第2話

 後日、レコード屋に赴くと、何事もなかったかのように、店は通常営業していた。

 先に、源が珈琲を味わっていて、愛理は不在だった。

いつものように、客がいなくなった頃合いで、店主は源の隣にゆっくりと腰を掛けている。

「君たちって仲がいいよねえ」

「この店があったからだよ」

 源が少し照れたようにして、言う。

田所も同調するように、小刻みに顎を引いた。


田所が源と知り合ったのは、私立大学に入学した初日のことだった。

「君も経営学部だよね?」

 隣の小便器に立った小綺麗な男は小汚い場所でありながら、透き通った声で質問をしてくる。横目で、声の主を見た。

帰国子女かもしれない、と思った。どこか日焼けした顔には、日本人では見ないような艶がある。

「体格がいいね。殺し屋でもやってるの?」

 気さくなジョークに対して、田所は反応に困った。それでも男は流れるように、話し続けてくる。

田所は適当な相づちを打って、逃げるようにして説明会の部屋に戻っていた。ストレッチがてら椅子に座った状態で、腰を捻る。

 学生証が、視界に入った。

後方の席が、先ほどのトイレ男だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。

 つい先ほど配られたばかりの学生証の写真が、証左になる。

「よろしく」

 釘を刺すようにして、トイレから戻ってきた男に田所から牽制するようにして声を掛け、すぐに前を向いた。

男からは、香ばしい珈琲のような匂いがした。

大学での生活が、始まっていた。

 当初、田所にとって、源は機械的な挨拶をする一人に過ぎなかった。

「あれ、こないだも会ったよね?」

 レコード屋で気に入ったアイテムがないかと、田所が必死に人差し指を駆使して、物色していた時だ。

 横に見知った顔がいた。あのトイレ男だ。

共通の話題があるということは相手に対して、警戒心を引き下げる強い要因となる。

「よくこの店に来るのか?」

「この店は行きつけなんだよ」

 源は見知らぬ人にトイレで声を掛けるだけあって、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションが取れる男だった。

 田所に話しかけたかと思うと、すぐに店主にも挨拶をする。

「ここの店主がすごい喋りやすくてさ。君も気に入ると思うよ」

 レコード屋の店主は、初めて会ったその日も珈琲を淹れてくるね、と奥へと一度、引っ込み、慌てて戻ってきて、源に何やら耳打ちをしていた。

 田所は苦笑いを浮かべて、軽く、会釈するしかない。

「今、店主から教えてもらったんだけど、こいつも同じ大学だって」

 レコード屋の隅の柱に隠れるようにして商品を眺めていた女性を、源は指差している。

 目がぱっちりとした二重の長髪で、背が源の半分くらいの女性だ。

 緑のリュックサックがよく似合っている。

「愛理です、よろしくね」

「同じ大学で学年も一緒らしい。年齢も一緒で、最高でしょ」

 気分が高揚している源に水を差すようで悪かったが、田所は浪人を経験していた。その場で受験に失敗した過去を打ち明ける。こういうのは隠しておいてもロクなことにならない、と分かっていた。

田所の告白に、二人は朗らかに笑った。


「二人は前から知り合いだったのか?」

「いいや、SNSで愛理から声を掛けてもらったんだ。ここのレコード屋によく来るって話で盛り上がってさ。実際に会ったのは今日が初めてだけど」

 じゃあほぼ初対面だな、と田所は頷く。

その日、三人は連絡先を交換して、自然と呼び名を決める流れになった。

 源、愛理、そして田所だ。

二人が年長者を慮った結果の名字呼びだったのかもしれない。

 源はサブカルチャーで精神が醸成されたような男だった。

上辺だけ知識で塗りたくられたような表面的な好きではなく、心酔しているといえるくらいには、毎日の行動に、サブカルチャー愛が埋め込まれている。

 田所は、源から趣のある古着屋を教えてもらい、愛理は、源とよく映画談義に花を咲かせた。三人は意気投合し、今日もレコード屋に集う。


「やっと来たのか、愛理」

 二人の声が揃っていた。

「うん、バイトが長引いちゃって。ごめんね、二人とも」

 愛理は何度も頭を下げ、その度に、源がもういいよ、と宥めていた。相変わらず、リュックサックが背中をバウンドするようにして揺れている。

「愛理のリュックサックっていつもパンパンだよね」と源が関心を持つと、「愛と勇気がいっぱい詰まっているの」と愛理はこれ見よがしにお尻を突き出すような形で、リュックサックを強調していた。

「どこかのヒーローみたいだな」

 田所が仁王立ちの素振りを見せると、三人は面白がって、これがヒーローのポーズに相応しい格好だ選手権が、突如として開催される。

 順繰りに決めポーズを披露していたのだが、その場に突っ立っていた店主が一番、秘密めいたヒーローみたいだ、という愛理の意見で、たしかに、と全員が落ち着く。

 この日、初めてレコード屋が閉店した後の夜に、店主から招待されていた。

既に三人の中には、レコード屋での思い出が店内にたくさん刻み込まれている。

「レコード屋の奥には隠し扉があるんだよ」

 店主が自慢げに胸を張った。

それこそ殺し屋の拠点みたいな話だ。

田所は、信じていない。だが、店内の奥へと進み、店主が柱の横をちょんと叩くと、地下へと続く階段が確かに眼前に現れた。唖然とする。

「ね、あるでしょ?」

 驚く田所と愛理を他所に、店主は平然と階段を下っていく。源もコンビニへと向かうような軽い足取りだ。

隠し扉の存在を知っていたのだろう。

 階段を下りきると、頑丈な扉があった。今度は店主が力を込めて扉を開ける。

すると中にはバーのような空間が広がっていた。これは、隠れ家だ。

オーセンティックバーの見本とも呼べるような空間が、地下にある。

「この場所、好きなんだよ」

 源が一番に、席へと腰をつけた。

「源はね。隙あらば、ここに来たがるんだ。困った男だよ」

 カウンター席に、三人は横並びに座った。

バーテンダーの位置に、店主だ。

 レコード屋の店主と源は、ウイスキー好きな点で意気投合しており、田所や愛理に対してもウイスキーを味わってほしいと、強く勧めてくる。

「いいウイスキーを素直に楽しむにはストレートもしくはトワイスアップの飲み方がベストだよ」

 棚に整然と並べられたウイスキーのボトルをバーテンダーの位置から店主がうっとりとした顔つきで眺めている。

 田所は、日本製のウイスキーもあるんだな、とラベルを見て、感心していた。

「トワイスアップ?」と愛理が尋ねると、「氷なしの状態で、一対一の水割りにすることだよ」と源が丁寧に説明していた。

 温白色のバーの照明が、心地よい空間を包み込んでいる。

結局、三人はどうでもいい話を垂れ流し、店主のトワイスアップ談義に巻き込まれ、魔が差し、それでオンザロックでウイスキーを楽しんでいた。

「おばあちゃんのためにも、バイトを頑張りたいの」

 何度も遊んでいると、時折、真剣な話題になる。

ウイスキーの世界に溺れたせいもあったのだろう。愛理は頬を赤らめていた。

「どうしてだ?」

 田所はウイスキーを一度、舐めるようにして、味わう。

「最近ね、元気がないの。なんか詐欺に遭ったみたいで」

 被害の金額は数千円だった。それも百万円が当選したから、その手数料にとプリペイドカードをコンビニで購入して、支払う。典型的な詐欺の手口だった。

田所は愛理をじっと見つめる。

「被害額が小さいから被害届を出しても仕方ないねって、おばあちゃんは泣き寝入りしちゃったの」

「そんな分かりやすい手口に引っかかるもんかな?」

 源が、中央に置かれたピーナッツの皿に手を伸ばす。

「うん、なんかね。結構、被害者の数は多いんだって。おばあちゃんもずっと本当だって信じていたから、誰の忠告にも耳を貸さなかったんだよ」

 へえ、と田所が相槌を打つ。

店主はただ同じペースで、グラスに口を近づけるばかりだ。

 レコードから響き渡るビートルズの歌声だけが、バーに賑わいを与えている。

ふと田所は視線を感じた。それが愛理によるものだと分かるが、田所は視線を受け止めきれずに瞑目する。

「それにしても居酒屋って忙しいのに、時給が安いよね」

 場の空気が悪くなったことを敏感に感じたのか、愛理が話題を逸らすようにして愚痴をこぼしていた。

 源も合わせるようにして、派手な仕事ないかなあ、とぼやいている。

田所は何も言わずに、ただただ笑っていた。

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2024年12月5日 18:00
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トワイスワップ 木村文彦 @ayahikokimura

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