第4話 天才と凡人
無力感に襲われて半泣きになったフィオに、ホルディががしがしと頭を掻いた。
「おい、何か勘違いしてないか!?」
「え、え?」
「オレはなぁ!エロとグロとホラーの奇跡的な調和が生み出す悍ましくも儚い鮮烈な世界観をこの世に顕現させるのにふさわしいのがお前だと思ったんだよ!耽美で麗しい人形屋敷とか幻想世界ならリナリーのやつを引っ張ってるから!あいつ、天才だから!」
「……えっと、そうね?」
確かにそれならマダム•リナリーが一番よねぇとホルディの勢いに圧倒されつつフィオは口許を綻ばせる。
全くそんな状況ではないのだが、敬愛してやまない人が誰かに褒められるのは嬉しい。それが分野は異なれど天才と名高い人であるならばなおさらだ。
自分が愛する人の芸術が素晴らしいのだと世界中の人が思い知ればいいのになんて思考を馳せかけて、気づく。ホルディは今、マダム•リナリーを褒めた。褒めたその口で、でもふさわしいのはフィオだと告げた。明らかに未熟で無能なフィオがふさわしいのだと断言した。
ホルディという人をフィオがどれほど理解しているかと問われれば、たぶん小指の爪の先ぐらいだと思う。世界に認められたあらゆる分野の天才。今は世界的に活躍する天才作曲家として仕事中。かつてフィオの両親が目にかけていた楽団で活動していた人。
そして、フィオと同じく貴族社会に馴染めず、盛者必衰になる前に表舞台から去ったであろう人。
破天荒ではあるし口を開けばとんでもない発言が飛び出してくるし人間性には大いに問題があるが、悪い人ではないと思う、たぶん。今みたいにわかりにくいフォローめいたことをしてくれたのは一度や二度ではない。
だが、どれだけ考えても接点らしい接点は、実のところなかった。オレの救世主、なんて時折ふざけたなあだ名で呼んでくるこの人は、フィオよりもマダム•リナリーとの方がよほど親しくしている。天才同士遠慮の欠片もない、されどどこまでも軽快な掛け合いはフィオとは違う次元で交わされているかのようで。
だからそう、彼とてフィオをよく知らないはずなのだ。
目をぱちぱちと瞬かせると、ホルディが言葉を探すように視線を彷徨わせ、笑う。
「なあ、オレの救世主。生きている人たちが見えている世界は一緒か?同じ空を見て、海を見て、綺麗だねぇってなるか?」
「……それは、ならないって、思います。だって、その時の気持ちなんて人それぞれだし、それにみんながみんな同じ境遇で育ってはいませんから」
「だよな〜!平穏に生きる子どもは砂浜を駆ける!空腹を知る子どもは食料を探す!戦争中の子どもは敵に怯える!人魚は波間を漂う!なのになんでお前、自分を出し切る前に元貴族のご令嬢フィオ•アルケイデアでいるんだ?」
「……え?」
言われた意味が本気でわからなくて呆けたフィオの鼻先にホルディが指を突きつける。
「お前だよお前。ただのフィオ。アルケイデアの名を失ったちっぽけなフィオ。リナリーのおくるみを脱いだ知らないお前。お前の芸術がオレはこの大舞台にふさわしいと思ったんだよ!」
「……」
「レースもフリルも使いたきゃ使え。音楽が気に入らなければ作り直せって喚け。いくらでも作ってるよ。でもな、芸術家フィオとして振る舞えよ。オレはここに没落貴族の元御令嬢様を呼んだわけじゃないから」
「私と、して?」
「そうだよオレの救世主。いいかげん分かれよ!オレが求めてるのはお前だ!何者でもないお前の芸術を、オレに……このショーを待ちわびている人たちに見せてくれよ!なあ!」
くしゃりと無遠慮に頭を撫でた手に、歯車が噛み合った気がした。唐突に腑に落ちる。
マダム•リナリーの作る世界は綺麗だ。高貴で完璧で美しく、その世界をフィオは誰よりも愛している。彼女が創り上げた絢爛豪華で美しい衣装に、誰よりも惚れ込んでいる。
では、フィオの世界はどうだろうか。フィオの世界はマダム•リナリーと違って澱んでいる。当たり前だ。空を見て、海を見て、フィオとマダム•リナリーが抱く感想はちっとも同じではない。孤独を知るフィオは、憧れを見る。攫われそうな景色に感動と憧憬を抱く。寂しいものに愛着と親近感を抱くフィオは、どこまでいっても華やかな世界から転落した居候の少女でしかないのだ。
不穏なものも、穢れたものも、怖いものも、例えそれが自分事ではなかったとしても知っている。そういう環境で育ったのだ。貴族社会で誰もが当たり前のように持っているものに、知っていたものに、ゴミ屑同然に路頭に廃棄されたのだ。
そのことを恨んではいない。悲しんでもいない。諦観だけがそっと寄り添ってくれたから。手に入れた分不相応な居場所さえ失わなければ、どうでもよかった。
歪で、不出来で、未熟で、完璧には程遠い。
でもそれこそがフィオだ。アルケイデアの名を失った、等身大のフィオだった。
「私として、作るのね」
ぽつりと呟いて突っ返された図案に目を通す。
酷い出来だ。マダム•リナリーを真似たわけではないが、中途半端にその色が出てしまっている。依頼者であるホルディは地獄に落とされた美しき天使たちの舞踏なんて期待していないのに、やけに装飾華美で目に煩い。フィオとしてのモチーフも散見されたが、それはマダム•リナリーの弟子フィオであって、ただのフィオとしてのものではない。少なくとも普段のフィオが『エロとグロとホラーの』と言われて想像するデザインではなかった。
ここに連れてこられた最初の日から、この人は言ってくれていたのに。
好きにしろと。普段できないことだってしていいんだと。資金繰りは気にするなと。心を満たしてほしいのだと。
好き勝手にそこらで作曲したり歌ったり演出案を喚いたりするその姿こそが、答えだったのに。
「わかった気がするわ」
それならば、とペンを執る。
描くのは、血に塗れた世界。加虐的な暴力がコミュニケーションとなった魔の巣窟。ゴシックな雰囲気に退廃的な雰囲気を練り込み、生理的嫌悪感を煽る醜悪さを散りばめていく。指先一つに至るまで崩れ落ちていく脆さを加え、誰もが恐れる老いを表現する。欲をそそる色艶も、織り込む。それが例えフィオの苦手とするものたちであったとしても、いっときは間近にあったものだから。
黒のレースは蜘蛛の糸、シルクのフリルはズタズタに裂かれたボロ雑巾、鈍く光る赤は目玉の髪飾り、欠けた肋骨には内臓が透けて、羽虫が集る腐敗の甘い香りを連想させよう。
そうしてそこに、一滴の異物を。
愛される子ども、愛されない子ども。富裕者と浮浪者。その境界線がどこにあったのかフィオにはわからないけれど、それでも愛されずに廃棄されたフィオだからこそその寂しさもテイストとして忍ばせた。
誰もが目を背けたいのに背けたくなくなるような恐怖を衣装に降臨させる。そうして魅惑されて仕舞えばいい。お前はこんなにも悍ましいものが嫌いでたまらないのに、好きになってしまったのだろうと。
指を伸ばして蠱惑する、そんな幽霊たちに愛されて仕舞えばいい。
悔恨に嘆き、怨嗟に震え、哀惜に哭き、郷愁に駆られ、生きた人を喰らう者に骨の髄までしゃぶられて恍惚に打ち震えるがいい。
がりがりと、次々に、デザインのラフを完成させていく。
視界の端でホルディがデザインを手に取るのが見えた。表情は伺えなかったが、やがてそれは旋律になって返される。身の毛がよだつような戦慄の走るその音にフィオは目を見開いた。
「そ、それ!」
「ん?」
「なんで?」
短い問いかけに既に作曲作業に入っていたホルディはちらりとも視線をくれずに口の端を吊り上げた。
「聞こえたから。天才だから。見えるから。この世界に満ちるすべての音が芽吹き息づくなら、オレはどんなものからでもその愛を受け取ってしまえる大天才だから」
だから、と。
「オレの救世主。お前は天才でも無能でもないし卑屈で臆病なやつだけど、確かにその愛はオレに届いたよ」
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