第2話 閣下、黙れ

「それで? 本題を聴こう。王女殿下への対応のどこが間違っていると言うのだ」

「どこもかしこもです」

「具体的に例示しろ」

「では、殿下が直近で閣下にお話された話題を例にご説明いたします」

「なんだ? エスマトーラ情勢のことか?」

「バカですか、閣下は」


 別れを惜しむ恋人相手にした話題で、政治の話しか覚えていないというのはどうなのかと大げさに嘆かれた。芝居がかっているので、あてこすりだろう。くそう。


 暗黙官は、女性がわざわざ"溺愛"などという話題を婚約者相手に出してきた意味をまるでわかっていないと、なじった。


「そんなもの、やってもらいたいからに決まっているでしょう」

「不敬なことを言うな! 殿下はそのような女性ではない。高貴な身のお方をゲスな勘繰りで愚弄すると許さぬぞ」

「あーそーですか。では、高貴な御身分の閣下も、一切そういう感情はおわかりにならないと言うことですね」

「あたりまえだ」


 憤慨した俺を見て、暗黙官は眉を奇妙な具合に歪めた。


「ちなみに、閣下は溺愛というのは具体的にどのようなことをするというご認識ですか?」

「度を越して色恋に溺れることなのだろう? 遠征先の色街で女に入れあげて居続けた挙げ句、乗船時間になっても戻ってこなかった部下をふんづかまえに行ったことがあるが、アレは見れたものじゃなかった」

「事例が酷い!」

「あとは長期航海任務のときに、よりによって船内の若い水兵に性的関係を強要した士官がいて……」

「ひぃぃぃっ、待て待て待て待て!」

「艦内の規律の維持のために厳罰に処したが、愚劣すぎて反吐が出る」

「色恋の色がエロに振り切れてる事例ばっかじゃないですか! 男の下半身の欲に直結していない例はご存じないんですか!?」


 問われて、ひと思案した。


「宰相殿が娘に甘くて、躾もろくにできずに、わがまま放題に育ててしまったせいで、娘と第一王子との縁談が破綻しそうだという噂は聞いた。あれも"溺愛"だと言われていた気がする。己の責務を果たさず、相手のためにもならん情を押し付けて破滅するという意味では同じだな。……あとは、猫の話か」

「猫?」

「ネズミ対策に船で飼っていた猫を可愛がりすぎた船員がいてな。船員用のメシを猫に与えて機嫌を取っていたせいで、猫がすっかりネズミを取らなくなって、艦内の備蓄食料に深刻な被害が出た」

「うわぁ……」

「結局、人間用の食い物が合わなかったらしく、その猫も早死したので、誰も得をしない嫌な一件だった」


 よほど苦り切った気分が顔に出たのだろう。

 暗黙官は「それはご愁傷さまです」とかなんとか口の中でモゴモゴと呟いて一度目を伏せた。

 しかしコイツは、その程度で口を噤む男ではなかった。


「おおよそ閣下の無理解の原因は把握しました。根本的に知識が足りていない……というか方向性が致命的に間違っています」


 暗黙官は、頭痛でもするかのようにこめかみを揉みながら、哀れなものを見る目つきでこちらを見た。この男の無礼は底なしか。


「いいですか、世の貴婦人方がおっしゃる"溺愛"というのは、男の欲とはほぼ無縁です!」

「犬猫相手か」

「閣下、黙れ」

「"閣下"は罵詈雑言ではない」

「似たようなものです」


 暗黙官は赤毛を揺らし、フンと鼻で笑った。


「世の貴婦人方は、溺れるように愛されたい、息もできないほどの恋がしたいと憧れているのです」

「溺死する間際の窒息は恐ろしく苦しいし溺死体は汚いから、船乗りは重しをつけて船縁の渡り板から海に落とされるのを嫌がるぞ」

「わあ~、ダメだ、この人。溺死への造詣が深すぎて、比喩が適切に機能しない」


 暗黙官はがっくりとうなだれたが、そこで諦めずに、ぐっと拳を握って顔を上げた。


「焦らずじっくり講義させていただきます」


 明日からよろしくお願いいたしますと挨拶されたが、その予定は反故になった。

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