第二話『喫茶 人生の分かれ道』。読者の皆さんも、もしも見かけた方がいらっしゃったら、是非どうぞ。

「嗚呼ハイ、もしもしィ。えェ..はい、ワシがタカハシですが..」


『アパルトメントヘブン』錆びた鉄製の螺旋階段が、一階から二階まで繋がって居る。建物突き当たりの一番奥の角部屋、二階の二〇三室。切腹自殺を敢行したミチオの隣の部屋。ミチオの腐乱臭が共有して居る壁越しに漂って来て、タカハシはミチオが死んで居る事に気付いた。そしてタカハシは、そこからミチオを数ヶ月間ほど熟成させて居た事は周知の事実。タカハシは死体が好きだ。腐乱臭がキツいだけ其の性的興奮も高まる。歳を重ねてからは、この傾向が更に増して行くのが自分でも分かる。ミチオには身内が居ないのを知って居るタカハシ、警察への通報を焦らしても問題にはナラナイと云う、タカハシの独自で自分勝手な解釈。

 

 タカハシの部屋の固定電話が鳴った。電話の主は、二〇二室のミチオの遺体をサイジョウ達が搬入した、『総合病院 純愛』からだった。

「タカハシさんですね?私は『総合病院 純愛』からお電話差し上げている、今回のミチオ様の件を担当させて頂きます、ミナコと申します。」

 タカハシはコレまで長年に亘り、自分のアパルトメントで自殺して来た住人達の後始末、其れ等を一手に引き受けて来たので、勿論この病院の事も知って居る。恐らくタカハシが知らない大きな緊急病院などは、この地球上には存在して居ないのでは?

「オぉ..ハイハイ、ミナコさん。お電話どうも有難う御座います。そろそろ連絡がやって来ると思っておりました。それでェ、ミチオくんの塩梅の方は、今ァ如何ですかのォ?」

「ハイっ!あくまでも私が外見から見たところ、スヤスヤと安らかに眠っておられます。只..腐乱具合が重症の部類に入る“要危険”と、コチラの医師に指定されましたので、其の医師と相談したところ、通常の場合、死体解剖をしてから御遺族にお引き渡しとなるのですが、ミチオ様の場合は他殺の可能性が〇、そして腐敗がチト酷いと云う事で、コチラで解剖の方は敢えてせずに、其のまま死亡診断書の方を勝手に作成させて頂きました。宜しいですよね?」

「其れは其れは、ご親切に如何も有難う御座います。」

「あのォ、其れでですね?ミチオ様の身元引き受け人はタカハシ様で宜しいのですね?」

「えェ..ハイ、其れで結構です。そして、今日の何時頃、ワシは其方にミチオ君を引き取りに伺えば良いですかのォ?」

「ハイ、其の事に付いて何ですが..、ミチオ様の御遺体は、既にグッチョングッチョンの状態で、手の施しようが在りません。タカハシ様がイラッシャッテモ構いませんが、若しもタカハシ様の方が御希望でアラレマシタラ、此方の方でミチオ様を生ゴミ処分、と云う特別サービスも提供させて頂いて居りますが、如何なさいましょう?別途料金がチト掛かりますが?」

「イヤいやイヤ、其れでは態々ミチオ君が、ワシの所で割腹自決をした理由の意味が無くなってしまいますから。ミチオ君はワシに介抱して貰いたくて亡くなったんじゃ。ですから、ワシが其方へ伺います。役所に出す死亡診断書も必要ですし。」

「分かりました。では、今日の十一時から、正午十二時の間でお越し下さい。病院裏側の玄関を入って、右側の受付けでお待ちして居ります。受付けには、“三つ編みのミナコ”とだけ伝えて頂けたら、私へと繋がります。」

 ミナコは其の旨を早口で伝えると、タカハシが礼を言う前に「ガッチャンコ!」電話を切った。次が控えて居るのだろう。無情は非情。タカハシが居間の壁時計を見て見ると、今の時間は未だ朝の〇八時〇七分。

「..飯ィ、喰うか」

 台所の冷蔵庫を開けて、長ネギ、木綿豆腐、なめこ、納豆を取り出して、鍋に水を張り、味噌汁を作る為にコンロに火を点ける。其の間に、釜に米と水を入れて、ガス釜に電源を入れる。毎日三食、この同じ内容を長年に亘り貫いて居る。年齢不詳のタカハシの長生きのコツは、“流行に流されずにブレない事”。準備が整った朝食を、居間兼寝室の六畳一間に鎮座するチャブ台に移し、姿勢正しくキチンと正座をして食べる。あぐら座りは性に合わない。納豆ご飯を規則正しく咀嚼しながら、今日一日の予定を組み立てる技巧派のタカハシ(今日はコノ糞ジジイには、チト長丁場になりそうじゃ..)。後もう一味が欲しい。タカハシは立ち上がり、台所の床に置いて在る壺から、十分漬かった梅干しを二個選び、チャブ台に引き返す。

「フハっ、塩っぺ!」

 一番小振りの梅干しを、勢い良く口の中に放り込み、其の時に名案が浮かんだ。

「ア、あれじゃ..」

 すっかり朝食を済まし、何でも後回しにする事を忌嫌うタカハシ。汚れた食器類を全て洗い終えた後、アパルトメントを後にした。 最寄りの駅に着いたのが大体〇九時位。タカハシは『総合病院 純愛』が在る方向の、上り電車のホームでは無く、反対側の下り方面のホームに立って居た。そして病院とは真逆の方向の電車に乗り入れる。タカハシの行き先とは『ホームセンタートドロキ』。

 駅から約徒歩五分の好立地に在る、食料品から日用品、はたまた戦車まで、一通り何でも揃う。然も早朝〇七時から早朝六時五十九分時まで、年中無休で営業して居る郊外超大型店。タカハシは此処の常連で、食料品を始め、アパルトメントの簡単な修復の際に必要な大工用具など、生活の全てをココで済ませて居る。今回タカハシが目指す売り場は、

 “キッチンコーナー”の大きな吊り看板が天井からブラ下がって居る。キッチンコーナーと一言で片づけても面積は巨大で、高さの在る陳列台がズラリと並んで居る通路が、八〇〇メートルの長さで合計五箇所。動体視力が優れて居る若者でも、探して居る商品を瞬時に見付けるのは至難の技。そして余りもの広さで店内遭難をしてしまい、たまに餓死してしまった来店者の遺体もシバシバ見掛ける始末。

 タカハシが先ず最初に探して居るのは、ガラス製のタッパーウェア。プラスティック製の方が断然に値段は安いが、今回に限っては絶対にガラス製でなければならない。

「オッ、あったあった、此処じゃ..」

『五〇〇〇杯程のカレールーを保存可能!』

 謳って居るタッパーウェアを手に取って、カゴに入れた。五〇〇〇杯分のカレールーとは一体どの位の量なのか?タカハシにはチト疑問では在ったがマァ良い。

 買い物はコレで終わりでは無い。タカハシが次に向かった先は“生活用品コーナー”。ココでもタカハシは、自分が欲しいモノは既に分かって居る。真空パックの収納袋。ここではタカハシ、とても慎重に、何種類かの自分の求めて居る大きさに近い袋を「ブツブツ..」と独り言を唱えながら、両手を使って寸法を確かめる。

 (ふゥゥん..この尺でいくか..)

 

「イラッシャイマセぇぇ..。

 ピッ、ガラス製タッパーウェア超特大 が一点、 三六〇円也。

 ピッ、真空パック袋が一点、四八〇円也。

 本日の合計が八四〇円。

 又のお越しをお待ちしておりますゥ。」

 無機質に喋る女性店員に、軽い軽蔑と軽く会釈をした後、さっさとタカハシは会計を済まし、ついさっき乗って来た電車の、今度は自分のアパルトメント方面の上り行きに乗車。 (時間は未だ〇十時半位じゃから、マァ向こうには大体十一時位と考えておけば良いな。余裕じゃて..)

 流石、時間だけは無限大にある糞じじいタカハシ。目的の病院には十一時少し前には着いてしまった。タカハシが降りた駅の直ぐ目の前に巨大な要塞、『総合病院 純愛』が聳え建って居るが、この駅の付近には『総合病院 純愛』を囲む様にして、若者向けの店が沢山建ち並んで居る。当時をタカハシが知るコノ駅周辺は『総合病院 純愛」しか無く、駅を利用する乗客と云えば、糞ジジイ糞ババアしか居なかった。この五〜六年でコノ辺りの様相はスッカリ変化した。

 駅から出来たタカハシは、『ホームセンタートドロキ』のロゴが印刷された、大きな手提げビニール袋を右手に持ち、見据えた先には一本の大通り。大通りを挟んで向かい側に『総合病院 純愛』は在る。

 (未だ全然時間が早いのォ..)

 ミチオとの約束の時間には、未だ一時間位の余裕が在る。だが自身の部屋に一度戻るのも馬鹿みたいだ。

 (この辺で時間を潰すか?..)

 タカハシが辺りを見渡すと、自分が立って居る歩道の先に立ち看板を見付けた。今まで何度もコノ駅には訪れた事は在ったが、この店の存在は全く知らなかった(彼処にスッカ)。

『喫茶 人生の分かれ道』

 店の前に着いたタカハシ。古い年季の入った木製のドアを引いて店内に入ると、そのドア同様、店内の内装もトテモ古めかしい。だが古い建築物に良く在る様な、カビ臭い匂いはしない、居心地の良さのみを追求した空間が其処にはあった。期待出来る予感。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「あ、ハイ.. もう開いてますかのォ..?」

 タカハシが潜った玄関ドア向こう側、背が高い椅子が六脚、規則正しく並んでいる。其の椅子の前には、見事な一枚板で出来たカウンター。其の中に居た初老のマダムが、タカハシに声を掛けた。

「ハイ勿論!どうぞ、お好きなお席をお選びになって。」

 狭い店内をザッと見廻し、タカハシは窓際の四人席に決めた。

「スミマセン。この席ィ四人掛けじゃが、ワシ座っても良いですかのォ..?[#「?」は縦中横]」

「勿論ですわ?[#「?」は縦中横]」

 タカハシが窓際の椅子に腰を落ち着かせると、マダムがカウンター内から御品書きと、氷水の入ったグラスを運んで来る。

「こちらが御品書きになっております..」

 マダムに礼を言ったタカハシは、年季が入ったラミネート加工されて居ない、珈琲のシミやら、恐らくはナポリタンソースの飛び散ったシミなどを十二分に吸い込んだ、厚紙の一枚だけの御品書きを眺める。タカハシはラミネート製の御品書きは嫌いだ。不潔だから。片面だけに印刷されて居る全商品に、一通り目を通す。そんなタカハシの御品書きを睨む視線に対し、見破られない様、タカハシの表情の些細な変化を、カウンター内から監視して居るマダム(今だわ..)。御品書きをタカハシに手渡した後、足音を立てずにカウンターに戻って居た彼女が、再び足音を全く立てずタカハシの席に向かった。丁度タカハシの注文する内容が決まった其の時、

「御注文の方はお決まりになりまして?」

 (この御婦人、出来る!)タカハシは唸る。「あ。嗚呼..ハイ、このフレンチトーストとナポリタンのセット。後ォ、このイタリアン珈琲を頂けますかのォ?」

「はい、かしこまりました。」

「あの.. 本当に大丈夫ですか?全部召し上がります?」

「見た目は糞ジジイでも、困った事に胃の方は未だ未だガキのマンマ何ですよ」

 タカハシの粋な返しを聞いたマダムは、右手で自分の口を隠す様な仕草を見せて「クスリ」上品にほくそ笑んだ。こんなマダムの仕草に、タカハシは久し振りに胸が軽くトキメク。注文を取った後、カウンター向こうの厨房の中に入って行ったマダム。その数分後、厨房から小太りの中年の男が「ノソノソ..」と出て来て、客からは見えないカウンター裏側から何かを手に取り、また厨房に「のそのそ..」と戻って行った

 (あの男が料理番で、上品な彼女の方がホール担当か..)

 男が厨房に入って行くのと反比例して、マダムが厨房から出て来た。カウンター内の棚から、化学の実験で使う様なガラス製ビーカーの珈琲メーカーを丁寧に取り出して、珈琲を作り始めた。全ての珈琲豆は瓶詰めさせて居るらしく、マダムはタカハシの注文した豆の瓶を開けて、カウンター後ろに置いて在る、手動豆挽き機で「グルグル」豆を挽いて居る。珈琲が席にやって来る迄のマダムの美しい所作に、タカハシは我を忘れて見詰めて居た(マダムの珈琲は絶対に旨い)。タカハシは直感で分かった(こりゃ期待出来そうじゃの..さて、待ってみるか)。

 実はタカハシ、珈琲にはチトうるさい。大昔のタカハシは珈琲など全く飲まなかったのだが、立て続けに勃発する自分のアパルトメントで、自殺を繰り返す住人達の遺体引き取りの為に病院に出向く際、今回の様に如何しても待ち時間が出来てしまう場合もシバシバ。其の時の時間潰しに使った喫茶店で珈琲を覚えた。不幸中の幸い。有難う、自殺者達よ。

「お待ちどう様です。」

 純白の上品な柄のソーサーに乗せられてやって来た、同じく純白の珈琲カップ。マダムは音を立てず、タカハシの前に静かにソーサーを置いた。そして数杯分の珈琲が入って居るガラス製のビーカーを、珈琲カップの横に添える。

「お砂糖とミルクの方、お持ち致しましょうか?」要る訳が無い。

「有難う御座います。じゃが結構です。」

 マダムはタカハシに軽く会釈をして、また足音を立てず、カウンターへと戻って行った。窓越しからオモテの景色をボンヤリと眺めながら、珈琲カップを右手で優しく持ったタカハシ、先ず一口目を啜る。

 (..美味い)タカハシは唸った。味もそうだが、驚いたのが香り。タカハシの鼻腔に自信在り気に、然しユックリとタカハシの珈琲への欲望を焦らしながら、時間を掛けて侵入して来る強い香り。喩えるのならば、濃厚なダークチョコレート。其のダークチョコレートの香りが、口内で味覚に見事脱皮。そして次には、舌の上に「コロコロ」と無邪気に飛び込んで来るサクランボの、繊細且つ重厚な眩暈を覚える程の甘酸っぱい酸味。糞じじいタカハシの心臓がバクバク活動的になる。決して珈琲のカフェインの仕業では無い、純粋な感動からやって来る大興奮。これに尽きる。そんな瀕死寸前のタカハシを現実世界に呼び戻してくれた使者は、其の原因を作った張本人のマダム。

「如何ですか、お味の方は?」

 実は白目を剥き出しながら、更に口からは快楽の余り、ヨダレを垂らして居たタカハシ。天界から聞こえて来る、甘ったるい女神の囁きを聞いたタカハシ。驚いたタカハシが声を聞いた方向を向くと、彼の注文した料理をトレイに乗せたマダムが立って居た。

「オォ..この珈琲は危険じゃ。とても素晴らしい出来ばいじゃて..もう少しで悶絶死するところでしたわ..」

「フフフ!其れは如何も有難う御座います、嬉しいデスわ。」

 そう言うと、マダムはトレイに乗せて居たタカハシの頼んだ料理を席に置いた後、再びカウンターに足音を立てず戻って行った。

 (これは..マァ普通じゃな)

 ナポリタンを先ずは口に運んだタカハシ、次にフレンチトーストを食べてみるが、初めの珈琲の旨さに比べると、味は確かに劣る。年代的に料理を残す事は嫌いなタカハシ。全てを平らげた後、そこから又ユックリと珈琲を楽しんだ。至極のヒトトキ。店内には有線放送では無く、耳触りにならない程度の音量で、古い時代のジャズが流れて居る(このジャリジャリした感触の肌触り。レコード盤じゃな..)。実はタカハシ、珈琲だけに限らず、古い時代のジャズも非常に好む。老人は、演歌や民謡、そして浪曲しか聴かないだろうと一方的に決め付けるのは、正に老人差別。

 珈琲カップの底に珈琲の一滴も残さず、綺麗に飲み干したタカハシ。年甲斐にも関わらず、心が豊かになった気がする。極上の珈琲の飲み疲れか?ヨロヨロ..椅子から立ち上がったタカハシ、マダムの居るカウンターに向かった。

「イヤぁ..失礼じゃが、大変驚きました。料理も勿論美味しかったんじゃが、其れよりも何より珈琲が絶品じゃった..今日は幸せな時間を抱き、本当に有難う御座います。」

 タカハシが深々とアタマを下げた。

「まァ!其れは如何も有難う御座います!」

 マダムも決して演技では無い笑みをタカハシに向けた。

 会計を無事に済ましたタカハシ、ゆったりとした足取りで店を出た。

「嗚呼..本当に良く出来た珈琲じゃった。さて、家に帰るか..」

 タカハシの足が、駅前の階段に向かった其の時、背後からマダムがタカハシを呼び止めた。彼女は両手に『ホームセンタートドロキ』の大きな手提げ袋を持って居る。

「お客様ぁ、お忘れ物ですわ!」

「ア、そうじゃった..どうも有難う御座います。こんなに頭が呆けてしまったら、次は行き方も忘れてしまって、もう二度と貴女のお店で美味しい珈琲に再会出来ないかも知れませんな。」

「マァ!本当にご冗談が上手い事。ウフフ」

 若者達が行き交う狭い歩道の真ん中で、マダムは袋を大事にタカハシの手へと手渡した。

 

「しかし美味かったのォ..」

 喫茶店を後にしたタカハシを追って、内股気味で駆けて来たマダム。無事に忘れ物を受け取ったタカハシは、喫茶店の前の歩道を横断歩道に向かって歩き出す。

 横断歩道の信号は赤、タカハシは信号が青に変わるのを待っている間、自分の口内に未だ残って居る、先程の珈琲の余韻をイマ一度、目を瞑って味わう。無意識にタカハシの唇もカップを啜る時のアヒル口になって居て、右隣に立って居た女子高生の集団に、薄気味悪い感情を持たれた事を、タカハシは知る由も無かった。

 タカハシの瞑った目の前を走って居た走行車のエンジン音が止み、タカハシが再び目を開いて覚醒してみると、タカハシ以外の歩行者達は、既に横断歩道を渡り始めていた。タカハシも右脚から踏み出して、横断歩道の反対側に建つ『総合病院 純愛』へと歩き始

 めた。 

 大抵の大きな総合病院の裏口玄関は、一見の訪問者には非常に分かりにくい位置に在る。そもそも、裏口玄関と云うのが病院に存在して居る事実すら、知らない人間も多いだろう。裏口玄関の門構えは、豪華絢爛な正面玄関に比べ、とても地味な造りが多い。まるで裏口玄関は病院の恥部と云った扱い。タカハシには、世界の知らない病院の裏口玄関は無い。タカハシは迷う事無く、目的地で在った裏口玄関へと到着。裏口の玄関先に立つタカハシ、玄関の無駄に重いガラスドアを引いて中に入ると、直ぐ目の前には、安っぽくて簡易的な造りの、人間一人がヤット精一杯座れる程のカウンター。心做しか、照明も意味深に若干では在るが暗め。タカハシは粗末なカウンターの中に座って居る、全く愛想の無い中年の受付けの女性に、自身の個人情報を伝え、更にミナコの名前を教えた。其の女性は、タカハシに“ミナコ”と告げられて、一瞬だが訝しい表情を見せた。透かさずタカハシは「三つ編みのミナコさんです。」

「..少々お待ち下さい。」

 内線電話で何処かに電話を掛け出した。「もう直ぐ三つ編みのミナコが参りますので、其方の椅子に座って、お待ち下さい。」

 電話の受話器を置いた女性がタカハシに告げた。タカハシは女性の苗字が印刷されて居る胸の社員証を、彼女が電話を掛けて居る隙に、実は盗み見して居た。

「オガサワラさん、有難う御座います。」

 オガサワラは驚いた表情で、顔を上げてタカハシの顔を見た。

「胸の社員証、見たんですわ。」

 タカハシが答えると、オガサワラが「ハっ!」と云う様な表情を見せて、思わず両手で巨乳気味の胸を隠した。そして其の後、可愛くハニカミ、素直の彼女が本来持ち合わせて居る、無邪気な笑顔をタカハシに見せた。

 オガサワラに指定された長椅子に腰を下ろしたタカハシ。両眼を瞑り、其の時を待つ。どの位時間が経ったかは分からないが、チト焦らし過ぎではナイカ?タカハシは思った其の瞬間、長い渡り廊下の向こう側から、硬質な足音が聞こえて来た。とは云っても、其の足音からは体重の重さは感じられない。革靴を履いた女性か?三つ編みミナコか?

「タカハシ様、お待たせして如何も申し訳在りません。」

 両眼を開眼したタカハシ。女性はアタマを下げて、自分はミナコだと自己紹介した。確かに髪型は三つ編みだった。

「イエイエ良いんですじゃ。病院の仕事に予定通りは無いのは重々承知ですじゃ。」

 其の時、時間は午前十一時五十三分。

「改めて、ワシはタカハシと申します。」

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