第5話 陽キャの幼馴染をNTRされた俺が学園一の美少女「氷の雪姫」と付き合えたワケ

 誰かを信じて、裏切られた。

 たまたま千佳がそうだっただけで、今後も誰かに同じことをされない保証はどこにもない。

 だから、信じられなかった。


 俺は、井上さんとくっついておきながらも、心のどこかでは彼女のことを信じてあげられなかった。

 千佳と別れて一年が経った冬の日。

 ふと頭の隅に浮かんできたのは、そんなことだった。


「どうしましたか、圭太さん」

「いや……」


 手を繋いで俺の隣を歩いている井上さんが、小首を傾げる。

 付き合ってから一年経って、距離が縮まって──きっと傍目から見れば、俺たちは幸せなカップルに見えるのだろう。

 手も繋いだ、キスもした、その先にも踏み込んだ。


 でも俺は、未だに井上さんのことを名前で呼べていない。

 理由はわかりきっている。

 俺はまた、心を許した相手に裏切られたくないんだ。つまるところ、井上さんが俺を裏切るんじゃないかと、そう思っているんだ。


「浮かない顔ですね、具合が悪いのですか?」

「具合が悪いっていったら悪いのかもしれないけど、大したことじゃないよ」

「そうですね、体温も平常ですし、風邪を引いているような様子も見られませんから」


 冗談めかして微笑む井上さんの黒髪が、北風に靡く。

 綺麗だな、と思った。

 その瞬間だけを切り取って小瓶に詰めてしまいたいような感情が、波濤のように押し寄せてくる。


 同時に、また頭の中をよぎってしまう。

 この笑顔が俺の手をすり抜けてしまったら。

 井上さんの心が、変わってしまったら。


 そうなったら、俺はもう二度と立ち直れない。

 多分でもきっとでもなく、確信があった。

 熱く恋焦がれれば、恋焦がれた分だけ、深く愛すれば愛した分だけ、人は別れのときにその熱と深さに応じた罰を受ける。


 千佳の別れで、俺は経験してしまった。

 その痛みを、重さを。

 知らない男の子供を宿して退学処分になった千佳がどこに行ったのかはもうわからないし、わかりたくもない。


 縁だってとっくに切れている。

 それでも、俺の中から千佳を愛したという事実は、千佳を愛していたという想いは、消えないのだ。

 人は、都合の悪いことをなかったことになんて、できないんだ。


「そういえば、圭太さん」

「……なにかな、井上さん」

「貴方を陥れた輩を少年院と退学に追い込んだのは、どこの誰だと思いますか」


 そんな俺の心の内を知ってか知らずか、唐突に井上さんが問いかけてくる。


「誰でもいいよ、もう終わったことなんだし」

「いいえ、まだ終わっていませんよ」

「井上さん?」


 俺を見つめる彼女の目が、すっと細められた。

 心なしか、光が消えているような、焦点を結んでいないような気がする。

 終わっていない? なにが? なにもかも、終わったじゃないか。


「あれは私がやったことです」


 呆気に取られている俺に、井上さんは恍惚とした、蠱惑的な笑みを口元に浮かべて語る。


「ありとあらゆる手管を尽くしてあの男の弱みを握りました。ありとあらゆる手管を尽くして、あの女が──自ら愚かな行為に走るよう、唆しました」

「……井上さん?」

「ふふっ、最低ですね、私は。全ては貴方から愛されるために、人の人生を弄んで、破滅に追い込んだのですから。きっかけそのものはあの女が考えなしに浮気へ走ったことでした、でもそれは、私にとってチャンスだったんです」

「チャンスって……」

「ずっと貴方を見ていました。ずっと貴方を慕っていました。貴方を、貴方だけを。貴方以外に私にはなにもいらない。私以外に貴方にはなにもいらない。そうであってほしいんです、私は」

「……なにを、言って」

「あの女が貴方を裏切るように仕向けて、貴方が私だけを愛するように仕向けて……それでも、貴方は。貴方は、正しい人です。私を信じなかったのですから」


 ぽつり、と、光を失った井上さんの瞳から一雫の涙がこぼれ落ちる。

 今の話を信じるのなら、俺と千佳が別れるきっかけ自体は偶然だったけど、別れるように仕向けたのは、井上さんだったことになる。

 ……俺は、また。また、裏切られたのか?


「私の敗けです、圭太さん。どうぞ──なんなりとしてください。裏で手を回していた証拠は私が出しますから、退学にも追い込めますよ」


 愕然と、脳味噌の中に手を突っ込まれて掻き回されているような感覚の中で、俺は。


「……井上さん」

「はい」

「──ありがとう」


 舌から滑り出した言葉になにより驚いていたのは、俺自身だった。

 なんで、だ。

 俺はまた、裏切られたんだぞ? 千佳との日常を壊したのは、他でもない井上さんだったんだぞ?


 頭の中で何度もそんな自問自答が反響する。


 ──それでも。


「それでも……俺のことを愛してくれてたから、なんだよな」

「圭太さん……」

「ははっ、大切な人から二回も裏切られたのに……どうしても俺は君を憎めないみたいだ」


 それでも、千佳を愛した事実が俺の中から消えないように。

 井上さんを愛していた事実も、消えないんだ。

 だから。


「井上さんを、俺は許すよ。でも、条件がある」

「……なんなりと、言ってください」

「その愛で一生俺のことを縛ってほしい。君が罰を受けるというのなら、俺と一緒に、地獄に落ちよう」

「ふふっ、そんなこと……言われなくても。私の愛は、とても重いですよ?」

「だから、井上さんは井上さんの愛を裏切れない。そうだろ? ……雪音」

「はい。やっと……名前で呼んでくれましたね。圭太」


 俺たちは、お互いの足首を縛りつけるように、そこに愛という錘をつけるように、互いの名前を呼んで、キスをした。

 愛した事実は消えない。真実がどんなグロテスクな形をしていたとしても、事実は消えてくれないのなら。

 全てを俺への愛に捧げた雪音は、一生俺への愛を裏切れない。


 流されて消えていくだけの正しさを選ぶよりも、消えることのない間違いを俺は選ぶ。

 それがきっと、雪音の愛に報いることだから。

 雪音が、俺を愛してくれるということだから。

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陽キャの幼馴染をNTRされた俺が学園一の美少女「氷の雪姫」と付き合えたワケ 守次 奏 @kanade_mrtg

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