのかわからぬうめき声をあげた。



 §§§



 なんとか身を起こせる程度にまで回復した暗黙官は、幽鬼のようなげっそりした顔なのに、なんと、講義を始めた。

 話している方が気が紛れるらしいが、つくづくおしゃべりな男だ。


「おしゃべりとは失敬な。公務だからです。でなければ、基本的に物静かな男なんですよ、僕は」

「お前が物静かなら、俺は石のように口が重いぞ」


 落ち窪んで隈のひどい目で暗黙官はジロリとこちらを睨んだ。


「それです! まず、それがよろしくない」


 彼は、俺が婚約者に対してろくに褒め言葉や愛の言葉を言わないことを叱咤した。


「俺は劇場の役者や吟遊詩人のような芸人ではない。女人の歓心をかうために言葉を弄するようなことはしない」

「言葉を弄しろとか、気の利いた口説き文句を言えとかは、物凄く言いたいけれど言ってもできそうにないから言いません」

「言い方」

「言わせていただきますが、閣下のような方は、"俺が言葉にしなくてもわかってもらえるだろう"と思って好きな相手に対して取っている行動と、な~んとも思っていない相手に対して取っている行動が、大差なかったり下手をすると逆転していますから、絶対に愛情の有無は口に出さないといけません」

「そうは言うが、これから結婚して生涯をともにする相手に最上位の愛を持って接することも、正統な王族である殿下に敬意を抱いていることも、どちらも当たり前過ぎて誤解の余地はないだろう?俺は王女殿下からそこまで常識のない人間だとは思われていない」


 俺は切り分けたリンゴを差し出した。

 寝台の上で暗黙官は頭を抱えて唸った。


「どうした? まだ吐き気がひどいのか。無理にでも少しは食っておかないと身体が保たんぞ」

「……そういうところです」


 暗黙官は口の前に出された半口大のリンゴを物凄く嫌そうに咀嚼して飲み込んだ。


「とにかく閣下は、王女殿下を愛していると積極的に発言する習慣をつけてください。可及的速やかに」

「次回、殿下にお会いしたときに折を見て一言伝えよう」

「それでは遅いし全然足りません」


 対外的な牽制、宣伝効果も必要なのだと暗黙官は説明した。


「政治か」

「第一王子殿下のお立場がよろしくありません」


 宰相家の我儘娘との縁談を嫌い、身分差のある相手にうつつを抜かしているらしい。周囲の大人が諌めても聞く耳を持たず、同年代の側近候補達と徒党を組んで好き放題をしているというから呆れる。


「それこそお前が行くべきではないのか?」

「もう、行きました」


「無礼者!」と言って斬り殺されかけたそうだ。王子相手でもこの調子だったなら、それはそうだろう。


「あれはダメです。陛下もおそらく内心では見切りをつけておいでです」


 この男が王命で俺のところに来たのは、そういうことだという。……第一王子を廃して、我が殿下を女王に立てる気か。


「閣下が王女殿下の心をしっかりとお支えして、王国の守護の要として不動の地位を得られることは非常に重要です」


 第一王子の醜態で人心は王家から離れつつあるし、宰相家も貴族間での影響力を減じている。本来なら順当に世代交代するはずだった次世代が王子と共倒れになるのが最悪だ。

 病床の陛下では、国内再編の舵を取るのは困難だろう。国内が乱れれば、今は様子を見ている中立派の諸外国が、エスマトーラに与してパイを切り取りに来る。


「閣下、お覚悟を」


 暗黙官は、凄みのある眼差しで、王家に口伝のみで伝わる婚姻関係に関する家訓を王配教育として伝授すると告げた。

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