第三話『レストランテ 霊安室』死体専門チェフタカハシが魅せるミチオの正しい捌き方。
人間と云う職業は、命が尽きてコノ世界を去る時でも、手間が非常に掛かる。病院や葬儀の諸々の支払い。其の際の発生する、色々な手続きの書類に対し、日付けを書いてからの署名の記入。その後に印鑑、様々な書類に刻印。手が疲労感を覚え、財布は悲鳴を上げる。今のタカハシはコノ段階に居る。
儀礼的な挨拶をお互いに済ませた後、ミチオが待つ霊安室に案内すると云うミナコの後を歩き出したタカハシは、カウンターのオガサワラに会釈を見せた。オガサワラも其れに応える様に、今回は心を込めて、気持ち良い御辞儀をタカハシに返した。ミチオ対タカハシの長い戦いの開始の合図。
タカハシの持論では、どの病院でも必ず共通して居るのが、霊安室の位置と裏口玄関の場所が非常に短距離の範囲に在ると云う事。病院としては死んだ人間など、手早く効率良く捌き、とっとと病院の外に出してしまいたい。生命を活かす事を生業として居る病院にとって、死人は縁起が悪いし、治療出来ないから金も毟り取れない。ホラどうだ?タカハシの持論が見事当たった。待合室から数秒程、廊下を進み、目の前の階段を二階上がり、更に二階下った所にヤハリ霊安室は在った。
ミナコは霊安室の戸の前で立ち止まり、タカハシに遠慮がちに告白した。
「タカハシ様、どうか驚かないで下さいね。ミチオ様の御遺体、かなり腐乱が進行しておりまして..反吐が出る程のウジ虫が体内に湧いた状態で当病院に搬入されました。この霊安室に安置する前にも、うちの専門職員がカナリ強めの冷水シャワーでミチオ様を洗浄したのですが、それでもミチオ様をタカハシ様が直視出来るかどうか..」
「嗚呼、心配は要りません。先ずミチオ君を最初に発見したのがワシですから。それに死体は見慣れて居ります。」
「..分かりました。それでは開けますね。」
ミナコは観音開き仕様の右側の戸を厳かに開き、自分では無く、初めにタカハシを部屋の中へと案内した。霊安室の中はとても清潔感が在り、空調もシッカリと効いて居た。入口入った反対側の壁には、灯る炎を思わせる出来映えの、本物そっくりの蝋燭を模した三本の電気式のランプが点灯。火事対策。金にならない霊安室から火災が発生して、病院が全焼でもしたら堪ったモンじゃ無い。
部屋には優しい木目調の色合い、然し実は冷たいパイプ製ベッドが三台。宿泊者は本日ミチオのみ。この病院の規模からすれば、三つのベッド数では死体を賄えないのでは?タカハシがミナコに聞いてみたところ、この病院には霊安室が六〇箇所在るそうだ。
(成る程、そん中の一部屋か、此処は..)タカハシは深く納得し、昨晩以来の再会となる、ミチオの遺体の全体を覆う純白の上質な素材のシーツを、ミチオのアタマから胸の心臓の部位まで優しく捲った。
(ホォ..この病院の下処理、見事じゃて。綺麗に、じゃがマダ一杯肉が残っちょる)ミチオの状態の確認を、実際の眼で確認した後、タカハシはミチオの遺体に対してテレパシーを送る(どうじゃミチオ君?最高級ホテルのベットの寝心地は?ミチオ君の部屋の万年床に比べたら、正に雲泥の差じゃろて?良かったのぉ、全く冴えなかった自身の人生の最後の幕締めに、こんなスイートルームを独占出来て。流石のワシも今チト嫉妬しとる、さてと、もう満足じゃろ?そろそろチェックアウトの時間じゃて、ミチオ君)。
タカハシはコノ病院を訪問するに当り、事前に購入しておいた『ホームセンタートドロキ』、其の大きな手提げ袋の中から全ての商品を取り出して、ミチオ右隣の空いて居るベットに置いた。
「ミナコさん?もし差し支えなければ、ワシが此処でミチオ君の体にチト手を加えて、其のママ持ち帰っても良いですかノぉ?」
ミナコは快く応じた。そしてベットのシーツも汚してくれても、病院側は一向に構わない旨も伝えた。
「其れは有り難う御座います..」
タカハシはミナコにお礼を言うと「後、もう一つだけ頼み事が在るんじゃが、良いですかの?」
タカハシの頼み事とは、“病院内の清掃に使う掃除機を暫く貸して貰えないか?”チト理解には苦しむが、この件に関してもミナコには快く承諾。「掃除機は管理人部屋に在り、持って来るにはチト時間が掛かる。」タカハシに伝え、内股気味小走りで廊下の向こう側に姿を消した。掃除機を取りに行ったのだろう。部外者が去った後の無音の霊安室、残ったのは、生きたタカハシと死んだミチオ。
「さァ、やるとすっぺか」
ミチオの上半身までしか捲って居なかった純白のシーツ、其れを豪快に、ミチオの裸体が完全に露出するまで捲り上げ、其れを隣のベッドに綺麗に畳んで置いた。タカハシは茶色のチノパン、右ポケットに忍ばせて居た、普段ライスカレーを食べる時に愛用する銀のスプーンを取り出して、ミチオの頭部の左横に並べた。そして自身の足元に、タッパーを外した大きなガラス製の容器も置く。
(すぅぅ..)
一つ、深い深呼吸をしたタカハシ。ミチオの仕込みが始まる。先ずはミチオの脚の部位から。タカハシはスプーンを使って、ミチオの性器の下の太腿の所から、取り出せるだけの肉を掻き始める。如何でも良い話だが、タカハシは見た。ミチオは真性包茎だった。腐乱が全身に亘って完全支配して居るだけ在って、骨から肉を掻き易い。牛肉のブリスケットの如くスプーンだけで、然程チカラを使わなくとも簡単に肉が「ホロホロ」剥がれる。タカハシは其の掻いた肉を、ガラスの容器に入れる工程を繰り返す。
(昨晩はアンナにも臭かったミチオ君じゃが、洗浄と消毒液で下処理された身体からは、何の匂いもしない。この病院の職員の方々に感謝じゃな。)
ミチオの両脚の仕込みは「あっ!」と云う間に終わった。元々の体積が胸部や腹部と比べても、筋肉のせいで非常に歯応えがあり、然も脂分も少なめ。“人肉を食べてみたいが、脂身や肥満が非常に気になる”ソコの読者の貴女。人間の腐乱死体を、ホロホロのブリスケットと描いたが、脚の部位は“脂身少な目のフィレミニョン”に相当する。なので脂肪を気にする貴方には、ここの部位がお薦め。
続いては、腕の部位にタカハシの関心は移る。この腕の部位も、脚の部位同様、日常生活には欠かす事が出来ない人気の花形部署。常に忙しく動かす部位が故に、脂肪分が非常に少なめ。然も脚の部位に比べても体積の問題で、取れる肉も非常に少ない。それ故に、脚の部位と比べてもチトお高めの値段設定。タカハシのスプーンで骨に沿って肉を掻くと、
脂身のホボ無い肉が、手でバナナの皮が綺麗に剥ける様に、筋肉質の肉が無条件で剥がれていき、イトモ簡単にスプーンの上を滑る。
「あのぉ..タカハシ様?」
ミチオの解体に全神経を注入していたタカハシの背後で、大きな業務用掃除機を運んで来たミナコが声を掛けた。
「うぉうッ!ッハっ!ミナコ、さん.. 流石に今のは、此の世で長年生きて来た糞ジジイでも、チト驚きましたわ..うっかり霊安室で死ぬところじゃった..ウケケ」
「ぷっ! ウフフ、私の方が急に驚かせてしまい申し訳在りません。其の様なつもりでは無かったのですが..」
「イヤイヤ御心配ナク。其れよりもワザワザ掃除機の方、有り難う御座います。ソコに置いて頂ければ、後の方は大丈夫ですじゃ。」
「そうしましたら、私は何時頃コチラに戻って参ったら良いでしょう?」
タカハシは左腕にして居る腕時計に視線を送り、霊安室の天井を見上げ、数秒程の無言の描写を見せる。
「百二十分..今から二時間程、すみませんが時間を頂けますかのォ?」
「分かりました。」
ミナコは立ち去る前に、大塚製薬の五〇〇ミリリットル『ポカリスウェット』を二本、タカハシに差し入れた。料理人は体力勝負な事を見抜いての事だ。
「あんまり無理しないで下さいね。」
「これは有り難う御座います。」
(ふぅぅ..)
ミナコが立ち去った後、又タカハシは気持ちを落ち着かせて、深く一個の深呼吸。ミチオの解体作業に再び意識を注入。今迄は簡単な“腕”と“脚”部位を掻いて来た。次は天辺の“頭部”から攻める。
タカハシによると、頭部に至っては殆ど仕込みの弊害は無いとの事。取れる肉の部分が少ないからだ。更に頬肉の部分の肉が非常に美味との事。残念ッ!今回のミチオに限っては頬肉は殆ど、腐乱のせいで残って居なかった。唯一、この頭部で気を使う点と云えば、嘗ては全身の肉体の動作、且つ思想に至る迄、完全支配による命令を下して居た、極上の新鮮な雲丹の如く「プルンプルン!」とした、美しい形を保って居た脳味噌。新鮮な脳味噌は、濃厚でチト甘味も在って非常に美味、珍味でも表現は可能。
(多分じゃが、ミチオ君の脳味噌はモウ駄目じゃろうう..じゃが若しもの場合も在る。久し振りに人間の脳味噌をペロペロやって、日本酒でキュッ!といきたい。)
極上な雲丹よりもモット至極な雲丹よりも旨いとされる人間の脳味噌。無闇に頭蓋骨を割って、脳味噌を傷付けたく無いタカハシ。真剣そのもの。ミチオの頭蓋骨を一体どの様な角度で分断するか?タカハシは腕組みをしつつ、室内で他人事の如く無慈悲に灯っている、三本の蝋燭ランプの炎を朧げに眺める。
(フぅぅン..猿の脳味噌スープみたいに、ザックリと額に平行に沿って斬るか?それとも西瓜割りの如く、脳天の中心、其処を真ん中から思いっ切りッ!カチ割ってやるか?..)
「ワシは日本人じゃて、ココはやっぱりNTカッターじゃろ..」
タカハシは持参して来た日本が世界に誇る、世界で初めて“折れるカッター歯”を開発した『NTカッター社』が自信を持って販売して居る、安定感抜群の携帯用カッター。茶色のチノパンの後ろ左ポケットから抜き出し、自身の目線の焦点を、サムライの如く厳しい睨みを効かせ、ミチオの頭蓋骨の脳天部の中心一点に絞る。かと描写しながらも、実際はタカハシ伯父、斬り始める部分を適当に決めた後、カッターの刃を本体から約二.五センチメートル程を押し出し、先ずは気軽に第一刀、入らせて頂きます。
「サク、サクサクサク..」
タマシイが去った後の肉体とは、どの様な生物の肉も骨も、何が何でも主人の身の安全を守り抜いてみせる!と云う狂信的使命感が失せ、其の抵抗力( 治癒力) が完全に落ちる。感受性が乏しい読者の皆さんが予測して居た骨を刻む音とは、「キリ、キリキリキリ..」だろう。だが実際には「サク?サクサクサクっ!」。江崎グリコ『ポッキー』を前歯で思うが儘に、無慈悲で砕く時に発する擬音と云えば、大凡の見当が付くのでは?
「斬り易い様、今日は新しい刃に替えて持って来たが、今回は大正解じゃな、サクサク進むわい..」
モノの数分で、ミチオの頭蓋骨は真っ二つに割れた。だからと云ってタカハシ、確かに適当には斬ったが、決して急いでは斬らなかった。いずれは二個に分断されたミチオの頭蓋骨は、セメンダインを使って再度くっ付けると云う、チト面倒な作業が残って居る為に、ヒビ割れや、破損だけは極力避けたかった。
タカハシの予想通り、ミチオの頭蓋骨の中には、コレから先の未来、行く宛の無い孤児の脳髄が、ドロリとした悪臭の液体に姿を変えながらも、嘗てミチオを支配していた天守閣の頭蓋骨の壁に、辛うじてシガミ付いていた。家主を失った脳味噌は、本来の形を保つ事が不能。ダラシなく溶け切った悪臭を放つドロドロのヘドロと化して居た。
(矢張りか..脳髄は勿論、脳味噌も既に溶けて喰えん。ドブの水みたいじゃ..要らん、ガッカリじゃ。)
続いては眼球。脳天と眼球を繋ぐ神経細胞も、完全に腐り切って居て、蜘蛛の巣の様に脆かった。難儀なく二個の眼球は優しく引っ張って取れた。そしてタカハシは一つずつ、咀嚼をせずに飲み込んだ。本当ならば、味噌漬けにして食うのが一番旨いが、此処は家じゃ無いし、持って帰る途中で、目玉が破けるかも知れない。目玉の踊り食い(踊っては居ない)にて完食。目玉も脳味噌と並んで人体三大珍味の一つ。後一つが心臓。コリコリして美味なり。タカハシが一番好む部位は目玉。
ココからがタカハシにとっては正念場。胴体部分。面積と体積が広い為に、乳首の在る『オモテ』面と、乳首が無い『ウラ』面、両面の肉を掻かなければならない。裏面には沢山の肉が付いて居る臀部も在る。
(ふゥゥ..頭の部分も終わったわい。ミチオ君?ワシ、チト又ちょっとだけ煙草を吸わしてくれ)
仕事を進めるかと思いきや、タカハシ、潔くスプーンをベットに置いた(チト煙草が吸いたい..)。
「すまん、ミチオ君。ワシ、チト小便行ってから煙草吸って来る。待っててくれ」
——此処で一度、高齢の料理長タカハシ、健康維持の為、小休憩に入ります。読者の皆さんも売店に行って、スナック菓子や飲み物を購入するなり、タカハシさんと一緒に一服するなり、お好きにドウゾ。第二部の方は、今から五分後を予定しております。
———作者
オモテで煙草を吸い終わり、カウンターのオガサワラに厠の場所を聞いた後、其処で小便。飲食業界の暗黙の常識で、勤務中に一度でも煙草を吸った料理人は、厨房に戻る際には必ず両手をシツコク洗浄する。ウガイはオプショナル。煙草の匂いが指に付着して居るままで、其のまま食材を素手で触ってしまうと煙草の匂いが簡単に付いてしまう。
「さァて、やんべか」
ミチオ最後の牙城、先ずは胴体オモテ面。人体料理人泣かせの部位で、チト難易度が高い。人肉食業界の中でも、胴体部分を綺麗に解体出来る料理人は、世界中を探しても中々居ないのが現状。理由は非常に簡単。腕の部位、脚の部位、そして頭部などは、ケモノを捌いている様な錯覚を覚え、未だ平常心で仕事が出来る。頭部に関しては、気色が悪い等の意見が在るかも知れないが、発想の転換で『ウニ』を連想させて、己の深層世界を誤魔化す裏側でバッチ、グゥ。
では一体、人体の胴体部分を器用に捌く事が出来る職人が少ない其の理由とは?
『グロい。』
この一言に尽きる。先ずは皆さんがお馴染みの心臓。皆さんも、必ずや体内に持ち合わせている心臓。ケモノの心臓を見るのとはチト違い、感情を揺す振られてしまう。
(フハっ!自分の体に在る同じヤツだ!吐きそう..触りたくねェェ..)
補足として、タカハシでもチトあんまり触れたく無い、神々しい人間の部位が二箇所。人体の中で唯一、天界に向けて勢い良く突出。時には強烈な臭いの白濁したマグマの大噴火を起こす事もシバシバ。大火傷に御注意!卑猥且つ意味深な佇まいの細長いバベルの塔コト男性器(ってか、生理的に触りたくねェェ..)。アナタは思う。
全地球人の誕生は此処から始まる。意味深な亀裂が入って居て、時にはネットリとした聖液が溢れ出す事もシバシバ。洪水注意報発令!割れ目の奥の世界がチト気になる女性器(ってか、コレがもしも生きてる女の子だったら、ソリャ大興奮ですよ!けど死んでっから、死姦はチト..ねェ..)。こう呟く貴方は正常です。
タカハシは斬る。ミチオは中肉中背、可もナク不可もナクと云う、生前の人生の如く、全然冴えない肉体の持ち主。それでもヤハリ神々しい遺体を目の前にすると、其のタカハシの舐めた態度は変わる。ミチオとは云え人間の遺体とは聖なる汚物。銀のスプーンを握るタカハシの右手にチカラが入る。
「よし、やっか。」
タカハシは先ず、銀のスプーンで肉を掻く前に、頭部、両腕、そして両脚。コレ等と、本体部分である、胴体とを結ぶ関節部を切断する。未だにしぶとく、コレ等を繋ぎ止めている神経細胞や、コリコリとしたゼラティンの残党。タカハシは両手を使って、その粘着部分を思いっ切り捻り、力任せ且つ強引に切断。「ゴリっ!」っと云う擬音がタカハシの耳に入る。
「もう少しだからのぉ、ミチオ君。」
ミチオは仰向けで寝かされて居るミチオを頭上から見下ろす、情けを捨てた冷酷なタカハシの二つの心眼。此処の病院の職員が丁寧にミチオの体を洗浄してくれたのは聞かされて居る。確かに体はピッカンピッカン。異臭悪臭の原因となる臓物なども、全て綺麗に取り除かれていた。完璧な職人技を見せ付けられたタカハシ。
(じゃが..仕事とは云え、せめて少しばかりの臓物をワシの為に残して欲しかったのォ。臓物を捌く遊び心を、このワシに少しばかり残しておいてくれれば..)
異国人がタカハシの国の人肉専門料理店を訪れ、本来一番美味とされる新鮮な臓物系の部位等は、気持ちが悪いのと、食感がチト不快と云う事で絶対に注文はしない。彼等が好んで食べる部位は、専らが胸肉、脂肪分が少ない腿肉や、手羽に該当する腕の部位。
(チッ、ワシの好きな腸の部分も、綺麗さっぱり取られておるわ..。未だアシが付いて居らんかったら、家に持って帰って、漬け焼きにして食おうと思っておったのに。まぁ今回は我慢すっか..チッ。)
そしてタカハシの仕事は、ここからもっと細かいものになって行く。ベットに仰向けで寝ているミチオの体の胸部は、大体が腐って居て、病院の職員が水洗洗浄した際、其の水圧の力に耐え切れず、殆どが敢えなく流れていってしまった。胸部と云う部位は、人間の生命線の要と云える心臓が厳重に保管されて居る、脳味噌が保管されて居る頭部と並んで、最も重要な人体自然保護地区。其れ故に心臓と脳味噌を守る為に、様様な骨や肉が密集しては、忠誠心宜しく頑なまでに彼等を守って居る。
タカハシの目には、胸骨を通じてミチオの背中側の世界が丸見えの状態。ミチオが未だ生きていた時代、胸部の周辺に居た筈の様様な器官や、筋肉達がソコにはもう居なく、プライヴァシーの無い剥き出しの世界。栄枯盛衰とはコノ事。
ココからタカハシとミチオは、裏面の世界へと突入して行く。ミチオの身体をタカハシは両手を使って、優しく持ち上げて裏返し、俯せの体勢に。
(ヤッパリじゃ..タップリ肉が残っちょるわい..)
幸い、その『ウラ』の部分は『オモテ』とは違って、タカハシが満足出来る程の肉が未だ残って居た。恐らくだが、此処の職員がミチオを裏返して洗浄をする手間を省き、仰向けの状態のママ、洗浄したのだろう。タカハシにしたら、嬉しい手抜き仕事の誤算。
「うん..まぁヨシヨシじゃな、“オモテ”はホボ全滅じゃが、“ウラ”は未だ掻ける肉が残っちょる。尻なんかプリップリじゃて..」
タカハシは鎖骨の部分から恥骨の所まで、スプーンで掻けるだけの肉を丁寧に集める。流石にスプーンでは掻く事の出来ない、細かな部位に関しては、『NTカッター』携帯用カッターの再登板で在る。人体の多くの大小細かな骨達はココ、胸部を含んだ胴体に集中。上半身都市と、下半身都市から形成されて居る巨大なメトロポリス。此処メトロポリスには、血液の流れで賑わう大通りは勿論の事、小さな路地、そして袋小路などの骨の集合体で造られた、ライスカレー用の銀スプーンでは如何しても掻く事の出来ない地域が沢山点在して居る場所で有名。迷子に御注意アレ!
タカハシは携帯用カッターの刃を、「カチカチ..」本体部分から抜き出して、巧みな技によって長くしなる背骨の各接合部の隙間に隠れては、息を潜める細かな肉のカスなどを次々に切り取っていく。タカハシ一人残して、肺呼吸をする者が居ない無音の霊安室。微かなタカハシの肺呼吸音だけが室内に響き渡る。差し詰め、パイプオルガンの哀しい音色が高い天井の教会で泣き叫んで居るかの様だ。「..フウ」
今回持参して来た、巨大ガラス容器タッパーウェアは、ミチオ君にはチト大き過ぎたかも?と思って居たが、其の心配は全く無かった。逆にミチオの肉量の方が容器を勝るかも知れない.. 。
「さ。やっぺ。」
タカハシは携帯用カッターから、また銀のスプーンに持ち替えて、肩の部分から銀のスプーンを上下に、骨の様々な形の流れに沿って、丁寧且つ確実、ミチオの肉を残す事無く掻いていく。然しコノ辺りまで来ると、流石の料理長タカハシにも、打算的な姿勢が見え隠れして来る。集中力の著しい低下。肉の方の取り零しは全く無いのだが、何時の間にか、咥え煙草で仕込みをして居るタカハシ。鼻唄なんかも歌ったりしてね。
(ふゥゥ、終わった..)
一つ深い深呼吸をしたタカハシ。ベットの上に眠る、スッカリ骸骨だけの状態になったミチオを見下す。実は小便も霊安室でして居たタカハシ。自身の小便が詰まったポカリスウェットの蓋を開け、『若葉』の吸い殻を押し込む。
本日、最後の仕込みになる骨抜き。この仕事は、肉掻きの仕込みに比べれば雲泥の差。本来ならばコノ骨抜きの仕込みは、料理業界に中卒で飛び込んだ来た、顔面にニキビが残る新米の若造の仕事に当る。だが哀しいかな、タカハシには従業員を雇う金が無い。『田宮模型』のプラモデルの型の部品を一個一個、ハサミかカッターを使って丁寧に外していく様に、新しい『若葉』を吸いながらタカハシは両手を使い、ミチオの各部品を強引に捻って捥いでいく。そして其の部品の一つ一つを持参して来た真空パック袋の中に、部品達が嵩張らない様に横置きに積んでいく。この辺の描写は『テトリス』を参考にして頂きたく候。中にはタカハシの老人力では外れてくれない、歪な組み方をした捻くれた骨の部位も在る。ソコは止む無く、タカハシは携帯用カッターで強引に削り取る。タカハシはコノ骨抜きを足元から開始。そして山場は越えた様だ。チト汚れは付いたものの、純白のシーツのベットの上には頭蓋骨のミチオを残すのみとなった。丁度、咥え煙草で吸っていた『若葉』も、吸える部分が無い程に短くなって居る。『若葉』の消え行く炎をミチオの頭蓋骨に押し付けて、火を消したタカハシ。その吸い殻を口に咥え直し、右手でミチオの頭蓋骨を器用に掴んでは真空パックの中に入れる。ミチオの全てを真空パックの袋に入れたタカハシは、真空パックの口のジッパーを完璧に閉じ、袋の口の周りの汚れを、ミチオの体液で汚れたシーツを使って、念入りに血や肉の脂を完璧に拭き取った。次いでに自分の両手も綺麗に擦る。脂肪の脂がスゴイ。
この霊安室に入った時、既にタカハシが確認して居た電気の差し込み。部屋の入り口脇に一箇所、そして三本の電気式の蝋燭ランプが灯る、部屋の向こう壁側の一箇所。捻くれ者の糞ジジイタカハシ。敢えて遠い蝋燭ランプの差し込みの方を選択。ミナコから借りた業務用掃除機のホースと、埃を吸い込むローラーが付いているアタマの部分を外す。其のホースの先端を真空パックの袋の丸い穴に差し込む。余り確認せずに購入した真空パック、掃除機のホースとの穴のサイズ、見事「バッチ。グゥ!」と云う出来レース。流石は架空創造物語。後の処理はコノ掃除機がやってくれる。だがタカハシには休まる時間ナドは無い。其の間にも、タカハシは身の回りの整理整頓をテキパキと熟す。時間がタカハシの背後から迫って来る。ここ迄の所要時間、四十四分。タカハシがミナコに尋ねた時間は四十五分(四十四分十五秒経過..)、呟くタカハシ。
「作者です。時間が無い。此処から暫くは“読点”を、時間節約の為に全て省かせて頂きたく候。」
ミチオを入れた真空パックの袋の中は完全に真空状態になりタカハシは掃除機を元の状態に戻しコードも「クルンクルン」させて掃除機内に戻した(四十四分二十五秒経過..)
「何とか間に合った..煙草でも吸うか。」
久し振りに神経を集中させて、チト厄介な作業に没頭。そして見事に大仕事を遣り遂げたタカハシ。霊安室の入り口のドアの縁に全身の体重を預けながら嘆く。満足の行く仕事を成し遂げた漢と云う生き物は、何故か其のアト急に煙草を欲する癖が在る。今のタカハシがそうだ。流石に今は吸えない、もう時期ミナコが戻って来る。だがシッカリと霊安室は煙草臭いのは此処だけの話。
(ミナコさんを待つか..。)
丁度其の頃、流石は常識人のミナコ。台本通り、待ち合わせ時間の四十五分に合わせ、『アパルトメントヘヴン』大部屋役者用の控え室から、タカハシの待つ霊安室に向かう。長い廊下の向こう側から聞こえて来る、タカハシが聞き覚えの在る、あの硬質な革靴の足音、「一カッコン、二カッコン、三カッコン、四カッコン..」
(時間通りじゃて..)
「フハっ、イカンっ!」
タカハシは、ミチオの解体作業に集中するあまり、ミナコがタカハシに好意で渡してくれた、五〇〇ミリリットルの『大塚製薬ポカリスウェット』の存在をスッカリ忘れていた。
一本は既に消費して居る。然し後もう一本が手付かずの状態。タカハシの予想だと、この後ミナコは“七カッコン強”の描写で此処に辿り着く計算だ。
(..どうすんべ?)タカハシの生まれた年代は、特に人からの御厚意には非常に敏感。其の方に失礼が在っては決してならない、タカハシの取った行動とは..。
(四十四分五十五秒経過..)
「..タカハシ様、ミナコです。如何でしょう?無事に終わりました?タカハ..あらッ!マァ、何て凄い飲みっ振り!素敵ですわ。お疲れ様でしたタカハシ様、格好良いッ!」
タカハシに残された、僅か“七カッコン強”の制限時間内の間に、タカハシの利き腕の右手の五本指達が、純白のポカリスウェットの蓋に、蛸の如く“ネットリ”と絡み付き、ミナコの奏でる足音の“三カッコン目”で蓋を捻り開けた。霊安室に戻って来たミナコが見たタカハシ。左手を腰に当て、視線は右斜め前。右手でポカリスウェットを豪快にゴクゴク飲んで居た最中。ミナコにはこんな漢気を魅せ付けたタカハシ。人間の年輪を示す、ひたいの数々の深い皺、其れの溝に沿って下降を続ける沢山の汗、正にスウェット。この描写を見るに当り、どれ程タカハシが焦って居たか?お分かりになるだろう。
「今作、第四話で最も緊張した場面が、このシーンじゃった..」
舞台裏で疲労困憊の笑顔を見せながらも、後のタカハシは語る。
「嗚呼どうもミナコさん..お陰様で全て、何とか四十五分で終わる事が出来ましたワイ」
「見事なポカリスウェットの飲みっ振りでしたわッ!ワタシ本当は、差し入れの内容の方を『ポカリスウェット』にするか?『三ツ矢サイダー』にするか?チト悩んで居たんです。三ツ矢サイダーの方が確かに飲み口は良いけれど、チト強炭酸の具合がタカハシ様には如何なモノかって?良かったデスわ、今回はポカリスウェットの方を選んでおいて!」
この歳になって他人から、然もカナリ年下の異性から褒められる事ナド皆無のタカハシ。思わず、皺っ皺の顔面が若干赤らむ糞ジジイ。「..ミナコさん、後一つだけ御願いが在るんじゃが..」「ハイ!一体何でしょう?」
タカハシは霊安室の入り口に立って居て、ミナコは未だ部屋には入って居ないと云う状況の場面と云う描写の台本。彼女は一体、何が四十五分の間に起こって居たのか?不明。タカハシは、ミナコに一緒に中に入る様、左手を翳す仕草を見せて促した。
「..!」
タカハシに言われるがママ室内に入ったミナコは驚嘆の声を上げた。
「スッゴオォイっ、タカハシ様!たった四十五分と云う時間の中で、ミチオ様をよくココまで綺麗に出来ましたね!私、素直に驚きです!プププっ、キャハッ!けれどチト表現が悪いかも知れませんけど、こちらのミチオ様、綺麗に身を残す事無く命に感謝して、人間に完食された幸せなお魚さんみたいッ!」
「あ、嗚呼..ドウモ..。」
自分では当たり前に熟した事が、こうやって赤の他人に褒められてしまう。赤面ズラが再発する永遠の糞ジジイタカハシ。
「あのォ..ミナコさん?お願い何じゃが、このベットに残ったミチオ君の細かいカスと、汚してしまったシーツ諸々、其方の方で生ゴミとして処分して頂けますかのォ?」
「勿論ですわ!其の為の病院ですから!只..ですねェ、タカハシ様。其の為の事後処理に掛かる人件費の方と、諸々の諸経費の方が、今回は追加で派生してしまいますけど..其れでも構いませんか..?」
(オォ良かった..チト、ワシィ本気でミチオ君を捌いて疲れてしまったし、アソコにも今回は寄らなければならん台本じゃて..)
「はい、ミナコさん。其れでワシの方は全く構いません。」
タカハシの返事を聞いたミナコは、タカハシに右目でウインク。商談成立を意味する粋な挨拶。ミナコはタカハシを置き去りにし、霊安室を後にして、廊下の向こう側に歩き出した。
「あッあのォ、ミナコさん?この掃除機は如何すれば良いんかのォ?置きっ放しで良いんじゃろか?」「係の者が片付けますから!」
病院経営とは、“生命”と云う“金”を扱う商売。客(患者)からは成る可く金を毟り取れ。用が済んだ客(死人)はサッサと帰せ。長居は無用。死んだ患者が、病院で極上のホスピタリティを求める人間は能天気な死体だ。
煙草の若葉に火を点けて、口に咥えるタカハシ。ミナコの後を追わず、其のママ霊安室内で敢えて煙草を吸う。やり遂げた..と云うタカハシの想いが一般常識を見事撲殺。“病院内完全禁煙”を謳う館内で堂々の喫煙、知ったことか。
(フハっ、脳天が若葉でクラクラするわ..)
薄暗い照明の霊安室の内に、タカハシ御手製の若葉のハート型の煙達が、ツギツギとモクモクとプカプカと空中に描かれる。このハート型の煙はミチオの為にでは無く、奥手の糞ジジイタカハシから、今回ポカリスウェットを差し入れてくれたミナコへの捧ぎ物。
「あっ!タカハシ様。お帰りなさい、如何でした?」
受付カウンターに座って居たオガサワラが、廊下の向こう側からヨタヨタと歩いて来るタカハシを見掛けると、素早く立ち上がり、そして優しく声を掛けた。
「有り難う御座います。何とか全て、無事に終わりましたわい」
タカハシはオガサワラに会釈をした。
「今回のミチオ様の全ての御請求の方、一括でコチラから御自宅の方に郵送で送らせて頂きますので、今日のところはコノままトットとお帰り下さい。」
オガサワラの優しい一言に、タカハシは改めて深く御辞儀をし、病院を後にした。
「次は彼処じゃ、急がんと..」
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